業火の死闘
目の前に聳え立つ三面六臂の巨体。それは変態したカタリナの身長の5倍はあろうかという高さから3つの顔が櫻達を勝ち誇ったように見下ろす。
「ふぅぅ~…まさか僕がこんな姿になってしまうとはねぇ…。」
アシュロンは自身の身体に起きた変化に驚きと感心を示し、6本の腕を広げ拳を握り締めると、
「これじゃぁこれから町に行く事が出来ないじゃないか…どうしてくれるんだいぃぃ!?」
怒りの声と共に櫻達目掛けて腕を振り下ろした。
咄嗟に飛び退くと、振り下ろされた拳は地面を砕き、大量の落ち葉や土を巻き上げ視界が曇る。
「くっ、この!」
櫻が風を巻き起こし視界を確保すると、アスティア達三人が一斉に飛び掛かり攻勢に移る。
しかし3つの顔と6本の腕がそれを許さない。まるで脳が3つ有るかのように三人の動きを正確に捉え、其々の動きに的確に対応して来るのだ。
カタリナの爪も命の刃と化した腕も直撃を避け、強靭な腕から繰り出される単純にして強力な平手打ちがカタリナ達を撃ち落とす。
「このぉ!」
アスティアが羽根を振りかざそうとすると、なんと三面の内の左右二面の口から大量の糸が辺り一面に吐き散らされ、そして正面の口から炎を吐き出し辺りに散った糸や地面の落ち葉が一斉に燃え上がり始めたではないか。
その炎は見る見る燃え広がり周囲を火の海へと変えると上昇気流を生み出し、アスティアの鎌鼬の発生を阻害する。
「貴様!あたし達を始末する為だけにこの森を消し去る気か!?」
「あはははっ!そうだよ!?キミ達がこの森を焼くも同然だ!僕の研究所も全て燃えてしまう!なんて酷い連中なんだ!」
櫻の叫びに高らかに笑い声を上げながらわざとらしく嘆いて見せるアシュロンの目には狂気が宿っていた。
空を覆っていた枝葉にも炎は燃え広がり、そこに吊るされていた無数の獣達も逃れる術無く炎に巻かれ、地面へと落ちるとまだ生きていた者達は熱さにのたうち回る。
(くそっ!全てを救うのは不可能だ…!今は目の前のコイツを始末する事を優先しなきゃ…!はっ!?ロイマン!?ロイマンはどうした!?)
慌て、燃え盛る周囲に目を向ける櫻。しかし戦意を喪失し項垂れていた筈のロイマンの姿が何処にも無い。
(まさか、さっきのアイツの攻撃で吹き飛ばされたのか!?いや…周囲の霧が晴れたんだ、逃げてくれたに違いない…!)
最悪の事態を想像したくない櫻は無理にポジティブな方向へと思考を巡らせた。しかしその他所へ向いた思考が油断を生んだ。
「サクラ様!危ない!」
アスティアの声にハッとすると、炎の中から巨大な腕が伸びて来た。慌て飛び退こうとした櫻であったが、一瞬の判断の遅れが災いしその小さな身体は巨大な力に包み込まれた。
「ぐあぁぁ!?」
櫻の首から下全てが隠れる程にすっぽりと収まる掌の中で、その身体がメシメシと音を立て握り潰される。
「くっ…このっ!」
自身の周囲に風を巻き起こし抵抗を試みる櫻。しかしアシュロンの握り拳にピシピシと小さな切り傷を作るもののその握力が弱まる気配が無い。
アスティア達が櫻を助けようとアシュロンへ纏わり付くも、吐き出す糸と炎の連携にアスティアとカタリナは近付く事も出来ず、命が炎の中に飛び込もうとすれば無数の腕が襲い掛かる。
「キミ、面白い身体をしているねぇ!?何処まで壊されても平気なのか試させてくれよ!」
「あぁ…!ぐっ…!」
骨は軋む音から『ボキッベキッ』と砕ける音へと変化し始めると、『ぐしゃり』という水音と共に櫻の頭部の穴という穴から血が噴き出し、握られた拳の中からは絞り出されたあらゆる体液が滝のように流れ出した。
櫻の瞳から光が消え失せた事を確認したアシュロンは勝ち誇ったようにニヤリと口の端を釣り上げると、手に握られたその小さな身体を投げ捨てる。
焼け跡となった地面にトサッと投げ出された櫻の身体は、文字通りボロ雑巾の様に成り果て人の形を成していない程であった。
「サクラ様!」「お嬢!」「ご主人様!」
三人の声が炎の向こうから聞こえる。辛うじて意識は留めていた櫻であったが身体の自由が利かない。
(くっ…身体の…修復…を…。)
全身に意識を込め、主要部分から優先し超回復を試みる。先ずは胴体、そして腕…しかし右腕を復活させ左腕へと差し掛かった時だった。二の腕辺りまでを回復させた処で超回復が止まってしまったのだ。
(う…!?まさか…栄養が足りない…?)
