ベエ、ハチゾウ
翌日。
裕太は、とじまりをし、ブレーカーをおろした。
すぐ帰るつもりではあるが、何があるかわからない。もっとも、バイトも大学もいかなくてよいのだから、いつまで滞在しても問題はない。
冷蔵庫の中には、醤油と塩だけ。残っていたパンは昨夜食べてしまった。
がたつくドアを力いっぱいしめて、鍵をおろす。
*
那古屋山のふもとには、閑散とした田舎町が広がっている。
下宿から、電車で3時間。さすがに肩が痛くなる。駅の売店でゆで卵を買って、つまむ。もう昼近いが、食欲はない。曇天国についてから何か食えるだろうか、と考える。わからない。
駅で道をきいて、トンネルの入口へむかう。なんの表示もなく唐突に、フェンスに囲まれた事務所が建っている。看板には小さく、『大那古屋トンネル管理所』とある。
少しためらいながら、守衛に召喚状と学生証をみせる。顔写真をじろじろと見られた後、一人にともなわれて奥の建物へ。
そこは、駅舎のようだった。
紺の制服をきた職員がふたり、奥から出てくる。
「如月裕太さん。間違いないですね」
「はい。」
「召喚状は絶対になくさないで下さい。こちらから持ち込むものは自由ですが、消耗品をのぞいて必ず持ち帰って下さい。現地の物品を持ち帰ることは基本的にできません。その他、細かい注意点は、召喚状に同封したものに書いてある通りです。何か質問はありますか?」
「いえ……」
「では、一時間後に出発となりますので、こちらでお待ち下さい」
そっけない椅子に座らされ、ただ、待つ。
ガイドブックでもあればいいのにな、と思う。もちろん、あるわけがない。
待つ。
やがて、ブザーが鳴る。用意ができたらしい。
私鉄の車両に似た、2両編成の赤い列車。内部も、普通の電車のようだ。中ほどの座席に腰かけて、目を閉じる。
がたん━━がたん━━
電車がゆれる。
裕太は、いつしか眠りについていた。
*
「……ボートは、なんとか直せそうだよ」
ケイは、気遣わしげにそういった。ロガーを滅ぼした自律兵器『グドー』を止めるために、体当たりをせざるを得なかった。内部構造はがたがただが、なんとかワープ高度まであがることはできそうだ。
あとは、気密壁さえ機能すれば━━
「ケイ。私は残ります。」
「なんだって。」
ケイは右手の電子スパナをおいて、けわしい顔でふりむいた。
「リールー、ここは……」
「ロガーは、滅びた。もちろん、わかっています」
リールーはかなしげな目をして、まっすぐにこちらを見つめてきた。
「けれど、私はここに残ります。でなければ、むざんに死んでいった10万人のロガー人たちは、ここに取りのこされてしまう」
「ここにはなにもない。残れば、死ぬだけだ」
「ロガー人はみな死にました。何が違うというのです」
「リールー!」
ケイは大股にあゆみよった。
リールーとむかいあって、言葉をさがす。
いつのまにか、自分のほうが頭ひとつ大きくなっていることに気づく。
旅をはじめたころは、同じ高さだったはずだ。
そして━━
*
がたん、と電車がとまる。
ドアがひらく。アナウンスはない。ともかく、降りる。
そこは、まだトンネルの中であった。うすぐらい赤色灯が小さくコンクリートの壁を照らしている。足元はやけにひんやりとして、氷をふんでいるような気がした。
線路はそこで終わっていた。
大きな車止め、その先は足元の舗装はなく、むきだしの土になっているようだ。壁と天井はかわらずコンクリートで固められているが、照明はまばらになり、先へいくにつれいっそう暗くなっていく。
車止めのむこうに、ふたりの人影がある。その後ろにあるのは、
馬車、だろうか。
裕太は思わず目をこすった。暗くてよくは見えないが、四つの大きな車輪と、そっけない台車、その前に2頭の大きな馬がいるのがはっきりとみえる。屋根はなく、小さな座席がふたつ。
「これは、」
いつのまにか、電車の運転席にのっていた制服姿の男が、背後にたっていた。
「曇天国のものではありません。こちら側で、わざわざつくったものです。電車で乗り付けるわけにはいきませんから。……ここが、国境になります」
