86話『クラマ#05 - 友達の条件』
うまいこと奇襲で4人の警備兵を打ち倒すことができた。
剣を抜かせる前に倒せて良かった。
狭くて小さな診療所の廊下で、こちらがひとりだったから抜きにくかったのだろう。
この狭さで剣を抜けば、自分や味方を傷つける危険がある。
僕は一郎さん、次郎さん、三郎さん、そしてサクラの方へ振り返った。
「みんなよく耐えてくれたね。大丈夫かな?」
そう言って僕は足元に倒れるサクラを助け起こした。
手に感じるのは軽くて細い少女の体。
……それが震えている。
いつも強気な態度のサクラだが、その実、彼女は人一倍怖がりだ。
それも当然。彼女は荒事とは無縁の暮らしをしてきた、普通の女子中学生なのだから。
僕はサクラに声をかけた。
「サクラ、怖かった?」
「は、はあ? そっ……そんなことないし」
明らかな強がり。
一郎さんたちの様子を見ても、覇気がない。
そもそも、この程度の相手に制圧されているようじゃ戦力にならない。
次郎さん、三郎さんに至っては戦いすらしなかったようだ。
彼らはこの先、足手まといになる可能性が高い。
さて、どうするべきか……どうにかして街の外へ出すべきだろうか。
僕はサクラの運量を確認した。
……満タンに近い。
よし。
僕は震えるサクラの体を抱きしめた。
「僕が来たからもう大丈夫だよ」
「ふえっ!? あ、あぅ……」
サクラは驚いてじたばたともがこうとするが、やがて僕の腕の中で大人しくなった。
そこに一郎さんが申し訳なさそうに声をかけてきた。
「すいやせんお二方。アッシらはこれからどうするんですかい、旦那?」
僕はサクラを抱きしめる手を離して答えた。
「とりあえずは隠れよう。一応、あてはあるから案内するよ」
すると僕の傍にいるサクラが、頬を染め、もじもじしながら、僕の顔を見上げて言う。
「でも足手まといじゃない? 街の外に逃げておいた方が……」
「そんなことないよ。サクラ、僕にはきみの力が必要だ」
「え……!?」
「みんなも自分が足手まといだなんて思わないで欲しい。僕はみんなを足手まといだなんて思ったことはない。仲間だからね」
皆の視線が僕に集まるのが分かる。
特に熱の籠もったサクラの視線が。
……このパーティーはサクラに依存している。
だからこのパーティーを動かすには、サクラを抱き込むのが一番手っ取り早い。
「きみが必要だ」は常套句だ。
連発さえしなければ、これほど簡単で強い言葉もない。
サクラの反応を見れば、それが成功しているのが分かる。
だが、その時だった。
「どうせ他の奴にも同じこと言ってるんだろ?」
廊下の奥から聞こえてきた声。
その声を発したのは、驚くべきことに三郎さんだった。
隣の次郎さんが怪訝な顔で三郎さんの顔を覗き込む。
「三郎……?」
三郎さんは僕をじいっと睨みながら告げる。
「アンタはそうやって格好いいこと言って……周りの奴らをいいように動かして……さぞ楽しいだろうよ」
「おい三郎、なんだってんだいきなり」
「うるせえっ!」
三郎さんは叫んだ。
「前々っからムカついてたんだ! アンタはその若さで! 頭はキレて! 顔も良くて! そのうえ喧嘩も強いだって……!? ふざけんなよ……ふざけんな……くそっ……なんで……なんでそこにいるのがおれじゃねえんだよ!!」
最後の方は嗚咽にも似た非難。
難癖、と言ってしまっていい内容だった。
興奮のせいか、サクラから指定されたゴザル口調をすっかり忘れている。
おそらく、これが素の彼なのだろう。
「三郎さん……」
いや、三郎さんと呼ぶべきじゃないのか……。
僕に寄り添うように肩を預けたままのサクラが、何が起こったのか分からずに困惑した様子を見せる。
「な、なに? どうしたの三郎……?」
サクラにはこういう経験がなかったんだろう。
