オマイン
「凄いな、カタリナ。一体どうやって犯人が判ったんだ?」
巡回するカタリナの隣、ルードヴィヒが少々興奮気味に尋ねる。
「フフッ、『神様』のお告げさ。」
「神様? おいおい、オマエは巫女か何かか? 冗談は良いから本当の処を教えてくれよ。」
澄ましたような顔でそんな事を言うカタリナを、何かの冗談としか捉えないルードヴィヒが詰め寄る。
「何だい? 何でそんな事を気にするんだ?」
「そりゃぁ気にもなるだろう。あの男、あんな義足を着けていながら重心に違和感が無かった…余程やり慣れた奴だったんだろうな。俺には見抜けなかったモノをあんな簡単に看破されちゃ、オレがオマエより未熟みたいじゃないか。」
腕を組んで眉間に皺を寄せ、不満顔を浮かべるとルードヴィヒは『フンッ』と鼻息を漏らす。
「ハハッ、それを言ったらアタイだってまだまだ未熟も未熟だ。お互いにもっと強くならなきゃな。」
そう言った瞬間、『ヒュッ!』と風を切る音と共にカタリナの手刀が隣を歩くルードヴィヒの顔面を狙う。だがルードヴィヒは表情を変える事も無くそれを片手で難なく受け流し、カタリナの喉元目掛けて返すように手刀を繰り出した。
「おっと。」
カタリナはスッと身を引き手の甲でソレを受け流すと、その手をそのまま、蛇が巻き付くかのようにルードヴィヒの腕を絡め捕って腋に挟み込み、そのまま互いが向き合うような体勢になる。
「ふふん、そう言うアンタは、いつでも戦いが出来るような重心を隠そうともしないじゃないか。退屈で身体がウズいて仕方ないってか。」
「ハハッ、あの金を盗まれた男の一撃を見たからかな? 大して鍛えたような身体でも無いクセに、アレは渾身を込めた見事な一撃だった。オレも久しぶりにあんな拳を打ち込みたくなっちまったよ。」
そう言って互いにニヤリと笑みを浮かべると、パッと互いの拘束を解き再び歩き出す。
「まぁオマエが相手なら面白そうだ。どうだ、旅を急ぐのでも無ければ『オマイン』でオレと勝負しないか?」
「勝負?」
「そう…あの町ではな…。」
ルードヴィヒはウキウキとした様子でそう話を切り出したのだった。
その晩、櫻達が泊まる部屋でカタリナと共に夕飯を食べている時の事。
「拳闘大会?」
口元にスプーンを運ぶ櫻の手が止まった。
「あぁ。オマインの町は娯楽が有名らしくてね、歓楽街や色町も華やからしいんだけど、満月の度に行われる『拳闘大会』が売りらしいんだよ。」
カタリナは塩焼きされた平たい魚を手掴みでムシリと豪快に咥える。
「へ~、それでルードヴィヒさんはソレに出る為にこの船に乗ったの?」
「あぁ、そうみたいだな。そこに用心棒の仕事で収入を得ながらも船賃はタダで済ませるんだから、なかなか上手く考えたもんだ。」
そう言うと、カタリナはパリパリと音を立てて骨ごと平らげてしまった。
「でさ、お嬢が良ければアタイも出てみようと思うんだけど、どうだい?」
「別に構わないさ。たまにはそういう息抜きも悪く無い。」
肩に寄り掛かるアスティアの髪を撫でながら櫻がそう言うと、カタリナはニッと笑顔を浮かべ、命はそんな子供のような様子に呆れたような表情で溜め息を漏らすのだった。
そして航海は恙無く進む。
朝日を浴びに甲板へ出た櫻達の視界の先、船の進路上に大きな島が見えていた。それは中央に雲を突き抜ける程の高い山を持ち豊かな緑に覆われた島で、まるで熱帯のジャングルのように見える。
そしてその中に一部を切り開いたようにして町の姿も見えていた。
太陽が傾き始めた頃にようやくオマインの町へと到着した船からはぞろぞろと乗客が降り、盗人の男がギルド員へと引き渡される様子を甲板の上から眺める櫻達とルードヴィヒ。
するとそこへ船員がやって来て、
「ご苦労さん。ほい、報酬だ。」
とルードヴィヒに硬貨の入った袋を手渡す。
「お、ありがとう。どれどれ…うん、確かに。」
