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橋渡し 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 ふうう、ようやく駅に着いたわね。ちょっと動く前に、そこら辺のベンチで休んでもいい? どうも足元がふらふらしちゃって。

 私さ、乗り物に乗っていて、ふと怖くなっちゃう瞬間があるんだ。特に橋の場合。

 彼らは幾本かの足によって支えられた、宙に浮く足場。それが壊れたら、あっという間に眼下へ落とされてしまう……私はそれが、たまらなく怖い。

 これも高所恐怖症にあたるのかしら? 最近、よく作られている、ペデストリアンデッキとかも、私にとっては不安の種よ。

 橋は、その両端をつなぐためにできるもの。じゃあ、その端同士がつながるまでの空間に、何が潜み、ずるのかしら?

 橋をめぐったお話のひとつ、聞いてみる気はない?


 江戸時代。

 それは、橋と渡し守の均衡具合が、頻繁に図られていた時期でもあったわ。

 当初、橋というのは、攻め手が一度に多く渡ってこないよう、数を抑えられる傾向にあった。

 しかし、とある大火事があった際に、逃げ道となる橋の少なさが仇となり、多くの人が焼け死んでしまうという、痛ましい事態が起こってしまったの。以降、避難経路確保の意味合いもあって、大きな川に複数の橋が架けられるようになったと聞いているわ。

 されど、橋は道の一種。多くの人が日々踏みしめると共に、とめどなく流れ続ける川の水に、その足をさらし続ける運命を担うもの。ただ、そこにあるというだけで、安穏とは縁遠い存在。その修繕は、大きな問題として、時の政府に負担をかけることになるわ。


 その橋も、架けられてから数十年が経った頃。政府の財政が悪化したことを理由に、維持管理が放棄される流れになったわ。

 本来ならば、完全に打ち壊されてしまうところだったけれど、町民たちの嘆願により、維持費をすべて町方が持つことを条件に、橋を留めおくことが許されたとか。

 そうなった以上、橋はこれまで通りの気楽な往来に、終始するわけにはいかなかったわ。

 時期に応じて、橋の通行料を取ったり、たもとで市場を開いたりと、お金を落としてもらうことに躍起になったの。

 それでもなかなか必要とする額が集まらず、修繕用の新しい材料がそろわなくて、橋の傷みがいよいよ隠せないほどになってきた頃。


 その橋にほど近い場所で働く、駕籠かきの一人が、ほとんど日が暮れてから、自分たち夫婦が暮らす長屋へ、とぼとぼと戻り始めていたわ。

 すでに結婚して長いけれども、夫婦仲はさほど良いとはいえなかった。冷めてしまったといっていいかもしれない。

 生活の調子が合わない、というのが大きかったようね。

 駕籠かきである旦那は、宿場の人足であったから、急を要する荷や人を運ぶことが多くて、帰る時間がなかなか安定しなかったみたい。

 対して、女房は内職が中心。日がな一日、ぞうりや竹籠を編んで暮らすのがほとんど。たいていは遅く帰ってくる旦那のために、飯を作り置きして、自分は眠ってしまう……ということが多々あったとか。

 ――せめて、俺が帰るまでは起きていて欲しいもんだ。

 夫はぼんやりと、そんなことを考えながら、今日も女房の寝息を枕に、飯を食べて寝ちまうのか、と一抹の寂しさを覚えていたの。


 ところが、いざ帰ってみると、女房の姿が家にない。飯の用意もしておらず、狭い狭い四畳半には、隅っこに畳んだ布団が置かれているばかり。土間の小さなかまどは、種火すらも消えていたそうよ。

 ――一体、どこをほっつき歩いているんだか。

 荷物を下ろして、畳の上に大の字に寝転がる旦那。明かりをつけるのももったいなく、木目すらはっきり見えなくなってきた天井を見上げながら、そのままうとうとし始めてしまったの。


「ただいま」と女房が戸を開けた時、ちょうど外から時間を告げる鐘が鳴ったわ。

 五つ鐘。今でいうところの午後八時。旦那が家に戻ってから、ざっと一刻あまりが過ぎている。

 すっと身を起こすと、古着に前掛けをつけた、いつもの格好の女房がいたわ。けれど、その丸髷を結った髪は、湿り気を帯びており、脇には手ぬぐいの入った桶を抱えている。


「ちょっと、久しぶりにお風呂に行ってきちゃった」

「腹減ったんだけど、なんかある?」

「はは、そういうと思ったから、帰りがけにおそばの出前を頼んどいたわ」


「出前かあ」とぼやきながら、旦那は内心、緊張していたみたい。

 これまで、何度か女房に食事のおかずについて、ケチをつけたことがある。出前を頼んだということは、それに対するあてつけなんじゃないか、と不安になったらしいのね。


 ほどなく、てんびん棒を担いでやってきたそば屋が、そばを用意してくれたのだけど、どうしたことか、一人前しかない。


「おめえは食べないのか?」

「いいの。帰り際に食べたから、もうおなかいっぱい」


 そういうと、女房は正座をして、そばの器を持つ旦那をじっと見据えている。旦那はどうにも食べづらい。

 ――やっぱり、ケチをつけたことを根に持っているんだろうか。だとしたら、ここはあえて、出前のそばが美味くなさそうに食べるのがいいのか。いやいやそれとも、女房がせっかく注文してくれた労をねぎらうためにも、かえって美味そうに食べて……。

