使徒
《サクラ…サクラ…お~い、聞こえますか~?》
眠りの中に居た櫻の意識に気の抜けた呼び声が響いて来た。
(この声は…ファイアリスだな…。)
《何だい?あたしは今寝てる筈なんだがね?》
《ふふ、神の肉体に休眠はあっても、魂はいつでもオープンチャンネルよ。それよりどう?その星の人類は。》
《どう?も何も、まだ到着して1日目だ。しかもこの世界を理解する間も無く色々な事に巻き込まれてクタクタだよ…。》
《あらあら、お疲れ様。でもそうやって自分の目で見て頭で考えて身体で世界を感じて、そのうえで自分が正しいと思う事をして人類を導いて欲しいのよ。大丈夫!貴女なら出来るって、私信じてるから!》
《絶大な信頼どうも。そうだ、お前さんに聞こうと思ってたんだがな…。》
櫻は今日1日に起きた出来事をかいつまんで説明すると、血肉を与えた者…使徒…の扱いについて質問をした。
《まぁ、1日で二人も使徒を生み出すなんて凄いわねぇ。この調子なら百人くらいすぐに達成しちゃうんじゃないかしら。》
《勘弁してくれ、百人も引き連れて旅なぞ出来るか。》
《うふふ、冗談よ。それにそんなに人数が居たら維持が大変だものね~。》
何やら不穏な単語を聞いた気がする…。
《維持…?》
《そう、維持。使徒になった者は定期的に主である神の血肉を摂取しないと禁断症状が出てしまうのよ。その症状自体は個体差があってどういうモノになるか断言は出来ないけれど、まぁ例外なく苦しむ系ね。》
余りに簡単に言う物騒な内容に櫻の思考が固まった。
《おまっ…何怖い事サラっと言ってるんだい!?それじゃあたしの身体が麻薬みたいじゃないか!?しかもそんな重要な事を今さら言われたって、もう与えてしまったものはどうすればいいんだい!?》
《それはもう、使徒として付き従って貰うしか無いわよねぇ。それが与えた者の責任であり、受けた者の宿命なのよ。》
《宿命って…いや、確かに与えたあたしに責任がある事は理解したよ。その点に関してはあたしが何とか説得するしかないと諦める。それにしたって何でそんなルールになってるんだい。》
《神の血肉を獲て使徒になるとね、当人達には自覚は無いだろうけれど神の気を受けて様々な恩恵を受ける事が出来るの。人類はそれを加護と呼んだりしているけど。でもその加護だけを目当てに使徒になって、その後に姿を消す者が居ないとも限らないでしょう?》
《要するに逃がさない為のリードって事かい…何だか気分の悪くなるような話だ。》
櫻の声のトーンがあからさまに不機嫌になる。
《まぁその気持ちも解らなくは無いわ。だから使徒を生み出すのは細心の注意を払ったうえで厳選して、自らの意思で使徒になると決めた者だけにするのよ。あとは…そうね、既に2人になってるけど何人が適切か、というのを決めておくと良いわね。》
《あたしは奴隷を作る趣味は無いんだがね…。》
《あら不機嫌。それじゃ当面の間今居る二人との三人旅でもしてみたらどう?その旅の中で貴女が必要とするか、それとも事情を理解したうえで使徒になりたいと言い出す者が居たらその時に考えれば良いじゃない?》
《…はぁ…そうだね。当面は三人旅だ。まったく、あの二人に何て顔で話せばいいんだい…。》
《まだまだ考え方が人間ねぇ。でもそれが良いのよね。貴女は出来ればそのままで居て欲しいものだわ。》
ファイアリスの声が弾む。
《それじゃ、目が覚めたら神様活動頑張ってね~♪》
そう言ってファイアリスの声はフェードアウトして行った。
(結局アイツは何をしたくて声をかけてきたんだ…まぁいいか、使徒について聞こうとしていた事を今済ませる事が出来たのは手間が省けた…胸糞の悪い話ではあったが知る事が出来たのは重要だ。)
そう思うと同時に櫻の意識は再び深い眠りの中へ溶けて行った。
パチリと目が覚める。
見慣れぬ天井を視界に捉え、一度目を閉じ記憶を呼び起こす。
(うん、やっぱり夢じゃないね。)
ふぅと息を吐き顔を横に向けると、そこには櫻に抱き付き可愛らしい寝息を立てるアスティアの姿。体温の変動が無いのか全く暑苦しいという事も無い。
(100年以上も生きているという割りには子供っぽいところが多いねぇ。身体が成長しないと精神も成長しないものなんだろうか?)
