景
「……ですから、次回までにこの本を読んで、レポートを書いておくように。欠席者には、誰かが伝えてあげて下さい。今期の単位は、……」
社会学入門。教養課程で興味本位でとっただけだから、あまり真面目に受ける気はない。それでも、一応ノートはとる。
黒板に記されている、書名と出版社名をメモしながら、ふと、手がとまる。
目線が、なんとなく黒板からはなれる。
いつのまにか、少し違うところを鉛筆が動いていた。
女の顔。
いや、女ではない。ロガー人に性別はないからだ。しかし、地球人の女に似ている。
ただ、すきとおった青い肌と、二本の大きな角、それから額に大きなくぼみ。
あとは、人間と同じだ。大きな二重の目に長いまつげ、小さな唇。
故郷をはなれて火星に流れついた、異星人。
もちろん、そっくりには描けない。
絵をちゃんと描いたことなんかないのだ。
とにかく、目から描きはじめる。輪郭、鼻、口、角……
首から上ができたところで、ふと、隣からの目線に気づく。
隣にいるのは、景。木下景。
あわてて、落書きを消す。
なぜだかわからないが、そうした。
*
景は、うつくしい女である。
たぶん、だれもがそういうはずだ。はっきりと聞いたことはないが。
背が高すぎるという者もいる。裕太はあまり気にしたことはないが、向かいあうと、自分より10センチは高い目線に、とまどうこともある。そのせいかどうか、ヒールのある靴をはいているのを見たことがない。
きれいな黒髪を、いつもはそのまま垂らしているが、絵をかくときだけは縛る。絵筆を握るところを何度か見たが、とても真剣な目をしていた。
それから、きれいな爪。
それから──
「また、ぼうっとして」
景はもう立ち上がっていた。
「ごめん、」
謝って、ノートと筆記用具を鞄につめこむ。
もう、と小さくつぶやいて、景はそっぽをむいた。
一緒に、講義室をでる。なんとなく気ぶっせいになって、裕太は口をひらいた。
「……あのさ、」
「ん?」
「曇天国に……、いや、」
なんとなく気後れして、口ごもる。
「どうしたの?」
「……曇天国って、どう思う?」
「どう思う、ったって」
ヘンな言い方をしてしまった。景は歩きながらこちらをむいて、ぱちくりと目をしばたかせた。
「おとぎ話しみたいなモンでしょ。親戚が尾張にいるから、トンネルは見たことあるけど、あんなの━━」
「見たの!?」
「子供のころ、ちょっとだけね。……どうして、そんなこときくの?」
「あ、いや……」
どう話したものか迷っているうちに、景はなにか早合点したようで、
「……また、夢みたいなこと考えてるんでしょ。曇天国のことなんて、私たちには関係ないでしょう。もうちょっと大人になりなさいよ」
そっけなく、そう、言われてしまう。