旅立ち
これからの旅の仲間という事でカタリナも同じ部屋の床で一晩を過ごし翌朝。
パチリと目を覚ました櫻の腕に、ヒヤリとした柔肌の感触を覚える。
横を見るとアスティアが櫻に抱き付くように寝息を立てていた。
そのあどけない寝顔にさてどうしたものかと考えていると、アスティアの瞳が薄らと開く。
「お。起こしてしまったかい?」
小さな声で申し訳無く言う櫻の言葉にぼんやりとした表情のままのアスティア。すると突然櫻の胸に頬を擦り付けるようにして身体を重ねたかと思うと、ちゅっちゅと唇を当て、そのまま探るように上へと動かし櫻の首の周囲に舌を這わせ始めたではないか。
その動きはどこか母猫のおっぱいを探す子猫のように何かを探しているようにも見えた。
櫻はピンと来てアスティアを抱き寄せ顔を首筋に誘導すると、その予想は当たったようで動脈の辺りに口が触れた途端そこにパクリと唇が覆い被さり、その中を舌がチロチロと舐めまわす。
ヴァンパイアの唾液が肌に浸透するとその周辺に快感がジワリと広がり、櫻も思わず『んっ…』と甘い声を漏らしてしまった。
その微かな艶のある声にカタリナが目を開けると、そこに見えたのは同じベッドの中、裸のまま重なり合い櫻の首筋に牙を立て血液を啜るアスティアの姿。目覚めたばかりの頭に突然飛び込んできた余りの刺激的な光景に言葉もなく悶絶し倒れる。
(やれやれ、朝っぱらから騒がしいねぇ…。)
櫻は呆れた表情を浮かべながら、アスティアの肩越しに天井を眺めるのだった。
床に倒れたカタリナが目を覚ますのを待ってから、いよいよ櫻達は旅の荷をまとめると屋敷を発つ事となる。
「お父さん、お母さん、行って来ます。」
屋敷の門を出た所でアスティアが振り返り呟く。
「どれくらいの長旅になるかは判らないが、またここに戻って来ような。」
「うん、いつかきっと。」
櫻の言葉にアスティアは笑顔を浮かべ頷いた。
「なんだい?ここがお嬢の帰る場所って事なら、それじゃここが神様の住むお屋敷になるって訳だ。町の連中が知ったら神殿に大改築しちまいそうだね。」
カタリナがカラカラと笑うと
「世界を巡り続けなきゃならないから定住という訳には行かないだろうが、たまに帰る場所としてここを住まいにするというのは良いかもしれないね。アスティアがそれを許してくれれば、だが?」
「もちろん大歓迎だよ!ボク、サクラ様とずっと一緒だもん。」
「アタイも一緒に居なきゃならないのは忘れないでくれよ…?」
そんな事を言い合いながら、屋敷を後にした。
先ず町を出る前に適当な量の食料を買い込む。旅の日程としては目的の港町に到着するまで取り敢えず3日を想定しているが、その道中は野宿を予定している為に少し日持ちする物を選ぶ必要がある。
「定番としては干物だね。」
食料品店に入ったカタリナが棚に並んだ何かの肉の燻製や干物を眺めながら値段と量を見比べていた。
櫻が店内を見回すが、食堂でも同様だったように魚介類はほぼ見当たらない。それどころか生肉の取り扱いも少ないように見える。
(どうやら冷凍保存や冷蔵技術があまり発達していないのか。これでは生鮮食品の流通は難しい訳だ。)
興味深げに店内を見回す櫻をアスティアが見つめる。
「サクラ様はどれか食べたい物は無いの?ボク食べ物にはお金使わないから、今食べる分ならサクラ様に買ってあげられるよ?」
そう言って昨日の分け前の入った革袋を取り出して見せた。
「いや、別に今食べたい物がある訳じゃない。ただあたしには珍しい光景ばかりで、つい目移りしちまうのさ。」
アスティアの気遣いに笑顔を浮かべると、アスティアの表情も綻ぶ。
そうしてアスティアと一緒に店内を見て回っていると、カタリナが買い物を終えて櫻達の元へやってきた。