中身を確認したルードヴィヒはニコリとして頷き、船員と握手を交わした。
「そっちの姉ちゃんもご苦労さん。盗難の犯人を探し当てたのは驚いたぜ。助かったよ。」
「なぁに、たまたま気付けただけだ。コッチこそ世話になったね。助かったよ。」
カタリナも船員と握手を交わすと、いよいよ櫻達は荷車へと乗り込み船を降りる。降り立った港には漁船の数は有れど商船の姿は余り見えず、代わりに客船が多い印象を受ける。
「はて? セイミの町は交易も盛んのようだったが、この町ではそういう船が見当たらないね?」
櫻が辺りをきょろきょろと見回し不思議そうに首を傾げた。
「あぁ、そういう船の行先はこの島じゃないよ。この島よりもっと南の方に、交易の中継地として盛んな島が在るんだ。」
荷車と共に船を降りたルードヴィヒが櫻の疑問に答える。
「この町に来るのは大抵、娯楽を求める金持ちや一攫千金を狙う奴、後はオレみたいな拳闘大会目当ての連中だ。」
「一攫千金?」
「そうさ。拳闘大会では賭けが行われるんだ。船の上で金を盗まれた男が居ただろう? アレは多分、有り金を叩いて大金を手に入れようってハラだろう。そういう野望を持って危ない旅路をここまで来るヤツも多い。」
「へぇ…成程ねぇ。金の為なら魔物の恐怖も何のその…って事か。」
呆れながらも、その意志の強さと行動力には素直に感心する。
「ははは、そういう事だ。流石に魔魚のせいで船が出せなかったから今回の開催には間に合わないかとも思ったが、オマエ達のお陰で何とかなったしな。そういう意味では今回の乗客達全員の恩人かもしれないな?」
「ふふ、そのせいで財産を失うヤツも出るかもしれないがね。」
「ソイツは流石にオレ達の知った事じゃないさ。さて、オレはそろそろ行くよ。オマエ達もサッサと宿を決めて船旅の疲れを癒しな。カタリナ、大会に出ろよ? 待ってるからな。」
ルードヴィヒはそう言うと手荷物を肩に担ぎ、カタリナへ向け手を振ると町の中へと姿を消した。
「…賭け、ねぇ。カタリナ、良いのかい?」
御者席のカタリナに、隣に座る櫻が問う。
「ん? 何がだ?」
「いや、賭けの対象にされる事に不満は無いのかと思ってね。」
「ハッ、そんなのは関係無いね。久々に人相手に腕試しが出来るんだ、アタイはそれに集中するだけさ。どうせならお嬢はアタイに賭けて路銀の足しにしちまえば良いよ。」
そう言うカタリナの瞳は楽しみを見つけた子供のように爛々と輝いていた。
早速宿を探し荷車を走らせると、町の路面は此処もまた煉瓦敷きとなっており車輪がコトコトとテンポ良く音を奏でる。
「それにしても意外ですね。カタリナがこんなに興味を持ちそうな催しを知らなかったとは。」
幌の中から顔を覗かせながら命が呟いた。
「ホントだよなぁ。アタイも何でこんな情報が耳に入って来なかったのか残念だよ。でもまぁ、そのお陰で西じゃなく東に行く事になって、お嬢達に出会う事になった。縁ってのはそういう風に、何処に繋がってるのか判らないモンだよね。」
「縁…。」
感慨深げに言うカタリナの背中に、命はポツリと呟き視線を送る。
「おっ。この宿なんてどうだ?」
一軒の大きな建物の前で不意に止まった荷車。普段なら何という事の無い衝撃であったが、不安定な姿勢で顔を覗かせていた命は不意にバランスを崩すとカタリナの背中へとその身を預けてしまった。
「あ…。」
「おっと、済まないミコト、大丈夫か?」
広い背中に両手を添え、一瞬、その場を動く事が出来ず身を固める命。しかし、
「はい、大丈夫です。ですが、もう少しゆっくりと止まって下さらないとご主人様達が落ちてしまいますよ。」
そう言って身を起こすと、その背に添えた手を離す。その指先は名残惜し気に伸ばされていた。
駐車場へホーンスと荷車を停めると揃って宿の扉を開く。その宿の1階は受け付けを兼用した食堂となっており、沢山の丸テーブルには半端な時間にも関わらず多くの客が着き賑わいを見せている。
