門出
《…ってな感じで、またダンジョンと特殊魔獣に遭遇しちまってねぇ。この世界、ダンジョンってのはそんな無数に在るもんなのかい?》
眠りの中、櫻はファイアリスの世間話の付き合いついでに今回の出来事を話し聞かせていた。
《あらあら、お疲れ様。そうねぇ…『ダンジョン化』している洞窟ならザッと見てみても300個は軽く超えてるわね。その中に貴女達が『特殊魔獣』と呼ぶモノが居るかどうかまでは私の知る処では無いけれど。》
《おいおい、少しは気にかけておくれよ…。》
《うふふ、その惑星の中の事は他の神達に任せてあるからね。信頼してる証拠だと思って頂戴?》
その言葉の軽さに櫻は呆れ、ハハッと乾いた笑いが零れる。
《でも、その話に出て来たダンジョンというのは気になるわね。私も今見てみたけれど、どうも意図的に隠されてたように感じるわ。》
《矢張り、そう思うかい?》
《えぇ。でもそんな事をして利の有る者が居るのかしら…?》
《…正直、考えても解らん。ただ何となく気には留めて置いた方が良いかもしれんね。》
《そうね、一応他の神達にも伝えてはおくわ。ただそんな事を気にするのなんて人類だけだろうから、余り意味は無いかもしれないけどね。》
《そうなのか?まぁ連絡は宜しく頼むよ。》
こうしてダンジョンの話が終わると再び世間話へと話題は移り、夜が明けるまでファイアリスの話に付き合わされる櫻であった。
ほんの少しの薄曇りの朝。窓の縁で囀る小鳥の声に櫻が目を覚ますと、肩に快感を覚え顔を向ける。
そこには櫻の肩に口付けのように唇を当てながら、その中で舐めるようにチロチロと舌を動かすアスティアのいつもの幸せそうな寝顔が有った。
(時々あるコレは無意識なんだろうけど、ひょっとして口付けをしたい衝動の表れなんだろうか…。)
そんな事を考えながら
「アスティア。朝だよ。」
腕に抱き付くアスティアの肩を優しく揺すり囁くと、その瞳がゆっくりと開かれ、櫻の顔を見るアスティアの表情がにっこりと微笑み、櫻も釣られて笑顔が浮かぶ。
(世界に不穏なものは有れど、この笑顔の前には悩み事も吹っ飛ぶねぇ。)
「おひゃよう…サクラ様。」
「あぁ、おはよう。」
口から零れる涎を拭いながらの挨拶に櫻は微笑みを向けた。
こうして二人がベッドから起き上がると、その横にはカタリナが用意しておいた服が。それは昨日の買い出しで購入した新品の服で、シンプルな飾り気の無いノースリーブのワンピースだが、薄い水色が清涼感を醸し出す二人お揃いの物だ。
ペアルックが余程嬉しいのか、アスティアが嬉々として着替えると、そのタイミングを計っていたかのように女将が朝食を持って来た。
「おや、おろしたての服かい?姉妹お揃いで可愛らしいねぇ。」
未だに櫻とアスティアをカタリナの娘だと思っている女将がニコニコとした笑顔で褒めると、流石に善意からの言葉に否定は出来ず櫻とアスティアも少々困りつつ笑顔を返すのだった。
女将が部屋を出て行った後、テーブルに並んだ四人分の食事を前に皆が席へ着く。
「今日で女将の食事も食べ納めかぁ。また暫く野宿飯が続くと思うと腰が重いや。」
そう言いながらガツガツと三人分の食事を口に運ぶカタリナに
「確かにねぇ。だけどカタリナや命が作ってくれる料理だって美味いよ。」
とアスティアから差し出されるフォークを口に含む櫻。
「有り難うございます。ご主人様にもっと満足して頂けるよう精進致します。」
「まぁ褒められるのは悪い気はしないけどさ。やっぱり調理器具の差や時間の掛け方が違うと、どうしてもこの味には及ばないからね。これからの食事に文句は言わないでくれよ?」
「勿論。余程変な食材を入れられない限りはね。」
その言葉に櫻とカタリナが声を揃えて笑うと、命は不思議そうに首を傾げるのだった。
食事を終えると命が食器を厨房へと運び、カタリナはベッドに腰掛け膨れた腹を摩りながら満足そうに天井を仰いで居た。
「カタリナ、済まないが命と一緒に先に荷車に荷物を付けておいてくれないかい?あたしはアスティアに朝食をあげてから行くからさ。」
カタリナの向かいに座るようにベッドに腰掛けた櫻がそう言うと、その目を見たカタリナは何かを察したように頷き
「あぁ、分かった。1鳴きくらいで良いよね?」
とニヤリとして見せた。
「済まないね。約束を破るみたいで。」
「なぁに、アタイにだって分別は有るさ。」
