*2『ヴァルトシュタインの英雄』
最弱の少年リッタは初老の医者に礼を言いそのまま家に帰る。今日から病人という立場でリッタの家に居候することになった踊り子の少女、テンツァー・ディスティを背に抱える。医者が言うには、完治したとしても、粉砕骨折しているために前と同じく生活するのは無理だと、せいぜい歩くのが精一杯だろうと言っていた。
魔法も使えるこの世界だが、魔法は使う使わないではなく常時発動の加護と言っていいものだ。たまに、自在に《魔法》を使える者がいると聞くがそれはもはや都市伝説か、英雄譚での話だ。若くして大佐の地位にあるオーバストの小さな星は小さくはない、軽くグラフの表を超えるという伝説が伝えられている。そんなオーバストに付与されている加護は、百は超えるという。
ちなみに、この男リッタは魔力値はゼロ、加護は一切存在しない。そして、魔の気配――つまりは、魔物の気配を一切感じられないのだ。
そんな、本当に最弱な少年が、唯一英雄として輝けると思ったのが医療への道だった。人々の急死を救う英雄となること。そう思い立ったらリッタは行動は早い。そして最初に読んだそれが、応急処置の本だった。
何事も、基礎の基礎、その礎が必要なんだ。数字を知らなければ足し算などできないように。文字を知らなければ文を書けないように。そういうことなのだ。
「えっと……。リッタは1人で旅を?」
「はい。そうです。私はたくさんの国を回り、たくさんの人の笑顔を見てきました」
「そうなんだ。」
急に場が静かになってしまう。
話す共通の話題が、見当たらなかった。
方や、英雄願望のなまくら騎士で、方や職を失いかけている踊り子だ。
なるほど、最高のコンビでないか。お互い何かが足りない。
「リッタさんは、どうして騎士に?」
「俺? 俺はね……昔読んだ本があったんだ。知ってるかな? 《ヴァルトシュタインの英雄》って古い英雄譚なんだけど……」
「はい、存じております。《ヴァルトシュタインの英雄》とても良いお話でした。私がかつて読んだ数多の文学の中でも一番」
「そうなの? 誰に聞いても知らないって言われるから、知っているのは俺くらいかな ? と思っていたくらいなのに」
「皆様は、こんなにも良いお話を知らないのですか?」
「そうなんだ。聞いた話によると世界に指折りの数しかない物らしいよ」
《ヴァルトシュタインの英雄》それの原本はたったの3冊。そしてそれそっくりに作られた通称《写本ヴァルトシュタイン》は2冊。合計の5冊しかこの世界に存在していない貴族や国王すら所持していない国宝以上の代物。
それを知ったのはごく最近だった。リッタが読んだそれはしっかりとした《ヴァルトシュタインの英雄》の原本だ。
――そうですか……では貴方が……。
「それで、《ヴァルトシュタインの英雄》それを読んでのご感想は?」
「ああ、あれはとても良い話だった。もう、頁が擦り切れるほど、脳に本が入り込んでくるほど読んだよ。その中でもよかったのが……」
それから暫く《ヴァルトシュタインの英雄》について二人語り合った。
あたりが嫉妬してしまうほどの、いちゃつき度はもうあの人へと伝わっているだろう。リッタと見知らぬ踊り子の少女はそういう関係なのだと、尾ひれがついて。
「それで、『この剣が必ず我を守ってくれる。我が名のついた秘剣ヴァルトシュタイン。これがある限り我の名声は途絶えることを知らないだろう』って、このセリフが忘れられなくて……」
それは、太古に存在したと言われる英雄ヴァルトシュタインの死に際のセリフだった。世界を救った英雄ヴァルトシュタインはその秘剣の膨大な魔力に散った。ヴァルトシュタイン本人が英雄と讃えられる前に。その際に、ヴァルトシュタインに惚れていた少女にヴァルトシュタインを渡し言ったセリフだった。
まあ、今となれば《ヴァルトシュタインの英雄》という本が世間に知れ渡っていないためヴァルトシュタインの名は霞んでしまったが。
「私は、『我は不滅だ。そうならねばならない、この世界のためにも。だから……我はいついかなる時も君のそばに居ると誓おう。我と契を結んではくれないだろうか?』という言葉がもう忘れられませんでした。」
読んだ人の年齢、性別が違えば、見る観点は違ってくる。リッタは小さい頃母に読み聞かされ物語の種である英雄譚として、テンツは少し大きくなってから一種の恋愛小説として。
だが、観点は違えどその物語が大好きだということには変わりはない。少し厚めなその魔法陣のような絵が書かれたその本を
「着いた、ここが俺の家。少し狭いけれど我慢してくれ」
そうリッタに紹介された1軒の平屋。それがリッタの家だという。ここら辺あたりではごく平凡な家屋で、首都の方に行くと首都の家の豪華さゆえにこの家はとてもみすぼらしく豚小屋かなにかに見えてくるだろう。だが、住めば都とはこのことではないだろうか? そこそこ衛生的なものと機能性は負けていないと住人は自負している。足りないのは進んだ建築技法のみ。だと、言い張っているだけかもしれないが。そうとは一概には言えない。
靴のままそのまま家の中に入る。これがどの国でも主流だ。そのまま自分の毎朝干している清潔なベッドにテンツを座らせると、テンツはその部屋を見渡した。
お世辞にも男の人の部屋。とは言い難いなんというか……女性の部屋よりも女性感がある部屋だ。女子力が高いともいう。整理整頓された清潔感のある部屋。少しゆるくふわふわ感のある優しげな色調のタイル床に、それに合わせた家具。
宿場でここ数年過ごしてきたテンツにとっては、この部屋はなにか神か何かのようだった。
「うわーぁ」
テンツが部屋を見渡している間にリッタはお湯を沸かす。薪に火を起こし、ポットに水を入れ、煮沸させる。
数分とするうちにポコポコと沸騰する音が聞こえてくる。
そうしている間に、リッタは料理の準備をする。朝市場で買っておいた新鮮かどうかは今になってはわからない野菜や肉を適当な大きさに切り、お湯が湧いたことを確認すると、茶葉を落とし色をつける。
徐々にその茶葉特有の深みのある渋みの香りが臭ってくる。
リッタは適当に取り繕った茶菓子を皿に並べ、二つのティーカップと共に運ぶ。
「どうぞ、お口合うかはわからないけど……」
「ありがたく頂戴します。」
ティーカップにある程度の高さから香りを周囲に放っていくように注ぎ、ソーサーにティーカップを置く。
そして、自分も適当な椅子に掛けて自分の腕前を確かめる。
「んん、美味しい」
「本当、とても美味しいです」
2人がその茶葉の香り、味に淹れ方にその声が漏れる。
そのまま茶菓子を頬張り、再び茶で流し込む。
そう2人で、談笑しているとドンと、何かが叩かれるような音がした。
――まさか……。
「ちょっと? リッタ? 今女の人と一緒にいるってホント!?」
やっぱり。もう町全体に情報が知れ渡ってしまっていたらしい。
少女が現れた。一番バレたくない少女に。