そんな事を考えつつアスティアの頬をつんつんと啄く。
ふにふにとした子供特有の柔らかさとハリのある弾力が心地よく、思わず何度も啄いていると、
「う…ん…。あ、サクラ様、おはよう…。」
とアスティアも目を覚ましてしまった。
「あぁ、起こしてしまったか、済まないね。おはよう。」
(ふふ、吸血鬼と同衾して朝の挨拶なんて、アッチの世界の人間に話したら笑い話になるね。)
もう戻る事の無いであろう元の世界の知人達の顔を思い浮かべながら小さく笑う。
櫻のその表情にアスティアは首を傾げるものの、深く追求する事は無かった。
ベッドから二人這い出ると、其々に枕元に畳んであった服を着る。しかし櫻の服は相変わらず首元にベットリとした血の跡が残り、今ひとつ気分の良いものではない。
「アスティア、済まんが昨日お前さんに繕って貰った服をもう一度貸してくれんか?」
「うん。あ、でも折角だから…。」
そう言うとクローゼットの中から裁縫道具を取り出し、本格的に昨日の服の丈を詰め寸法を直し始めた。
その手際は見事なもので、体感にして大体1時間程度だろうか、まるで初めからそのように作られていたかのように櫻にぴったりの服が出来上がった。
「おぉ…これは見事なものだね…。」
袖を通し自らの姿を鏡越しにくるりと確認するが、全くと言って良い程に歪な箇所は見当たらず櫻も満足だ。
(色も黒いし、これなら血液汚れも余り目立たないかもしれないね。これからを考えるとあたしもなるべく黒い服を選ぶべきかもねぇ…。)
自らの血液で汚れた衣服を横目にそんな事を考えながら
「ありがとうアスティア。それじゃ少し遅くなったけど町に出てカタリナを探そうか。」
と、何処か憂鬱気味に話す。
「カタリナさん?それならその内向こうから訪ねて来るんじゃないかな?」
「いや、どうしても早急に話さなければならない事が出来てね…それはお前さんにも関係ある事なんだ。」
「…?うん、解ったよ。それじゃカタリナさんが居そうな場所を当たってみよっか。」
「あぁ、案内を頼むよ。」
こうして櫻とアスティアが屋敷を出ると、町へ到着して直ぐに宿屋、食堂、雑貨店等を巡るもなかなかカタリナを見つける事が出来ない。町の住人に聞いてみても目撃証言は有るものの、何処へ行ったのかはサッパリだ。
「う~ん、何処に行っちゃったんだろう?」
「…そういえば自警団の連中はカタリナの事を『魔物ハンター』と言っていたな?確かギルド?を通して仕事を頼むとか?」
「うん。あ、そうか。ギルドかぁ。ボク、ギルドなんて滅多に行かないからすっかり忘れてたよ。」
そう言ってアスティアはクルリと方向転換をすると、
「こっちの坂の上だよ。」
と指差し先導して歩き出した。
ギルドに向かう途中にも様々な店や民家が立ち並び、人々の営みが見て取れる。
(この町だけでもこれだけの人達が居るんだよねぇ…あたしはこれからどれだけの人間を助ける事が出来るのやら…。)
半ば呆れた顔で空を見上げた。空はそんな悩みなど些細な事かのように青く澄み渡り、白い雲がゆっくりと流れていた。
「あ、見えて来た。あれがギルドだよ。」
アスティアが指差す先にある立派な建物。3メートルはあろうかという煉瓦造りの塀と金属で出来た門、門前には長い棒状の武器…槍のようにも見えるが先端に光るのは西洋の両刃剣のような長い刃物が付いている…を携えた恐らく衛士が二人立っている。そしてその塀越しにでも解る大きな建物がその奥に見えた。
「ほ~、こりゃ立派な建物だねぇ。お前さんの屋敷よりもデカいんじゃないか?」
「それはそうだよ。この町で一番大きい建物だしね。」
そんな事を言いながら門前まで辿り着くと、衛士が声をかけて来た。
「おや、アスティアじゃないか。こんな所に来るなんて珍しいな。」
「こんにちは。あの、人を探してるんだけど…カタリナっていう大きいライカンスロープの女の人来てませんか?」
「あぁ、名前は解らないけどライカンスロープの女なら少し前に来たよ。まだ出て行ったのは見てないから中に居ると思うよ。」
