【エッセイ】のちに大ヒットを飛ばした作家でさえ、デビューを阻まれた話
私はかつてエディトリアルライターでした。
エディトリアルライターというのは、書籍の編集も企画もやって、書くのもやるという何でも屋。出版業界が順風満帆であるのなら、フリーになってもまず食いっぱぐれないという、とてもお得な業種。それゆえに、知人が立ち上げた編集プロダクションに籍を置きつつ、別口で個人としてのフリーの仕事も請け負うといったことが可能で、編プロでの仕事とフリーの仕事の両面から、コネクションはどんどん増えていきました。
私がそんなふうに仕事をしていた頃、日本ではインターネットが一気に広まって個人のウェブサイトが乱立するようになり、なかでもテキストサイトの人気が高まっていきました。
ライター業にちょっとしたプライドがあった私は、冷やかし半分でテキストサイトを眺めていましたが、すぐに態度を改めることになります。文章が稚拙であっても自分にはない着眼点であったり、誰がどう見ても有名大作家の劣化コピー版の文体でありながら、ふざけたテーマばかりを狙って書くせいで妙に魅力的な仕上がりになっていたり。
誰かのパクリと呼ばれないようにオリジナルの文体を模索することに腐心していた私にとって、衝撃的な世界がそこにありました。
そしてある日、そんなテキストサイトの中から、ちょっとエロい妄想日記を売りにしているサイトを見つけます。そのサイト主の文体は飾り気のないシンプルなものでしたが、小説を読み込んできていることを伺わせる豊富な語彙がそこかしこに見られ、文章への圧倒的な愛情を感じさせるものでした。これは只者ではないと思ってアーカイブを読み漁ると、シリアスなホラーものもあれば、看板作品のエロコメ日記風味もありで、守備範囲の広さも尋常ではありません。
私はすっかりそのサイト主のファンになってしまい、更新を心待ちにする愛読者となりました。
そのうちに、これほどの才能を埋もれさせておくのは惜しいという思いがどんどん強くなってきて、あるとき思い切ってサイト主にメールを送り、プロの作家になるという願望はないのかと訊いてみました。サイト主からの返信は「なれるものなら、そうなりたい」という感じだったと思います。
ここで冒頭のコネクションの話です。幸い、私には仕事での付き合いで、出版社の書籍編集者とのつながりがありました。早速その編集者ににサイト主の存在を伝え、ぜひ彼の作品を検討してほしいと知人の編プロにその場を設けました。
サイト主の作品を一読したあと、編集者の判断は、まさかのNOでした。
とんでもない衝撃でした。私もたくさんの小説を読んできて、自分の文体を追い求めるという日々を過ごし、それなりに文章の良し悪しはわかると思っていました。しかし、そんな私が完全に参ってしまったほどの才能があっても、プロの書籍編集者のお眼鏡には適わなかったのです。
さすがにその編集者の実力を疑おうとも思いましたが、その編集者はベストセラー作家を担当した経歴の持ち主です。となるとやはりこれは、私とサイト主の両方の文才が、プロの作家に能わないということなのでしょう。
確かに、ライターに求められる能力と、作家に求められる能力は全然違います。しかしそれでも、自分が読者として受け止めたときに「これは凄い」と魅了されるものであれば、プロの作家としての適性があるのではないかと、私はそう思ったのですが、残念な結果に終わりました。
さてその後、サイト主は紆余曲折を経て、違う出版社から作家としてデビューします。
そして彼とそのスタッフは、シリーズ累計700万部弱を売り上げるという快挙を成し遂げました。
私は未だに、この話をうまく消化できずにいます。編集者にも好みがあっただろうし、時代の潮目だったというのもなくはないなと思います。ひょっとすると、私が引き合わせたタイミングだと、サイト主に決定的な何かが足りていなかったのかも知れません。または、そういったいろいろなものが微妙に噛み合わず、最初のタイミングではデビューに至らなかったのかも。
しかし否定しようがない事実として、サイト主は作家として大成したのです。
ということで、言いたかったことを言います。小説家になりたいみなさん、何度失敗してもくじけないでください。700万部近くを売り上げるシリーズの生みの親でさえ、タイミングが合わなければデビューすらかなわなかった世界なのです。どれほど素晴らしい作品であっても、見過ごされてしまうことがあるでしょう。
とはいえ、売れてナンボの世界なので、時流に合わない、一般受けしないという事情はどうしようもないです。どうしようもないですが、なんかの拍子に劇的に潮目が変わることもあるかも知れません。
文章を愛する心と、自分が作る世界を愛する心がある限り、書き続け、世に送り出し続けましょう。
たとえプロになれなかったとしても、あなたの作品を愛するファンのもとに、作品が届く。それだけで十分に素晴らしいことですしね。
そして、サイト主ほどの才能に恵まれず、この人が作家になれないのなら自分なんか絶対に無理だと思いこんでいた私も、いろいろな物語を読み続けるうちに、自分でも書いてみようという気分になりました。
宣伝も何もしていない私の作品を、誰がどういう経緯で見つけてくれて、どんな意図でブックマークや評価をしてくれているのかさっぱりわかりませんが、ひょっとしたら、好んでくれた人に物語が届いているのかなと想像しています。
そしてその想像は、とても幸せで楽しいです。書いてこそですね。
シリーズ化をというお声をいただきましたので、この手のエッセイをいくつか連載でやることにしました。よろしければお読みください。
10年前らへんの出版業界の思い出話
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