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ベエ、ハチゾウ

 翌日。


 裕太は、とじまりをし、ブレーカーをおろした。

 すぐ帰るつもりではあるが、何があるかわからない。もっとも、バイトも大学もいかなくてよいのだから、いつまで滞在しても問題はない。

 冷蔵庫の中には、醤油と塩だけ。残っていたパンは昨夜食べてしまった。

 がたつくドアを力いっぱいしめて、鍵をおろす。



 那古屋山のふもとには、閑散とした田舎町が広がっている。

 下宿から、電車で3時間。さすがに肩が痛くなる。駅の売店でゆで卵を買って、つまむ。もう昼近いが、食欲はない。曇天国についてから何か食えるだろうか、と考える。わからない。

 駅で道をきいて、トンネルの入口へむかう。なんの表示もなく唐突に、フェンスに囲まれた事務所が建っている。看板には小さく、『大那古屋トンネル管理所』とある。

 少しためらいながら、守衛に召喚状と学生証をみせる。顔写真をじろじろと見られた後、一人にともなわれて奥の建物へ。

 そこは、駅舎のようだった。

 紺の制服をきた職員がふたり、奥から出てくる。

「如月裕太さん。間違いないですね」

「はい。」

「召喚状は絶対になくさないで下さい。こちらから持ち込むものは自由ですが、消耗品をのぞいて必ず持ち帰って下さい。現地の物品を持ち帰ることは基本的にできません。その他、細かい注意点は、召喚状に同封したものに書いてある通りです。何か質問はありますか?」

「いえ……」

「では、一時間後に出発となりますので、こちらでお待ち下さい」

 そっけない椅子に座らされ、ただ、待つ。

 ガイドブックでもあればいいのにな、と思う。もちろん、あるわけがない。


 待つ。


 やがて、ブザーが鳴る。用意ができたらしい。

 私鉄の車両に似た、2両編成の赤い列車。内部も、普通の電車のようだ。中ほどの座席に腰かけて、目を閉じる。


 がたん━━がたん━━


 電車がゆれる。

 裕太は、いつしか眠りについていた。



「……ボートは、なんとか直せそうだよ」

 ケイは、気遣わしげにそういった。ロガーを滅ぼした自律兵器『グドー』を止めるために、体当たりをせざるを得なかった。内部構造はがたがただが、なんとかワープ高度まであがることはできそうだ。

 あとは、気密壁さえ機能すれば━━

「ケイ。私は残ります。」

「なんだって。」

 ケイは右手の電子スパナをおいて、けわしい顔でふりむいた。

「リールー、ここは……」

「ロガーは、滅びた。もちろん、わかっています」

 リールーはかなしげな目をして、まっすぐにこちらを見つめてきた。

「けれど、私はここに残ります。でなければ、むざんに死んでいった10万人のロガー人たちは、ここに取りのこされてしまう」

「ここにはなにもない。残れば、死ぬだけだ」

「ロガー人はみな死にました。何が違うというのです」

「リールー!」

 ケイは大股にあゆみよった。

 リールーとむかいあって、言葉をさがす。


 いつのまにか、自分のほうが頭ひとつ大きくなっていることに気づく。

 旅をはじめたころは、同じ高さだったはずだ。


 そして━━



 がたん、と電車がとまる。

 ドアがひらく。アナウンスはない。ともかく、降りる。

 そこは、まだトンネルの中であった。うすぐらい赤色灯が小さくコンクリートの壁を照らしている。足元はやけにひんやりとして、氷をふんでいるような気がした。

 線路はそこで終わっていた。

 大きな車止め、その先は足元の舗装はなく、むきだしの土になっているようだ。壁と天井はかわらずコンクリートで固められているが、照明はまばらになり、先へいくにつれいっそう暗くなっていく。

 車止めのむこうに、ふたりの人影がある。その後ろにあるのは、

 馬車、だろうか。

 裕太は思わず目をこすった。暗くてよくは見えないが、四つの大きな車輪と、そっけない台車、その前に2頭の大きな馬がいるのがはっきりとみえる。屋根はなく、小さな座席がふたつ。

「これは、」

 いつのまにか、電車の運転席にのっていた制服姿の男が、背後にたっていた。

「曇天国のものではありません。こちら側で、わざわざつくったものです。電車で乗り付けるわけにはいきませんから。……ここが、国境になります」

 がちゃりとドアがあく音がきこえた。みると、右側の壁があいている。隠し戸かと一瞬思ったが、暗くて見えなかっただけのようだ。小さな扉のうえに、「国境管理室」と横書きのプレート。

