引継ぎ
半日程荷車を走らせると、街道の先、山間に『サンマン』の町が見えて来た。
左右を山に挟まれるように存在するその町は、山から下りて来る獣対策なのだろうか、丸太を打ち立て並べた塀が山の斜面に対して連なっていた。
少ない平地に面した街道の両脇には畑が広がり、農作業をしている人々が平和そうに働いている姿が見える。
そんな光景を横目に、櫻達は番兵達に手を振り交わし町へと入ると、早速エドウィンをギルドまで送り届ける事とした。
高い建物の少ない長閑な町だ。石畳の大通りをカポカポと歩いていると、程無くして目立つ建物が見えて来た。
「エドウィン、本当に大丈夫かい?」
櫻が心配気に声を掛ける視線の先、エドウィンは命の肩を借りて荷車から下りて来る。
「あぁ、そう世話にもなってられないからな。それに、流石に女に担がれて人前に出るのは恥ずかしすぎる。」
そう言って折れた足を庇うように立つその姿は、左腕に松葉杖を突いていた。それは昨夜、行為の後に命が櫻の案で太い木の枝から削り出し造り上げた物であった。折れないようにと強度を重視した為か少々重くなったものの、逆に安定感が有るようでエドウィンの立ち姿もバランスが良い。
「それにサクラ、お前の精霊術のお陰か随分と怪我も楽になった。ありがとうな。」
「ふふ、報告が済んだらサッサと病院に行って、しっかりした治療を受けなよ。」
「あぁ、そうさせて貰うよ。」
そうして一行はギルドの中へと向かった。扉を潜りホールへ入ると、カタリナは命と共に道中で狩った獲物を持ち狩猟ギルドへ。しかしエドウィンは違う窓口へと向かう。
「ん? 何処へ行くんだ?」
櫻が首を傾げると、
「何処って…冒険者ギルドだが?」
と、妙な事を聞かれたかのようにエドウィンは困惑の表情を浮かべた。
「へ? 冒険者はギルドが独立して在るのか。てっきり荒事だからハンターと同じ狩猟ギルドなのかと思ったよ。」
「冒険者は様々な職業に関わるんだ。農業の為の土地探しだったり、狩猟の為の生態系の調査だったり、林業の為の地形や植生の把握だったり…ってな。だから専門のギルドが必要なのさ。」
「へぇ…確かに言われてみればそうだね。そして重要な仕事なんだねぇ。」
「そうさ。人々の生活をより良くする為に、俺はこの仕事に誇りを持ってる。だけど俺のこの有様を見れば解るだろうけど危険な仕事なもんで、成り手が少ないんだよなぁ。」
アハハと困ったように笑うエドウィンに、櫻は苦笑いを浮かべた。
(こういう命懸けの連中が、人々が安全に暮らせる今のこの世の中を作る礎になっているんだね。あたしなんかより余程人の役に立ってるじゃないか。あたしも負けてられないねぇ。)
クスリと微笑む櫻。
「ま、そんな訳で俺は報告をしたら病院に行くとするよ。お前達も何か旅の目的が有るのかもしれんが、俺みたいになりたく無かったら引き際を弁えて無茶な事はするなよ?」
「あぁ。肝に銘じて置くよ。」
こうしてギルドの窓口へ向かうエドウィンの背中を見送り、櫻達はカタリナ達と合流するのだった。
大通り沿いに手頃な宿を見つけ、早速部屋を借りるとベッドへと腰を下ろした。
山間に在る町なだけに冬は雪深くなるのだろうか、部屋の中は断熱を意識したように少し厚めの木材を張り巡らせると共に床には毛皮が敷き詰められ、ベッドもクッションの下に藁のような物が詰められているのかガサガサとした音がする。
しかし西に向かっているとは言っても僅かに南下している為か、はたまた火の主精霊に近付いている為か、今の処オートムントよりは寒く無い。
「で? お嬢、気に掛かってるんだろ?」
「解るかい?」
隣に座り肩に寄り掛かるアスティアの髪を撫でながら、櫻は驚いたようにカタリナに視線を向けた。
「そりゃぁね。今までの事を考えれば、お嬢がこのまま『次の町に行こう』なんて言い出す筈が無いだろう?」
「ふふっ、そうだね。」
「あ! ボクだって解ってたよ!?」
慌てたように言うアスティアの言葉に命も同意の頷きをする。
「二人も、ありがとう。まぁそうなんだ。問題を知って居ながら放置して行くというのも気持ちの良い物じゃないんだが、何よりあたしが何か引っ掛かるものを感じるんだよ。」
そう言うと櫻は身体を横に倒し、アスティアの太腿に頭を乗せた。アスティアはそんな櫻の髪を優しく撫でると、櫻は気持ちが安らぎスゥ…と瞼を閉じる。
「ま、アタイは別に構わないよ。ただ、もう日が落ちるからな、今から山に入るのは無理だね。」
「あぁ、そうだね。今晩は旅の疲れを癒して、明日の朝にでも行動開始と行こうか。」
