ミウディス
ボロボロになったテントを片付け荷をまとめると、カタリナはそれらを全て背負い、櫻の手…だった肉を貪る。
「よし!」
気合の入った声を上げたかと思うと、おもむろに櫻とアスティアを抱え上げ、背負った荷の上に乗せた。
「ちょ、どうした?」
「え?なになに?」
驚き慌てる二人。
「昨夜は迷惑をかけちまったみたいだしね、お嬢の手の力が残ってる内は楽させてやるよ。」
そう言うと傾斜も何のそのという勢いで駆け出し、瞬く間に山の折り返し点まで上り詰めた。まだ日は頭上まで到達しておらず、思いの外早いペースで下りに移行出来る様子。
この山はまだ高い部分があるが、ファートからミウディスまでの道はそこまで標高の高く無い場所を通っている。だがそれを差し引いてもそこそこの高さは在る為、そこから見える景色に櫻は目を奪われた。
「おぉ…。」
麓に広がる森林、その先には最初の目的地であるミウディスの町らしき場所が見え、そこから直ぐに広がる海は陽の光を反射しキラキラと輝いていた。そして海を挟んで向こう側には大きな陸地が霞んで見える。恐らくこれから向かう事になるであろう、風の精霊の居る大陸だ。
「この山の向こうに町があったんだねぇ。前にアスティアに抱えられて空を飛んだ時には山の向こうに海があったのは見えていたが、丁度山陰になっていて町の存在には気付かなかった訳だ。」
腰に手を当て全身で風を受け、改めて世界の広さを認識する。ファートの町を見てみようと向きを変えた時、尾根伝いに横にも道が伸びている事に気付いた。
その道を目で辿ると、その先には小さめの小屋を添えた少し広めの平地があり、見ると旅人の休憩地として使われているようだ。
「あぁ、あそこかい?こういう山越えの道中には、ああやって休憩を取る場所があるもんなんだ。本来ならアタイらも1日目でここまで来て休めれば良かったんだが、お嬢の歩幅を考えて少し長めに見積もった結果、ああいう場所での野宿になっちまった訳だな。」
櫻の視線に気付いたカタリナが説明をする。
「やれやれ、あたしゃお荷物になってばっかりだね…この体たらくで一体何をやれと言うのやら。」
自嘲する櫻。
「まぁいい。それより2日がかりで今やっと山に登ったのに、今からで町まで辿り着けるのかい?」
「大丈夫さ。荷物も随分軽くなってるし、山からの距離はファートと比べて随分近い。到着は夜中になっちまうだろうが今日中には到着出来るさ。…イザとなったらお嬢の血でも飲ませて貰えればもっと早くなるしな。」
「あぁ、そうだね。これからはカタリナにも定期的に摂取してもらわないと危険だからね…とは言ってもどういう風に与えて良いものやら…。」
アスティアに血を飲ませる場合には、アスティアの唾液による麻酔効果でほぼ痛みを感じない状態で与える事が出来る訳だが、カタリナにはそのようなものは無い。毎回首筋を噛み切られるのは流石に勘弁願いたい処であった。
「ま、考えるのは町に着いてからでいいか。それじゃ、チャチャっと下りてしまおう。」
「そうだね。それじゃサッサと出発しますか。」
広場で休んでいる旅人達と手を振り交わし、櫻達は下り坂へと歩みを進めた。
「そういえばお嬢、アスティアに血を飲ませて飛んで行けばもっと楽なんじゃないのかい?」
歩みを止める事無くカタリナが思った事を言葉にする。
「そうだよ。どうしてボクを頼ってくれないの?ボク何でもするって言ったよ?」
「まぁそれが一番楽ではあるんだろうけどね…『人類の視点で世の中を見ろ』と言われたというのもあるが、それは建前かな。あたし自身この世界を歩いて身体で感じなきゃ、この世界で何をすれば良いのかが理解出来ないと思ってるのさ。」
「理解?」
「そうさ。空から眺めてるだけじゃ地上で生活をしてる人達の事なんて見えやしないからね。さっきみたいに旅人達とすれ違う事も無かっただろう。世界中の人類を一気に助ける事なんて不可能だろうが、行く先々ではせめて地に足を着けてそこに生きる人達の目線にならなきゃ何も見え無いと思うのさ。」
「成程ねぇ…その志は立派だよ。だけど現実に何が出来るんだい?」
「…まぁ言わんとしてる事は解るよ。考えだけではどうにも出来ないこの貧弱な身体が、ね。」
カタリナの厭味混じりの言葉に櫻も苦笑した。
「そんな事は気にしなくて大丈夫だよ!サクラ様がしたい事はボクが叶えてあげるんだから!」
無力な現実に少し表情が暗くなっていた櫻にアスティアが声をかける。
