ロイマン
「さてと…。」
荷車の前まで来て空を見上げる。時刻は夕方のようだが薄黒い雲がかかり、辺りは既に暗くなり始めていた。
「嫌な空だねぇ。取り敢えず宿を探すとしようか。」
櫻が荷車に乗り込むとアスティアと命がそれに続き、全員が乗り込んだのを確認してからカタリナが御者席に着く。
しかしその様子を遠巻きに見てヒソヒソと話す人々の姿は未だにポツポツと見受けられ、カタリナは苦々しい表情を浮かべた。
それなりに大きな町だ。噂が広まるにも時間は掛かる…そう信じ、目に付いた宿に立ち寄ってみる。しかし悪い噂というのは驚く程に伝播が早いもので、櫻達の特徴を見た宿の店主達は其々対応こそ違うものの結果として宿泊を拒否される事となってしまった。
「参ったねこりゃ。」
荷車の中、アスティアの胸に頬を寄せ凭れ掛かり溜め息を吐く櫻。アスティアはそんな櫻を抱き締め、よしよしと頭を撫でる。
「済みません、私のせいでご主人様にご迷惑を…。」
肩を縮め俯く命。
「何言ってんだい。命は何も悪い事なんてしてないだろう?あのアシュロンとか言う男が勝手な言い掛かりをつけて来たのがそもそもの原因だ、気に病むんじゃないよ。」
「ですが、私の身体…。」
「それ以上言うんじゃないよ。命、どんな生まれだろうとどんな身体だろうと、お前さんは心と意思を持ってあたし達と言葉を交わせる『人』だ。あたしが保証するよ。」
強く優しい眼差しが命の瞳をジッと見据える。
「はい、有り難うございます。」
櫻の言葉を受けて命は少しばかり眉尻を下げながらも微笑みを浮かべた。
「そうそう、お嬢の御墨付が出たんだからそれ以上そんな事で悩む必要は無いって。それより先ずは今晩どうするか考えようぜ?」
御者席のカタリナが空を見上げて言う。するとその顔にポツリと水滴が降りて来た。そしてポツ…ポツ…と幌を打つ音が聞こえて来たかと思うと、その間隔は徐々に早くなって来る。
「あ~、やっぱり降って来ちまったか…どうする?お嬢。」
命が外套を取り出し差し出すと、カタリナはそれを受け取り羽織った。
「そうだねぇ…町の中でテントを張るってのも何だし、ホーンスを雨に打たせておくのも忍びない。一旦町を出て何処か雨を凌げるような場所を探すしか無いか?」
「もう暗くなるからな…今から町の外で休める場所を探すのは難しいかもしれない。食料の買い足しも出来てないし…全く、あのアシュロンとか言うヤツのせいで踏んだり蹴ったりだ。」
ムッと下唇を突き出すようにしてカタリナが不機嫌に吐き捨てる。
「…そのアシュロンだが…町の東の森に研究所が在るという話だったね。魔法使いというのはどうにもあたしには印象が悪くてね。勿論人の役に立つ研究成果を残した者も居るというのは知っているが、奴は何か胡散臭い。調べた方が良い気がするんだ。」
「『観た』のかい?」
「いや、これは勘だ。あたしは肉体の一部でも視認出来れば読む事は出来るが、あの男はその隙が無かったからね…だからこそ直接研究所に行って何をしているのか確認してみたいのさ。」
「成程ね。それに森の中に入れば木の下で多少雨を凌ぐ事も出来るって訳だ。」
「そういう事。」
櫻の案に従い町の東へ向かう事を決め、カタリナが手綱を鳴らそうとしたその時であった。
「お前達、東の森へ行くつもりか?」
荷車の後ろ、幌に遮られくぐもった男の声が低く静かに聞こえた。
「誰だい?」
櫻は姿を確認する事無く言葉を返す。するとその声の主は濡れた石畳の上を殆ど足音も立てず静かに歩き、荷車の正面側、カタリナの横へと姿を現した。外套を羽織りフードを目深に被ったその姿にカタリナは警戒する。
「突然済まない。俺はロイマンと言う。済まないがギルドから尾行させて貰っていた。」
そう言ってフードを捲って見せたその人物は、金色の髪をオールバックに上げたエメラルドグリーンの美しい瞳をしたエルフの男であった。
「…ギルドから…ずっと?」
全くその気配に気付けなかったカタリナはその男に警戒心を強める。
「安心してくれ。別に危害を加えるつもりは無い。お前達、今晩泊まる所が無いのだろう?良ければ俺の家に来ると良い。」
