神の資質
サンマンの町を出発して早3日目。しかしその旅路は順調とは行かず、思いの外進みは遅い。
「中央街道を外れると、この中央大陸ってのは随分と山が多いんだねぇ。」
既に昼も過ぎ、太陽が山の頂に乗るような様子に、周囲を見回しながら櫻が呟く。
その言葉通り、周囲はサンマン周辺から続くように小高い山々や丘に囲まれ、街道も曲がりくねり起伏も激しい。
「まぁね。逆に言えば通り易いからこそ中央街道が発達したんだろうけど、確かにこの大陸は海岸線の山脈を除いても山が多いかもしれないね。アタイは東大陸に渡るまではコレが普通だと思ってたから、改めて言われると面白いモンだ。」
進む速度はホーンスに任せ、手綱を手に持つだけのカタリナも周囲に目を向け感慨深げに言う。
するとその時、ホーンスの足が止まり周囲を警戒するように耳をピクピクと動かし始めた。
「ん? どうしたんだ?」
カタリナが周囲を気にするホーンスの様子に目を向けると、櫻の頭の上でケセランがふるふると震えた。
「どうやら魔物が近付いているらしい。カタリナ、警戒をしておいておくれ。命も念の為に周囲に注意を。」
「あいよ。」「承知しました。」
櫻の声にカタリナと命が地面に下りると周囲を警戒し、櫻とアスティアもまた荷車の上から辺りを見回す。
それからほんの僅かの後、街道の先から激しい蹄の音が聞こえて来たかと思うと、それはもうもうと土煙を上げる程の勢いで櫻達の元へと近付いて来た。
櫻が『風の意識』を飛ばし様子を見ると、隊商が全力で街道を走り、その殿を務める荷車の後部から矢が放たれているのが見て取れた。
どうやら魔獣に追われ、護衛の狩人か魔物ハンターらがその足を止めようとしているようだが、様子がおかしい。そしてその原因は直ぐに判った。
「…!? 魔獣は3体だ! カタリナ、命、2体を引き受けろ!」
「おう!」「はい!」
何とその隊商は、バー、ボーシー、ティーグという巨体の魔獣3体に追われていたのだ。
隊商の荷車の先頭が櫻達の横を通り抜けた処でカタリナは即座に水筒の中身を飲み干し変態すると、先頭を走るバーへと側面から飛び掛かる。命はそれを受けて続くティーグの前へと飛び出すと全身を使い正面からその突進を受け止めた。
最後に残ったボーシーが櫻の存在に気付いたのかその速度を緩めると、櫻も荷車から飛び降りその注意を惹く。その傍らには当然のようにアスティアも立ち、水筒の中身をグィっと呷った。
櫻の頭上からケセランが飛び降りホーンスの頭に移ると、安全な場所へと避難させた。そうして3組が出来上がると、其々が戦闘態勢へと入る。
だが既に数本の矢が突き刺さっていた手負いの魔獣はカタリナ達の敵では無かった。カタリナは血の力を得た強靭な自慢の爪とフットワークでバーを翻弄し、隙を見て喉首に突き立てた爪先から炎を発し、命はしっかりと噛ませた腕でティーグを抑え込みながらその首元を空いた腕で抱え込むと、力を込めて頸椎を絞め砕いた。
櫻目掛けて突進して来たボーシーの正面にアスティアが身体を大の字にして立ち塞がり正面からソレを受け止めると、櫻が練り上げた強力な『風の刃』を振り下ろしギロチンの如くその首を刈り落とす。
こうして街道上に3つの巨体が横たわると、程無くして先程追われていた隊商が櫻達を心配してか戻って来た。
「…こりゃぁ驚いた…。大型3体を倒しただけでも凄いってのに、まさかこんな女だらけのパーティーで…。」
恐らく護衛として雇われたハンターなのだろう一人の男がカタリナの元へ歩み寄りながら、転がる魔獣の死体に目を向け驚愕の表情を浮かべていた。
「あ、いや。先ずは礼だな。オレはルードヴィヒ。あの隊商の護衛を引き受けてるパーティーのリーダーだ。危ない処を助けてくれて感謝するよ。」
そう言う男は、青い髪と青い目をし、薄褐色の肌を隠すようにブカブカのインディアン装束のような服装をしていた。
「何だい、ライカンスロープの男が情けない…と言いたい処だけど、流石にこんなの3体に追われちゃ護りながら戦うのは無理ってもんだね。まぁお互い無事で何よりさ。」
カタリナはそう言ってニカリと牙を覗かせ、差し出された手を受け取りガシッと握手を交わす。
