神の力
「まさか次の町までこんなに掛かるとは…。」
荷車の中、櫻とアスティアは仲良く横に並んで命製のクッションに臀部を休めながら呟く。既にダーマの町を出てから10日が過ぎ、それでも次の町まではまだ2日程掛かる見込みだというのだ。
「まぁ中央大陸は広いけど、だからって町が多いって訳でも無いからね。でもこうして街道が整備されてるから移動は随分楽なもんだよ?」
御者席で手綱を握るカタリナが諭すように言う。
「ま、実際は町を渡り歩くって言うならそれ程日を掛ける必要も無いんだけど…。」
「どういう事だい?」
櫻に凭れ掛かりニコニコと笑顔を浮かべるアスティアの髪を撫でながら、櫻はカタリナに目を向けた。
「お嬢、数日前に街道から逸れる道が有ったの、気付いてたかい?」
「あぁ。確かに有ったね。」
中央街道からは度々横に逸れる道が伸びていたのを櫻も目にしている為、その記憶を思い起こす。
「あそこを曲がってたら1日位行った所に町が在ったんだよ。」
「何だいそりゃ?それならそっちに行った方が良かったんじゃないのか?」
「いやぁ、だけど結局、光の主精霊が居る場所に一番近道な中央街道上に有る町に向かうとなると、そっちの町に立ち寄るのは逆に遠回りになっちまうのさ。だからそのまま真っ直ぐ進ませて貰ったって訳。」
「成程…。」
櫻の旅の主目的は各主精霊に会う事だ。そして主精霊に会い能力を受け取る事が出来れば櫻の神としての力も強まる。それ故に、最近の戦いでは常にボロボロになっていた櫻は新たな力を欲しており、先を急ぐ事に関しては異論は無かった。
(しかし…光の主精霊の能力って何だ?今まで見た光の系譜の精霊術は暗がりを照らす照明代わり程度のものばかりだったが、他にどんな特性が有るのやら?)
『う~む』と難しい顔をする櫻。するとそんな様子を不思議に思いながら、アスティアが凭れ掛けていた身体を起こし、
「サクラ様、どうかしたの?」
と声を掛けて来た。
「うん?あぁ、いや。アスティアは光の精霊の振るう能力というのはどんなのを見た事が有る?」
「えっ?えーっと…。」
突然の問い掛けにアスティアは人差し指を口元に添えて幌の天井に視線を向ける。そうして記憶を辿ってみるものの、矢張り出て来るのは照明として使われた事例ばかりだ。
「…灯り?」
「…だよねぇ。」
首を傾げ答えるアスティアに頷いて見せる櫻。
「あたしが光の主精霊に認められて能力を授かったとして、それが何を成せるのかってのが疑問でね。ちょいと悩んでたのさ。」
櫻が頭を撫でると、アスティアは嬉しそうに目を細め肩を竦めた。
アスティアと共に荷車の中から御者席の隣へと場所を移し、何時ものポジションで座ると外の空気がヒヤリと頬を撫でる。
「随分涼しくなって来たねぇ。」
辺りは晩秋を思わせる空気へと変化し、広葉樹の葉も色褪せているものが多く目立つようになって来ている。
「あぁ。そろそろ厚着をしないと辛くなって来たかもな。でもお陰で魔物の身体の腐敗が少しは遅くなってくれるのは助かるね。」
カタリナの言葉に櫻とアスティアは揃って荷車の中を振り向いた。道中で出会った魔物の討伐証明としての部位を入れた袋は、古い物では既にかなりの腐臭を放ち始めており、匂いを誤魔化す為の香草等を途中で摘みながらここまで来たのだが、そろそろそれも限界が近かった。
「そう言えば前に立ち寄った『アイディ』の町なんかは農業が盛んだった訳だけど、ああいうのは当然他の町に出荷したりするんだよな?その際の鮮度の保存はどうしてたんだろう?」
「あぁ、そういう生物の運搬には大抵、氷の精霊術か雪の精霊術を使える精霊術士が居るもんなんだ。」
「へぇ、そんな精霊も居るのか。」
(確かに考えてみればメジャーな感じだね。)
主精霊の属性ばかりに気が行っていた櫻は、改めて世界に存在する様々な精霊の種類の多さに驚く。
「確か両方とも風と水の主精霊から産まれたって聞いた事が有るから、お嬢も水の主精霊と契約出来ればそういう精霊術も使えるようになるのかもね。」
そのカタリナの言葉に櫻はハッと気付いた。
