90話 - ヒウゥース邸の挿話#2
中空に浮かぶ太陽がその輝きを断った。
深い暗闇が世界のすべてを支配する。
今日も今日とて、夜の帳がここアギーバの街を覆う。
しかしこの数日というもの、この街では日の光が落ちようとも、街中をせわしなく人が行き来しており、眠りに沈むことがなかった。
ヒウゥースが昼夜問わずに憲兵を動員して、指名手配犯を捜索させているためである。
そして、寝静まることがないのは、このヒウゥース邸においても同様であった。
ヒウゥース邸本棟。
その2階、空き部屋のひとつ。
そこにはセサイル、ベギゥフ、ノウトニー、ディーザ、ティアの5人が捕えられていた。
全員が縄で後ろ手に縛られている。
この中でセサイル、ベギゥフ、ノウトニーの3人は、横顔を床につけて力なく横たわっていた。
彼らには筋肉の動きを弱める薬が投与されている。
同じ部屋の中には、ふたりの魔法使い。
捕らえた彼らに対して、魔法を使用した尋問が行われていた。
そこへ勢いよく扉が開く。
靴を踏み鳴らして入ってきたのは、護衛2名を連れたヒウゥースであった。
ヒウゥースは開口一番、尋問役の魔法使いに声をかける。
「ようやく尋問を終えたと思えば、おかしな事があるだと? どういうことだ?」
それに尋問を行っていた魔法使いの配下が答えた。
「はい。まずは判明した事から先にご報告します」
「うむ」
ヒウゥースは手近な椅子にどっかりと腰を下ろした。
その体重を支えきれずに、椅子がみしりと軋みをあげる。
「この者達は我々の秘密……四大国への地球人売買や、邪教の信徒との関わりを知っていました」
「それはそうだろう。ディーザがいるのだからな。ディィーーーザが!」
言って、ディーザに目を向けるヒウゥース。
ディーザは何か言おうとしたのを堪えて、目を逸らした。
魔法使いのヒウゥース配下は報告を続ける。
「はい、そうなのですが……この手前の娘だけは、四大国との関わりを以前から知っていて、我々の計画を潰す目的で嗅ぎ回っていたようです」
「ほう」
ヒウゥースがティアに目を向ける。
こんな時であってもティア落ち着いている。普段と変わらぬ感情を見せない瞳で、ヒウゥースを見上げていた。
「我々の計画を壊すか……ふん、騎士王国らしい正義感だな。そいつは王女の付き人だろう? 四大国との関わりも、各国の首脳クラスには周知の事実よ。王族であれば知っていても不思議はない」
「は、それが、そうなのですが……」
口ごもる尋問役の魔法使い。
「なんだ? 言ってみろ」
「はい。心音と感情の揺らぎを観測して聞き出したのですが……どうも違和感がありまして」
「嘘をついてる、とは違うのか?」
「はい。嘘は分かります。ただ……隠していることがありそうで……」
「隠してる? 何をだ?」
「いえ、それが……」
ヒウゥースは魔法に詳しくない。
なのでこうした時、ヒウゥースの問いかけはなかなか要点を捉えることができない。
「曖昧でもいい、思ったことを言ってみろ」
「は、はい。そのですね……主人に命じられて調べていたというよりは……その……なんというか……自分の意思で動いていたような感じが……」
「ふむ?」
「い、いえ、気のせいかもしれません。ヤイドゥーク様ならもっとよく分かると思うのですが……」
「ヤイドゥークのやつは……地球人を連れて地下か……」
配下の話を受けて、思案顔をするヒウゥース。
そこへ不意に別の所から声があがった。
「おい……てめえ、ら……マユミを……どこに、やった……」
声の出どころは、床に横顔を張りつけたままのセサイル。
息も絶え絶えな様子。蚊の鳴くような声。
そのセサイルを、ヒウゥースは憐憫の籠もった眼差しで見下ろした。
「おまえがソウェナ王国最後の将、セサイルか。12の戦役を経て不敗。かつては救国の英雄と讃えられたそうだが……かくも人は落ちぶれるものか」
「うる、せえ……質問に……答えろ……」
「あの地球人の女か? ああ、今は地下で出荷の準備だなぁ」
ヒウゥースのその言葉に、真っ先に反応したのはティアだった。
「出荷の準備……ですか」
「ああ! 使えんものを売りつけるわけにはいかんからな! なにしろ高額商品だ。こういった細やかな気配りが、大口の顧客から贔屓を得る秘訣よ!」
そのヒウゥースの物言いは、機械かペットに対するものか、あるいは――
「まるで人形でも扱っているようですね」
冷静なティアの、義憤に満ちた瞳。
「ふむ?」
その目つきにヒウゥースは怪訝な顔を見せる。
が、その視線の先はすぐに別の所へ移ることになる。
「……けんな」
セサイルが、立ち上がっていた。
「な――」
「まだ動けるはずは……!」
周囲の者達がざわめく。
薬物を投与されて動けないはずの体。
それが二本の足で立ち上がっている。
実際に薬を用意し、投与した尋問役の魔法使いは狼狽していた。