がちゃりとドアがあく音がきこえた。みると、右側の壁があいている。隠し戸かと一瞬思ったが、暗くて見えなかっただけのようだ。小さな扉のうえに、「国境管理室」と横書きのプレート。
車止めのむこうにたっていた男たちが、さっと手をあげて敬礼のようなしぐさをした。
そのとき、裕太はやっと気づいた。かれらがベルトで胸にさげているもの。小銃。
「如月裕太さんですね。……召喚状を。」
ドアからでてきた男が、やさしげな声でいった。かれだけは、制服ではなく背広のようなものをきて、胸に名札をつけている。高橋というらしい。
「拝見しました。……失礼、」
ぽんぽん、と裕太の身体の数カ所にふれる。それからもう一度断りをいれて、鞄をあける。着替えとひげそりくらいしか入っていないが、かなり念入りに検分された。
「……それでは。行ってらっしゃい」
高橋が目で合図をすると、銃をもった男のひとりが馬車にのり、座席にすわった。うながされて、裕太もそのとなりにすわる。
それから、ふたたび、長い旅がはじまった。
*
トンネルをぬけると、ぼんやりと白い霞がかった風景が広がっていた。
山肌を覆う大森林が、そのまま平野に広がっているようだ。トンネルのまわり100メートルほどはたいらにならされいるが、建造物は何も見えない。
煙のにおいが鼻をさす。
たばこの煙を少しだけ薄くして甘い香りをつけたような。
曇天国を覆う白い雲が、ここまで降りてきているのか。
そういえば、空は曇っているのに、ふしぎと明るい。雲が光を放っているかのようだ。
馬車がとまる。
切れ長の目をした女が、そこにたっていた。
背は、裕太と同じくらい。年齢は、すこし上だろう。日焼けした肌を、ぞろりとしたトーガのような白い衣装でつつんでいる。足ははだし。腕と脚には、何か模様のようなものがみえる。刺青か。
額には、大きな石飾り。細い鎖をぐるりとまわして、複雑に編みこんだ髪のなかに入れる。編みこみの中からは、曲線模様が描かれた色とりどりの細布がとびだしている。
ぬるりとした黒髪。景の髪ににているな、と裕太は思った。
それから、
目が合った。
くろい目。白目がほとんどないように見える。ぐるぐるぐる、と渦を巻くもよう。ぼんやりとした白い糸がつうっと流れて、星が。
はっと気がつくと、女はいたって普通の、きれいな目をしていた。
足元に床があることを確認する。汗がじっとりと嫌な匂いをはなっている。
「きさらぎ……ゆうた、さん?」
少しなまった声でいわれて、裕太はあわてて馬車をおりた。御者は一礼して、だまって馬車を転回させる。これでお別れということだ。
「はい、」
少しうわずった声で、裕太は返事をする。
「こんにちは。私はベエ。八竜村のベエ。迎えにきましたよ。」目を細めて、頬をくぼめて、そういう。
ぼうっとしていると、女は腰にくくりつけた袋から、ふたつの箱をとりだした。
「昼餉はまだでしょう。」
そういうと、ひとりで道端にすわって箱をあける。
もうひとつの箱は、裕太のぶんということのようだ。
箱の中身は、果物がふたつ。林檎のようだが、きれいな縞もようがついている。ぷんと蜜のようなかおりが食欲をそそる。
そうだ、と思いついて、きいてみる。
「……この煙は、」
「ここは曇天国だもの。」
それで、会話はおわった。裕太はあきらめて、ベエの隣にすわった。
*
うすもやのかかるなか、森のあいだの小路をあるく。
昼すぎに歩きはじめて、もう日は大きく傾くころ。曇天国から太陽はみえないが、夜は普通にくるようで、明るさの変化でそれと知れる。
ベエは、急いでいるようには見えない。しかし、いつのまにかどんどん先をいっている。
裸足の足の裏は、きれいだ。土はついているが、まるで赤子の肌のようだ。
見えないくらい遠くへいってしまうと、立ちどまって待っている。ニ、三回それをくりかえした後、「休みましょうか、」と唇をつりあげて言う。裕太は息を切らしながらただうなずくしかなかった。
━━蒸し暑いな、
と、裕太は一人ごちた。電車に乗るとききていた上着とセーターは、もうとっくに脱いでいる。
「肌着も脱いでしまったら?」
ベエは、くすくす笑いながらうながした。裕太は赤くなって目をそむけた。
年上、と思ったが実は年下かもしれない。そんなことも思う。