「…その申し出は有り難いが、何か裏が有るんじゃないかと疑われるのは当然解るよね?」
カタリナは口調こそ軽いものの、何時でも戦闘態勢に移れるようにと、全身に緊張感が走っていた。
「ふふ、そう身構えないでくれ。ちょっとした話し相手が欲しかっただけさ。…今は一人暮らしなもんでね…。」
少し寂しそうに微笑むロイマンという男に、カタリナは櫻をちらりと見るとそれを受けて櫻も小さく頷く。
「…判った。その厚意に甘えさせて貰うとするよ。ここに座ってくれ。案内を頼むよ。」
カタリナが隣の席をポンポンと叩くと、ロイマンは頷き静かに席に着いた。その隣に居る筈の男の気配の薄さに、カタリナは背中にジワリと汗を浮かべるのだった。
ロイマンの案内で到着したその家は、ほぼ町の端と言った場所に位置し、今は塀で区切られているものの、ほんの目の前が森の入り口という立地であった。
周囲に家屋も少なく土地に余裕が有るのか、その家は煉瓦造りの住居スペースとは別に何やら作業小屋のような木造の建物が併設されており内部で繋がっている様子。そしてその小屋の中へと荷車を誘導されると、ホーンスは濡れた身体をブルブルと震わせ水を弾いた。
「よっと。」
荷車の上から飛び降りる櫻を先頭にアスティア達も小屋の中へ降り立ちその内部に目を向ける。するとその壁には大小様々な弓が掛けられ、中には金属製の物々しい物まで在る。棚のように積み上げられた横長の木箱には恐らく種類別で分けられているのであろう矢が大量に入っていた。
「アンタ、狩人かい。」
「あぁ。狩猟ギルドに所属している。」
そう言ってロイマンが外套を脱ぐと、その下からは弓を引き続けた年月を思わせる逞しい身体が姿を現した。身長はカタリナと同じ程度だが肩幅がまるで違う。
「あの気配の消し方は熟練の狩人の業って訳だ…。」
参ったという風にカタリナが小さく首を振る。
「フッ…お前達、腹が減っているだろう。こっちに来い。」
ロイマンが一枚の扉を開けると、その向こうには居住スペースである煉瓦造りの内装が見えた。
「それは有り難いんだが、お前さん、あたしらに何か話が有るんじゃないのかい?」
櫻の言葉にロイマンは一瞬動きを止めた。しかし
「…それは食事の後で良いだろう。飯は美味い方が良いに決まってるからな。」
振り向く事もせずそう言うと、彼はツカツカと奥へ入って行った。
(飯が不味くなる話…って訳だ。)
櫻達は大人しくその後を付いて行くしか無かった。
そこそこ広い部屋へと通されると、椅子は無く床には獣の毛皮を繋ぎ合わせて造られた敷物の上に背の低いテーブルが置かれている。そんな光景にアスティアがポカンとした顔を見せると、櫻が先に進み床に腰を下ろした。
「へぇ、悪く無いねぇ。ほら、アスティアもこっちにおいで。」
横をポンポンと叩いて見せると、アスティアもおずおずとその場へ座り、カタリナと命も顔を見合わせ傍へと腰を下ろす。
するとそこへロイマンが姿を見せた。手には大量の肉の乗った大皿とスープの入った鍋を其々に持ち、腕の筋肉が隆々と存在感を誇示していた。
「今日獲ったバーの肉と、その骨から取ったスープだ。」
「おっほぅ、バーの肉なんて久しぶりだ!コイツは肉が硬いのが玉に瑕だけど噛み締めると旨味が滲み出て来て最高なんだよねぇ。」
目の前に出された肉の山にカタリナは舌なめずりをして目を輝かせた。そして言うが早いか早速手を出し口の中へ放り込むと、丹念に味わうように瞳を閉じて味覚に神経を集中させ噛み締める。
「うん、こりゃ美味い。仕留めた後の仕事が良いのか臭みも無いね。ほら、お嬢も食ってみなよ。」
先程まで見せていた警戒心は何処へやら、食事に夢中になるカタリナに櫻は呆れた表情を浮かべながら目の前の肉に手を伸ばした。
パクリと口に含んでみるとそれは確かに硬いものの噛み切れないようなものでは無く、それ処か一度繊維を噛み崩してしまえば面白い程簡単に口の中で解け、表面をしっかりと焼いてある事で内部に閉じ込められていた肉汁が旨味となって溢れ出る。恐らく味付けは塩を振っただけと思われるのだが、そのシンプルさが一段と味を引き立てている。
(お…!これは確かに…!)
