83話『クラマ#04 - 賢者の依頼:愛の証明』
「なるほどね。それが何か?」
深遠なる賢者ヨールンの問いかけ。
それに対して、僕は逆に聞き返すことで回答とした。
「……まあ、おぬしならそう言うであろうとは思っておったが」
僕の答えを受けて、ヨールンはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「いや、まあ、言いたいことは分かるよ。あなたは知ってるかもしれないけど……これは哲学的ゾンビの問題だね」
哲学的ゾンビ。
言葉の通り哲学で語られる話で……かいつまんで言うと、意識を持たないけど人間と変わらない行動をとるゾンビは、人間と何が違うのか? という問題だ。
ゾンビで考えるよりも、高度な人工知能とした方が想像しやすいかもしれない。
区別のつかない作り物を、本物と区別するかどうか。
ぶっちゃけて言ってしまえば、ほとんどの人は最終的に「区別する必要なし」という答えに行きつくと思う。
ただし、そこに至るまでの過程がこの問いかけの本質だ。
大半の人は「考えるだけ無駄」と一蹴してしまうだろう。
それは実際として正しい。
世の中には不真面目でいいかげんでも良いこともある。
おそらく理解力が高く、自分と真剣に向き合う人ほど思い悩む。……ガーブのように。
最終的に「区別できない違いは無視する」という答えを出しても、そこに「違いがある」と認識してしまうと、その解答は痛みを伴う。
正しさと向き合わなければ気が済まない自分の性を、無理やり押さえつけることになるからだ。
僕も答えは同じ。
けれども、その過程が違った。
僕はそんな葛藤を経るまでもなく最初から、自分と他人が別の生き物だと区別していた。
もちろん僕は「地球人グループ」の一員で、「異世界人グループ」とは別だということは理解してる。
でも僕の中の実感では……「僕」と「それ以外」にしか別れていないのだ。
今の話を聞いた後でも。
「愚問じゃったな。つまらん」
「ひとにリスク負わせておいてこの言い草! 権力を与えたらダメなタイプの人だねコレは」
この賢者、ナチュラルに性格が悪くて手に負えない。
でも、そのぶん彼は思いのほか分かりやすそうだ。
美青年の姿に老人の喋りというミスマッチに始めは面食らったが、赤い目の色から分かる通りに、彼はおそらく快楽主義者だ。思考は読みやすい。
それより僕は、隣の少女がよく分からない。
彼女の兄の体をヨールンが乗っ取っている。
その兄は別に悪い人間ではなかったという。
だというのに、彼女はまるで恋人のように兄の体を奪った男に寄り添っている。
……かなり不気味だ。
ひょっとしたら納得できる理由があるのかもしれないけど、触らぬ神に祟りなしだ。
この疑問はうっちゃって次の話に行こう。
「……一応聞いておくけど、さっき言った話は他の人達は知ってるの?」
僕の質問にヨールンは横に首を振った。
「いいや、儂とイードの森のババアだけじゃな、知っとるのは。こんな事が表沙汰になったら、また《神の粛清》じゃろう。そうならんように、地質学的調査は儂の名で禁止したが……さて、今はどうじゃろうな。長いこと地上に出ておらんから、よう分からん」
なんか結構ヤバイ話をしてるっぽいぞ。
神の匙加減ひとつで人類滅亡とかマジ勘弁なんだけども。
……まあ、核戦争の脅威みたいなもんかな。
今の僕が心配してもしょうがない。
とりあえず、ここでヨールンが語った話は、一般には知られていないということだ。
つまり、この世界の住人は普通に自分を人間だと思っている。
……考えてみれば、おかしな話だ。
僕は自分を人間じゃないと思っていた。
けれども事実として僕は紛れもない人間で……僕なんかよりも遥かに人間らしいみんなが、人間じゃなかったなんて。
皮肉というのか何というのか。
それと――もうひとつ。
この哲学的ゾンビ問題、「意識を持たずに人間の振る舞いをするモノ」という命題の前提になる概念――「意識」について。
僕はこれまで、「意識」というのは人の脳が言語を認識するために起きる錯覚であり、人は漠然と概念的に「意識」という言葉を使用するけど、本質的に「意識」というものは実在しないと考えていた。
だからこの哲学的ゾンビ問題、これを僕は単なる思考実験としか捉えていなかったのだ。
だがヨールンはそれが想像上の概念ではなく、実在し証明できるものだと言った。
これにより、僕の思想がひとつ覆された。
意識持つもの――生物――人間。
人間とは何か。
……まあ、今はいい。