半端に再生させた神経が全身を駆け巡る激痛を脳へ伝え、意識を失いそうな程の苦痛に眩暈が起きる。辺りに燃え盛る炎に空気が薄く息苦しい。
しかしそんな中でも必死で戦うアスティア達の姿を目にすると、せめて最後の力とばかりに動く右腕をアスティアへ向け、体内の風の精気を放出した。
(皆、後は頼んだ…!)
薄れる意識の中、アスティアの身体から激しい風が巻き上がる姿を目にし、櫻の視界は闇の中へと閉ざされた。
「うわああぁぁぁぁ!!」
全身に漲る力を感じ、アスティアの羽根が更に大きさを増したかと思うと、その身に風を纏い襲い来る糸も炎をも吹き飛ばす。そして羽ばたく羽根からは櫻が放つ『風の刃』のような鋭利な鎌鼬が無数に生み出され、伸ばすアシュロンの腕に深い切り傷を刻み付けた。
切り裂かれた痕へ追い打ちをかけるように突風を吹き付けられ、ベロンベロンと無数に捲れ上がるアシュロンの腕の肉。
「「ぎぃあぁぁ!!??」」
余りの痛みに三つの口が獣のような悲鳴を上げ、空いた腕が捲れる肉を抑え込むと、カタリナはその隙を見逃さなかった。
迷い無く巨体の足元へ潜り込むと、両腕を使いアシュロンの足首を締め上げ
「ミコト!」
と視線を送る。
「はいっ!」
命も一言の返事でもう片方の足首を締め上げると、二人は息の合ったタイミングでメキメキと音を立て締め付けながら持ち上げ、その巨体を転倒させた。
『ズズン』と激しい音を立て地面を揺らし倒れた巨体は即座に起き上がろうと無事な腕を地に着け膝を立てる。しかしカタリナはそんな事を許す筈も無く、炎の爪で膝関節目掛けてラッシュを掛けると徐々に膝裏の肉が削げ落ち筋繊維を切り裂いた。
「貴様らぁ!」
反対側の膝も命によって破壊されたアシュロンが上体を起こし残った腕でカタリナ達へ襲い掛かる。
その時だ。
『ストッ』と、軽い音と共にアシュロンの正面の顔、その右目に矢が突き刺さった。
その場に居た者達、カタリナ達もアシュロンさえも一瞬何が起きたのか理解出来なかった。
だが続け様に左目にも同様の矢が突き刺さると、
「がぁああぁぁぁぁ!?」
アシュロンが悲鳴を上げ、5本の腕で顔を覆い痛みに悶絶した。
思わず矢の出処を見回すカタリナ達が目にしたのは、燃え盛る木の上、その炎にも動じず鋼製の弓を構え矢を番え、アシュロンを見据えるロイマンの姿であった。
「どうだ?ドワーフ謹製、対魔物用特殊鋼の矢だ。高価な物だが貴様にプレゼントしてやる。」
低く重い、怒りを孕んだその声がアシュロンへ届いたのかは判らない。しかしそんな事はどうでも良いとばかりにロイマンは三本目の矢を引き絞る。
「きぃさぁまあぁぁぁ!!!」
アシュロンは怒りの声を上げロイマン目掛けて正面の口を開いた。その中に炎の影が見え、左右の顔が横目に睨み付けロイマンに狙いを定めた。
だがそんな事は関係無いとばかりに『ヒュッ!』と風を切る音と共に矢が放たれ、開いた口の喉奥を的確に射抜いたのだ。
「ガッ…!ガアァァ…!!」
脳幹まで届いたのではないかと言う程に深く刺さった矢は一瞬アシュロンを怯ませたものの、しかし怒りの為せる業なのか、その喉奥からは樹上のロイマン目掛けて一直線に炎が吐き出された。
「させないよ!」
アスティアがその正面に躍り出ると激しい羽ばたきが炎を押し返し、アシュロンの顔面を焼くと同時に切り裂いて行く。
「ナイスだ、アスティア!」
アシュロンの悲鳴が木霊する中、カタリナがグッと拳を握り締めたその時だった。