(それに『そういう事』をしているのを想像するのも楽しみ方の一つだしねぇ。)
頬を緩ませつつそう言うと腿をポンと叩いて立ち上がり、部屋の隅へ纏められた荷物を全て担ぎ始めるカタリナ。その二人のやり取りをアスティアは不思議そうに眺めていた。
カタリナが部屋の扉の前に立つと丁度良くガチャリと開き命が姿を現した。
「お、命。丁度良いや、出発準備をするから手伝ってくれないか?」
抱えた荷物を半分程強引に命へ押し付け、カタリナはグイグイと身体で押すようにして部屋を出て行く。それを見届けた櫻はアスティアに目を向けるとニコリと微笑んだ。
「アスティア、こっちにおいで?」
ポンポンと自身の横のスペースを叩いて見せると、アスティアも何かを察したようにパァっと表情を明るくしてそこへ飛び込み、ちょこんと正座のように座ると櫻の目を爛々とした瞳で見つめる。
その期待に満ちた素直な表情に櫻は思わずフフッと笑みが零れると、
「さ、何処から飲みたい?」
と少々意地悪い物言いをした。すると
「えへへ…ここ!」
そう言ったかと思うとアスティアは徐に櫻の身体をベッドへと押し倒し、唇を重ねるとその中でペロリと舌を這わせた。冷たい身体からは想像も付かない程に熱いその感触は、櫻の『タガ』を外してくれる魔力が有るかのようだ。
それを合図に櫻の唇はアスティアを受け入れると、招き入れられた舌がその口腔内を愛おし気に嘗め回す。そして櫻の意識がポワポワと夢見心地になって来た処で、弱った獲物を捕らえるかのようにその舌を絡め捕ると櫻の全身に電流のように激しい快感が駆け巡り、思わずビクビクと身体を震わせた。
そこからはもう主導権はアスティアの物だ。櫻の身体を抱き抱えゴロリと互いに向き合うようにベッドへ横になり、クチュクチュと官能的な水音を立て櫻の舌を舐る。
強烈な快楽物質であるヴァンパイアの唾液を粘膜同士の接触によって刷り込まれた櫻は、トロンとした瞳で目の前の小悪魔的な少女の瞳に魅了され、自然とその手を背中へと回すと身体を密着させるように抱き締めた。
アスティアの手がサワサワと身体を撫でる度に、全身を性感帯にされたかのようにビクビクと反応してしまう。喉の奥から可愛らしい声が漏れ、僅かに残った理性が羞恥を呼び、紅潮した顔が益々熱くなるのが自分でも判る。
(あぁ…そういえば吸血鬼は人間を魅了する能力が有るなんて設定も有ったねぇ…確かにあたしはもうこの娘の虜にされてるのかもしれないね…。)
頭の中ではそんな事を考えつつも、抗う意思等既に無く、最早何方が求めているのか判らない程に快楽に理性が飲み込まれようとした時、『チクリ』と舌に走った僅かな痛みにハッと意識を取り戻すと、口の中に血の味が広がり出した。
その味の出処は勿論櫻の舌だ。
目の前には瞳を閉じ味わうようにコクコクと微かな音を立て喉を動かすアスティアが、頬を紅潮させ幸せそうな表情を浮かべている。
(ふぅ…危ない危ない…。またギリギリの処で留まれたみたいだね。最近のお預けと特殊魔獣討伐の労いのつもりだっただけに、あたしが快楽に飲まれてちゃイカンよ…。)
自制を込めて自らにそう言い聞かせながらも、櫻は瞳を閉じるとアスティアの身体を愛おしくギュッと抱き締めるのだった。
アスティアの食事が終わり、二人はベッドの上で寄り添うように座っていた。
「ごちそうさま。凄く美味しかった。」
コツンと頭を当てると、サラリと美しい金色の髪が櫻の頬を撫でる。
「ふふ、そう言ってくれるのは嬉しいが、いつもあたしの血ばかりで飽きないかい?」
「そんな事は無いよ。今日のサクラ様の血、本当に凄く美味しかったんだよ。嬉しい…。」
子猫のように頬擦りをするアスティアは満足そうな声でそう言った。
「…?どういう意味だい?」
「…えへへ…。」
少しはにかみ、もじもじと肩を揺すりながらアスティアは頬を染め櫻の瞳を見つめた。
アスティアは知っていた。それは誰に教えられたものでも無く、経験から来るものでもない本能のようなもの。
血の味を決めるのは年齢・性別・健康状態等様々であったが、その要因の中には『感情』が在った。喜怒哀楽によって様々に変化するその味わいの中で、一際美味とアスティアが感じるソレは『愛情』。自身を求めてくれる程の愛情だ。
普段から櫻の血からは自身を慈しむ味を感じていたアスティアであったが、先程の血からは格別な『愛』が感じられ、その味を思い出すと小さくペロリと舌を出し唇を舐める。