4階建てで部屋数も充分に有ると言うが、家族連れ向けの部屋は4階に纏まっており、四人用となるとその中で2部屋だと言う事でその片方を借りる事とした。
早速部屋の中へと入ると、広い室内には決して高級では無いがカーペット敷きの床に大きな四角テーブルと四脚の椅子、そして衝立で仕切られたスペースにベッドが4つ。窓からは大通りを眺める事が出来る。
「おー、立派な部屋じゃないか。」
部屋の中を見回しながら櫻が奥へと進むと、その後を付いてアスティア、そしてカタリナと命も進む。
櫻がベッドへ腰掛けるとアスティアがその隣へ座り、二人でベッドの柔らかさを確かめるようにポンポンと手を着きながら満足そうに微笑み合った。
「ハハッ、どうやら合格って処かい?」
「あぁ、船の中ではベッドが硬くて腰が痛くなっちまったからねぇ。コレならぐっすり眠れそうだ。」
身を寄せるアスティアの髪を撫でながら櫻はニッと笑顔を浮かべた。
「よし、それじゃアタイは早速拳闘大会とやらの会場に行ってみようと思うけど、お嬢達はどうする?」
「それならあたしも行くよ。どうせだから町の中も見て回りたいしね。」
「サクラ様が行くならボクも行くよ!」
「私も御供致します。」
こうしていつものように全員揃って町へ出る事になった。
大通りを歩くと町の特性だろうか、金持ちをターゲットにしたような高価そうな品揃えの店も多く見られ、しかしそこを少し逸れた小路に視線を向けると、途端にスラムのような混沌とした世界が広がっている。
(大量の金が動く町ってのは、どうしてもこういう格差が生まれちまうもんだね。だがコレはあたしが関わる領分じゃない…これからも沢山の人同士の諍いは有るだろうけど、それを乗り越えて秩序が形成されると信じよう。だが、余りに度が過ぎるような事態になった時には…。)
そんな事を考えながら櫻は町並みを眺めるのだった。
道行く人に道を尋ねながら歩くと、やがて目的の拳闘大会会場へと到着した。それはまるでローマのコロッセオのような円形をしており、その素材は焼き煉瓦では無く綺麗に切り出した石を整然と組み上げ造られている。更には恐らく精霊術を用いたのであろう不自然に巨大な石柱も存在しており、建設に可也の時間と人員を費やしたであろう事が見て取れる。
「ほ~…凄いな、コレは…。」
思わず溜め息交じりに見上げる。流石にドーム球場のように屋根の付いた物では無かったが、それでもその巨大な存在感は感嘆に値する。建物の周囲も駐車場が有る訳でも無いのに広く土地を確保しており、その一帯だけで一つの住宅街が出来るのではないかという程だ。
入り口を見つけ早速中へと入ってみると、上手く石を組み上げ造られたアーチ状の通路の途中に受け付けのような窓口が見えた。
そこへ向かいカタリナが声を掛ける。するとどうやら次の拳闘大会は2日後と言うではないか。早速カタリナは出場の受け付けを済ませると、30と書かれた番号札を手渡された。
「何だい、それは?」
櫻がソレを覗き込むと、受け付けに立っていた男が顔を覗かせ、
「ん? お連れさんかい? それは誰が優勝するかを賭ける時に使う番号だよ。この女が30番目に申し込んだから30。運が良かったね、もうすぐ定員だったからギリギリ間に合ったって処だ。いや、ひょっとしたら間に合わない方が運が良かったかもね…へへへ。」
「どういう意味だい?」
「ははは、見た処ライカンスロープのようだけど、女の身で腕に自信の有る男達の中に飛び込むのは、俺はお勧めしないさ。まぁ注目度は高くなりそうだし、大穴になってくれればコッチとしても儲かるから大歓迎だがね。精々一回戦で終わるような事は無いようにな。」
男はそう言って嫌らしくニヤリと口の端を吊り上げて見せた。
「ふふっ、そいつは楽しみだ。それじゃあたし達も精々稼がせて貰うとしようかね。」
負けじとニヤリとした笑みを浮かべる櫻に、カタリナも揃って牙を覗かせた笑みを浮かべるのだった。
