人の業
謎の穴の奥へと慎重に歩みを進める櫻達。
穴は徐々に下方向へと向かい、それに合わせるように規模が大きくなって来ていた。既に天井の高さは大人三人分程にもなり、それでもまだ奥が知れない。
(これだけの穴を掘っておきならが、出た土砂は何処にやったんだろうねぇ?)
壁面に手を付きながらそんな事を考えていると、再び岩の獣が、今度は3体起き上がり櫻達目掛けて襲い掛かって来た。
「ッチッ! またかい!」
「ご主人様とお嬢様は上へ退避をお願いします。」
「うん!」
命の言葉にアスティアは頷くと即座に櫻を抱き抱え天井付近まで飛び上がった。そして櫻は掌から光の玉を生み出すと空間を照らし出す。
「有り難うございます。」
そう言って命の両腕が剣へと変化すると、襲い掛かる岩の獣を一体ずつ確実に細切れにして仕留めて見せた。
「ミコトすごーい!」
スイーと天井から下りるアスティアがその手際に感嘆の声を上げると、それを受けて命も優雅に頭を下げる。
「ふぅむ、それにしてもコイツらは一体何なんだろうね? 明らかに普通の生物じゃない…何かを護る番犬みたいなものなのか…?」
石片となったソレ等を爪先で軽く小突きながら櫻が呟く。
「バンケン?」
アスティアは不思議そうに首を傾げた。
「ん…あぁ…いや、門番…かな?」
(そうか、この世界には『犬』が居ないから『番犬』という概念が通じないのか。犬に近い獣と言うとボーフ位か…それじゃ番ボーフとでも言うのかね?)
ハハハと少しばかり困ったように笑う櫻に、アスティアと命は不思議そうな目を向けるのだった。
それからも穴の奥を目指し歩みを進めるものの、陽の光の入らない閉鎖空間では時間の感覚も無くなり、緊張感から息苦しくもなってくる。
周囲は相変わらず剥き出しの土と岩の壁、そして度々襲い来る岩の獣。
「も~…これ何処まで続いてるのぉ~…。」
アスティアも疲れたのか、だらしない声を上げるようになって来た。
「済まないね、命。お前さんばかりに戦いを任せてしまって…。」
「いえ、私はご主人様のお役に立てる事に喜びを感じています。もっと何なりとお申し付け下さっても何ら問題は有りません。」
既に倒した岩の獣は20を超え、その度に命一人での戦いを強いられている事に櫻も申し訳無く思う。
(いい加減底に着いて欲しいもんだがねぇ…。)
そんな事を思いながら、岩の獣の討伐数が40をも超えた頃だった。不意に、巨大な空間が目の前に現れたのだ。
ランタンの灯りではとても周囲を照らし切れない。櫻は以前ギルド員の精霊術士がやっていた事を思い出し、光の能力で複数の光球を生み出すと、周囲へ拡散させその空間を照らし出した。
白い光に照らし出されたその空間。そこは天井も高く、広さもサッカーグラウンド程も有るのではないかと思われる程広大であった。
そしてその空間の中に謎の設備が何台も並べられていたのだ。
「な…何だい? 此処は…?」
櫻は元より、アスティアと命もその謎の空間をポカンと見回す。
それは一見するとSF映画にでも出て来そうな、奇妙な土台とその上に伸びる大きなガラス製のような透明の筒。だがそれは決して科学技術のような痕跡は見られず、どちらかと言えば魔術的な不気味さを醸し出す不格好なチューブ状の物で繋がる2基一組の形で何組も並んでおり、その大半が片側を破損している。
(蝿男でも出て来たのかね…?)