 車止めのむこうにたっていた男たちが、さっと手をあげて敬礼のようなしぐさをした。

 そのとき、裕太はやっと気づいた。かれらがベルトで胸にさげているもの。小銃。

「如月裕太さんですね。……召喚状を。」

 ドアからでてきた男が、やさしげな声でいった。かれだけは、制服ではなく背広のようなものをきて、胸に名札をつけている。高橋というらしい。

「拝見しました。……失礼、」

 ぽんぽん、と裕太の身体の数カ所にふれる。それからもう一度断りをいれて、鞄をあける。着替えとひげそりくらいしか入っていないが、かなり念入りに検分された。

「……それでは。行ってらっしゃい」

 高橋が目で合図をすると、銃をもった男のひとりが馬車にのり、座席にすわった。うながされて、裕太もそのとなりにすわる。

 それから、ふたたび、長い旅がはじまった。 



 トンネルをぬけると、ぼんやりと白い霞がかった風景が広がっていた。

 山肌を覆う大森林が、そのまま平野に広がっているようだ。トンネルのまわり100メートルほどはたいらにならされいるが、建造物は何も見えない。

 煙のにおいが鼻をさす。

 たばこの煙を少しだけ薄くして甘い香りをつけたような。

 曇天国を覆う白い雲が、ここまで降りてきているのか。

 そういえば、空は曇っているのに、ふしぎと明るい。雲が光を放っているかのようだ。


 馬車がとまる。


 切れ長の目をした女が、そこにたっていた。

 背は、裕太と同じくらい。年齢は、すこし上だろう。日焼けした肌を、ぞろりとしたトーガのような白い衣装でつつんでいる。足ははだし。腕と脚には、何か模様のようなものがみえる。刺青か。

 額には、大きな石飾り。細い鎖をぐるりとまわして、複雑に編みこんだ髪のなかに入れる。編みこみの中からは、曲線模様が描かれた色とりどりの細布がとびだしている。

 ぬるりとした黒髪。景の髪ににているな、と裕太は思った。

 それから、


 目が合った。


 くろい目。白目がほとんどないように見える。ぐるぐるぐる、と渦を巻くもよう。ぼんやりとした白い糸がつうっと流れて、星が。


 はっと気がつくと、女はいたって普通の、きれいな目をしていた。

 足元に床があることを確認する。汗がじっとりと嫌な匂いをはなっている。

「きさらぎ……ゆうた、さん?」

 少しなまった声でいわれて、裕太はあわてて馬車をおりた。御者は一礼して、だまって馬車を転回させる。これでお別れということだ。

「はい、」

 少しうわずった声で、裕太は返事をする。

「こんにちは。私はベエ。八竜村のベエ。迎えにきましたよ。」目を細めて、頬をくぼめて、そういう。

 ぼうっとしていると、女は腰にくくりつけた袋から、ふたつの箱をとりだした。

「昼餉はまだでしょう。」

 そういうと、ひとりで道端にすわって箱をあける。

 もうひとつの箱は、裕太のぶんということのようだ。

 箱の中身は、果物がふたつ。林檎のようだが、きれいな縞もようがついている。ぷんと蜜のようなかおりが食欲をそそる。

 そうだ、と思いついて、きいてみる。

「……この煙は、」

「ここは曇天国だもの。」

 それで、会話はおわった。裕太はあきらめて、ベエの隣にすわった。



 うすもやのかかるなか、森のあいだの小路をあるく。

 昼すぎに歩きはじめて、もう日は大きく傾くころ。曇天国から太陽はみえないが、夜は普通にくるようで、明るさの変化でそれと知れる。

 ベエは、急いでいるようには見えない。しかし、いつのまにかどんどん先をいっている。

 裸足の足の裏は、きれいだ。土はついているが、まるで赤子の肌のようだ。

 見えないくらい遠くへいってしまうと、立ちどまって待っている。ニ、三回それをくりかえした後、「休みましょうか、」と唇をつりあげて言う。裕太は息を切らしながらただうなずくしかなかった。


 ━━蒸し暑いな、


 と、裕太は一人ごちた。電車に乗るとききていた上着とセーターは、もうとっくに脱いでいる。

「肌着も脱いでしまったら?」

 ベエは、くすくす笑いながらうながした。裕太は赤くなって目をそむけた。

 年上、と思ったが実は年下かもしれない。そんなことも思う。

 森の端をゆくあいだに、いくども虫をみた。

 かまきり、蜂、羽蟻、モンシロチョウ。

 冬である。少なくとも、東日本ではそのはずだ。

 ベエの頭上に、蜜蜂がとまることが何度かあった。裕太は追い払おうとして手をのばしたが、ベエが目で制した。蜂は、ベエの頭を何度かついばむようにしてから、飛んでいった。