自分を取り合う男たちの修羅場。
なんでそこにいるのが……か。
なんでサクラの隣にいるのが……なんだろうね、本当は。
彼がサクラの下についてる理由は薄々わかっていた。
だが、彼は弁えていた。
自分には手に入らないものだと理解しているから。
ずっとその本心を押し込めてきたのだろう。
それが、おそらく憲兵の襲撃を受けて無力感に打ちひしがれたこともあって……そこに今の僕の行動が引き金となって、箍が外れてしまった。
「な、なにいってんだ三郎。そんなこと旦那に言ってもしょうがねえじゃねえか」
「うるっせえ! そんなことは分かってんだよ! 分かってんだ・・・おれが……どうしようもないクソザコなのが悪いなんてことは……」
「さ、三郎……」
こういうことは、これまでも何度かあった。
嫉妬による反発を防ぐために、僕はいつも進んで貧乏くじを引いてきたけど……こんな切迫した状況じゃ、なかなかそうした余裕もない。
「でも許せねえんだ。アンタは自分の言ったことに責任を取れないんじゃないか……? そうだろ?」
……鋭い。
そして、やはり奥ゆかしい人だ。
彼が言いたい事はこうだ。
「お前はサクラの恋心を利用したいだけなんだろう」……と。
その通りだ。
そうだ、彼は馬鹿みたいなキャラ付けを押しつけられていたけれど……実は思慮深く、頭が良い人だった。
そして……優しい。
こんな時でも、サクラには分かりにくいように言葉を選んでくれている。
言うだけ言って落ち着いてきたのだろう。
彼は声のトーンを落としながらも、僕の顔を見て、はっきりと言った。
「クラマ=ヒロ。おれは……アンタが嫌いだ」
……………。
僕が……嫌い……?
僕の口が開いて、気付くと喉奥から言葉が漏れ出していた。
「三郎さん……いや……」
違う。
彼の本名は、確か、そうだ。
「ニシイーツさん……」
僕を正面から見据える彼の目が、徐々に見開かれていく。
「僕の……友達になってくれるのか……?」
「あ――」
どさ、と彼は通路の先で尻餅をついた。
何か、恐ろしいものを目にしたかのように。
人ではない何かを見たように。
――いけない。
僕は手で自分の顔を覆った。
繕わないと。
いつもの愛想笑いを。
「……いやあ、悲しいなぁ。僕は三郎さんのこと好きだけど……嫌われてたなんてね」
ワイトピートと共に行動して、少し前まで賢者ヨールンと己を隠さず話をしていたからか。
僕も素の自分が出やすくなってるみたいだ。
気をつけないと。
ということで僕は、にこやかに続けた。
「でも、しょうがないよ。好き嫌いは止められない。……ただ、できればこの街を出るまでは協力して欲しい。いいかな、みんな?」
そう言って僕は一郎さんに目を向けた。
「え、ええ……」
とりあえず同意の言葉だけ取って、強引だがその場を収める。
この診療所で長々と話をしている暇はないのだ。
微妙な空気を誤魔化すようにして、僕は廊下から診察室へ向かった。
診察室に入ると、そこにいるのはニーオ先生とダイモンジさん。
ダイモンジさんは頬のあたりに打撲の痕があり、首からかかった札を見ると運量がゼロだった。
僕に気付いたダイモンジさんが声をかけてくる。
「ありがとう、君にはまた助けられたよ」
「どういたしまして。……ダイモンジさん、戦ったんですか?」
「ああ、うん……全然ダメだったけどね」
そんな彼に、僕は親指を立ててニヤリといたずらっぽく笑う。
ダイモンジさんは恥ずかしそうに、そして少し嬉しそうにはにかんだ。
そんな男同士のイイ雰囲気に水を差す、冷たいニーオ女史の声。
「私はとばっちりだったワケだけど?」
「う」
やっぱり怒るよなぁ。
この様子だと、僕がいろいろ画策して動いてたのにも勘付いてそうだ。
……こういう時は誤魔化せぃ! 面倒事は後回しだ!
