想いの居場所
「ふぅ、ここのギルドはギルド長以外はそれ程使徒に対して過剰な対応は無かったね。町によって随分と意識が違うんだねぇ。」
やっと解放されたと、櫻が肩を押さえながら首をコキコキと鳴らす。
「そうだね。中央街道付近はエルフの数が多いから、長生きしてる分だけ神様の話が多く残ってて、その分忠誠が厚いのかもしれないよ。コッチに来るとエルフ以外の種族の方が多いもんな。」
「忠誠…ねぇ。」
(忠誠心…と言うよりも、何処か畏怖しているように感じるんだよねぇ…。まぁ、神様が相手じゃそうなるのも解らなくは無いが。)
魚の神が見せた圧倒的な力を思い浮かべ、櫻は自身がどう在るべきなのかを自問する。この先、神として完成した時に果たして自分はどのように人々と、世界と接するべきなのか。
(あたしとしちゃぁ、今まで通り普通の『人』のように生きて行きたい気持ちも有るが…この世界の人類には支配者や統治者と言った者が存在しない。神と言う絶対の存在が頂点に立ち秩序を生み出している。となると、あたしもたまには神らしい事をして存在を誇示する必要も出て来てしまうんだろうか…?)
様々に思い悩むものの、その答えは出る事は無い。
(いかんなぁ。他の神達にも気楽にやれと何度も言われてるのに…。)
フッと自嘲気味に唇の端を吊り上げ、
「ま、なるようになるか。」
自分に言い聞かせるように空を見上げ呟いた。
「さて、結局明日まで時間が出来ちまったねぇ。今日は何をしてようか?」
取り敢えずという事で町の大通りまで出て来た櫻達であったが、特にコレと言って目的が無い。辺りをキョロキョロと見回すと、流石に大きな町だけ有って通りには規模の大きな店が立ち並び、様々な品を取り扱っている。
「そりゃぁ当然、先ずはお嬢達の服を見なきゃな!」
カタリナが嬉々として衣料品店へと足を向けると、櫻達は呆れた微笑を浮かべて顔を見合わせ、その後に続いた。
「は~い、いらっしゃ~い。ごゆっくりご覧になって下さいね。」
店に入ると、背中に大きな翼を背負った女性の店員が姿を現した。鳥人族だ。
「お、こりゃ丁度良いや。」
そう言ってカタリナは店の奥へと入り、早速陳列されている衣服を物色し始めた。
「丁度良い…?」
カタリナの言葉に櫻は首を傾げ、周囲の品揃えに目を向ける。するとその品々にある特色を発見する。それは、背中が大きく開いた衣服の多さであった。
「あぁ、成程。鳥人族用の服が多く用意されてるのか。」
鳥人族は背中に大きな翼の生えた種族だ。その特徴故に人間やエルフと言った他の種族とは衣服の形状に大きな違いが生まれる。その最たる特徴が、翼を出す為に大きく開いた背中だ。そしてその特徴はアスティアにとっても重要なものであった。
「最近、見た目ばっかりで選んでてアスティアの着易い服が中々無かったからね。ここで少し多めに買っておくとするか。」
ゴソゴソと品物を漁りながら、カタリナがそう言って取り出したのは数着の服。シンプルなワンピースや肩を出すようなドレス風の物、フリフリの装飾の付いた物等がアスティアの目の前に並べられるが、そのどれもが背中を大きく開けた物だ。
「わぁ~、どれも可愛いね!」
「だろう? 折角だから全部買っちまうか!」
アスティアの身体にカタリナが楽し気にそれらを宛がって見せ、楽し気な声を上げる。しかし、
「…でも…。」
アスティアは少し沈んだ声を漏らした。
「サクラ様とお揃いの服が良いな。」
シュンとして櫻に視線を送る。
「え…? でもお嬢と揃いってなると、アスティアが羽根を出せなくなるよ?」
「うん、それは前から思ってたんだけどさ。ねぇカタリナ。ボク欲しい物が有るんだけど、買ってくれる?」
そう言うと、アスティアは店の片隅へテテテと小走りに駆け出し、そこに在った品を手に取った。
「コレなんだけど…。」
手にした品。それはアスティアが両手で抱える程度の木製の箱だ。見ると正面に数個の小さな引き出しが付いており、上面が上へ開くようになっている。
「コレ…裁縫箱?」
「うん! これが有ればサクラ様とお揃いの服を買っても、ボクが自分で自分に合わせた服に出来るよ。」
ズイッとカタリナの前へ突き出されたその品。そこに添えられた木札には、小金貨7枚の文字が書かれていた。
(う、結構良い値段するな…。でも鋏や糸も付いてこの値段なら安い買い物か…?)