近付き、中から突き破られたように壊れたガラスの筒と対になるように残るソレに目を向けると、その中には恐らく死んでから可也経ったのであろう崩れかけたボーフの死体が腐汁を滲ませ横たわっていた。
「うっ…。」
アスティアは顔を青褪めさせ、思わず喉奥から込み上げる何かを抑えるように口を手で覆った。
「恐らく、魔法使いの研究施設では無いでしょうか?」
命が冷静にその状況を見回し推論を述べると、櫻もそれを受けて頷いた。
「あぁ、恐らくそうなんだろうね…だが、一体この『魔法』は何だ? それに魔法使いの姿が…。」
周囲に目を凝らしながらそう言いかけた時だ。櫻は空間の隅に倒れる人影を見つけ言葉を止めた。そしてタタタと小走りに駆け寄る。
「…コイツは…。」
そこに居た…いや、在ったのは、恐らくはこの施設の主だったであろう魔法使いと思しき人物の亡骸であった。
不思議な事にソレはボーフ達の死体とは違い、まるでミイラのように干乾びたような状態であった。そしてボーフ達とは違い明らかに何らかの外傷によって生命を落とした痕跡が有った。腕が千切れ離れた所へ落ちており、なにより頭部の一部が砕かれたように失われていたのだ。
「あの岩の獣に襲われた…のか?」
ハッとして振り返る櫻が周囲に目を凝らし敵対存在の有無を警戒すると、アスティアと命も同様に警戒心を強めた。
だが、その空間の中にはただ静寂だけが有るのみ。フと、櫻は破損していないガラス筒の存在に気付き近付いてみる。するとその中には、ゴロゴロとした岩が複数個納められていたのだった。
そして気付く。
バッと周囲に目を向け、その装置のような物の数を確認してみると、それは全部で7対が7列の計49組。そして中に岩が残っている無事な物がその内の3組であった。
「…命、この道中で倒した岩の獣の数は何体だったか、覚えてるかい?」
「はい。45体です。」
命は迷い無くその数を答えた。
「二人共、ここに来るまでに分かれ道や、身を隠せそうな場所に覚えは?」
「ううん、そんなの無かったと思うよ?」
「私もそのような場所には覚えが有りません。」
二人は首を横に振り答える。その反応に櫻は嫌な予感がした。
「二人共、手分けしてこの中から魔法使いの研究の手がかりになりそうな物を探して戻るよ。」
そう言うと櫻は魔法使いと思われる死体の衣服を漁り始めた。
『ボソッ』と干乾びた肉が触れる度に崩れ、思わず顔を顰める。そうまでして探ったものの結局衣服の中からは何も手がかりになりそうな物は見つからず、手に付いた粉となった肉片を風で散らしながら周囲に目を向けた。
アスティアと命も其々に様々な場所に目を凝らして探す。すると、
「あ! サクラ様、何か在ったよ!」
とアスティアの嬉しそうな声が空間に響いた。
それはガラス筒の上部、蓋の上に置かれた皮紙の束であった。アスティアが天井から見下ろしていた事で見つける事が出来たのだ。
「よし、でかしたアスティア! 今は取り敢えずソレだけ持って早く戻ろう!」
「うん!」「はい。」
櫻は魔法使いの亡骸を一度振り返ると、片手を軽く顔の前へ添え、祈るようにしてから一目散に空間を後にし穴の中を駆け抜けた。途中からは命が櫻を抱え、アスティアは自らの羽根で坂道を上ると、下りの時とは比べ物にならない程の短時間で出口が見えて来た。
辺りは既に夜の闇に包まれ、空には星空が広がっていた。閉鎖空間から解放され、新鮮な空気に櫻は大きく深呼吸する。
「よし、アスティア、命、あたしの傍に。」
その言葉に二人は素直に従い身を寄せた。そしてそれを確認した櫻は小さく頷くと、皆を包み込むように風を巻き起こし空へと舞い上がる。
そして一直線にカタリナ達が居るサッサムの木へと向かった。すると眼下に、焚火の明かりと、それに照らし出される桜色の美しい木が見えて来た。
「良かった…無事のようだ…。」
ホッと息を吐き櫻が高度を下げると、ゆっくりと焚火とは反対側の木の陰へと降り立ち、焚火の傍で火の番をしていたカタリナの元へと姿を現した。
「お。お嬢…無事だったか。あんまり遅いから心配したよ。」
干し肉を片手にそんな事を言うカタリナに、櫻はニカリと笑って見せる。しかし、そのカタリナの背後に岩の獣が座っている姿を見つけ、櫻はハッと息を飲み身を構えた。
そんな様子に気付いたカタリナが背後の岩の獣に視線を向けると、再び櫻を見て笑って見せた。
「あぁ、大丈夫、コイツは何もしてこなかったよ。」
「…へ…?」
呆気に取られたように間の抜けた声を漏らすと、櫻の肩から力が抜ける。