「ありがとう!それじゃ中に入ってもいいかな?」
「あぁ。でもトラブルは起こさないでくれよ?」
「うん、解ってるって。」
全く無警戒にアスティアと、一緒に居る櫻も門の中に通してしまう衛士に櫻は呆れて乾いた笑いを漏らした。
建物の入り口を開けると広がる広いホールと、正面には受け付けと見られるカウンター。両脇には二階への階段が付いており、それを目で追うと更に折り返して三階まで続く事が解る。
ホールの所々にはテーブルと椅子が置いてあり、ギルドに用事の有る人々が順番待ちの休憩や話し合いに使っている様子が見て取れた。
「外から見ただけでも想像は出来ていたけど、中も随分広いねぇ。」
きょろきょろとホールを見回す。
「うん、全部のギルドがこの建物の中に入ってるからね。」
「全部の…?」
「ほら、あそこが受け付けなんだけど…。」
そう言ってアスティアが指差したのは、ホール正面にある受け付けカウンターだ。カウンターの内部まで区切られている訳では無いが、カウンター上には仕切り板が噛まされ其々のスペースに受付嬢と思しき人々が配されている。そしてその上には恐らく担当するギルドの名が書かれているのであろう看板がぶら下がっていた。
(多分何のギルドか書いてあるんだろうけど、全く読めないねぇ…今更外国語の勉強をするのは億劫だが、やらない訳には行かないか…。)
覚悟を決めて鼻で『ふんっ』と息をつく。
「それで、カタリナが行くとしたら何処のギルドなんだい?」
「魔物ハンターなら狩猟ギルドだね。あそこだよ。」
指差し櫻の手を引いて歩き出す。
「すみません、此方にカタリナっていうライカンスロープの女の人来ませんでした?」
微妙に子供っぽい言葉選びのアスティアに受け付けの女性が微笑む。
「あら、アスティア。ギルドに来るなんて珍しいわね。答えたいんだけど、一応その人を尋ねる理由を聞いても良いかしら?」
「え?う~んと…。」
頬を指で掻き視線を泳がせる。
まさか横に居る小さな女の子が用事があるから探していると言っても、今度は櫻が不審に思われるだけだろう。
「あたしら、昨日の魔獣退治を手伝ったもんでね。報酬を分けてもらうって話になってたんだけど、その話を詰めたいのに見つからなくて探してるんだよ。」
見かねた櫻が助け舟を出す。
「あら…小さいのに随分しっかりしたお嬢さんね。」
カウンターから身を乗り出し櫻を見下ろす受付嬢。そのまま視線をアスティアに移すと、それを受けてアスティアはブンブンと首を縦に振って見せた。
「…まぁ、そういう事なら教えてあげるわ。カタリナさんなら丁度今、その魔獣討伐の報酬の話で奥に通されて手続きをしてる最中よ。多分もう少ししたら出てくると思うから、そこで待ってたらいいわ。」
ホールにあるテーブルを指して受付嬢が微笑む。
「うん、分かった。ありがとう。」
アスティアが手を振りカウンターを離れると、受付嬢も手を振り見送る。
「随分フレンドリーだね。」
「この町の人達は小さい頃から知ってる人が殆どだからね。」
そう言いながらアスティアがテーブルの席に着く。
櫻も倣って椅子に座ると床に着かない足をブラブラとさせながら周囲を見回す。
(日本のこういう場所なら自販機くらいあるもんだが…流石にこの文明では望むべくもないか…。いかんなぁ、まだ元の世界を引きずっているとは、あたしも随分と未練たらしいもんだね。)
この世界で神をやる覚悟は決まっていたつもりであったが、意外にも弱い自分の心を笑う。
そんな事を考えながらホールの中を見回していると、そこそこに体毛の色が様々な人々を目にする。
「この世界の人間ってのは随分カラフルなんだねぇ。」
「え?そう?人間の色なんてそんなに種類は無いと思うけど…。」
アスティアが櫻の言葉を不思議に思う。
「いや、だってここから見るだけで金に白に…緑、茶、青に紫、あれなんて虹色じゃないか。」
アスティアと自分を指してから次々に目に付いた色を指差す櫻。