ムムムと渋い顔をするカタリナであったが、一つ『うん』と大きく頷くと、
「良し! 買うか!」
ニカリとアスティアに向けて笑顔を見せた。
こうして裁縫道具を手に入れたアスティアはホクホク顔でソレを大事に抱き、他の店で櫻とお揃いの服を数点購入し、他にも入り用な物を購入してから宿へと戻った。当然抜け目の無いカタリナの事、命の衣装もしっかりと購入済みなのは言うまでもない。
既に時刻は夕方。部屋へ戻ったアスティアは、早速買って来た服を広げると、裁縫箱を開いてその中に輝く鋏を手に取り、一日歩き回った疲れも感じないという程に瞳を輝かせた。
「サクラ様。ボク、この服を直すからご飯はミコトに選んで貰って?」
櫻と一緒に居たい気持ちも当然有るが、それよりもこの先の時間を櫻とお揃いの服で快適に過ごす為の投資として衣服の改修を優先したアスティア。すると、
「いえ、お食事の選択はカタリナでも出来るでしょう。お嬢様、私もお手伝い致します。」
そう言って扉の前に立っていたのは命だ。
「え? いいの?」
「はい。二人でやれば、早く終わります。そうすればご主人様と共に過ごす時間も多く取れるでしょう。ただ…多少技術の習得に時間を頂くとは思いますがご容赦下さい。」
両手を揃えて頭を下げる命に、アスティアはパァっと表情を明るくしてコクコクと頷く。
櫻はそんな二人を微笑ましく眺めると、
「分かった。それじゃぁあたしはカタリナと食堂に行ってるよ。」
「申し訳御座いません、ご主人様。」
「ふふ、構わないさ。…ありがとう。」
そう言葉を交わし、作業に取り掛かり始めた二人に小さく手を振り部屋を出て行く。
部屋の中からはやがて、裁縫の指導をするアスティアの声と鋏の音が聞こえて来たのだった。
食堂へと下りると、既にカタリナはテーブルに着いていた。
「お、お嬢、やっと来たか…って、ミコトとアスティアはどうした?」
振り向きその姿を確認すると、いつも櫻にくっついているアスティアの姿が無い事に驚いた表情を浮かべる。
「アスティアは早速服の手直しだよ。命も早く終わるようにと手伝いを申し出てくれたんだ。それより、コッチこそどういう状況なんだい?」
櫻がそう言うのも無理は無い。カタリナが着くテーブルには、向かい合うようにビビ達三人が並んで座り、カタリナと共に既に酒を呷っているではないか。
「ん? あぁ、コイツらさ、商売道具の船を沈められて暗い顔してたもんだから、酒くらいならって奢ってやったんだよ。」
「ははっ…済まないね、有り難く頂いてるよ。」
手にしたコップを浅く掲げて苦笑いを浮かべるビビ達。既に少し酔っているのか顔が少々赤いが、未だ口調は普通のようだ。
「いや、こっちこそ済まなかったね。便乗させて貰っておいて損害ばかり押し付けちまった。」
そう言ってカタリナとビビ達の間に入るように椅子に座ると、床に着かない足をプラプラとさせた。
「損害って言うなら…嬢ちゃん、オマエの脚って、ソレはひょっとして義足なのか? まさか人買いに何かされた痕とか…。」
(この世界にも義足って在るのか…。)
ビビの言葉に、意外という風に目を丸くする。
「ははっ、違うよ。ほら。」
櫻はスカートをたくし上げて見せた。するとそこには、鼠径部から綺麗に生える生身の肉の脚がすらりと伸びていた。三人が覗き込むようにして見つめるが、継ぎ目処か傷一つ無い。アンが恐る恐る指で突いてみると、当然ソレはぷにっと柔らかな感触を伝える。
「お嬢、幾ら相手が女だからって、そういうのははしたないんじゃないのか?」
「堅い事言うなって。どうせ裸を見られた相手だ。それに、命を預けた相手でもあるしね。」
とは言いつつも、流石にいつまでも見られているのは恥ずかしく、櫻はそっとスカートを下ろすと、中の空気を抜くようにポンポンと手を付いた。
「生命を預けたって言うなら、こっちこそ済まなかった。」
ビビが櫻に頭を下げる。
「ん? 何の事だい?」
「アタシはオマエに助けて貰っておきながら、オマエが魔魚にやられた時に直ぐに諦めちまった…オマエの連れにも、随分な事を言っちまったよ。」
「随分な?」
櫻がカタリナへ視線を向けると、カタリナは少々苦笑いを浮かべて肩を竦めて見せた。
「…まぁ、何を言ったかは後で聞くとするか。だけどそれを気に病む必要は無いよ。多分、その判断は正しい。思いがけない助けが無かったら、あの状況で助かる見込みなんて無かっただろうしね。」
