自主性
「コイツ!えいっ!」
既に動く事の無い魔獣の身体に小突くように爪先で蹴りを入れると、アスティアが小走りに櫻の元へと駆け寄って来た。
「サクラ様!来るのが遅くなってゴメンね!」
命に支えられ立つ櫻に正面から抱き着くと、無事を確かめるようにその頬に頬擦りをする。櫻もそんなアスティアを両腕で抱き締めると背中をポンポンと叩いた。
「あぁ、いや。十分に間に合ったさ。あのままだったらあたしはただ食われただけで獲物に逃げられてしまってたかもしれないしね。」
「まったく、お嬢は良く食われるねぇ。」
変態を解いたカタリナも頭をポリポリと掻きながら櫻の元へと歩み寄る。
「それにしても、まさか魔獣が2体居たとはね。」
カタリナはチラリと、櫻から取り外され地面に転がる一対の魔獣の足に目を向けた。
「あぁ。あたしも油断してたよ。いくら魔獣が強大な力を持っていたとしたって、最低でも5人居たハンター達がここまで無惨に殺される相手には思えなかった。これは想定しておくべきだったね…。」
「まぁ油断も仕方ないさ。本来魔物なんてそうそう出会うモンじゃない。一度に2体、ましてや番の魔獣なんて想定してないさ。」
「…番?」
カタリナの言葉に櫻は驚いたように目を丸くした。
「あぁ。足を見てみなよ。お嬢にくっついてたのは足首の周りに鱗状の硬い羽根が生え揃ってるだろう?コレは雄のグイルィの特徴さ。んでそこで転がってる方にはそれが無い。」
言われてその部分を見てみる。パッと見では地球の鳥の足と同じように地肌が剥き出しのように見えたその部分には、確かにカタリナが言う通り肌と同じような色の鱗のようなものが生え揃っていた。
「成程、良く見てるねぇ。だけどどうして番だと?」
「グイルィは主に雄が狩りをするんだけど、子育て期間中は番の雌も後方に控えて補佐をして効率的な狩りをするんだ。そうした方が結果として巣を空ける時間が短く済むからね。お嬢が襲われていたタイミングからして、そういう事なんだろうって事さ。」
(そうか、あの落ちて来た男…巣に持ち帰られそうになっていた時にでも抵抗して落下したのかもしれないね。)
「…と言う事は、今このグイルィ達の巣には親の帰りを待っている雛達が居るのか…。」
櫻の表情が曇る。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。魔獣になった獣は食欲を満たす為なら自分の子供だって平気で食っちまうからね。そういう時期に魔物化したせいで、子供を失ってからも番での狩猟本能が残り続けていただけかもしれないよ。」
「そんな…親が子供を食べちゃうなんて…。」
アスティアの悲し気な声に、櫻は頭を撫で慰める。
自然の中ではそう珍しい事でも無い子殺しだが、最後まで両親に大事にされたアスティアにとってその現実は悲しいものであった。
「…まぁそれより問題なのは、番2匹が同時に魔物になったって事だね。瘴気が漏れ出る量が増えていると言う事だから、恐らく一つの『穴』からまとめて出て来た瘴気に一度に取り憑かれたんだろう。全く…何が原因かは解らないけど厄介な事だね。」
そう言って櫻は魔獣の死体に目を向けると、慰めるようにアスティアの鼻の頭に優しく口付けをしてから引き離す。そうしてアスティアの両肩に手を添えるとその愛らしい金色の瞳を見つめた。
「それより良くあのタイミングで助けに来てくれたね。本当に助かったけど、どうしてあたしの危機が判ったんだい?」
「うん、あのね、何だか突然嫌な胸騒ぎがして、そしたらこの辺が熱くなって来て…。」
そう言ってアスティアは自身の下腹部を摩るように両手を添えた。
「コレって『あの時』と同じだって直ぐ解ったんだ。だから今度は絶対に助けるんだって。」
