81話『クラマ#02 - 不可侵なりし幻想の王』
突如として現れた巨大なドラゴン。
そいつは僕を目がけて唸りをあげて突進してきた!
でかすぎる――避けられない。
そう思った時、視界がぶれた。
ワイトピートに腕を引かれた僕は、間一髪のところでドラゴンの爪をすり抜けた。
「いかんぞ、こればっかりは戦える相手ではない」
耳元で告げるワイトピートの顔にも、余裕の色が見られない。
……この世界にドラゴンがいるという話は聞いていた。
それによると、その鱗はいかなる武器も通さず、その爪は鋼鉄の鎧をも貫き、その吐息を受けて形を保てるものはこの世に存在しない……とのこと。
この世界において最も強いとされる生物。
それがドラゴンだった。
「逃げろ! 奴は逃げる相手にはブレスは吐かん! ……言い伝えが間違っていなければな!」
ワイトピートに言われて走る。
樹海で谷底に落ちてからこっち、もう何度目になるか分からぬ全力疾走。
……確かにワイトピートの言う通り、話に聞くドラゴンブレスは来なかった。
だが、その移動速度はこちらよりも遥かに早い……!
「オクシオ・イテナウィウェ!」
唱える。
当然、もうこれを使うしかない。
僕は可能な限りの早口で一気にまくしたてる!
「ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ! ジャガーノート!!」
> クラマ 心量:97 → 72(-25)
輝くベルト。
黒い炎に導かれ、僕の身体は限界を超えて奔る!
背後から滑空してくる巨体、それを僕は横っ飛びに回避した。
一秒前まで自分がいた場所を通り抜ける巨体。
それだけで巻き起こる――突風!
相手の体に触れてもいないのに、ただ移動した際に起きた風に巻き込まれただけで、僕は大きく吹き飛ばされて地面に転がった。
「っつ……!」
体の痛みを無視してすぐに起き上がる。
前方では地に降りた巨体が、洞窟内に行き渡る地響きと、濃霧のような砂煙を巻き上げていた。
……スケールが違う。
これは今まで倒してきた獣とは違う。
人間が戦える相手じゃない。
しかし、かといって……
ドラゴンがゆっくりと振り向いた。
そいつは品格すら感じさせる悠然さをもって、じっと獲物を見定める。
「……オクシオ・ヴェウィデイー」
逃げられないなら、やるしかない。
僕は黒槍を抱えて詠唱する。
僕が持つ、最大火力を。
「サウォ・ヤチス・ヒウペ・セエス・ピセイーネ……」
ドラゴンは僕に目を向ける。
詠唱による魔力波を感じ取っているのか。
すぐに襲ってこないのは、未知のものゆえ警戒しているのか。
分からない。
分からないが、僕にできるのは呪文の続きを唱える事だけだ。
「正義の使途、悪を潰やすヴィルスーロ……きみの矛先を今だけ変えてくれ……」
ここだ。
詠唱の途中だが、もう行かなくては。
槍を握って覚悟を決める。
見つめる竜と、視線が合わさった気がした。
僕は両足に力を込めて――駆けた! 竜の懐へ!
筋力増強、限界突破した肉体は、電光石火の速度をもって闇を貫くように駆け抜ける!
竜の腹は目前! あとは残りの詠唱を――
そのとき、視線を感じた。
一瞬だけ映った。僕の視界の端に。
……竜の眼が。
上からじっと僕を見下ろしている――
僕は足の筋肉が千切れるかという勢いで急停止した。
直後、目の前を横切る緑の壁……!
いや、壁ではない。それは尻尾だ。
迎撃するよう、僕の進路にあらかじめ置かれた尻尾による薙ぎ払い。
……こいつ。
こいつまさか……。
僕は頭上を見上げた。
こちらを見下ろした竜の目。
静かに見つめるその瞳、そこに浮かぶ光は爬虫類のものではない。
まさか……誘われた……!?
僕はガツンと衝撃を受けた気分だった。
目の前の竜は、獣じゃない。
理性をもって思考し、こちらと相対している……!
考えてみれば、あの巨体。あの頭部。
脳の容量は人間よりも遥かに大きいはずだ。
……もちろん脳の容量と知能の間に明確な相関関係はない。
そうだったなら、像は人間よりもずっと賢いことになる。
しかし――この怪物にそんな常識が通用するだろうか?
こいつは、これまで僕が見てきた生物とは違う。
もし人間と同等以上の知能を持っていたならば、こちらに打つ手が――
「おおおおおおおおっ!!」
ワイトピートが雄叫びをあげて剣を投じた!
ドラゴンの目を狙ったそれは、閉じられた目蓋によって弾かれた。
が、ワイトピートは迷わずドラゴンの体を階段のように駆け登る!
「迷うな! そのまま行け!」
叫んだワイトピートは、竜の頭に乗り上げるとナイフを振り下ろした!
――ガイィンッ!!