(そうか…各主精霊毎の能力だけじゃなく、組み合わせて使う事も出来れば様々な事象を引き起こす事も可能になるのか…。確かにそれは、神の力と言っても過言では無いね。)
うむむと腕を組み考えを巡らせる櫻。
「それにしても、それなら益々水の主精霊を最後にするのは勿体無い事をしたねぇ…。」
『はぁ』と空に向かい溜め息を吐くと、ほわりと白い息が流れて行った。
「無い物ねだりなんてするもんじゃないぜ?ここから水の主精霊の元に行こうなんて事になったら今までの道のりを全部戻らなきゃならないんだからさ。」
「解ってるって。それに今から向かったとしても、海の底に居るだろう水の主精霊にどうやって会いに行けば良いのか、全然思い浮かばないからねぇ。」
「ハハッ、お嬢なら岩に身体を括りつけて沈めれば、海の底までは簡単に辿り着けそうだけどね。」
カラカラと笑うカタリナに、櫻は呆れた目で乾いた笑いを零した。
「も~!カタリナ!そんな事はボクがさせないんだからね!?」
櫻を護るように身体全体を使いギュッと抱き締めるアスティアが、プンプンと頬を膨らませる。
「あははっ、冗談だって。それよりお嬢、今出来る事で言うなら、荷車の中の空気を風で流しておくれよ。それだけで随分違うもんだと思うよ?」
「ん、それもそうだね。命、済まないが後ろを開けてくれないかい?」
荷車の中に振り向き声を掛けると、
「はい、少々お待ちを。」
と、クッションにしていた両脚を取り付けていた命はコクリと頷き、普段は閉じている幌の後部の幕を巻き上げた。
ホーンスの走る速度だけでも十分に風は抜けて行くが、そこに更に櫻が風を起こし内部の空気を入れ替えて行くと、今まで籠っていた空気が一気に清涼なものへと入れ替わり、今まで隠し切れず漂っていた腐臭も洗い流されるようであった。
「おー、良いじゃないか。お嬢、これからもコレ頼むよ。」
スンスンと鼻を鳴らし、カタリナが満足そうに笑顔を浮かべた。
「あたしゃ送風機かい…大体、こんなの一時凌ぎだしねぇ、直ぐにまた匂いは出て来るよ。」
「それでもたまにやるだけで匂いの染み付き具合ってのは違うもんさ。ま、お嬢の気が向いた時にでも宜しく。」
楽し気に笑うカタリナに釣られ、皆も自然と笑顔が浮かぶ。その空気がとても居心地が良く、櫻はこんな日々が続けば良いと心から思うのだった。
その晩のテントの中。櫻はいつものように眠りの中でファイアリスと世間話をしていた。
《…それで、水の主精霊を後回しにしたのは失敗したなぁって話になってねぇ。》
《うふふ、腐敗は大切なシステムだけど、『人』の生活の中では色々と不便も有るみたいね。》
《そうなんだよねぇ。この世界は精霊の力によって様々に便利な事が有るけど、お陰で科学的な技術が殆ど発展してないせいで、クーラーボックスみたいな物も無いみたいだからねぇ。》
せめて密閉だけでも出来れば匂いは防げるのにと、ハァと溜め息を吐いてみせる。
《貴女の元居た世界じゃ人の手による技術の進歩が凄いみたいだものね。精霊の力を借りずに物を冷やすだけじゃなく凍らせる事も出来るんだもの。》
《そうだね、確かに今思えば当たり前に使っていた道具達が凄い物だったんだって実感するよ。》
《その道具をこの世界で再現出来たりはしないのかしら?》
《無茶を言うなよ。あたしゃそんな専門的な知識なんて無いんだ、精々道具の使い方を知ってるだけで、どういう理屈でそれが動いてるかも知らないんだからさ。》
(…そう考えると地球の技術屋ってのは凄い人達だったんだな…改めて尊敬するよ。)
何気なく使っていた道具が高度な技術の塊であった事を今更ながらに思い知らされ、それが『当たり前』に使えていた事に感謝の気持ちを覚える櫻であった。
《ま、それならそれで…処で貴女は要するに鮮度を保つ方法を逃したのが残念なのよね?》
《ん?まぁそうだね。》
突然話題が元に戻った事に櫻が思わず間の抜けた返事をする。
《それなら今向かってる光の主精霊の能力が少しは役立つと思うわよ。》
《へ?それはどういう事だい?》