「…まぁ、そうだね。使徒って何なんだろうって考えてたんだが、アタイらは多分神様の手足として働く為にそういう存在になったんだろうね。だから神様…お嬢自身が強くある必要はそこまで重要じゃないと思うんだ。要はアタイらを正しく動かす事が出来るかどうかが、って処じゃないか?」
カタリナも言い過ぎたと思ったのか、アスティアの言葉に同調する。
「二人共済まないね。ありがとう。アスティアにはもう言った事なんだが、カタリナ、確かにあたしは弱い。だけど出来る事はやりたいんだ。その為にお前さんの力を貸してくれ。あたしもお前さんの力になれるなら努力する。上下関係じゃなく互いに助け合おう。」
「ま、アタイもちょいと意地悪い言い方をしたね。済まなかったよ。アタイとしちゃ今までだって旅を続けて来た中でトラブルも色々あった。その中でお嬢達って言う多少のメリハリが出来たと思えば何も悪い事じゃない。お嬢のやりたい事に付き合ってやるさ。」
(それにお嬢とアスティアが居ればアタイの心に潤いも増すってもんだしねぇ。)
思わずカタリナの顔がにやける。
「そう言って貰えると有り難いね。改めて、これからも宜しく頼むよ。」
改めて結束を確認し合った一同。順調に山を下りて行くと徐々に周囲の木々も背を高くし、日差しを遮るようになって来た。まだ日が沈むには早いものの長く伸びてきた木々の影が周囲を薄暗くし、時間の感覚が判らなくなってくる。
「先が見えないと町まであとどれくらいなのか判らないねぇ。」
「アタイもこの道は来た時に一度通っただけだから距離までは覚えて無いんだ。だけどそこまで広い森林じゃなかった筈だよ。」
「ボクもこの森の中を歩いたのは初めてかな~。いつもは空から眺めるだけだったから何だか新鮮!」
そんな事を言い合い暫く歩くと、急に視界が開け、目の前には草原と舗装された石畳の街道、そしてその先には既にミウディスの町が見えていた。
「おぉ!あれがミウディスの町か!」
下山から森の中を歩き通しで疲れていた筈の櫻だが、町並みが見えると歩く気力が再び湧き上がる。
既に日も沈みかけ辺りは夕闇の中であったが、休憩を挟まずに歩き続けたお陰か想定よりも早く到着する事が出来そうであった。
町に近付くにつれて街道から離れた処に畑が多く見えるようになってくる。時間のせいか既に働いている人の影は見えないが、その風景に人々の営みを感じる櫻であった。
「取り敢えず町に到着したら宿を取ろうと思うんだけど、部屋はどうする?」
「どうする…とは?」
「いや、アタイら三人で一つの部屋を借りるか、一人ひと部屋にするかって事さ。」
「ボクはサクラ様と一緒のベッドがいいな。」
「…だそうだ。」
「じゃぁ少し大きめの部屋を借りるか。」
そう言って町に入ると、まるで長く暮らした町かのように通りを進むカタリナ。
「お前さん、この町は何度か来てるのかい?」
「いいや?この島に来た時に立ち寄っただけだよ?」
「その割に随分スイスイと歩くじゃないか。町の構造を理解してるみたいだ。」
「あぁ、そういう事か。アタイは一度立ち寄った町の造りは結構覚える方でね。それにここの町はほんの数日前に通ったばかりだ、忘れる訳が無いさ。」
「へぇ、凄いね。ボクはこの町に何度か来てるけど、宿屋の場所とか全然覚えて無いや。」
「それはそれで興味が無さすぎなんじゃないのかい…。」
周囲の様子に目を向けながら通りを進む。
元々は漁村のような小さな集落だった場所に人が集まり発展したのだろうか。計画的に創られた町並みでは無いグネグネと曲がりくねった道。
一応主となる大通りはそれなりに真っ直ぐに舗装されているものの、その両脇に立ち並ぶ大小様々な建物によってカーブを余儀なくされて作られているのが解る。その大通りから様々に横に伸びる脇道の奥には、やはり民家らしき建物が多く見られた。
(どこの世界も似たような造りになるもんだねぇ。)
元の世界の町並みを思い出しながらカタリナに付いて歩くと、一軒の大きめの建物の前で立ち止まった。
「さ、着いたよ。ここはこの町でアタイが泊まった宿屋だ。一階には食堂と酒場も付いてて飯も美味いしベッドも柔らかくて寝心地抜群を保証するよ。」
自信満々に紹介されたその宿は、二階建てながら敷地面積がかなり広く取られており、二階が宿泊スペースとなっているらしいが外から見てもその部屋数は正面からで6部屋程見受けられた。
「ほ~…随分大きな建物だねぇ。アスティア、こんな立派な建物なのに覚えてなかったのかい。」
「うん、だってボクはたまに頼まれた届け物のお手伝いで来てた程度で、余り町の中を見て回る事なんて無かったから。」