『パンッ!』と、まるで何かが弾けたような音と共にアスティアの全身から霧のように血が噴き出し、背中の羽根が霧散したかと思うとその身体は力なく落下を始めたのだ。
「アスティア!?」
驚くと共にカタリナは慌てて地面を蹴り、アスティアの身体を受け止め抱き抱える。
だが上手く受け止め着地しようとしたその二人にアシュロンの2本の腕が襲い掛かり、その手の中に挟まれるとギリギリとその身を締め上げ始めた。
「グッ…ミ、ミコト…!頼んだ…!」
「はいっ!」
カタリナの声に命は頷くと、両腕を長く鋭利な刃物へと変化させ、燃え盛るアシュロンの顔目掛けて飛び掛かる。襲い来るアシュロンの腕を足蹴にし躱すと、太い首目掛けて両腕を交差させるように振り抜いた。
「ッカッ…!」
一言、その口から息か声か判らぬ音が漏れると、アシュロンの首筋に横一閃の赤い筋が浮かび、次の瞬間赤茶色く濁った血が噴き出したかと思うと頭部は胴体と別れゴロリと転がった。
カタリナ達を締め上げる手の力が徐々に抜けて行き、それをこじ開け中から出て来たカタリナは腕の中のアスティアを見る。
「アスティア!しっかりしろ!アスティア!」
「うぅ…カ…カタリナ…あぅっ…!」
全身の筋繊維が断裂したかのように全身に激痛が走り身体の自由が利かない。櫻から与えられた精気の効果が切れ、肉体が過剰なパワーにより反動で破壊されたのだ。
「カタリナ、お嬢様をご主人様の元へ!」
「あ、あぁ、そうだな!」
カタリナはアスティアを胸に抱き上げると急いで櫻の元へと走る。櫻はもうもうと煙が立ち昇る焼け跡に半壊の身体のままで横たわっていた。
「お嬢!くっ…こっちも精気切れか!アスティア、先ずお嬢の血を飲んじまいな!」
カタリナは動く事の出来ないアスティアの口を櫻の首元へと運んだ。
(魔物を使役する法の研究として生かしておいたが、結局出来たのは魔物の力には遠く及ばない蟲の群れか…。あの偽神の始末も出来ずヴァンパイアの確保も失敗とは、とんだ役立たずめ。しかし私の物をあのような下等な蟲の孕み袋にしようなどと言う愚か者には相応しい末路では有ったな…。)
闇の中から戦いの一部始終を見つめていた影は苦々しく舌打ちをすると、その光景に背を向け闇の中へと姿を消した。
(う…この味…あぁ…アスティアの母乳か…あぁ、凄く安心する…身体に力が満ちるのが解る…。)
「うっ…!」
意識を取り戻した櫻に全身の痛みが蘇り、ぼんやりとした思考が一気に覚醒する。そして気付く、普段との体勢の違い。
今までであればアスティアに赤子のように抱き抱えられ胸に口を付けていた筈であったが、目を見開いたその状況は互いに身体を横たえ、カタリナと命によって支えられながら血にまみれたアスティアの乳首に吸い付くという様であったのだ。
修復の終わっていない部位からの激痛が脳に流れ込み続け、このままではまた意識を失い兼ねないと、ソーマによって体内に漲るエネルギーを身体の再生に回し一気に回復させ、掌を地面に付け身を起こす。
「あ…サ、サクラ様…良かった…。」
弱々しいアスティアの声が、それでも櫻の回復を喜んだ。
「アスティア、一体どうしたんだい!?」
慌て、アスティアを抱き上げる櫻。その様子に今までアスティアを支えていたカタリナが呆れたように状況を語る。
「お嬢の精気で身体がボロボロになっちまったんだよ。」
「何だって!?なら何で…。」
「何でお嬢の血を飲まないのか…って思うだろ?この子、『お嬢の許しが無いまま血を飲むのは絶対に嫌だ』って言って聞かなくてさ。」