「なぁ、良かったらアレの解体、手伝ってくれないかい? ウチらの中じゃアタイしか解体出来ないから、あんなデカいの捌くのは時間が掛かっちまう。」
ピッと親指で背後に転がる魔獣の死体を指すと、ルードヴィヒはチラリと視線を向け、
「ちょっと待っててくれ。」
と、隊商へと戻って行った。
それから少しすると戻って来たルードヴィヒ。
「雇い主からの許可が出た。そろそろ日も暮れるし、この辺で野営をする事にしたから良ければお前達も今晩だけ護衛を受けないか?」
見ると太陽は山の陰へと沈みかけ、程無くして山間には夜の闇が訪れそうな時間となっていた。
カタリナがその話にチラリと櫻を窺う。櫻はそれを受けて少々思案するとカタリナの耳に掛かる髪がフワリと風にそよいだ。
「あぁ。アタイらも問題は無いよ。ただ、テントは少し離れた処に立てさせて貰うよ。何せ女ばかりだからね。」
「ハハハッ、あんな魔獣を倒す女達を襲う度胸は流石に無いが、まぁ分かったよ。それじゃ早速解体してしまおうか。」
ルードヴィヒは後方に控えていたパーティーメンバー達に目配せをすると、弓士と思しき三人が腰のナイフを抜いて魔獣の死体へと手を掛けた。そうしてカタリナとルードヴィヒも加えた五人でサクサクと子気味良い音を立てながら解体は進み、漸く解体が済んだ頃にはとうに日は暮れ、空には星空が広がっていた。
バーとティーグの頭と皮をカタリナ達が、ボーシーの頭と皮をルードヴィヒ達が貰う事とし、肉はその日の晩飯としてある程度を食べ、残った分は等分する事で話が着いた。
パチパチと弾ける焚き火の傍で、ルードヴィヒのパーティーと向かい合うように櫻達も焼けた肉に齧り付く。
「それにしても、あんな大型3体に追い掛けられるとはね。アンタらツイてないねぇ?」
「あぁ…実はこの街道、最近魔物の出現が多くなってるって事で俺達が雇われたんだ。だから魔物の襲撃は想定していたんだが、まさか…だよなぁ。」
豪快に肉を貪るライカンスロープ二人を他所に、他のパーティーメンバー達はカタリナの傍に居る少女達に不思議なものを見るような視線を向ける。ヒラヒラとした服を着飾った幼い子供が、この危険な環境の中で何食わぬ顔で居るのだ。危険の中に身を置いて来たハンター達だからこそ、その異様な光景に目を見張る。
その視線に気付いた櫻がチラリと目を向けると、パーティー達は慌てて視線を逸らし、手に持った肉を口に運ぶ。そんな様子に櫻は少しばかり困ったように微笑を浮かべると、ルードヴィヒへと視線を向けた。
「今、この街道が最近魔物の出現が多いって言ってたよね? それは最近魔物の数が増えているってのの一環じゃないのかい?」
突然の櫻の言葉にルードヴィヒは少々驚いたような表情を浮かべるが、
「あ…あぁ、いや。確かに世界中で魔物の数が増えてるらしいけど、この街道は特に出現数が多いらしくてな。何度か討伐もしてる筈なんだがまた直ぐに魔物化した獣が現れてしまうらしいんだ。」
と言って山の斜面の林に目を向ける。
「ふぅん? 因みにその理由ってのは想像付くのかい?」
「きっと瘴気の発生する『穴』が増えてるんじゃないかって皆が噂するけど、そんなの『大精霊術師』か神様でも無きゃどうしようもないからな。考えたってしょうがないさ。俺達はこうして戦う事で身を護るだけだ。」
「『大精霊術師』?」
その言葉に櫻が首を傾げると、
「『大精霊術師』って言うのは、主精霊様と契約出来た選ばれた人の事だよ。主精霊様と契約すると、僕達のような小さな精霊術じゃない、その属性に属する様々な事象を起こす事が出来て、次代の神候補にもなると言われる程の存在なんだ。」
ルードヴィヒのパーティーの唯一の精霊術士が子供に教えるように優しい口調で答えた。
「へぇ…神候補…。」
櫻はそう呟くと、焚火を見つめ黙り込んだ。
(そう言えばファイアリスは主精霊の傍は神でも無ければ近付くのも危険な場所と言っていたな…成程、その神になる資質を持つ者…か。)
空を仰ぎ、瞬く星々に目を向ける。
(そんな候補がちゃんとこの世界に居るのに、何であたしだったんだろう…?)