海底で見た恐ろしい光景を思い出し、思わず身震いする。
「そう、その助けだ。オマエら、一体何者だ? アレは『魚の神』じゃないのか!? 海辺で会った爺さんも言ってたぞ!?」
興奮気味に言うビビに、櫻とカタリナは困ったように顔を見合わせた。そして櫻は少々悩んだものの、小さく頷く。
「あぁ、アレは魚の神だよ。ちょっとした縁で助けて貰ったんだ。」
「え…縁…って…?」
酒を飲む事も忘れてゴクリと唾を飲み込み、櫻に集中する三人。
「あ~…大声は出さないでおくれよ?」
そう前置きして櫻から語られた内容。それは、櫻達が人類の神の使徒であり特殊な能力を有している事、人類の神の要請で魚の神が櫻を助けてくれた事、であった。
その話を聞いたビビ達は驚きに息を飲み、大声を上げる処の話では無かった。余りの事に言葉を失い、顔色が赤から青へと変化する。
ビビは恐る恐るという風にカタリナへ顔を向けると、船の上で放った言葉を思い起こし、今にも泣きそうに顔を歪めていた。
櫻はそんな様子に少々困ったように眉を下げて微笑を浮かべると、
「さて、正体を明かしちまった事だし、ついでに少し説教臭い事を言わせて貰おうかね。」
と切り出した。
「「えっ?」」
ビビ達が声を揃えて間の抜けた声を漏らし、櫻へと振り向く。
「お前さん達、まだ魔物ハンターを続けるつもりかい?」
「え…? あ、あぁ。当然…です。」
「今は世界中で魔物の出現数が増えてるんだ。今までは三人で何とか出来てたとしても、また今回みたいに複数の魔魚に襲われたら、今度こそ助からないかもしれないよ?」
櫻の言葉にビビ達は顔を見合わせる。しかし、
「…それでも、アタシらにはソレしか生きる目的が無いんだ。」
絞り出すような声で答える。するとカタリナがふぅと溜め息を漏らし口を挿んだ。
「なぁ。アンタ達はさ、好き合ってるんだろう? 何故そんな死に急ぐんだ? 今のままじゃ、何れ誰かが欠ける…誰かが泣く事になるかもしれないよ? 好きなヤツが居なくなる…好きなヤツを泣かせちまう…それでも良いのかい?」
カタリナの言葉には重みが有った。自身に抱える物が籠っているように思えた。ビビはそんなカタリナの目を見つめると、口を開く。
「そうさ。アタシらは愛し合ってる。だから、愛し合える時には全力で愛し合うんだ。そうすれば、アタシが死んでも、残されても、その想いと思い出はずっと生きる。恨みも愛も、想いを内に閉じ込めたままで生きるなんて御免だ。」
力強く語るビビに、自分達の想いも同じだとアンとスーが身を寄せて頷く。
その言葉を受けると、カタリナは視線を落とし黙り込んでしまった。僅かに拳に力が入る様子に、櫻が話を引き継ぐ。
「想いが残る…確かにその通りだね。お前さん達は魔魚に恨みをぶつける為に魔魚専門の魔物ハンターになったと言っていたね?」
「あぁ…いや、はい。」
「人を愛する想いはずっと持ってるべきだ。でもね、親切心から言わせて貰うが、魔魚に対する恨みはいつまでも持ち続けてちゃ駄目だよ。」
「…何だって?」
ビビ達の眉がピクリと吊り上がった。相手は人類の神の使徒を名乗る実力不明の存在だ。だが、自分達が苦しい時に存在しなかった神の名を借りて説教をするその子供に、少なからず畏怖よりも怒りが勝る。
櫻も向けられる視線からその感情は感じていた。しかしそのまま言葉を続ける。
「お前さん達は、魔物がどうして生まれるかは知ってるかい?」
「あ? 当然さ。魚が魔界の瘴気に侵されて変質するんだ。子供だって知ってる事じゃないか。」
「じゃぁ、その『魔界』の瘴気ってのは、一体何だと思う?」
「えっ…?」
世界に『そのように』当然の存在として在る物。そこに疑問を持つ者は驚く程に少ない。突然の質問にビビ達は顔を見合わせるが、その答えを持っている者は居なかった。
「瘴気ってのはね、この世で穢れた魂が天へ昇る事無く『魔界』へ堕ちたモノの成れの果てなのさ。」
「た…魂…? 人の…?」
「人に限った事じゃない。この世の命全てだ。それが『魔界』から逃げ出して来たモノ、それこそが今『瘴気』と呼ばれているモノだ。ソレがこの世で活動する為の身体を求めて生物に取り憑くと、魔物が生まれる。」
淡々とした口調で語る櫻。しかしその話の内容にビビ達は勿論、カタリナまでもが視線を外す事が出来ず耳を傾けていた。