「ざっけんな、クソ野郎が……!!」
鬼気迫るセサイルの形相。
その表情、眼差しは、怒り狂う肉食獣そのものだった。
周囲の者達の目には、セサイルの全身から激しい怒りの感情が噴き出て、今にも襲いかかろうとしているように見えた。
「ひっ……!」
魔法使いの男は恐怖に尻餅をついた。
“怒れる餓狼”……これが、英雄セサイルの持つ通り名のひとつである。
だが――
「……取り押さえろ」
「は……はっ!」
ヒウゥースに命じられて、護衛の男たちが動く。
男たちの手によって、セサイルは地面に引き倒された。
圧倒的な胆力。気迫。怒り。
有象無象の者どもは、その眼光や佇まいだけで気圧され、時に肉体の自由すらも奪われる。
だが……動かないものが気力で動くことはない。
どれだけ並外れた力量を誇る戦士であろうと、そこに例外はないのだ。
「セサイル様……!」
ティアがセサイルの名を呼ぶ。
「動くな!」
興奮したヒウゥースの配下はティアが動こうとしたと見て、その体を取り押さえ、床の上に強く押し付けた。
「ん……!?」
そこで、ティアの頭を掴んだ手がずれる。
深い青色の髪の下で、茶色の色彩が一瞬だけ露わになった。
目ざといヒウゥースの視線はそれを見逃さずに問い詰める。
「おい、お前、その髪……」
――その時だった。
突如として起こった振動が、屋敷全体を揺らしたのは。
「な……なんだ!? この揺れは!?」
その場の全員が狼狽していた。
この世界では一部地域を除いて地震というものはほぼ起きない。
揺れは一瞬で収まった。
しかし珍しい現象に、場は騒然としている。
慌てている部下をヒウゥースは一喝。毅然と指示を与える。
「ええい、落ち着けぃ! 揺れと一緒に下から音が聞こえたな……おい! 地下に行って確認しろ!」
「は……はい!」
護衛ふたりを残して、ヒウゥースの配下たちは飛び出すように部屋を出て地下室へと向かった。
配下が出ていった後。
ヒウゥースはティア達にジロリと目を向けた。
「貴様らの仲間でも来たかぁ……? ふっ、だとしたら運がなかったな。地下には今、ヤイドゥークの奴がおる。あいつに任せておけば心配あるまい。……お前と違ってな! ディィィーーザッ!」
かつての右腕の名を呼び、挑発するヒウゥース。
不測の事態にも、ヒウゥースの表情と態度には余裕があった。
彼がヤイドゥークに寄せる信頼の大きさが窺える。
ディーザはたまらず言い返した。
「だ、黙れッ! きさまのような誇大妄想狂に付き合うやつの気が知れんわっ!」
「ほぉ――私の計画が妄想だと?」
ヒウゥースはディーザに酷薄な視線を向けた。
ディーザは吐き捨てるように返す。
「当たり前だ……誰が……どこの馬鹿が、世界征服などという妄言を真に受けるというのだ!」
「ディーーーーーーーザッ!!!」
突然の大音量にディーザがビクッと震えた。
「ディーザ! お前は秀才だ。優秀な男だ。だが! だからお前は……一流になれんのだ!」
「な……なに?」
ヒウゥースは身振り手振りを交えて、突き出た腹の肉を震わせながら熱く語る。
「ない! ないんだよ! お前には……男の夢! 浪漫というものが!!」
「ゆ、夢……浪漫だと……?」
「そうだ、分かるか!? 分からんだろうなァ……夢に向かうこの体に迸る! 熱い血潮! 無限に湧き出るエネルギー! この情熱こそが人を一流の高みへと導く源泉となる! なるのだ!!」
「……く、くだらん……そのような……」
「ふん、今さらお前に説いてもこっちに得はなかったな。それよりも……」
言うだけ言って満足したヒウゥースは、あっさりとディーザから体の向きを変えた。
ヒウゥースが向かうのはティア。
彼は無造作に手を伸ばし、ティアの髪をガッと掴んだ!
「っ……!」
バリッと音をたて、ティアの頭からかつらが剥がされた。
隠されていた茶色の髪の毛が露わになる。
ざわり、と周囲の全員が身じろぎ、息を飲んだ。
より正確には――セサイルを除いた全員が。
「その……髪の色……貴様、そうか、貴様らは……!」
見上げるティアと、見下ろすヒウゥース。
ふたりの視線が重なった。
「ははははは!! そういうことか! そうか! 謎が解けたぞぉ!」
ヒウゥースは両手を叩いて喜びの声をあげた。
そこへ――
「謎が解けたって? そりゃあ良かった」
「だ、誰だっ!?」
ぴたりとヒウゥースの首筋にナイフの刃があてられる。
「ホールドアップ! ……よろしいかな? 名探偵……ではなく、評議会議長どの?」
どこからともなく現れ、ヒウゥースの背後から刃物を突き付けた男。
「き、貴様……貴様っ! どうしてここに……!?」
ヒウゥースの台詞に、男はにやっと笑う。
人懐っこい笑みで。
誰もが知っている、その男とは――
「クラマ様……!」
そう、真犯人の登場である。