「ま、まあ話は後でね! とにかく早くここを出よう。みんなついて来て!」
僕はじとっとしたニーオ先生の半眼から逃れるように、診療所の外に出た。
全員を先導して、夜の街を走る。
遅れる人がいないように、後続の様子に気をつけながら。
それにしても……ヤエナは本当にまったく僕を手伝わなかった。
今も隠れて僕らの後をつけているのだろう。
……彼女が地底湖で僕に向かって「邪魔にはならない」と言ったのは本当だった。
僕らは地底湖から地下6階に上がり、地下6階から隠し階段を登ると、地下4階のワイトピート達の隠れ家に出た。
6階から冒険者が戻れないとワイトピートが言ってた理由が分かったわけだが……問題はその後だ。
4階から地上に上がるまでに何度か獣と遭遇したけど、ヤエナはうまく立ち回り、獣の脅威から逃れていた。
僕が彼女を守る必要がまったくなかった。
ダンジョン出入口の警備兵を倒す時だけ手伝ってくれたが、その手並みも鮮やかなものだった。
彼女が高い戦闘能力を持つのは明らかだった。
間違いなく、僕よりも。
……だが、かといって協力して戦うそぶりも見せない。
ただ僕の影のように、つかず離れずの距離で付き従ってくる。
何を考えているか分からなくて不気味けど……今は邪魔にならないのなら、それでいい。
そうして僕らは、納骨亭の看板娘であるテフラの家に到着した。
正確には彼女のお父さんのヌアリさんの家。
いきなり訪ねてきた僕達を、彼らは快く受け入れてくれた。
ここの人は僕に大きな借りがあるから、断られることはない。
やはりいい事はしておくものだ。
困った時には役に立ってくれる。
この家の人らの人柄を考えても、余程のことがなければ裏切って通報されることもないだろう。
彼らにお礼を言って、僕は地上の情報を集めるために外に出た。
皆はどうなっているのか。
一人では何もできない。
まずは皆と合流しなくては。
静まり返った住宅街。
少し進んで周囲の建物がまばらになったところで、僕は後ろの暗がりに向かって声をかけた。
「ヤエナ」
「あら、どうしました?」
やっぱりいた。
小柄な人影が、ひょっこりと闇の中から姿を現した。
暗めの紫色の髪に紫の瞳の、歳不相応に落ち着いた少女。
「少し話しておこうと思って」
「私とですか? なんでしょうか」
「まず、きみの意向としては……ヨールンの言葉に従うってことでいいのかな?」
「はい。存分に私を手籠めにしてください」
存分にって……すごい娘だ。
パフィーと同じくらいの歳のくせに。
「わかった。でもしばらくは無理だ」
「大丈夫ですよ、私もそこは聞き分けます。落ち着いてからで結構です」
よし、状況が落ち着かなければ、ある程度は放置できそうだな。
「じゃあ僕からの頼みだけど、僕と賢者ヨールンとの約束……というか、僕がヨールンに会ったこと自体を秘密にして欲しい」
「クラマさんの都合がいいなら、私は構いませんけど……他の方にはどう説明すればいいでしょう」
「そう、そこ」
僕はピッとヤエナを指さした。
「僕はこの世界の事情にあまり詳しくないから、そういう嘘はまだ詰められない。だからきみの意見を聞きたい。何かいい誤魔化し方はあるかな?」
ヤエナはうーんと考えるしぐさをしてから、答えた。
「そうですね……地底王国からの迷い子ということでどうでしょう」
「地底王国?」
「はい。広大な地下大空洞の中心には、人の住まう王国があります。私たちがいた場所は彼らの縄張りからは離れていますが……私がそこの出身ということにすれば、クラマさんは全く知らないでしょうから話を合わせる必要もありません。私の嘘がばれても、私だけの問題として済ませられます」
頭が切れる……。
僕の意を汲み取って、後のフォローまでも考慮に入れた案をすぐに出してくるとは。
「わかった、それでお願い。それで……きみは僕に協力してくれるのかな?」
彼女が高い能力を有しているのは分かっている。
でも、これまでの道中では、積極的に協力しようというそぶりが見られない。
彼女は言いにくそうにしながら口を開いた。
「……これを言ってしまうと、薄情者と思われてしまいそうなのですが……」
「大丈夫だよ、遠慮なく言ってみて」
たぶん僕の方が薄情だから。
「はい。私はお兄様との約束を果たすためにここにいます。ですので……その目的のために、私の能力も交渉の材料にしたいと思うのです」
「……つまり?」
「私を抱いてくれれば力を貸します」
「……なるほど」
これは想像以上の難物だ。
「分かった。その時がいつになるか分からないけど……とりあえずは、そんな感じでよろしく」
何にせよ、今は仲良くする以外にない。
僕はにっこりと笑って彼女に手を差し出した。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
そう言って彼女は僕の手をとって握手を交わした。
「それじゃあ影に戻りますね」
そうして、彼女は再び夜の闇へと消えていった。
……さて。
わりと時間を食ってしまった。
夜の残りはそう長くない。早く行かなくては。