「……きみの頭には、花がさいているんじゃないのか。」

 皮肉まじりのつもりでそういうと、ベエは、

「あら、お見えになりますか。」

 冗談ともつかないこえで、そう受けた。



 山のあいだの坂道をずんずんと進み、赤いひかりがあたりを覆うころ、ようやく目的地についた。

 八竜村。

 湖畔につくられた集落だとベエからきいたが、見える範囲に湖はない。森ばかりだ。

 見たこともない広葉の大木が、いくつもたちならび、その間をひょろ長い針葉樹が埋めている。

 建物は何もない。


 いや。


 ベエにうながされて、頭上をみる。

 建物は、木々の上にあった。

 幹のほら穴、枝のあいだをわたした床板、葉と枝と縄で編まれた天井、そこかしこに置かれた、巣箱のような個室。それが、八竜村の人々が住む家であった。

 ベエは、自慢そうに、幹にあいた穴のひとつをさして、いった。

「あれが、私のうちよ。……ようこそ、八竜村へ」



 とんたんたん、とかろやかにベエが階段をのぼっていく。


 大樹の幹に、ぐるりと踏み板が打ち込まれただけの、頼りない螺旋階段である。

 足をかけると、ぎぃ、ときしむ。

 手すりはない。ただ、幹に手をそえて登るだけだ。

 おそるおそる登りながら、

(景なら足をかけようともしないだろうな、)

 と思う。

 下をみるのはさすがに怖いので、足元の揺れにだけ注意して、なるべくベエの背中を見る。

 ベエは、ぞろりとした裾の長い衣装を、足先だけでさばきながら、はねるようにかけあがっていく。

 ひとりで登るのは心細いので、引き離されないよう必死でついていく。

 幹のまわりを、五周と半。

 頭がくらくらし始めたころ、ようやく、穴にたどりついた。


 入口は、裕太がかがんで通れるくらい。中に入ると、思ったよりずっと広い。

 入ると、あかりが目にとびこんできた。部屋のまんなかに、金属の骨組みをくみあわせた台座のようなものがあり、小さな火がともっている。

 天井近くには、薄布が張られた窓がふたつ。あかりとりか、換気口か。

 うすぐらいのでよくは見えないが、部屋のあちこちに、原色の渦模様で染められた布がかかっている。部屋の奥には、つぎの部屋へつづくらしき穴がふたつ。ドアはない。

「おお、よく来たな」

 何もないところから、声。裕太はびくんと背筋をのばした。

 と思うと、あかりの届かない闇の中から、白髪頭の老人が、ゆっくりと歩みでてくる。

「遠いところを、ごくろうだったな。ベエとは、すぐに会えたかね」

 足が悪いのか、よろよろとすり足のようにして。腰も曲がっているようだ。そうでなければ、裕太より頭ひとつは高いはずだ。

 老人、と思ったが、年齢はよくわからない。白ひげに曲がった足腰から老いてみえるが、肌の張りからすると、壮年くらいかもしれない。もっとも、顔色はひどく悪い。

 ただ、目だけは、やけにベエに似ている。そう、思った。なぜ、そう感じたのかはよくわからない。どろりと濁ったような、小さな瞳。ベエのきれいではつらつとした目とは、ぜんぜん違うのに。

「せまい家だが、ベエと二人ぐらしだ。まあ、ゆっくりしていくがいい」

「はあ、」

 つい、いぶかしげに見てしまう。

「わしは魔術師だ。ハチゾウという。ベエは、まあ、弟子のようなものだな。」

「魔術師。それは……、」

「おや。」

 いいかけた裕太の出鼻をくじくように、ハチゾウは手をかざした。

 じぃっと、たっぷり十秒ほどもかけて、裕太の目をみる。

「お前さん、自分の目をみたことがあるかね。」

「はあ?」

「いや……大したことではない。だが、お前さん、魔術師の素質があるかもしれないよ。」

 はあ、ともう一度。

 問わねば、なにもわからぬ。だが、どう問うたものか。

 考えあぐねているうち、部屋のすみでごそごそしていたベエが、戻ってきた。

「さあ、お茶が入りましたよ。」

 机はない。床の上にじかに、おおきな木椀。

 つうんと、香木のように薫る梔子色の茶。


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