哲学に向き合うのはまた今度。
それより今は賢者ヨールンから少しでも情報を仕入れておく場面だ。
「僕の話はつまらないってのが分かったところで、今度はこっちから聞いていいかな?」
「そういう返しができるあたり、普通に話すぶんには面白そうじゃがの。まぁ聞いてみるがええ。答えるかどうかは質問次第じゃ」
「うん。じゃあ、僕がさっきまでいたダンジョン地下6階……あそこは何なの?」
ダンジョンがフロアごとに、まるっきり別の施設を繋げたものだというのは分かっている。
だから、それまでのフロアと全く趣が違う作りになっていても気にはしなかった。
……けど、6階には他と違う違和感があった。
それは遭遇した獣の名だ。
これまでの階層で遭遇してきた獣たちは……クリッグルーディブ、フォーセッテ、サイヨロアピーント、イーノウポウ……と、今まで聞いたことがない、この世界独自の名称だった。
しかし6階は違う。
ケルベロス……グリフォン……キマイラ……そしてドラゴン。
いずれも聞き覚えのある伝説上の生物だった。
これが何を意味するのか。
「あそこは神が作った“資料室”じゃ」
「……資料室?」
「虹色の水晶があったじゃろう? あれは近くにいる者の脳に働きかけ、恐ろしい生物の姿を見せる。これを模したものを作れという、儂らに対する課題だったと儂は思うておる。以前はこやつらが地上に大勢いたが……《神の粛清》で、ほぼ絶滅したようじゃな」
ほぼ……か。
そういえばドラゴンの名前はイエニアから聞いた記憶がある。
ドラゴンは《神の粛清》も生き残ったのか……いや、いや待て。
そんなことより気になることがある。
「脳に働きかける? それはつまり――あの洞窟で見たのはみんな幻覚ってこと?」
「ふむ――そう思うか?」
思えない。
だから驚いてる。
いや、確かにそれなら一匹ずつ出てきた事とか、他所から生き物が入り込むことがなさそうなのに色んな種族が残ってる事とか、あのフロアの生態系の不自然さには筋が通るけど……。
「ミラーリング・クリスタルが見せるのは怪物の姿のみ。それ以外はおぬしの脳が勝手に補完したものじゃ」
「――なるほど? って、ちょっと待って。ちょーっと整理する時間が欲しいんだけど?」
えーっと……水晶に見せられたのは怪物の姿だけと。
それじゃ洞窟の外観や僕ら3人の動きは、幻じゃなく本物だということだ。
……暗示の力というのは、僕らが思うよりも遥かに強い。
単なる鉄の棒を焼きごてだと信じさせて押し付けると、火傷のような水ぶくれが生まれる事があるという。
目隠しをした男の手首に痛みを与え、そこに水滴を垂らし続けると……失血したと思い込んで勝手に死んでしまったという話もある。
身近な話では、かき氷なんかは全部同じ味なのに、見た目の色と香りのせいで味が違うように錯覚する。
目の前で起きた出来事があまりにリアルすぎて、にわかには信じがたいが……。
……よ~~~~く思い起こせば、確かに……そういえば確かに……おかしな事も……あったか。
ケルベロスに噛まれたガーブの足の傷。
そうだ、僕はあの時、大きな穴がぽっかり空いているように見えた。
なんで穴が見えた?
本当は血が出て穴なんて見えないはずだ。
あの時は何も疑問に思わなかったが……僕の脳が作り出した映像なら、僕が疑問に思わないのは当然か。
……ともあれ、納得できなかろうが受け入れるしかない。
しかし、そうか……
「それじゃあ、あそこで殺し合いをすれば当然……幻じゃないから本当に死んでるわけだ」
「無論」
「そっか……」
まあ、仕方ない。
どのみち僕が殺すつもりだった人だ。
「そろそろ理解は追いついたか? さて、他に聞きたい事はあるかの?」
「うーん、僕がこのダンジョン降りた時は目ぼしいお宝ってなかったんだけど、元々は何かあった?」
「それは教えられんな」
「そうかぁ……じゃあ、この国には良識派の評議会議員っているの?」
「それも教えられんな」
「……遠くの人を操れる魔法具って、どのくらい使い続けられるものかな?」
「教えられんな」
「何なら教えられるのさ!?」
こいつ役に立つことはガチで教えない気か……!
「どうした? もう聞きたいことはないのか?」
PRGのNPCみたいなこと言い出したぞ。
いや、みたいじゃなくて正しいのか。
ともあれ、だいたい聞きたいことは聞いた。
「そうだね。そろそろ地上に戻らないと」
「いいじゃろう。だが、儂からひとつ頼みがある」
ひとつじゃないよね? ふたつめだよね?
頼みじゃなくて条件ですよねそれ?