「あぁ、あの人達は人間じゃない他の種族の人達だよ。人間は大抵黒か金くらいしか居ないと思うよ。」
「人間じゃない…?というか、昨日から気になっていたんだが、この世界はあたしの知ってる『人間』と言葉の定義が違う気がするんだがね。少し教えて貰えるかい?」
「…?うん、えっと…あそこの緑の髪の人は多分エルフ族、茶色の髪の人は鳥人族かな、マントをしてるけど背中が盛り上がってて羽根があるのが解るでしょ?」
アスティアが控えめに指差しながら説明をする。
「ちょっと待ってくれ。色んな種族がある事は解った。それじゃ『人間』ってのは何だい?」
「『人間』族っていうのは、ボクの身体の元の種族だね。この町の大半の人は人間族だよ。人類の最初の種族って言われてて、他の色んな種族の元となっていて間を取り持つ者達だから『人間』って呼ばれるようになったっていう話があるんだ。」
「それじゃ『人類の神』の『人類』って言うのは、人間だけじゃなく他の種族も含めてって事なのか…?」
「多分そうなんじゃないかな?昔は人類の神って言えば長命なエルフ族から選ばれる事が多かったって聞いた事があるし、種族は関係無いと思う。」
(長命…そういえば、あたしは不老不死になったらしいが、他の神は普通に寿命があるのか…?)
「…神になるって、何なんだろうねぇ…?」
ポツリと櫻が呟く。
「そんなの、神様が解らなかったらアタイらに解る訳無いじゃないか。」
不意に背後から声が聞こえ、振り向くとそこに居たのはカタリナだ。
「よ。」
「カタリナ…もうギルドの用事は済んだのかい?」
「あぁ、これこの通り、報酬の話は思いの外早くついたよ。」
そう言ってヒラリと羊皮紙のような物を広げて見せる。どうやら何かの契約書のようだ。
「うわぁ、凄い金額だね。魔物ハンターってこんなにお金貰えるんだ!?」
アスティアが驚きの声を上げる。一体どれほどの額が記入されているのか、そもそもこの世界の金銭に関して何も知識が無いので数字を見た所で全く凄さを理解は出来ないだろう。そんな事を考えながらカタリナを見ると、その顔は報酬額に満足しているのかご満悦だ。
「それで?何でも報酬の分け前の話があるとか?」
「あぁ…いや、それも有ると言えば有るんだが、本題はちょっとここではね…。」
「…ははぁん?例の使徒の件か。解った、それならアスティアちゃんの屋敷にでも行こうじゃないか。」
「話が早くて助かるよ。」
そう言うと椅子から飛び降りる。
ギルド正面の門を抜けると
「ちょっと待ちなよ。」
と歩き出した櫻を制するカタリナ。
「ん?どうした?何か忘れ物でもあったかい?」
「いや、昨日も思ってたんだが、お嬢ちゃんの歩幅に合わせると歩みが遅くてね。こうさせてもらうよ。」
その言葉と同時にカタリナの腕が櫻の襟首を掴むと、軽々と持ち上げその肩にひょいと乗せた。
女とは思えないようなガッシリとした肩幅に櫻の小さな尻はすとんと乗っかり、安定感も抜群だ。
「おぉ…あたしとしちゃ助かるが、お前さんは重くないのかい?」
「ははっ、こんな小さな身体、何も乗ってないも同じようなもんさ!」
(それに幼女のぷにぷにお尻の感触が楽しめるんだからこっちが感謝したいくらいだしねぇ♪)
上機嫌のカタリナ。
「そうかい?それじゃまぁ、厚意に甘えさせて貰おうか。」
「ボクだってサクラ様を運ぶくらい出来るんだけど…。」
櫻を取られた事が少し気に入らないのか、アスティアの頬が小さく膨れる。
「何だい?ヤキモチかい?それじゃアスティアちゃんも!」
そう言って姿勢を落とすと、アスティアの膕に腕を回し、そのまま尻に肩を当て一気に持ち上げた。
「わぁ!?」
突然の事に間の抜けた声を上げると、みるみるアスティアの視界が高くなる。
「ちょ、ちょっと!?」
「ははは。これならアタイの歩幅だけでガンガン歩けるってもんだ。屋敷に着くのも早いぞ!」
二人が落ちないように、ガッツポーズのように太ももにガッシリと手を添え固定すると、カタリナは楽しげに小走りに駆け出した。