「そうそう、突然アスティアが『お嬢が危ない!』って言い出してさ。水筒の中身を飲み干して一人で飛び出そうとしたもんだからアタイらも一緒に引き上げて貰ったんだよ。」
「『あの時』?」
アスティアの言葉にカタリナが頷いて見せるその様子に、今一主語がハッキリとせず櫻は首を傾げた。
「あぁ…お嬢にはあの時の事を詳しく話した事が無かったっけ?ほら、ウィンディア・ダウでさ…。」
そうして風の精霊殿で起きたあの晩の出来事を聞いた櫻は、驚きの表情を浮かべながらもアスティアとの繋がりに自然と笑顔が浮かぶのだった。
その時、櫻の身体から淡い光の玉のようなものが3つ、ふわりと抜け出たかと思うと、それらはゆっくりと静かに空へと上がって行く。
「あ…これって…。」
アスティアがそれらを見上げると、櫻は小さく頷いて見せた。
『神様、感謝します…。』
先程までの荒ぶる感情は微塵も無い穏やかな声が櫻の耳に届く。
「ふふ…あたし一人じゃ結局何も出来なかったが…せめてもの役割は果たせたと言った処かね。」
櫻はそう呟き、天へと昇る魂達を眩しく見上げるのだった。
崖の下、荷車の元へ戻った櫻達。ホーンスと共に道端の草をもそもそと食べていたケセランもその姿を確認すると櫻の頭へピョコンと飛び乗り、もさりと身を沈めた。
「さて…思いがけず食糧は手に入ったけど、問題はこの連中だねぇ。」
未だに荷車の陰に街道から隠すように並べられたままのハンターパーティー達の亡骸に目を向け、櫻は小さく溜め息を吐く。
「この荷車じゃ流石にこれだけの人数を乗せるのは無理が有るけど、この地形じゃ隠しておくような場所も無さそうだし、どうしたもんかね?」
周囲を見回す櫻であったが、その言葉通り両側に聳える崖が続く以外には視界を遮る物の無い街道だ。
「隊商位の規模なら運べるんだろうけど、流石にこの有様の遺体を乗せてくれとは頼めないしね。」
グイルィの死体の解体をしながらカタリナがチラリとそれらに視線を向ける。腸を貪られぽっかりと開いた腹腔とグチャグチャに潰れた顔は、いかに魔物が存在し危険と隣り合わせの世界であっても戦いと無縁の人々にとっては目を覆いたくなる惨状であった。
「まぁこういう場合は穴を掘ってその中に遺体を入れて、少し土を被せてからその上に掘り返し防止用の何か蓋になる物を置くのが良いね。ほら、あそこにある岩なんか丁度良いんじゃないか?」
カタリナが手にした解体用ナイフでピッと街道を挟んだ反対側を指して見せると、そこには荷車と同じ位の大きさの岩が二つ並んでいた。恐らく随分前に崖が崩れて落ちて来た物なのだろう。表面には薄っすらと苔が生えているのも見て取れる。
「成程…それなら話は早い。早速穴を掘ってしまうとしようか。」
「ご主人様、それでしたら私が。」
そう言うと命の両腕の肘から先が形を変え、手の先がスコップ状へと変化すると崖際の地面をザクザクと掘り始めた。草が根を延ばせるとは言っても自然の中で落ち着いた地面は硬い。しかしその速度は驚く程で、その光景を眺める櫻とアスティアの前でみるみる穴が広がり5人が横並びになっても余裕の広さの穴が出来上がったのだった。
命の自発的な行動に成長を感じ、櫻は満足気に小さく頷くと
「さて、それじゃあたしはこの連中を運んでやるとするか。」
とノースリーブなうえに既に生地部分も殆ど失われたボロのワンピース姿で袖まくりのような仕草をして両手を横たわる亡骸達に翳し、包み込むような優しい風を巻き起こすとそれらはフワリと持ち上がった。
そして引き連れるように穴の傍まで歩くと一人ずつ丁寧にその中へと納めて行く。
「お嬢、風の使い方が上手くなったねぇ。後は戦い方にもっと経験を積めば、あんな目に遭わなくて済んだかもしれないね。」
繊細な風の操作を目の当たりにしてカタリナが感心したように言うと