口の中に肉を残しながらも続いてスープを啜ると、骨から出た出汁が軽いとろみを付けたコクの有る味わいで肉との調和が取れる。
ガツガツと食べる櫻とカタリナを見てロイマンもテーブルの向かいに座る。しかし食事に手を出さず櫻の横に控えるだけの二人、アスティアと命に疑問の目を向けた。
「お前達は食わないのか?」
狩人の鋭い目付きが獲物を吟味するように見据えると、アスティアは思わずビクリと肩を震わせ背筋が伸びる。
「あぁ、この二人はちょいと訳ありでね。普通の食事はしないんだ。折角用意してくれたのに済まないね。」
一息ついた櫻がそう言うと、ロイマンの眉がピクリと動いた。
「『普通の食事』は…か。…ではその『普通ではない食事』と言うのは…『人の肉』か?」
その重い声に食事を続けていたカタリナの手も止まる。
「…何が言いたい?」
刺すようなロイマンの視線、しかしそれにも負けない程に櫻の目が睨み付けると、ロイマンはフッと笑みを零した。
「少し話をしよう。昔話と言うにはまだ記憶に浅い話だ。」
そうして切り出したロイマンの話、それはギルドで番兵から聞いた話の詳細であった。
「俺には歳の離れた妹が居てな…シーラと言うんだが、生まれて直ぐに両親が死に、俺にとってこの町で唯一の肉親だ。二人でこの家で暮らしていた。」
ロイマンと同じ金色の髪とエメラルドグリーンの瞳が美しく、兄を『お兄ちゃん』と呼び慕う、目に入れても痛く無い程の妹。
裕福では無かったが二人で協力し合い慎ましい幸せを享受していた。
ロイマンは狩猟ギルド所属の狩人として必要なだけの猟をし日々の糧を稼ぎ、シーラは家の事を任され家事に勤しんでいたと言う。
しかし近年、町周辺で獣の数が減少し狩猟ギルドとしての仕事が激減してしまっていた。その為ロイマンの稼ぎは少なくなり、薪の調達に割く予算の捻出が難しくなっていた。
「俺は獲物を探して森に深く入るようになって、家を空ける時間も長くなっていてな。そしてその間、シーラは一人この家で留守番をしていた…そう思っていた。」
テーブルの下でロイマンの拳が強く握り締められる。
元々そこまで活動的ではない、家庭的で大人しい娘だったシーラ。しかし兄が日々汗水を垂らし得て来る日銭を少しでも節約したいと思った彼女は、薪の調達の為に森の中へと踏み入っていたのだ。
そうしたある日。ロイマンは夕方遅くに仕留めた獲物を持って家の作業場へと戻った。すると、普段は閉じている筈の家との間の扉が開きっぱなしになっている事に気付いた。
自分かシーラが閉め忘れたのか…そう思い扉へ近付くと、その向こう側に倒れたシーラの姿を見つけ、ロイマンは慌てて駆け寄った。
その姿は衣服をボロボロに切り裂かれ、顔を始めとした身体中に痣や擦り傷を作り、痛々しい流血の跡はまるで暴漢に襲われたかのような有様だった。
意識を失っていたシーラを抱き上げるとロイマンは急いで医者の元へと走った。するとその途中、シーラはほんの僅かな時間意識を取り戻しこう言った。
『森の中で魔物に襲われた…』と。
しかしロイマンはその言葉を信じなかった。魔物に襲われ、か弱いシーラが無事な訳は無いと、暴漢に襲われた事実を認めたくないが故の現実逃避を自身に言い聞かせているのだろうと思ったのだ。
再び意識を失ったシーラを病院まで運ぶと、その様子に医者達も慌てて手当の準備を始めた。大きな病院だ、きっと直ぐに適切な処置を施して助けてくれる。そう信じ祈るように椅子に着いたその時だった。
『ァグゥオォアァァ…!!』
獣のような咆哮を上げシーラの身体がビクビクと痙攣を始めたかと思うと、その身は見る間に巨大な異形の姿へと変貌を遂げ、その内から瘴気が漏れ出ているのが見えた。
三階建ての病院の天井を二階までも突き破り立ち上がったその巨体は、パニックになった人々を襲うと…手当たり次第に食べ始めたのだ。
まるで酷い空腹を満たすかのように頭から口に放り込み、噛み砕くバリバリとした音がハッキリと聞こえ、それを飲み下すとみるみる腹部が膨れて行く。
ロイマンは目の前の光景が理解出来なかった。いや、理解したく無かった。
崩れる病院の建物の中で彼方此方から悲鳴が響き、目の前に最愛の妹の手が伸びて来た。
まるで現実感の無い中で、それでも『妹に食われるならそれも良いか』と、諦めにも似た微笑みを向けた時だった。
「お…にぃ…。」
確かにそう聞こえたのだ。そして本能に抗うかのように伸ばした手を引っ込めると、何かに耐えるように拳を握った。
だがその直後、再び獣の咆哮を上げたソレは建物を易々と崩しながら外へと飛び出してしまった。そして周囲を行き交う人々すらも手に掛け、町の中は戦場と化した。
その時なのだ、あの男…アシュロンが現れたのは。