 器と箸を抱えながら、悶々としている旦那だったけど、女房は先ほどの姿勢から、微動だにしない。

 心なしか、目には好奇の色が浮かんでいる。気になる、というよりも、楽しみ、という感じが強かった。

 結局、旦那はどんな顔をしたらいいものか、分からないままにそばをすすり始める。ちょっとカツオの風味が強い、出汁だしだった。

 

「ねえ、ちょっと聞いてもいいかな?」


 旦那がどんな顔をしたらいいか分からずに、必死にそばをすすっていると、やがて女房が口を開いた。「あの橋のことで、銭湯でも少し話題になったのだけど……」と、女房は皆が修繕に当たろうとしている、件の橋のことを取り上げたの。


「あなたとしては、橋があった方がいいと思う? それともない方がいいと思う?」


「そうさな。俺としてはあった方がいいと思うぞ。荷や人を届ける仕事をしている以上、早く運ぶに越したことはないからな。人相手の駕籠かきなら、わざと遠回りをして酒手をせびるなんて、みみっちいことをしている奴もいるらしいが、俺としては一人でも多くの客を運んだ方が、金になる」


「お金。みんなと話すと、いつもその話題が出てくる。どうしてただでやらないの? 橋はただで踏まれて、苦しんでいる。それに報いるのに、どうしてお金が必要なの?」


「おいおい、何をわらしみたいなことを。そりゃ大工連中始め、少なくない奴の生活がかかっているからだろ。このご時世、お侍さんだって、端に位置する方なんか、傘張りの仕事とかを掛け持ちしないと、生きていけないって話だぞ。そもそもお前だって、今日はばかにのんびりじゃねえか。いつもだったらこうしている間にも、お前はぞうりを編んでいるはずだろ?」


 女房の顔が一瞬青ざめたけど、すぐに色を戻して立ち上がった。


「もういい。義は死んだのね。今に生きるのは利にさとく、頭の固い者ばかり。誰も自分を削らない。相手がどれだけ痛がっても……。金とやらがそんなに大事? だったら今からくれてやるわ。だから早く、助けてほしいの」


 言うや、女房は履き物をつっかけて、外へ飛び出していってしまったの。

 ――今日のあいつはどうもおかしい。まるで子供みたいなことばかりいう。

 旦那も不信感をぬぐえず、後を追いかけたわ。長屋の前に出た時、すでに女房の気配は、遠ざかっていく草履の音のみ。聞く限り、あの橋に向かっているようだった。

 街中には、ところどころにうすぼんやりと、提灯の明かりが浮かんでいる。それを頼りに橋のたもとへと駆けつける旦那。

 すると、そこから数歩先。欄干にしなだれかかっている、女の姿が。間違いなく女房の姿だったわ。

 ――まさか、飛び込みやしないだろうな。

 旦那は更に歩みを速めて、女房を抱きかかえる。

 彼女は目を閉じていて、何度か揺さぶると、うっすらと目を開いたの。けれど、自分を抱えた夫の姿を認めると、目を一気に見開いたわ。驚いているようだった。

「さっきの言葉はどういうことだ?」と問いただす旦那だったけど、女房はいまひとつ、事態がのみこめていないみたいで、戸惑うばかりだったとか。

 そして答えたの。

「自分は先ほどから、ずっとここで動けずにいた」って。


 女房が話したところ、銭湯に向かおうとしたのは確かみたい。

 それが、この橋に差し掛かったとたん、急に目が見えなくなったの。同時に真っ暗な視界の上方から、次々に自分の頭を踏みつける感触。それでいて足の裏から太もも近くに至るまで、震えるように冷たい、水へ漬かっている心地がしたとか。

 身体は動かせず、声も出すことができず、ずっとずっと横たわらされて、泣きそうになっていたらしいの。

 ひと踏みごとに、頭は痛み、身体はきしみ、水らしきものの勢いはますます強く、かささえも増していったみたい。それが何度も繰り返される。

 意識すれば意識するほど辛くなって、何も考えたくなくなる寸前。自分は欄干にもたれかかっていて、近づいてくる旦那の足音に耳を傾けていたとか。

 先に旦那とした会話について、彼女は首を傾げながら「知らない」と答えるばかり。ただ女房の着ていた服の合わせ目の奥からは、入れた覚えのない小判が、数十枚ほど出てきたらしいわ。

 

 その後、夫婦は得体のしれない小判を番所に預けたわ。

 横領の罪は重い。下手に使って、もしも持ち主が発覚したら、ひとたまりもないと考えたから。

 そして、一年後。夏の祭礼の際、押し寄せた群衆の重さに耐えかねて、例の橋は崩落。1000人以上に及ぶ、犠牲者を出してしまったわ。

 幸いにも巻き込まれなかった件の夫婦は、あの時に家に帰ってきた女房を、橋の化身。懐から出てきた金を、化身が依頼した、橋の修繕費用だと考えたけど、それを信じてくれる人は、ほとんどいなかったとの話よ。



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