《人類は『光』を『明るいもの』としか認識してない者が多いようだけど、『光』と『闇』は他の4精霊とは少し性質が違うのよ。》
《ほぅ?それは興味深いね。あたしも光の主精霊の能力がどんな物なのか、気にはなってたんだ。》
《貴女は力を受け取ればその本質を直感的に理解出来るとは思うんだけど…まぁ良いわ、教えてあげる。》
そうして再び、念話の中だと言うのにファイアリスの講義スタイルがイメージに浮かんでくる。
《『光』と『闇』は表と裏のような物でね、其々対になる働きを持っているの。》
《対?》
《そう、基本的には貴女達も良く目にする、『明るくする』『暗くする』という感じね。》
《それは名前のイメージのままだね。》
《そ。でも実際には様々な恩恵を世界に与えているわ。その内の一つに腐敗に関するものも有るのよ。》
そう言ってファイアリスが黒板に教鞭を当てると図説が現れた。
《光と闇は主に世界の『活力』を調整するものでね、それは有機物も無機物も影響を受けるの。光の力を強く受けると活性が強まり対象の腐敗が遅くなる、逆に闇の力を強く受けると腐敗は早くなる、という風にね。》
《へぇ、それじゃ確かに今あたしが悩んでる問題にはぴったりな能力って訳だ。何ともタイムリーな事だね。》
《とは言っても貴女が今居る場所からじゃ、光の主精霊の元まではまだまだ掛かりそうでは有るけどね~。》
《まぁ、そうだね…。結局次の町に到着するまではこの腐臭と付き合う事になる訳だ。ははっ、案外この匂いにも慣れて、好きになっちまったらどうしようかね。》
《ふふ、神様が死体愛好家なんて事にならないように気を付けてよね?》
《あははっ、流石にそんな歪んだ事にはならないさ。それに冗談で言いはしたが、あの匂いは流石に好きにはなれないと思うからね。》
《あら、そう?それなら良かったわ。》
(とは言っても、一度死んだ肉体を動かしているヴァンパイアをあれ程溺愛してちゃ、死体愛好家と言われても間違っては居ないと思うけど…その事には気付いてないのかしらね?)
そんな事を思いながらクスクスと笑うファイアリス。
《何がそんなに可笑しいんだい?》
《いいえ、気にしないで。それよりそろそろ朝になるわ。貴女も起きるだろうし、今日はここまでね。》
《おっと、もうそんなに経ったのか。そうだね、また何か話題でも出来たら話すとするよ。》
《えぇ、楽しみにしてるわ。それと付き合ってくれたお礼に少しサービスしてあ・げ・る♪》
《サービス?》
《ふふ、起きてからのお楽しみって処よ。それじゃ、またね~♪》
手を振るファイアリスの姿が遠ざかって行くように感じられ、それと共に意識は一旦眠りの中へと戻る。
そして耳に入ってくる世界の音。鳥が囀り草原を撫でる風が草木を揺らす。するとそんな中でカタリナの、耳元で囁くような声が飛び込んで来た。
「お嬢…お嬢、起きてくれよ。」
ゆさゆさと、しかし多少は遠慮があるのか控え目に櫻の身体を揺するカタリナの大きな手。
「んぁ…?どうしたんだい…?」
櫻も眠い目を頑張って開くと、テントの生地越しに陽の光が眩しく思わず手を翳す。
「あぁ、済まない。いや、朝起きたら荷車の中が凄い事になっててさ…。」
「凄い事…?」
カタリナの少し慌てた様子に何事かと、抱き付き眠るアスティアの胸の中からソッと腕を引き抜き起き上がる。
そして静かにテントを抜け出し、荷車の中を覗き込んでみると、何とそこには大きな氷の塊が鎮座していた。
「な…何だいこりゃ?」
見るとそれは魔物の討伐証明の為の部位を入れた袋を包み込むように、厚さ2センチ程度の氷に覆われた物であった。
荷車に攀じ登り、コンコンと叩いてみる。不思議な事にそれは外気で溶ける様子も無く、ヒンヤリとした冷気を放つ事も無い、まるでガラスか水晶かと言う程に美しい濁りの無い輝きを持っている。だが肌が触れた部分は微かにしっとりと水滴を垂らし、それが氷である事が判る。
「これは…意図的に熱を加えた部分だけが融けるようになってる…のか?」
驚く櫻の背後からカタリナと命も顔を覗かせる。