「お待たせ。」
その声に振り向いた櫻が見たものは、櫻が二人は入るのではと思うような大きな袋。素材はよく判らないが麻袋のような質感に見える、パンパンに膨れたソレを片手で軽々と持ち上げているカタリナであった。
「…随分買い込んだね…。」
呆気に取られ言葉が出て来ない。
「あぁ、アタイはちょっと燃費が悪くてね。これくらい無いと不安なんだよ。」
そう言ってカタリナがポンと腹を叩いてみせると、丁度良く『ぐぅ~』と腹の虫が鳴った。
「出発前にこの町での食い納めと行こうか?」
「そうだねぇ。折角だし食い溜めて行くとするか!」
言うが早いかカタリナが歩き出し、そんな様子に櫻とアスティアが顔を見合わせ笑う。
食堂に入るとカタリナが数々の注文をし、櫻はその中から適当に摘むだけで腹を満たすに充分な量であった。
カタリナの腹も膨れ満腹感に浸っていると女将が寄ってくる。
「おぅ、女将。お代はいくらだい?」
その言葉にカタリナを見た女将であったが、その視線はアスティアへ、そしてその傍に積まれた荷物へと移る。
「アスティア、本当に旅に出るんだね…。」
女将の声は寂しげだ。
アスティアは言っていた。『この町の人達は小さい頃から知っている』と。恐らくはこの女将も幼い頃からアスティアと面識があり、馴染みなのだろう。この町に居る事が当たり前だったアスティアが居なくなる事は、生活が激変する訳では無いが、今まであったものが突然に無くなる寂しさを感じさせる。
「うん。暫くは帰れないと思うけど、でもきっとまた帰ってくるよ。」
そう言うアスティアの笑顔に女将も『フッ』と笑うと
「お嬢様、この娘は長生きはしてても世間知らずな所もあるから、あまり頼りにはならないかもしれないよ?それでも連れて行くのかい?」
櫻に問う。
「…あぁ。アスティアはあたしにとって必要な存在なんだ。それに頼りにならないなんて事は無いさ。この数日でとても助けられているからね。」
「それにアタイも一緒に旅をする事になったんだ。アスティアもお嬢もアタイが護る。だから何も心配する事は無いよ。」
櫻とカタリナがそう言うと、女将も最早何も言う事は無いと瞳を閉じ息を吐いた。
「そうかい。それじゃ…お代は小金貨2枚ね。」
手を差し出すその表情はもういつもの食堂の女将だ。
カタリナが懐から財布を取り出し手渡すと、
「はい、まいどあり。また来ておくれ。」
と手を振り見送る。
一行もその手を振り返し店を出ると、いよいよ町の外へ向かい歩みを進める。
町の中を歩くと道行く人々が少しずつ後を付いてくる。その数は徐々に増え、町の外れに到着した時には百人は超えるであろう人数に達していた。
そしてその誰もがアスティアの旅立ちを見送る為に集まっている。
ヴァンパイアは人の役に立ち、その見返りとして血液を貰うのが『ルール』だと言っていた。きっと町の人達もアスティアを避けて血を与えなかった訳では無いのだろう。この見送りを見ると櫻はそう思う。
「アスティア、旅立ちの挨拶、みんなにしてあげな。」
櫻の言葉を受けてアスティアはコクンと頷くと、
「みんな~!行って来ます!」
両手を振り、大きな声を上げた。
その声に応えるように町の人々からも旅を案じる声、応援する声、別れを惜しむ声などが様々に聞こえて来る。
そんな様子を確認すると櫻が背を向け歩き出す。続いてカタリナが後に続き、アスティアも名残惜しげに背を向けると櫻を追いかけ走り出した。
背中に受ける皆の声が徐々に小さく、少なくなってゆく。
「いい町だったねぇ。あれだけ慕われてるんだ、きっとまた戻ってこないとね。」
その言葉にアスティアは笑顔で
「うん!」
と頷き、前を見据えるのだった。
やっと準備が終わって旅立ちです。結構かかってしまいました。