後出しで条件を追加。こっちが断れないと分かってやってるところが非常にタチが悪い。
こういう手合いは、無駄に条件を増やされる前にさっさと会話を負えるのが、被害を少なく切り抜けるコツだ。
「わかった。その条件っていうのは?」
「物分かりが良くて結構。おぬしに頼みたい事というのは……」
賢者ヨールンは傍にいる少女の腰に手を回して抱き寄せると、その口からとんでもない事を告げた。
「この娘を儂から寝取って欲しい」
――まじでか。
「え……えええええええっ……!?」
少女が驚きの声をあげる。
当たり前だ。
少女の正常な反応を見て僕は少し安心した。
「い、嫌ですお兄様! お兄様は私を捨てるのですか!?」
嫌がる少女。
ヨールンは少女の肩に手を乗せて諭す。
「そうではない。よいかヤエナ……儂がこの地底湖に隠遁するようになって、数えきれぬほどの夜を越えてきた。故に、もはやここで出来る事はやり尽くしておる。そこへ、こうして都合の良い若者が現れた! この機を逃すわけにはいかん。儂には新しい刺激が必要なんじゃ……分かるな?」
はい、どうも。都合のいい男です。
ヤエナって名前だったのね、この子。
「そ、それは……私も薄々は、お兄様の勃ち……あいえ、元気がないのは察しておりました。お兄様が、私をもう愛していないから……そのようなことをしなくてはならないのですか……?」
勃ちが悪いって言いそうになったよね今。
僕の聞き間違えや勘違いでなければ。
「逆じゃよ、ヤエナ。寝取られというのは、愛が大きいほどに意味がある。これは儂とお前の愛の証明じゃ」
どうでもいいけど寝取られっていうか、寝取らせだよね。
どうでもいいんだけどさ、僕からすれば。
「し、しかし彼にも都合があるのでは……好きでもない女を抱くなんて……」
その辺に考えが及ぶんだったら、最初から素直に帰り道を教えるよう説得して欲しかったなー。
「大丈夫じゃ。こやつは何人の娘と同時に関係を持とうと、罪悪感を覚えたりはせん。そういう男だということは分かっておる」
……そうなんだけどさ。
さすがにバレたら良くない事だとは分かってるよ? 僕だって。
「……分かりました。お兄様と私の愛の証明……私、立派に勤め上げてみせます!」
ああ、僕に確認はしないんだ。
「ヤエナ……!」
「お兄様……!」
ふたりは固く抱き合った。
……いやあ、僕に拒否権がないのは分かってるから、口は挟まなかったけども。
さて、これはどうしたもんだか。
賢者ヨールンと涙の抱擁を交わした少女ヤエナは、食料などの準備を終えて、改めて僕の前に立った。
「わたくし、ヤエナと申します。魔法はあまり得意ではありませんけど……邪魔になる事はないと思います。よろしくお願いしますね」
朗らかな笑顔を僕に向ける少女。
この娘は本当に状況が分かっているのだろうか。
とりあえず僕も笑顔で手を差し出した。
「うん、こっちこそよろしく。いざとなったら僕が守るから、心配しなくていいよ」
ヤエナと僕は握手した。
どうにも大変なことになってしまったが、仕方がない。
道さえ分かれば置き去りにしてもいいわけだし。
ヨールンが僕に向かって告げる。
「道はその娘が知っておる。名残惜しいが、また会う時もあるじゃろう。おぬしが生きておればな」
微妙に不吉なことを。
どうやら彼とはここでお別れのようだ。
僕は別れの挨拶をする。
「あはは、そこはなんとか頑張ろう。ありがとうございました。それじゃあ、またどこかで」
ヤエナもヨールンにぺこりとお辞儀をして、僕と一緒に歩きだす。
――と、このタイミングかな。
「そうだ。最後にひとつ聞いていいかな?」
僕は肩越しに振り返る。
「……なんじゃ? 言うてみい」
「この世界の人って、レシピ通りに造られるんだよね? それってさ、僕みたいな異常者の設定も入ってるのかな?」
最後にひとつと言うことで断りにくい空気ができる。
それと、終わったと思って気が抜けた瞬間だから、僕の役に立つかどうかの判断を間違う可能性も期待してみたが、どうかな……?
「……ああ、入っておる」
「そうなんだ。ありがとう。……じゃあ、今度こそさようなら」
僕は手を振ってから、ヨールンに背を向けた。
……さて、これが役に立つのかどうか。
最後のこれだけじゃない。
賢者ヨールンといえど、未来まで見えているわけじゃないだろう。……たぶん。
これまでに語られた中で、僕の役に立つ情報が混じっているかもしれない。
それをじっくり考えながら、帰り道を行くとしよう。
「クラマさん、こっちですよ。滑りやすいから足元には気をつけてくださいね」
……それと、この子の扱いも。