「さて、それじゃ後は大会を待つだけか…。時間も有るし、ギルドに顔を出してみるかね。」
櫻の提案で一行はギルドへと足を運ぶ。町の中を何本か交差する大通りの中の一本、その突き当りに堂々とした佇まいを見せる見慣れた建物は在った。
中へ入り、馴染みの造りの建物の中を依頼掲示板の前まで進む。するとそこにルードヴィヒの姿が在った。
「おや、ルードヴィヒじゃないか。何してるんだい?」
櫻が声を掛けると、それに気付き振り向く。
「ん? おぉ、カタリナか。オマエ達こそ、どうしたんだ?」
「アタイ達は拳闘大会まで暇だからね、何か暇を潰せるような依頼が無いかと思って来てみたんだよ。」
「ハハハッ、オレも同じだ。ただまぁ、オレ一人で受けられるような依頼は無かったがな。流石に腕自慢の連中が集まるだけあって、皆同じ考えなんだろうな。討伐の依頼はロクに見当たらないよ。」
そう言ってルードヴィヒが親指で背後の掲示板を指して見せると、櫻達も釣られて其方に目を向けた。
そこには数枚の依頼書が残るばかりで、その内容は魔物ハンター向けと言うよりは猟師向けの獣の狩猟依頼らしい。
「確かに、コレじゃアタイらも受けるモンは無さそうだねぇ…。」
「そういう事だ。ってな訳でオレはもう宿に戻って大会まで身体作りをしてるとするよ。」
ルードヴィヒはそう言うと片手をヒラヒラとさせて去って行く。櫻達もそれを見送ると、顔を見合わせた。
「さて、それじゃあたし達はどうしようか?」
「ん~、精々買い物位かな。金持ち目当ての店が結構在るみたいだし、お嬢達の服も良いのが買えそうだ。」
ウキウキとした様子のカタリナに、櫻達は呆れた笑みを浮かべる。
するとそこに、
「あの…失礼ですが、もしや使徒様…ではございませんでしょうか?」
と、背後から遠慮がちな女性の声が聞こえて来た。
驚き、声の主へと振り向く櫻達。するとそこには、手に皮紙を持ったギルド員の女性が立っていた。
「…あぁ、そうだが。」
「あぁ! 矢張りそうでしたか! 有り難うございます、神様!」
櫻の返答にギルド員が天を仰ぐようにして裏返る程の声を上げると、周囲に居た人々がザワリとして視線を向ける。
「ちょ、ちょいと静かにしておくれよ。目立っちまう。」
「あ…っ、申し訳ありません!」
慌てる櫻に深々と頭を下げるギルド員。櫻達は困ったように顔を見合わせると、カタリナが前へ出て彼女の肩にポンと手を掛けた。
「なぁ、何か話が有って声を掛けたんだろう? ココじゃ何だし、何処か落ち着ける場所に行こうじゃないか。」
耳元へ顔を近付け囁くように言うと、彼女の顔が見る間に赤く染まり、吐息のかかる耳元へ手を添えてコクコクと頷く。その様子に命は思わず『はぁ…』と諦めにも似た溜め息を漏らすのだった。
「それで、一体何事であたし達に声を掛けたんだい?」
ギルドの2階、応接室のような部屋へと通された櫻達はテーブルを挟みソファーに座るギルド員に尋ねた。
「は、はい。実は現在、町で管理している『ダンジョン』の内部に、『特殊魔獣』と思しき魔物が確認されておりまして…。」
「何だって? それで、まさか討伐に向かったりは…。」
「はい…数日前まで討伐依頼を張り出していたのですが、その…討伐は失敗に終わり、犠牲者も出してしまいました…。」
「…何て事を…。」
櫻の表情が険しくなる。
「も、申し訳有りません…!」
その様子にギルド員は慌てて深々と頭を下げると、その身体は怯えるように小刻みに震えていた。
「あぁ、いや。頭を上げておくれ。それで、あたし達に討伐を頼みたい…って事なんだろう?」
「は、はい…。このような事をお頼みするのは心苦しいのですが、使徒様方は他の町でも特殊魔獣の討伐をやってのけたと聞いておりますので、どうかお助け願えないかと…。」
腰は曲げたまま、顔だけを上げて恐る恐るという風にギルド員は話を続けた。