「そうと決まれば先ずは飯だね! この辺なら獣が沢山獲れそうだし、美味い肉料理が有りそうだ。」
ペロリと唇を舐めるカタリナに、皆は『やれやれ』と呆れた笑いを浮かべた。
一先ず宿を出て、何の情報も得ずに町の中を歩き適当な食堂を探す。大通りには流石に店が並び、何処に入るべきかと目移りをしてしまう。そんな中で、一際肉の焼ける匂いが香る店先でカタリナの鼻がスンスンと鳴ると、
「ははっ、カタリナの勘が働いたか?」
と言う櫻の一言に、
「あぁ、ここはきっと美味いに違いない!」
とカタリナも満面の笑みを浮かべた。
「よし、それじゃこの店で決まりだね。」
櫻の一言で皆が店内に足を踏み入れると、その中は大盛況。座席はほぼ埋まり、もう少し入るのが遅ければ櫻達が着く席も無かったのではないかという程であった。
そしてそれらの席に着く人々の目の前に並ぶ品々は肉、酒、肉、酒…その様子にカタリナは瞳を輝かせ、櫻は引き攣った笑いが浮かぶ。
「確かに、カタリナにとっては理想的な店だねぇ…。」
呆れた笑いを浮かべながら早速席に着くと、恒例のように隣にぴったり寄り添うように座るアスティアがメニューを覗き込んだ。
「アスティア、何か野菜多めのメニューってのは有るかい?」
駄目元で尋ねてみると、
「うん、結構有るよ。」
と、意外な答えが返って来た。
(へぇ、肉料理専門店に入っちまったかと思ったけど、ちゃんとした食堂だったようだね…。)
ふぅと一安心の溜め息を漏らすと、
「それじゃ、アスティアがコレと思う物を2品程頼むよ。」
「うん! 任せて!」
と言う風に注文は無事に済み、櫻の目の前にはサイコロステーキ状の肉が数個コロリと入った生野菜のサラダに、根菜のゴロリと入ったスープが。そして残りのテーブルスペースを埋めるように大量の肉料理が並んでいたのだった。
アスティアがサラダにフォークを突き刺し、櫻の口へと運ぶと、それを素直に受け入れシャクシャクと噛んでみる。瑞々しい葉物野菜に微かな塩胡椒のような味と柑橘類のような酸味の味付けがサッパリとし、申し訳程度に入った肉の脂を中和して良い味わいだ。
満足そうに噛み締めるその表情をアスティアも幸せそうに眺める。
続いてスープに手を付けてみれば、こちらは骨から出汁を取ったのか思いの外コッテリとした味わいながらも、ソレが根菜に染みてまた美味い。
そんな風に料理を味わっていると、他のテーブル席から声が聞こえて来た。
「最近森の獣の数が獲れなくなってるって話だな。」「あぁ、この店の親父も仕入れ量が減ってるって嘆いてたぜ。」「噂じゃ山に変なモンが住み着いてて、ソイツが獣を喰ってるらしい。」「変なモン? 魔物じゃないのか?」「いや…それが…。」
耳を傾けていると、どうやらソレはエドウィンが調査をしていた謎の存在の事らしい。
(ふむ…まだ直接人に被害が出ている風な話は聞こえて来ないが、生活に影響が出始めているレベルには達しているのか…。)
シャクッと出汁の染みた根菜を齧りながら、櫻は早めにソレを何とかしなければと考えるのだった。
「はぁ~、食った食った!」
膨らんだ腹を摩りながら口からはアルコールの匂いを零し、カタリナが満足そうな声を上げ通りを歩く。
既に太陽は姿を消し、空には星が瞬き始めていた。
宿に戻りホーンスの食事をケセランにも食べさせ終えると、風呂を借りる事として大銀貨2枚を支払い少々部屋で待つ。
「山に居る例のヤツ…一体何なんだろうねぇ?」
ベッドに腰掛け、櫻は天井を見上げ呟いた。
「さてね? 少なくともアタイらが知ってる獣や魔獣とは全く別の何かなんだろうけど、それを知る為に冒険者が出向いてた位だ。実際に見てみなきゃ正体は判らないだろうね。」
「そうだね。考えても仕方ない事を今悩むのも野暮ってもんか。」
そんな話をしていると、部屋の扉をコンコンとノックする音が聞こえた。
「はーい?」
カタリナが返事をすると、カチャリと静かに扉が開かれ、宿の娘だろうか、年若い女性が顔を覗かせ、
「お客様、お風呂の準備が出来ました…。」
と、控え目な声で告げる。その様子は何か気後れするようにモジモジとし、扉の陰に隠れるかのようだ。
「あぁ、分かった。ありがとう。」
カタリナがニコリと微笑みを向けると、その女性は頬を染め、
「い、いえ。それでは冷めない内に御早目にどうぞ。」
と言ってそそくさと去ってしまう。
「…カタリナ、貴女はその軽率な行動をもう少し自重した方が良いのではないですか?」
「へっ? 何の事だ?」
ジトリとした命の視線に、カタリナはまるで心当たりが無く困惑してしまう。そんな様子に櫻は少し困ったように笑みを浮かべた。