その艶の有る唇はとても11歳の少女の貌とは思えぬ程の色香を醸し出し、櫻の心臓はドキリと跳ね上がった。
(サクラ様の気持ち、凄く嬉しい…知ってるよって言いたい…けど、サクラ様が言わないならボクは言ってくれるまでそれを待つよ。)
他人の心を知る術を持ちながらも、決してそれを乱用せず他者の意思を尊重する櫻の姿勢に倣い、アスティアは心の中にその想いを抱えた。
「あのね、ボクはサクラ様が大好きだよ。」
瞳を閉じ、互いの頬を摺り寄せる。そしてベッドの上に置かれた櫻の手にアスティアの手が重なると、
「あぁ。あたしもアスティアが大好きだよ。」
と櫻も応えるように指を絡めた。
優しく穏やかなその言葉がどのような意味合いなのか、アスティアは一瞬少し困ったように微笑みを浮かべたが、その言葉を受けガバッと櫻に抱き付くと頬へチュッチュッと数度の口付けをし、そのまま唇へと迫った。
だがその時、部屋の扉を『コンコン』とノックする音が聞こえ、二人は二人だけの世界から現実へと引き戻されると揃って其方へと目を向けた。
「誰だい?」
「アタイだよ。もう良いかい?荷物の積み込みは終わったから、何時でも出発は出来るよ。」
扉の向こうから聞こえた声の主はカタリナだ。その声に櫻はアスティアの顔を窺う。
アスティアは二人きりの時間を邪魔された事が不満なのか、プクリと頬を膨らませていた。
そんな様子に櫻は思わずフフッと笑みが零れると
「あぁ、今行くよ。」
と一言扉へ向け声を掛け自身とアスティアの乱れた服を正す。
すると不意に『チュッ』と唇が触れるだけの可愛らしい口付けを受け、驚く櫻の前にはニコリと微笑むアスティア。櫻もニコリと微笑み返すとその頭を撫で、ベッドから飛び降りた。
宿の裏に在る駐車場。既に荷車にはホーンスも繋がれ、その横にはカタリナと命、そして女将の姿が有った。
「お、来たね。それじゃ女将、世話になったね。」
櫻達の姿を確認したカタリナが女将に別れの挨拶をする。
「なぁに、また来ておくれよ。嫁さんと娘さん達も連れてさ。」
「だから…いや、そうだね。その時はまた宜しく頼むよ。」
(娘さん『達』…か。次に会う時にはきっとあたしは『新しい娘』になってるのかもしれないね。だがまぁ良いさ、また出会って知り合えば良いんだから。)
カタリナと女将のやり取りを、櫻は何処か吹っ切れたように眺めていた。
そして別れの時が訪れる。
「それじゃ女将、達者でな。」
「あぁ、アンタも嫁さんを泣かすような事のないようにね。皆も気を付けて行ってらっしゃい。」
態々大通りまで見送りに来てくれた女将に手を振り、一行はそこから通じる町の出口へと荷車を走らせる。防壁の無い町の出口付近に居る番兵達と手を振り交わし町を抜けると、
「あ、先…カタリナさん、もう町を出るのですね。」
街道から外れた横から聞こえたその声に御者席のカタリナが目を向けると、そこに居たのはセシリアを含むハンターパーティー一行だ。
「あぁ。セシリア達はこれから狩りかい?」
「はい。これから皆さんからパーティーの連携について教わる為に、手頃な相手を探しに行く処です。」
「どうだい?あのパーティーで上手くやって行けそうかい?」
「…正直、未だ男の人達と一緒にやって行けるかは不安ですが、マリーさん…女性の方が親身になってくれますので頑張れると思います。」
未だ少しだけ自信無さ気な声ではあったが、その瞳からは前を向く強さが感じられる。
「そうか。最初は勝手が掴めない事が多いだろうけど、解らない事はちゃんと言葉で伝えて教わって、考えて学ぶんだよ。あと、生命を粗末にするなよ?勝てない相手だと思ったら迷わず逃げて助けを求めて良いんだからね。」
「はい!カタリナさんの教えは決して忘れません!」
セシリアの元気なハキハキとした声は荷車の幌の中までハッキリと通り、その様子に櫻達も微笑みが浮かんだ。
「おーい、早く行くぞー!」
既に距離の離れたパーティーのリーダーがセシリアを呼ぶ声が聞こえた。
「あ、済みません!今行きます!」
「それじゃ、達者でな。」
慌てるセシリアにカタリナは声を掛けると、そのまま手綱をピシッと鳴らし再び走り始める。
「はい!皆さんもお達者で!」
遠ざかる声に振り向く事無く手を振り応えると、櫻達はセンティラキタを背に街道の先を見据えた。目の前に広がる平野の中を街道が延び、その先遥か遠くには古代の森の木々が天高くその存在感を示していた。