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裕太

 夕刻。

 背の高い、やせぎみの若い女が、大通りの歩道をすたすたと歩いている。

 ジーンズに編みこみのセーター、肩掛けかばん、赤いスニーカー。肩まで伸ばした黒髪は綺麗だが実はくせっ毛で、毎月ストレートパーマをかけ直している。ただでさえ、街ゆく男たちとかわらぬくらい背丈があるが、姿勢よく、まっすぐに歩くせいで、よけいに高くみえる。

 色素の薄い肌に、ナチュラルメイク。つり目に小さな唇のせいか、少し、きつい印象。

 木下景。デザイン学科の1年生である。

 四限の授業をおえ、大学から帰るところだ。今日は予定はないから、少し、寄り道してもよい。本屋にむかう道を曲がりかけたが、思いなおして逆方向へ。

 一本、奥へ入った通り。生活道路の脇、ちいさな看板。

『ヤマギ』。

 しずかな、ジャズの流れる喫茶店である。昼間でも薄暗い。

 マスターに目で挨拶して、勝手に席につく。窓際の奥が、お気に入りだ。

 落ち着いた雰囲気が好きで、しばらく前から通っている。しかし、今日のめあては別だ。

 いつもなら木曜のこの時間は、ここでバイトしている筈。

 まだ連絡はないが、もしかして帰っていれば、今日、会えるかもしれない。

 くるりと店内を見回す。いない。

「いらっしゃいませ、」

 店員がよってくる。顔を見上げる。

 クリームソーダ、といいかけて、おや、という顔。お互いに。

 探していた相手ではない。ただの、知り合いだ。色黒な肌に短髪、幼く見えるが、年上のはずだ。写真学科の同級生。たしか、梶山亮平。

「お、」

 むこうが先に気づいたらしく、眉をあげて。

「キノシタじゃん。」

 ちょっと馴れ馴れしいな、と思ってから気づく。以前、大学の数人で街に出たときに、写真の話で盛り上がって、ずいぶん話しこんだ。二ヶ月も前の話なので、忘れかけていたが。

「ここで働いてるの?」

 なんとなく、話し方を探るように口調をかえて、景はきいてみた。

「割がいいんで。」

 と、さらにぞんざいな言葉遣いで。景は思いきって、

「ね、……あたしの彼氏、」

 きいてみる。たしか、知っているはずだ。

「如月? あいつは、やめたってさ」

「え?」

「やめさせられた、かな。よく知らない。……おれ、その後に入ったんだよ」

 景は、しばらく呆然としてから、がたんと席をたった。



 ヤマギを出てから、少し、ふらふらと歩く。

 落ち着かない。

 べつに、裕太がアルバイトをやめようが、関係のないことだ。

 けれども、

(なにを、考えてるの━━)

 怒り、なのか。なにか重いものが、ずっしりと胃のあたりにのしかかる。

 大通りに戻る。道のむかいがわ、角のところに、ホームセンター。

 視界のすみに━━

(裕太!?)

 ふりむく。ホームセンターからでていく、やせぎみの背の低い男。

 よろよろとした足どり。大きな荷物の入った袋をさげて、いつもの猫背。間違いない。

 けれども、顔をみて、声をかけるのをためらった。

 無精ひげ。頬のこけた顔つき。

 それに、何より、


 眼鏡のない、ぐるぐるぐる、と渦巻く黒目があるばかりの、異様な眼。



 夜のニュース。


『13日深夜、那古屋山トンネルに暴漢が侵入した事件で、重傷を負った警察隊員はいまだ意識不明であります。なお、逮捕された元学生、大森卓容疑者他2名は黙秘を続けていますが、曇天国へ不法に侵入しようとしていたとみられ、警察は傷害罪に加えて曇天国保護法違反の容疑で……』


 おもわず、スイッチを切る。

 景はとたんに不安におそわれ、電話にとびついた。手にしみついた番号をすばやくまわす。


 呼び出し音、5回、10回、20回。出ない。

 そっと受話器をおく。

「出かけてくる!」

 弟にそうさけんで、とびだす。



 アパートの二階。ドアの前。

 鍵は持っているが、こんな夜に訪ねるのは初めてだ。何度もためらって、ようやく手をのばす。

 ドアがひらく。

 見知った、ワンルームの部屋。ドアをあければ、壁まですべて見渡せる。

 フローリングの床に、万年床。棚とテーブル。それだけのはずだった。

 だが……、


 まっさきに目に入ったのは、青。

 いや、セルリアンブルーか。単色でなく、まだらに塗り分けられている。


 壁に、紙が貼ってあるようだ。

 模造紙を何枚も重ねて、貼りあわせてある。

 そこに、絵が描いてあるのだ。


 むっとした匂い。

 床には、小さなバケツと、スプレーがいくつか。

 裕太は、こちらに背を向けて椅子の上に立ち、太い絵筆を握っている。

 

 描かれているのは、青い顔をした、二本の角をもつ異形の女。バストショットのようだ。

 ひとことでいって、下手である。

 何度も、何度もかきなおした跡があり、紙はところどころ破れている。


 景は、しばらくぼうぜんとして立ち尽くしてから、

「裕太、」

 うわずった声を、唇から漏らした。

「わっ、」

 と声をあげて、裕太は椅子からおちそうになる。今まで、気づかなかったらしい。

「何を……してるの」

 ぞわりと、悪寒がする。

 絵を描いているのだ。見ればわかる。

 しかし━━


 こぼれおちた水彩絵の具が、ぼたぼたと床に落ちている。

 ラッカーの匂いが、部屋にむんとこもっている。

 むちゃくちゃだ。


「景、これは、」

 ちいさな声で、裕太がつぶやく。

 何かいいかけて、目をみあわせる。

 裕太は、眼鏡をかけていない。

 目が、あきらかにふだんと違っていた。吸い込まれるような、まっくろな目。


「これ……リールーでしょう」


 景の口から、知らず知らず、その名前がでていた。

「知ってるの!?」

「小さいころ、観てたもの。……なんて番組だっけ」

「惑星ロガー」

 裕太はふるえる声で番組名をいった。

「……でも、」

 なぜ、と聞こうとして、景はやめた。


 そんな言葉は、意味がない。

 壁いちめんに広がった、この絵に比べたら。

 線がゆがんでいるし、何度も描き直した跡のせいで輪郭が汚れてしまってちゃんと見えもしない。頬のかたちも左右で違いすぎるし、目は黒すぎて綺麗じゃない。肩と胸にくらべて顔が大きすぎるし、塗り色も単調でぜんぜん自然に見えない。

 それでも、


「裕太、━━これは、何?」

「……リールー」

「そうじゃ……」

 いいかけて、また、口をとじる。

 直視する。


 そこには、いた。


 何かが、いたのだ。そこには。

「……景、俺さ、」

「裕太、あたし知ってる。この番組、」

「え、」

「小さいころ、毎週観てた。リールーがさ、可愛いんだよねぇ…」

 意外な言葉に、裕太はどぎまぎした。

「たしか最後さ、リールーが……」

「まって、」

 裕太は小さく指をかざした。

「ききたくない。」

「え、……でも。」

「いいから。最終回の話は、ききたくないんだ。知らないままでいたい。」

 いつか、自分で思い出すまで。

 景は少しきょとんとして、それから、そっと裕太の肩をだいて、絵をみあげた。

「わたし……なんだか、初めてわかった気がする。あんたのこと。」

 裕太は何もいわなかった。

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