そんな事を考えてみるものの、その答えを知る物はただ一柱であった。
食事を終え、櫻達は隊商の面々とは少し離れた位置にテントを張ると、命を番として入り口に配しテントの中に三人、川の字で横になっていた。
「なぁカタリナ。あのルードヴィヒって男、ライカンスロープなんだ?」
「ん? あぁ、そうだよ? それがどうかしたのかい?」
櫻とカタリナは、互いにテントの天井を眺めながら言葉を交わす。
「いやぁ、今までライカンスロープは赤い髪と目のイメージが強かったからさ。」
「あぁ、そういう事か。アタイらライカンスロープは、基本的に女が赤、男が青い髪と目で生まれる事が殆どなんだよ。たまにその例に沿わないヤツも居るけどね。」
カタリナは自分の前髪を摘まみ上げるようにして、フッと息を吹きかけた。
「そうだったのか…それじゃ今までの町で見かけた青い髪の人達もライカンスロープだったのかな。」
「そうだね。旅の中でも結構見掛けてたよ。お嬢にとっちゃ種族の差は余り気にならないのかね? 以前も魚人族を見分けられなかったよね。」
「ははっ、そんな事も有ったね。…あたしには皆同じ『人』に見えちまう…人類の神失格かねぇ…?」
そう言うと、櫻は少し眉間に皺を寄せた。だが、
「いや? 別にその程度で失格とか無いだろ。」
カタリナの口から出た軽いその言葉に驚いたように櫻は首を横に向けた。
「種族を知る事は生活習慣とか色々有るから必要な事だろうけどさ、だからって一々見る目を変える必要も無いし、どっちかって言うと、『皆同じ』に見える方が、神様としちゃ正しい気がするね、アタイはさ。」
「…そう言って貰えると、あたしも有り難いねぇ。」
櫻のその言葉にカタリナはフフッと笑みを零すと瞳を閉じた。
(そう、あたしは『人類の神』なんだ。)
一度天井に目を向けると、一拍置いて右側へ顔を向ける。すると櫻の腕に抱き付き身体を横に向けたアスティアの顔が目の前にあった。
視線が合うとアスティアはニコリと微笑みを浮かべる。
(でも…神だからじゃなく、護りたい存在を護れるように…今出来る事をしていかなきゃね。)
微笑みを返すと、その頬にソッと手を添え優しく撫で、触れるだけの口付けをして小さく『おやすみ』と唇を動かすのだった。
夜も更け、番の者以外は眠りの中。櫻はファイアリスに念話を飛ばす。
《…とまぁ、どうも『穴』が増えてるのか大きくなっているのか知らんが、この辺の魔物の発生率が高いらしくてね。あたしも2体の主精霊に会ってそれなりに力は付いたと思うんだが、まだあたしには『穴』を塞ぐ力は無いのかい?》
《う~ん、無い…とは言わないけど、出来るのは精々応急処置くらいね~。》
相変わらず真剣味も薄く軽い口調のファイアリス。
《応急処置? というかそもそも、『穴』を塞ぐっていうのはどういう理屈なんだい?》
《そうね、そろそろ教えておいても良いかしら。》
そう言うといつもの講義スタイルのイメージが櫻の意識に飛び込んで来る。
《先ず『穴』と言うのは『表』と『裏』を繋ぐ亀裂なのよね。そして、『表』は精霊の加護とでも言うべき力が満ちていて、それが壁になっているの。》
《うん、それは以前にも聞いたような気がするね。》
《そこで問題になるのが、その『壁』の構成ね。ソレは『裏』側に面した部分を闇の力で、『表』側に面した部分を光の力で板を作るイメージで、その間を4属性…火・水・風・土の力で補強するの。属性の糸を編み合わせた布を張るようなイメージだと思ってくれれば解り易いかしら?》