聞くと、どうやらエドウィンを追ってやって来たらしいこの岩の獣は、最初こそカタリナ達に襲い掛かって来たらしいのだが、その目(?)の前にケセランが飛び出ると何やら話をするように身を寄せ、あっと言う間に落ち着いてしまったと言うのだ。
《ケセラン、コイツと話が通じたのかい?》
《うん。》
櫻の元へピョンピョンとやって来たケセランが、そのままひょいと櫻の頭に落ち着く。
《このコ、くるしいんだって。》
《苦しい…?》
《ケハイしかかんじないんだって。メがみえない、ニオイがしない、カゼもツチもわからないって。キモチワルイ、タスケテっていってる。》
《ちょっと待っておくれ。もしかして、コイツは『獣』なのかい…?》
《うん、そうだよ?》
櫻の頭の上、ケセランは『何を言っているのか』という風にふるふると身体を揺すった。
櫻はアスティアが回収した皮紙の束を思い出し、穴の中で見た物を説明すると共にそれをカタリナに読んでもらう事にした。
「…へぇ? 魔法使いの造った穴だったのか。どれどれ…。」
焚き火に照らし出されたソレをカタリナが読み始める。そして判明した魔法使いの研究内容。それは生物の魂を別の器へと移し替える実験であった。
『脆弱な肉の身体を捨て、強靭な鉱物の身体を得る事で魔物にも匹敵する強さと永遠の命を得る。』『実験は成功したものの、成功率が十全では無い。未だ自身に実行するには時期尚早。』『ボーフだけでは実験例が少ない。そろそろ人で試してみるべきか。』
要約するとそのような事が書かれていた。
「やれやれ…人に実害はまだ出て無かったみたいだけど、結局コイツも危ないヤツか。お嬢にはああ言ったけど、こうやって人知れず死んでいってるだけで危ない魔法使いの方が多いんじゃないかと思っちまうね。」
呆れたように皮紙をペラペラと扇ぎ、焚き火を揺らすカタリナ。
「つまり、この岩の獣の中身はボーフなのか。」
穴の中で見た奇妙な設備を思い出す。
(あの腐ったボーフの死体は元々の魂の器、そして対になっていた側には新たな器として岩を入れて置いた。そして実験は成功…だがその後に恐らく痛みを感じない岩の身体となったボーフ達が暴れ出し、あの魔法使いは襲われ生命を落とした…か。)
そう考えると、穴の中では散々襲われたものの、今は目の前に大人しく座っている岩の獣と化したボーフが哀れに思えて来る。
(あの魔法使い、魔物化した様子も無かったし少しばかり可哀想とも思ったものだったが…要らぬ同情だったかね。)
櫻は『フゥ』と小さく溜め息を漏らすと、エドウィンに視線を向けた。彼は未だ痛々しい姿でサッサムの木に凭れ掛かり、櫻達の会話に大人しく耳を傾けていた。
そんなエドウィンに櫻は歩み寄り、その横に立つ。
「どうしたんだ? お嬢ちゃん。」
エドウィンは不思議そうに顔を向けると、それを受けて櫻もニコリと微笑んで見せた。そして次の瞬間、『トッ』と手刀がエドウィンの首元に当たると、そのままグルリと白目を向き意識を失った。
グラリと揺れる身体を櫻が支え、そのままサッサムの木に寄り掛からせる。
「お嬢、何やってんだい?」
驚いたように目を丸くするカタリナが、それでも何か考えが有るのだろうと焦る事無く声を掛けた。
「このボーフを救ってやるには、命の力が必要だ。だけど流石にこの男の目の前でソレを見せる訳には行かないからね。」
そう言って櫻は命に目配せをする。すると命も何を言わんとするかを察し、腕を剣へと変化させた。
近付く命に何かを察したのか、岩の獣が警戒するように身体を下げる。
《ケセラン、あの獣に、今から助けてやると伝えておくれ。》
《うん。わかったー。》
櫻の言葉にケセランはその頭上から飛び降り、岩のボーフの元へと近付くとソレは大人しく身を沈めた。
「命、手早く頼む。」
「承知致しました。」
観念したかのように大人しくなった岩のボーフに視線を向けたまま、静かに頷く命。その次の瞬間、命の腕から繰り出された鋭い刃はその頑丈な身体を容易く切り裂き、小さな石片へと変えた。
カラン…と、転がった石がぶつかり小さな音を立てるそこへ櫻が歩み寄り、ソレを見下ろした。
《…ケセラン、あの獣はまだそこに居るかい…?》
《ううん。いなくなっちゃった。》
その言葉を聞き、櫻は何と無しに空を見上げた。しかし焚き火の煙が立ち昇る星空が見えるのみ。
(済まない。あたしらにはこうする以外に救う方法は無かった。)
人では無い魂では、櫻には癒す事も出来ない。ましてや自分達もまた、食う為に、依頼の為に、そして襲われれば生き残る為に獣や他の生命を奪う。魔法使いの事だけを悪く言う事も出来なければ、それで自分達を悪と言う事も出来ない。
人の業が招いた犠牲に今はただ、その魂が無事に天に還れた事を信じ瞳を閉じるだけであった。