「な?何時の間にかこんな事になっててさ。ミコトに聞いても気付かなかったって言うんだよ。」
「申し訳ありません。番を預かる身としてこのような異変に気付けなかった私を、どうか罰して下さい。」
カタリナの言葉に命は櫻に向け頭を深々と下げる。
しかしそんな二人を他所に櫻は呆れ顔で溜め息を吐いて見せた。
「いやいや、大体誰の仕業かは見当が付く。流石にソイツの手に掛かっちゃ、命が気付かなくても仕方ないさ。」
そう言って荷車から飛び降り空を見上げた。
(成程ね。真の神ともなれば、この程度の事は朝飯前って訳だ。)
《おーい、ファイアリス。これはお前さんの仕業なんだろう?》
《おはよう、サクラ。えぇ、どう?驚いたかしら?》
《あぁ、驚いたとも。》
《うふふ、それは良かったわ。気付いてると思うけど、意図的に溶かそうとしない限りはその氷は自然融解はしないわ。次の町で処分するまでは匂いに悩まされる事も無いわよ♪》
コロコロと楽し気な声が櫻の意識に響く。
《助かるよ、ありがとう。》
《どういたしまして。これは貸し一つにしておくわね。》
《やれやれ、後でどんな方法で返せと言われるやら…おぉ怖い怖い。》
空を見上げ微笑みながらそんなやり取りをしている櫻を、カタリナと命は不思議そうに見つめる。
すると櫻が空に軽く手を振り、二人へ向いた。
「よし、これで当面一番の問題は片が付いた。後はのんびり次の町に向かうとしようか。」
櫻の明るい声にカタリナと命が顔を見合わせ首を傾げる。するとそこにテントの中からアスティアが姿を現し、
「あ~、サクラ様居た~!」
と迷子の子供が母親を見つけたかのように小走りに駆けよって来た。そして正面から櫻に抱き付くと、櫻もその身を受け止め、よしよしと髪を撫でる。
「おはよう、アスティア。」
そう言いながら首を傾け首筋を出すと、
「うん、おはよう、サクラ様!」
と、アスティアもパクリとそこに唇を被せた。
そんないつもの光景にカタリナと命は微笑みを浮かべる。
そうして吸血を終えたアスティアが首筋を一頻り舐め終え顔を上げると、その時になってやっと荷車の中の異変に気付き驚きの声を上げた。
櫻はそんなアスティアに微笑みかけると、皆に向けて種明かしをした。
「せ…世界の神自らが、態々悪臭対策の為にこんな事をしてくれたってのかい…?」
櫻の話にカタリナが驚愕の表情を浮かべた。
「あぁ、恐らくはあたしに神の能力の完成形、その片鱗を見せるという意味も有るんだろうけどね。」
やれやれと肩を竦め顔を横に振ってみせる。
「ま、あたしがその域に達するにはまだまだ掛かりそうだ。先ずは朝飯を食べて腹を満たしてから、光の主精霊目指して出発と行こうじゃないか。」
「あ…あぁ、そうだね。それじゃ済まないけど、アタイらの神様には薪を集めて来て貰おうかな?」
「ハハッ、お安い御用だ。」
「も~!カタリナ、全然サクラ様の事敬ってないでしょ!?」
「カタリナ、貴女のその胸に付いている脂肪を燃料にしましょうか?」
冷ややかな瞳で命の手首から先が鋭利なナイフへと早変わりする様に慌てるカタリナ。
「あはは、良いんだよ二人共。あたしにゃ神様なんて大層な扱いはまだ重いんだ。これ位が良いのさ。」
「ほ、ほらっ、お嬢もこう言ってるし、その刃物は仕舞えって。」
「ご主人様がそう仰られるのでしたら…。」
命はカタリナへ向け悪戯っぽく微笑みその手を元に戻した。
「も~、サクラ様は…もっとボク達に偉そうにしても良いんだよ?サクラ様がそういうの嫌なのは知ってるけど、ボクだってもっと頼られたいんだから。」
「ふふ、皆にはもう充分に頼らせて貰ってるし、当然これからも頼りにしてるさ。だから、そういう必要の無い時は皆で苦労は分かち合わなきゃね。」
こうして、櫻とアスティアが薪拾いをし、命が野草を採りに行くとカタリナが鍋の用意をするという、いつもの朝食の準備が始まる。
歩みを止める事は無く、それでも変わらぬいつもの仲間達との日々。櫻はそんな中に安らぎを覚え、まだ未知の多いこの世界での旅を続けるのだった。