「いや、さっきの戦いであたしの…というか、この能力の欠点が解ったよ。これからは余程の事が無い限りは一人でやろうとは考えずに皆に協力して貰うとするさ。」
と、懲りたように腰に手を当て首を振って見せた。
「欠点?」
アスティアが首を傾げる。
「あぁ。この能力…恐らくこれから得られるだろう主精霊達の力全てに共通なんだろうが、こういう軽い力なら即座に繰り出す事が出来る。」
そう言って櫻は軽い旋風を起こし、穴の傍に生える草を騒めかせて見せた。
「だけど強大な、それこそ魔物を圧倒出来る程の力を出すとなると、その前に力の錬り込みが必要になるんだ。そうするとその時に大きな隙が出来ちまう。今までは皆が注意を惹いてくれていたからそういう力を振るう事が出来たが、あたし一人ではその僅かな錬り込みの時間が致命的な隙だった…特にさっきのグイルィのような素早い相手には決定的に相性が悪いと痛感したよ。」
人相手の護身術程度であれば元の世界で身に付け身体に染み付いている櫻であっても、相手が人外の化け物ではそれも活かす事は難しい。魔獣の驚異的な運動能力に翻弄された今日の戦いは良い教訓となった。
「そんな訳でね、これからも皆には頼らせて貰うとするよ。」
「うん!いっぱい頼って!」
背中から抱き着くアスティアの元気な声に櫻は安心感を覚え、肩越しにその顔を抱き寄せピトリと頬をくっつける。そんな二人の姿にカタリナと命も微笑みを浮かべるのだった。
「さてと…。」
櫻は荷車の中へ攀じ登ると徐に着ていたボロのワンピースを脱ぎ始めた。そして全裸のままで衣服が詰め込まれた袋の中を漁り出すと、底の方に押し込まれていた、過去の戦いで傷んだ服をポイポイと取り出し始めたではないか。
「サクラ様、何してるの?」
その行動に不思議そうな眼差しを向けながらアスティアが荷車の中を覗き込む。
「あの連中にそのまま土を被せるのは可哀想だろう?それにまた掘り起こす事になるんだから、上に何か掛けてやろうと思ってね。」
「あ、そういう事ならボクのコレも…。」
そう言ってアスティアも荷車の中へ乗り込むと、着ていた櫻とお揃いのワンピースを脱ごうとスカートの裾に手を掛けた。
「いや、無理に服を捨てる必要は無いよ?ボロになったヤツだけで充分だ。」
止める櫻の声に一旦その手をパッと離す。そして
「えへへ…実はこの服、さっき破いちゃったんだ。ほら。」
アスティアは少しバツが悪そうに背中を櫻に向け長い金色の髪を手で寄せて見せると、そこは見事にザックリと裂け、項から続く白い背中が丸見えの状態となっていた。
(あぁ…あたしの為に羽根を出して駆け付けてくれたからか…。)
「それにボク、別に暑いのは平気だから、サクラ様とお揃いじゃないならこの服に拘る必要も無いし。」
そう言うとアスティアは今度は迷い無くスルリとワンピースを脱ぎ、傷んだ服の山の上へと重ねた。
(少し勿体無い気もするが、そう言われちゃ敵わないねぇ。)
カタリナが残念がるだろうと思いながらも櫻の顔には微笑みが浮かぶ。
そうしてアスティアは馴染みの黒いゴスロリ風の服を取り出しそれを頭から被ると、その長い髪を櫻がプレゼントのバレッタでポニーテールに留め、アスティアは笑顔を浮かべ見せ付けるようにクルリと一回りした。
「うん、可愛いね。どんな服装でも似合うけど、やっぱりその格好が一番アスティアらしいかな。」
櫻に褒められ『えへへ…』とはにかむアスティア。
「でもまだ暑いからサクラ様とお揃いに出来ないのが残念かな。」
「ふふ、そこは少し我慢しておくれ。」
そんなやり取りをしながら櫻も風通しの良い服を適当に見繕い着替えを済ませると、アスティアと共にボロの服を抱えて荷車から下り、遺体の上へと優しく被せる。
普段はボロになった服も勿体無いと荷物の底に仕舞い込んでいたカタリナも、その行為に関して口を挿む事はせずに亡骸達に優しい眼差しを向けるのだった。