《成程…外壁と内壁の間に断熱材を入れるようなモンか。》
《…まぁ貴女にはその説明の方が解り易かったわね。兎に角そういう構造なものだから、今の貴女は精々薄い板壁を立て掛けて風の糸を少し張る程度が限界って事なのよ。》
《つまりは、簡易的には塞ぐ事が出来ても、それは脆く何れまたそう遠く無く綻ぶという事か…だが一時的にでも何とか出来るなら、やれる事はしたい。『穴』を塞ぐ方法を教えてくれないか?》
その言葉にファイアリスは呆れたように『はぁ…』と溜め息を漏らすと、クスリと微笑んだ。
(まぁ貴女ならそう言うわよね。)
《そうね、何れ貴女も神として行う事だし、予行演習としましょうか。今ざっと見た処、今貴女が居る近くの森の中、至近距離に『穴』が4つ開いていて其々が干渉し合って更に大きくなろうとしているようなの。だからそこを塞げば拡大も防げるし、破られる時間に差が出来れば穴の広がりも抑えられるわ。》
《その『穴』は、あたしに見えるのかい?》
《いいえ、今の貴女ではまだ視認する事は無理ね。今回は私がソレを実行するポイントを教えてあげるわ。》
《そりゃ済まないね。》
《いいのよ~。本来私はもうその惑星には不干渉で居るつもりだったけど、他ならぬ貴女の為だもの。少しくらいは手助けしてあげるわ♪》
嬉々とするその声に、櫻は意識の中で首を傾げた。
《そう言えば、『大精霊術師』という存在の話を聞いたよ。神候補にもなる逸材なんだって? そんなのがこの世界の中に居るのに、何故態々他の世界からあたしを連れて来たんだい?》
《ん~? 前にも言ったじゃない。貴女の特殊な能力が、突出しているからよ。私の後の人類の神は皆主精霊の能力を100%引き出す事が出来なかったわ。精々70%行けばマシな方だったもの。だけど貴女は違う。主精霊達の全てを写し取り、100%の能力を振るう事が出来るわ。貴女は私の希望なのよ♪》
《…ん? 今、『私の後の人類の神』と言ったかい?》
《えぇ、言ったわよ?》
《お前さん、人類の神だったのか?》
思わず驚いたような声を漏らす。
《まぁ、人類の神をやってた事も有った…と言うべきかしらね~。ほら、前に私が人の肉体を得てその惑星に生まれた事が有ったって言ったでしょ? それは人類という種が誕生して、今まで存在していた種とは明らかに違う分類が必要だと感じたから、その最初の神として私が降り立ったのよ。そこで私は最初の人類の神となり、肉体が滅びを迎える前に後任を見つけて後を託し、天に帰ったって訳。》
《へぇ…それじゃ神ってのは、代々そうやって引き継ぎをしながら続いて来たのかい?》
《えぇ、そうよ~。でも貴女の前の代の神が後継者を指名する事も無く何時の間にか姿を消しちゃってたでしょう? また私がその地に降りるのも面倒だな~と思ってた時に、たまたまお隣にお邪魔してたら貴女を見つけたの。コレは運命だと思ったわ~。》
軽いノリの声色にそぐわない壮大な話に櫻は呆れた笑みを零した。
《運命って…世界を統べる神が使う言葉じゃない気がするがねぇ。まぁ話が脱線しちまってたね。取り敢えずその話は置いておこう。『穴』の応急処置の仕方を教えてくれるかい?》
《はいはーい。とは言っても簡単な事だからそこまで身構えなくても良いわよ。》
こうして眠りの中でその方法のレクチャーを受けながら、夜は過ぎて行くのだった。