やれやれと首を振って見せると、鼻で溜め息を吐いた。
「そうだったのか…全く…。」
櫻は困ったようにアスティアを見つめると、自らの首筋にアスティアの唇を導き、慈しむように抱き締めた。
「アスティア、有り難う。好きなだけ飲んで良いんだよ。」
「うん…いただきます…。」
遠慮がちに、それでも前戯無くブツリと音を立て櫻の首筋に牙が突き刺さる。一瞬櫻の表情が歪みはしたものの、それは直ぐに愛しい子を見るような眼差しへと変わり、自らの血液を吸い上げる姿を見つめた。
アスティアの髪を撫でながら周囲に目を向けると、火の勢いこそ昨夜の雨で湿った地面のお陰か弱まっているものの、未だに森は燃え続けていた。
(このままでも自然に消えそうではあるが、一体どれ程の森が失われるか判ったもんじゃない…何とか消火する事は出来ないか…!)
天を仰ぐと木々に覆われていた天井はすっかり焼け落ち薄曇りの空が見える。
(せめて雨が降ってくれれば…くそっ、こんな時、水の主精霊と契約出来て居れば…いや、まてよ?)
「アスティア、疲れている処を済まないが、もう一仕事手伝ってくれないかい?」
「んぅ?うん。」
未だ本調子では無いものの体調の回復したアスティアは、首筋に噛み付いたまま小さく頷いた。
「お嬢、何をする気だい?」
「雨を降らせる事は出来ないかと思ってね。まぁ上手く行くかどうかは何とも言えんが、このまま手をこまねいている場合じゃないからね。」
そう言ってアスティアの背中をぽんぽんと叩くと、アスティアもそれを受けて首筋から牙を抜く。
「アスティア、あたしを抱えて町の上辺りまで行ってくれないかい?」
「え?うん。分かった。」
何をするか深くは聞かず、アスティアは素直に頷くと櫻を抱き抱え空へ舞う。4枚の羽根は力強く羽ばたくと瞬く間に町の上空へと到着した。
櫻は町を中心にし燃え盛る森に目を向けると、次に視線を西へ向けた。
「アスティア、多分あたしはまた意識を失うと思う。」
「えっ!?何をする気なの!?」
「ははっ、ちょっとね…それでね、今日はもう飲み尽くしちまったからさ。…また明日、おっぱい飲ませておくれ。」
「…うん、分かった!」
アスティアの元気な返事に櫻も微笑みを浮かべる。そして町の西に広がる大きな湖へ向け、両手を翳した。
体内を巡る風の精気を練り上げ、イメージを固める。それは巨大な竜巻だ。そしてそのイメージの通りに湖の中心辺りから風が巻き起こったかと思うと、それは湖の水を吸い上げるように巻き上げ始めた。
自然現象では有り得ない、一か所に留まり水を吸い上げるソレは上空で角度を変えると森へ向けて延び始めたではないか。
余りの異常な現象に町の人々が空を仰ぎ指を差す。地上からは様々な声が上がるが、それは竜巻の轟音に掻き消された。
町を跨ぐように竜巻の橋が出来上がると、その先から湖の水が土砂降りの雨のように撒き散らされる。それは燃え盛る森の木々へと降り注ぎ、『ジュウゥジュウゥ』と激しい音を立て炎を鎮火して行ったのだった。
どれ程の時間が経ったのか、湖の水が底を付こうかと言う頃に、やっと森を焼く炎は姿を消した。
森の中ではずぶ濡れになりながらも空を見上げるカタリナ、命、そしてロイマンの姿。更には木々の隙間から同様に空を見上げる獣達も見える。
(良かった…何とか間に合った…か…。)
その様子を目にした櫻の全身から力が抜け、竜巻が消えると同時にその意識は再び闇の中へと沈んで行った。