「なるべく早く迎えを寄越すから、それまでここで待ってておくれ。」
櫻がそう声を掛け、遺体の上へ優しく降り掛けるように土を乗せて行くと、アスティアも倣って土を被せ、その姿は徐々に隠されて行った。そして
「命、済まないがあそこの岩を一つ持って来て、こういう形に加工出来ないか。」
と手振りを使い櫻が空中に形を描いて見せる。
「はい。お任せ下さい。」
二つ返事で頷いて見せた命は表情一つ変えずに巨大な岩を両手で抱え上げると荷車と並ぶ位置に下ろした。その大きさは矢張り幌を含めた荷車とほぼ同等のサイズ。
(血の力も無しにこれだけの物を持ち上げられるというのは流石だねぇ。)
櫻は感心するように腕を組み、うんうんと頷く。
そんな櫻の目の前で命の腕が刃物へと変化すると、指示された通りに岩を切り分け始めた。それは機械のような正確な動きでサクサクと行われ、あっと言う間に出来上がったのは巨大なかまぼこ板のような3枚の長方形の板であった。
その内の一枚に櫻が手を添え全力を込めて持ち上げようとしてみるが、それは当然のようにビクともせず、しかし櫻はそれに満足したように『うん』と頷いた。
「よし、これなら並みの獣には動かす事は出来ないし、大人が数人掛かりで頑張れば持ち上げる事も出来るだろう。蓋にするにも丁度良いし、良い出来だよ。有り難う、命。」
「ありがとうございます。」
櫻に褒められ、命は微笑みを浮かべ深々と頭を下げる。
そうして命の手によってそれらの板は亡骸を隠した穴の上へと蓋をするように並べられ、綺麗に切り出された岩は自然の谷間の中において妙な存在感を放つオブジェのようになったのだった。
一仕事を終え空を見上げると、太陽は既に傾き谷間は大きな影となり、昼間の暑さも嘘のように地面の熱気を含んだ生温い風が通り抜ける。
「さて、遺体の腐敗が進む前に次の町に到着してさっさと迎えに来させたい処ではあるが…。」
「そんなに急いだって大して変わらないさ。今日はもう暗くなる一方だ、ここからもう少し行くと休憩ポイントが在るから今日はそこで休んで行こう。」
荷車の御者席に座ったカタリナが街道の先を顎で指して見せた。
「…そうだね。あたしも体力と栄養を使い果たした感じだし、素直に休ませて貰うとしよう。」
はぁと大きく息を吐き、アスティアの胸に凭れ掛かる櫻。そんな櫻の頭を抱くようにしてアスティアが
「サクラ様、大丈夫?おっぱい飲む?」
と言うと、『ガタッ』と音を立ててカタリナが全力で振り向く。その目は獲物を狙う獣のように見開かれ血走っていた。
「い、いや。流石に今日また魔物と遭遇するような事も無いだろうし、休憩ポイントで食って休めば一晩で回復するだろうさ。大丈夫だよ、アスティア。」
「そう…?欲しくなったらいつでも言ってね?」
危うく胸を出そうとしていたアスティアは残念そうに服を下ろすと、カタリナもガックリと肩を落とし荷車の進む先へ視線を戻すのだった。
「ご主人様の血のように、お嬢様のソーマも水筒へ入れておければ良いのでしょうが…。」
「う~ん、ボクのおっぱい、サクラ様が口を付けて吸った時しか出ないんだよね。絞っても全然出て来ないの、ほら。」
命の言葉にアスティアが服の上から胸を絞るように両手で圧迫して見せるが、服に皺が寄る以外には全く変化が見られない。
「こらこら、女の子がはしたない事をするんじゃないよ…。」
呆れたように窘める櫻にアスティアはペロリと小さく舌を出して肩を竦めた。
「不思議なものですね。…私もご主人様のお役に立てる何かが有れば良いのですが…。」
そう口にした命は、ハッとした表情を見せると何かを思いついたように小さく頷いた。
「命、どうかしたのかい?」
「あ、いいえ。何でもありません。」
そう言う命であったが、その表情は何処か楽しみを見つけたように明るいものであった。