森の端をゆくあいだに、いくども虫をみた。
かまきり、蜂、羽蟻、モンシロチョウ。
冬である。少なくとも、東日本ではそのはずだ。
ベエの頭上に、蜜蜂がとまることが何度かあった。裕太は追い払おうとして手をのばしたが、ベエが目で制した。蜂は、ベエの頭を何度かついばむようにしてから、飛んでいった。
「……きみの頭には、花がさいているんじゃないのか。」
皮肉まじりのつもりでそういうと、ベエは、
「あら、お見えになりますか。」
冗談ともつかないこえで、そう受けた。
*
山のあいだの坂道をずんずんと進み、赤いひかりがあたりを覆うころ、ようやく目的地についた。
八竜村。
湖畔につくられた集落だとベエからきいたが、見える範囲に湖はない。森ばかりだ。
見たこともない広葉の大木が、いくつもたちならび、その間をひょろ長い針葉樹が埋めている。
建物は何もない。
いや。
ベエにうながされて、頭上をみる。
建物は、木々の上にあった。
幹のほら穴、枝のあいだをわたした床板、葉と枝と縄で編まれた天井、そこかしこに置かれた、巣箱のような個室。それが、八竜村の人々が住む家であった。
ベエは、自慢そうに、幹にあいた穴のひとつをさして、いった。
「あれが、私のうちよ。……ようこそ、八竜村へ」
*
とんたんたん、とかろやかにベエが階段をのぼっていく。
大樹の幹に、ぐるりと踏み板が打ち込まれただけの、頼りない螺旋階段である。
足をかけると、ぎぃ、ときしむ。
手すりはない。ただ、幹に手をそえて登るだけだ。
おそるおそる登りながら、
(景なら足をかけようともしないだろうな、)
と思う。
下をみるのはさすがに怖いので、足元の揺れにだけ注意して、なるべくベエの背中を見る。
ベエは、ぞろりとした裾の長い衣装を、足先だけでさばきながら、はねるようにかけあがっていく。
ひとりで登るのは心細いので、引き離されないよう必死でついていく。
幹のまわりを、五周と半。
頭がくらくらし始めたころ、ようやく、穴にたどりついた。
入口は、裕太がかがんで通れるくらい。中に入ると、思ったよりずっと広い。
入ると、あかりが目にとびこんできた。部屋のまんなかに、金属の骨組みをくみあわせた台座のようなものがあり、小さな火がともっている。
天井近くには、薄布が張られた窓がふたつ。あかりとりか、換気口か。
うすぐらいのでよくは見えないが、部屋のあちこちに、原色の渦模様で染められた布がかかっている。部屋の奥には、つぎの部屋へつづくらしき穴がふたつ。ドアはない。
「おお、よく来たな」
何もないところから、声。裕太はびくんと背筋をのばした。
と思うと、あかりの届かない闇の中から、白髪頭の老人が、ゆっくりと歩みでてくる。
「遠いところを、ごくろうだったな。ベエとは、すぐに会えたかね」
足が悪いのか、よろよろとすり足のようにして。腰も曲がっているようだ。そうでなければ、裕太より頭ひとつは高いはずだ。
老人、と思ったが、年齢はよくわからない。白ひげに曲がった足腰から老いてみえるが、肌の張りからすると、壮年くらいかもしれない。もっとも、顔色はひどく悪い。
ただ、目だけは、やけにベエに似ている。そう、思った。なぜ、そう感じたのかはよくわからない。どろりと濁ったような、小さな瞳。ベエのきれいではつらつとした目とは、ぜんぜん違うのに。
「せまい家だが、ベエと二人ぐらしだ。まあ、ゆっくりしていくがいい」
「はあ、」
つい、いぶかしげに見てしまう。
「わしは魔術師だ。ハチゾウという。ベエは、まあ、弟子のようなものだな。」
「魔術師。それは……、」
「おや。」
いいかけた裕太の出鼻をくじくように、ハチゾウは手をかざした。
じぃっと、たっぷり十秒ほどもかけて、裕太の目をみる。
「お前さん、自分の目をみたことがあるかね。」
「はあ?」
「いや……大したことではない。だが、お前さん、魔術師の素質があるかもしれないよ。」
はあ、ともう一度。
問わねば、なにもわからぬ。だが、どう問うたものか。
考えあぐねているうち、部屋のすみでごそごそしていたベエが、戻ってきた。
「さあ、お茶が入りましたよ。」
机はない。床の上にじかに、おおきな木椀。
つうんと、香木のように薫る梔子色の茶。