ナイフの刃が折れた。
「ちぃっ!」
頭に乗ったワイトピートを振り落そうとするドラゴン。
振り落されまいとしがみつくワイトピート。
――そうだ。
未知の敵に対して慎重になりすぎていた。
僕は、そう。
いつだって、やるべきことを、やるだけだ。
「返せ、激憤の咆哮を!」
詠唱の続きを唱えて走る。
ドラゴンの意識がワイトピートに向けられている今が、きっと最初で最後のチャンス。
僕は槍を胸に抱えるようにして、低く、地を這うように走る。
頭上を通る暴風。
あと数センチ姿勢が高ければ、僕の頭が吹き飛んで首から離れていた。
避けたのだから、気にしない。
目に見えるのは、目前にある竜の腹。
槍の穂先を突き立て、叫ぶ。
「――ヨイン・プルトン!」
> クラマ 心量:72 → 22(-50)
轟音、爆炎、震える大気。
指向性を持つ高速爆轟による超火力。
『ヨイン・プルトン』
これは発生させた爆発衝撃波を、特殊な槍の構造により生じるモンロー効果で威力を増幅し、それと同時に指向性を持たせて叩きつける魔法である。
その威力は分厚い鉄扉を容易く粉砕する、およそ対人戦には不必要な過剰火力。
すなわち、こうした怪物を倒す目的で作られた魔法に他ならない。
圧倒的破壊力を持つ機槍の咆哮が、竜の土手っ腹に穿たれた。
轟音が止み、爆煙は次第に晴れ、そして僕の目の前に広がったのは……
何も変わらぬ、綺麗な鱗の生えた竜の腹だった。
「――おい」
ちょっと。
ちょっと待て。
こんなことがあるか?
まったくの無傷は……さすがに?
竜の腹を凝視する僕の耳に、上空から声が届く。
「ぬううぅっ!? しまった――」
顔を上げると、ワイトピートが竜の手に捕まっていた。
そしてそのまま――バクリと口の中に放られる。
……抗う暇もなかった。
目の前の地面に落ちてバウンドする人間の足。
「これは――」
もう一度見上げた僕は、見下ろす竜と目が合った。
そいつはゆっくりと深く息を吸う。
すると地鳴りのような異様な鳴動を奏でながら、薄く開いた口の奥で、真紅の光が満ちていくのが見えた。
「ドラゴンブレス……!」
――絶望。
これは、そう形容する他なかった。
この世のすべてを消し去る竜の息吹。
眼前に迫った究極の破壊を前にして、僕は呆然と立ち尽くす――
「お――おおおおおお――!!!」
……わけがないんだよなあ、残念だけど!
僕は!
僕が持って生まれたこの体は!
物理的に機能が壊れて止まるまで、十全に動けるように出来ている!
……それが幸か不幸か知らないけれど。
恐怖や絶望で僕の体は止まりはしない……!
そう、だから走った!
まずはドラゴンの足元、死角になる場所へ!
放たれた紅蓮の吐息は僕の髪とコートを焦がす。
ブレスを回避した僕は、背後から広がる熱気から逃げ延びるように、そのまま全力で洞窟を駆け抜ける!
本気の本気の全力疾走。
魔法でリミッターを振り切った筋肉が、肺が、心臓が、全身が悲鳴をあげるのを無視して、ただ走れと己の肉体に指令を出した。
だが――背後から羽ばたく飛翔音。
走って逃げられるものじゃない。
それは分かってる。
考えろ。
生き残るためにどうするべきか?
今、ここでするべきことは、ただひとつ。
「エグゼ・ディケ――」
運量の使用。
それで、どうする?
どう願う?
まず残りの運量は――
> クラマ 運量:1655/10000
……少ない!
この量でどうやる?
『ドラゴンが僕を見失う』
だめだ。運量は生物には直接作用しない。この願い方では、叶えるために僕やドラゴンの周囲が変化する。それでは動かなければならないものが多すぎる。運量が足りない。
『逃げ込める道を見つける』
悪くないが大雑把すぎる。その逃げ道にも、見つけ方にもあてがない現状では、運量がまったく足りない。
背後の飛翔音が一度大きくなって、離れた。
これは――高く飛んで滑空する準備だ。
時間がない。
今すぐ決めなければならない。
……立ち返れ。
そうだ、僕は知っているはずだ。
運量の使用量削減の極意、それは――
運量を使った後に、運任せ。
「僕が生き延びる可能性が高い方向へ穂先が向いてくれ!!」
過去最速の早口で唱える!
と同時に、ティアの黒槍を放り投げた。
地面に槍の石突きが当たって、わずかに跳ねた後に転がる。
穂先が向いた先は――右。
僕はその方角へと進路を変えて走った!
……黒槍は拾わない。
拾う暇がない。
僕が進路を変えた直後、背中に暴風!
ドラゴンが滑空して通り過ぎた余波だ。
僕はそれに吹き飛ばされて、転がり、そして――沼地に突っ込んだ!
「っ、ぶぁっ……!」
深い!
足がつかない!
ちょ、ちょっと待て……!
生き延びるといっても、これでは延び幅が短すぎる……!
即死が溺死に変わっただけだ!
もがけばもがくほど沈む。
駄目だ。
体が全部。
首まで。
これは、もう――
> クラマ 運量:1578 → 0/10000(-1578)