「恨みや無念と言った負の想いが強い魂は死んだ後にその重さで天に昇れず、やがて『魔界』に堕ちる。そして新たな瘴気となって再びこの世に魔物を生み出す事になる…お前さん達が恨む魔物の元に、お前さん達自身が成るかもしれないって事だ。…これは使徒だから言うんじゃない。この世界に生きる一人の『人』として、そんな事にはなって欲しくないんだって事を解っておくれ。」
『ゴクリ』と、一際大きな音がビビ達の喉から響いた。
その様子に、ふぅと一息吐き話を終えると、今度は櫻の腹から『ぐぅ~…』という大きな音が響いた。思わずお腹に手を添えると、少しバツが悪いように苦笑いを浮かべた。
「ははっ、ちょいと締まらなかったね。まぁ何が言いたいかって言うとね、恨むなって事じゃないよ。そういう感情も時には生きる為の原動力だ。ただ、いつまでもその復讐心に囚われて、魂を穢すような事にはなるなって事さ。さ、カタリナ。飯を頼むとしようか。」
「あ? あぁ。そうだね。お嬢は何が食いたいんだ?」
そう言ってメニューを開くカタリナとそれを覗き込む櫻の様子を、ビビ達は呆気に取られて眺めるだけであった。
やがて食事を終える頃になると、アスティアと命が階段を下りて来た。
アスティアは櫻の姿を見つけると嬉しそうに小走りに駆け寄り、その隣に座ると腕に抱き付く。命はその向かいになるようにカタリナの隣に座ると、静かに軽く頭を下げた。
「お、服の直しは終わったのかい?」
「うん、取り敢えず3着だけ。ミコト凄いんだよ、ボクが教えた通りに直ぐ出来るの。」
楽しそうに語り肩を寄せるアスティアの髪を櫻が優しく撫でると、その表情がふにゃりと和らぐ。
「さて、それじゃあたしは部屋に戻るよ。カタリナはまだ飲むんだろう?」
「ん? あぁ、そうだね。アタイはコイツらともう少し飲んでから戻るとするよ。」
「羽目を外してまた掴み合いになるような事は無いようにな。」
「カタリナは私が監視しておりますので、ご安心を。」
命の言葉に苦笑いを浮かべるカタリナの様子に小さく頷くと、櫻は椅子から飛び降り、アスティアと手を繋ぎ食堂を後にした。ビビ達はその後ろ姿を見送り、やがてカタリナへと視線を移す。
「…アタシらの事、神様に言うのかい…?」
「ん? 何の事だ?」
突然の言葉に、カタリナの口元に運びかけていたコップが止まる。
「その、船の上でアタシら、不敬な事を…。」
モゴモゴと口籠る。偉そうに言った手前という事も有るが、本心から放った言葉を飲み込む事に抵抗が有るのだろう。
「ハハッ、そうだね。伝えようかな。」
カタリナはカラカラと笑いながらコップを口に運び、一口チビリと飲む。その言葉にビビ達は少しばかりビクリと肩を揺らした。しかし、
「だけど残念だねぇ。アタイはそういう役割じゃないんだ。アタイらの神様に届くのは、お嬢が見聞きしたモノさ。伝わるなら既に伝わってるし、そうでないならもう伝わる事は無い。フフ…さて、あの時お嬢は聞いてたかな?」
そう言ってカタリナはニカリと牙を覗かせ笑った。
「何の話かは存じませんが、私達の神様は寛容な方です。誰かを不幸にするような不埒な者以外に、重い罰を与えるような方では有りませんよ。」
命はそう言ってカタリナの手からコップを奪うと、その中身を一気に喉奥へ流し込んだ。
「あ!? ミコト、また…!」
「ふふっ、良いではないですか。どうせおかわりを頼むのでしょう?」
ニコリと微笑みを浮かべる命の艶の有る唇に、カタリナは思わず頬を染めると、
「あぁ、そうだよ、ったく。おーい、追加頼むよ! 樽で! あとツマミも適当に幾らかくれ!」
と、何かを誤魔化すように厨房へ向けて大きな声をかける。奥から威勢の良い返事が聞こえ、程無くしてテーブルの上には酒の詰まった小さな樽と、その周辺を埋めるように木の実や小魚の乾物等が載ったツマミの皿が並んでいた。
「ほら、アンタらも飲め飲め。」
ビビ達のコップにも注ぎ足し、皿を勧める。
「え…? 良いのか…?」
「気にすんなって。船が無きゃこれから先商売し辛いだろ。せめてここはアタイらが持つよ。」
酒を注ぎ終えたカタリナが自分のコップを手にして軽く差し出す。ビビ達は顔を見合わせると各々がそれを手に持ち、4つのコップが『カコン!』と心地良い音を立てた。
命はそんな中、楽し気に酒を飲むカタリナを優しく見守るように微笑むのだった。