「まぁ取り敢えず風呂に入ろうじゃないか。命、カタリナをタップリ洗って酒臭いのを落としてやりな。」
「はい。承知しました。」
「えぇ!? アタイそんなに臭うかい!?」
こうして、皆で温かな風呂に入り楽し気な声が浴場に響く。いつものように櫻とアスティア、カタリナと命でペアになり互いの身体を洗い合ったが、何故かその日の命の手つきは艶めかしくカタリナの肌を撫で上げては敏感な部分を刺激し、声を押し殺しながらピクピクと反応するカタリナに楽し気な表情を浮かべるのだった。
翌朝。ベッドの上で窓から差し込む朝日を素肌に浴びながら、櫻と抱き合うようにしてアスティアが朝食を摂る。
その光景を眺めながら、
「さて、取り敢えず山に入って正体不明の何かを探す訳だけど…辺りは山だらけで何処に居るのかの見当が付かないんだよねぇ。どうやって探す?」
カタリナが話の内容と噛み合わない締まらない顔で言う。
「うん、それなんだがね。一応出発前にギルドに寄って情報を得られるだけ得てみようとは思う。だが恐らく唯一の手掛かりは『臭い』だ。」
「『臭い』ねぇ。確かにエドウィンの話でも酷い悪臭を放ってるって言ってたもんね。」
「あぁ。だから、頼りはお前さんの鼻さ。今回はアスティアの分の水筒もお前さんに持たせて、長く変態してて貰う事にする。あたしの能力で適当な山の中腹辺りに入って臭いを探す作戦さ。」
櫻はそう言って何と無しにアスティアの金色の髪を手に取ると、それを鼻先に近付け、スゥーと香りを嗅ぐと穏やかな表情を浮かべた。
その様子にアスティアが櫻の首筋から牙を抜くと、
「サクラ様、ボクの髪、臭くない?」
と心配そうに尋ねる。
「全然臭くなんてないさ。アスティアの香りはとても落ち着く、あたしの大好きな香りだよ。」
ニコリと微笑む櫻のその言葉にアスティアは表情を明るくし、櫻の頬に何度も口付けをした。
「ま、そんな訳でね。今回はお前さんが頼りさ。酷い臭いを嗅がせる事になるが、頼んだよ。」
「任せときなって。お嬢に頼りにされちゃアタイも気合が入るってもんさ。あ、でも少しでも悪いと思うなら、問題が解決出来た後の風呂ではお嬢とアスティアもアタイに洗わせてくれたら尚良いねぇ。」
鼻の下の伸びただらしない表情のカタリナに、
「…あたしは良いけどね…アスティアはどうだい?」
「ん~…別に良いよ?」
と、二人は少々呆れたような表情を浮かべ了承。その言葉にカタリナは満面の笑みを浮かべ拳を握り締め、そんな様子に命は『はぁ』と呆れたような小さな溜め息を漏らすのだった。
そうして一行は早速ギルドへと足を向けた。
「ところで今更な話、この調査は冒険者ギルドの管轄なんだよな? あたしらはギルドに所属してる訳じゃないんだが、首を突っ込んで良いものなのかい?」
ホールでギルドカウンターに視線を向け、櫻が尋ねる。
「…本当に今更だね。ま、ギルドの所属じゃないと報酬は期待出来ないけど、ギルドに所属してるヤツの手伝いとかなら少しは分け前も貰える場合が有るよ。」
「ほぅ。それなら丁度良いじゃないか。」
櫻はにんまりとした笑顔を浮かべ、冒険者ギルドの窓口へ向かった。
そしてカウンターの受け付け嬢へと声を掛けると、
「あたしら、エドウィンの手伝いをする事にした者なんだが、昨日の依頼失敗の報告を取り消してくれないかい?」
と話を切り出した。
受け付け嬢は目の前の小さな女の子に驚いたような視線を向けるが、その後から来た3人の中に大人が混じっている事に気付き、カタリナと応対を始めた。
そうして話を重ねる内に、エドウィンの後に同じ依頼を受ける者が居なかった事、そしてカタリナが魔物ハンターの認証札を持っているギルド所属の者である事が決め手になり、エドウィンはまだ依頼には失敗しておらず継続という扱いに戻して貰う事となった。
「さて、勝手にエドウィンの名前を使った以上は成果を出さないとね。」
櫻は腰に手を当て町の南側に立ち並ぶ山々を見上げる。
「お嬢、今回はいつにも増して行き当たりばったりだねぇ。」
「まぁね。ただ、既に森の獣達に被害が出ている事、それがいつ人にまで及ぶか分からない事も有って、出来れば早めにケリを着けたい。少々強行軍にはなるが、スマンね。」
「サクラ様がそうしたいならボクは何も文句なんて無いよ!」
「そうですよ、ご主人様。ご主人様の為さりたい様に為さって下さい。私はその期待に応えられるよう、全力で努めましょう。」
皆の言葉に、櫻に笑顔が浮かぶ。
「よし、それじゃサッサと行ってパパッと片付けちまおう。」
こうして櫻達一行は風を纏い空へと舞い上がると、町の南に広がる山々へ向け飛び立った。