「成程ね。それじゃこれからは行く先々で色んなものに興味を持ってみるといいよ。」
「うん、気をつけてみるよ。」
二人の会話を背にカタリナが宿の両開きの扉を押すと、カラカラと鈴の音を立て開く。その中に広がる光景はカタリナの言ったように食堂兼酒場と言った風で、正面にカウンターが有り酒を振舞っているかと思えば、手前の広間ではテーブル席で食事を楽しむ者達で溢れていた。
「まさかこれ全員が宿泊客じゃないよな?」
「それは流石に無いだろう。アタイが泊まった時もこんな感じだったけど部屋は余裕で空いてたよ。ほら、あそこが宿の受け付けだ。」
カタリナが指差すのはホールの片隅、二階へ上がる階段の下に設置されたカウンターだ。
食堂の喧騒の中を縫って歩き受け付けカウンターへ辿り付き
「よ。こないだは世話になったね。また来たよ。」
「あら、あんたこの間の。もう島を出るのかい?」
「あぁ。目的が出来たんでね。それで、三人泊まれる部屋は空いてるかい?ベッドは二つでいいから二人部屋でも構わないが。」
手馴れた様子で受け付けを済ませる。
「さ。部屋は借りられたし、荷物を置いてきて飯にしようか。」
鍵を受け取り向かった先は二階の中程にある海側の部屋。その中は外から見た時にはレンガ造りだった建物からは想像出来ない、木の板が張り巡らされた木造建築のような内装であった。
(へぇ…ちゃんとこういう技術もあるんじゃないか…。だが木造の方が快適ではあっても照明が火に頼りきりでは、やはり火災が起きやすいんだろうし全体を木造にするのはリスクが高いって事なのかね。)
その想像の通りか、照明は天井から吊るされたランプとベッド傍に設置された蝋燭のみ、直火が木に当たるリスクは出来るだけ避けているのが解る。
荷を部屋の隅に纏めて置くと、部屋を出て施錠をし食堂へと下りる。
「さぁて、何を食おうかね。」
ウキウキとしながらメニューを見るカタリナ。しかし櫻の表情は険しい。
(しまった…ここ2日程失念していたが文字が全く読めないんだった…。写真は当然としてイラストも載ってない文字ばかりのメニュー表じゃ何があるのかサッパリ解らん!)
「…アスティア、済まないがこの中から魚料理と、あとは野菜を多めに摂りたいから何かそういうモノを選んでくれないかい?」
「うん、わかった!」
「アスティアが居てくれて本当に助かるよ。あたし一人じゃとてもこの世界でやっていける気がしない…。」
「えへへ…もっと頼ってくれていいからね?」
嬉しそうに笑顔を浮かべるアスティアであった。
そうして出て来たのはテーブルいっぱいに広がる沢山の皿。その殆どがカタリナの注文した肉で埋め尽くされていた。
櫻の頼んだ…というよりアスティアが選んだ料理は魚のムニエルのようなものとボウルいっぱいに盛られた野菜サラダだ。
「お嬢、何でアタイに頼まなかったんだい?」
「お前さんに頼んだら山盛りの肉が出てくる未来しか見えなかったもんでね。このところ肉ばかり食ってて栄養が偏りそうだったし、こういう場所でバランスを取らなきゃねぇ。」
そう言って早速魚料理に手を付ける。
「…!」
口の中に魚のホロっとした口当たりとその身から出る脂、そして味付けのソースだろうか甘塩っぱい味わいが広がる。
(う~ん、どんな物を使ってるかは全く解らんが、この世界の食い物は問題無くあたしの口に合うね。これは僥倖と言わざるを得ない。)
これから永くこの世界を彷徨わなければならない櫻にとって、食事を美味しく食べる事が出来るのはとても重要な事であった。
サラダは見た目レタスのような葉物野菜をメインに少し細長いミニトマトのような物や、形は違うもののパプリカのような彩物が入ったボウルに酸味の香りのするドレッシングがかけられた物であった。
口に運びパリパリと音を立てて食べてみる。
(ふぅん?トマトかと思ったが少し甘みが強い。それにドレッシングのレモンのような酸味が合わさって不思議な清涼感があるね…葉っぱは…うん、ほぼレタスだ。)
一つずつ味を確認しながら食べる櫻の横顔を嬉しそうに眺めるアスティア。
「…?どうしたんだい?そんなニコニコして。」
「ん~?ボクが選んだ料理をサクラ様が美味しそうに食べてるのが嬉しくて。」
「あぁ。うん、確かに美味い。良い料理を選んでくれてありがとう、アスティア。」
「えへへ…。」
櫻の素直な感謝の言葉にアスティアは少し照れ笑い。
(う~ん、いい…。少女はこうあるべきだねぇ…。)
そんな光景を尊びながら鼻の下を伸ばし眺めるカタリナであった。