79話
つい先程までクラマと会話していたガーブは、今や物言わぬ骸と成り果て、湿った土の上に力なく横たわっている。
下手人たるワイトピートは、無遠慮にガーブの剣を拾い上げて自らの腰に下げた。
そうして彼は何事もなかったかのように、「では行こうか」と言って歩き出し――
「なぜ殺した」
その背にかけられた言葉。
ワイトピートは立ち止まり、振り返る。
立ち上がって自らを見据えるクラマに向けて、ワイトピートは朗らかに回答した。
「なぜってそれは、私の剣が熔けてしまったからさ。負傷して動けない彼にも囮としての役割はあるが、さすがに私が剣を持った方がいいだろう」
「……それだけの理由で?」
クラマが続けて訊くと、ワイトピートはかぶりを振って否定する。
「いいや、理由は他にもある。きみの心量回復のためさ。……どうだったかね? 協力して危機を乗り越え、親しくなった者が目の前で殺害されるシーンは。今度こそ感想を聞かせて貰いたいのだが」
「ああ……」
この男の目論見通り、クラマの心量は急上昇した。
その演出に、心が揺さぶられたのだ。
「どうして、そんなことをして平気なんだ?」
クラマの目から見て、ワイトピートという男の言動には、およそ“良心”と呼べるものが欠落しているように見えた。
ガーブの話に出てきた女性は、他者を傷つけることで、それを己に投影して自ら心の傷を塞いでいた。
しかしこの男は違う。
例の残忍な“展示室”では、そういった加害者の心の傷が投影されるような法則性がなかった。
それこそ、単なる思いつきが並べられているような。
ワイトピートが部下2人を殺した時にしてもそうだ。
殺した後のやたらと淡白な言動からしても、こだわりというものが感じられなかった。
“殺す方がいいから殺す”
ワイトピートの振る舞いには、こんな気軽さがあった。
「ふむ、答えてはくれないのかね。……まあ、いいさ。どうしてこんなことをして平気なのか、という問いについてだが……平気だから、するのではないか?」
「……そうか」
クラマの思った通りの答え。
人が、する必要のない残虐な行いをする訳は、それが己の内にある昏い傷穴を一時的にせよ塞いでくれるからだ。
端的に言うなれば、嗜虐という道具を用いた歪んだ治療行為である。
だがワイトピートに、そのような傷はない。
あえて残虐な行いを選んでいる以上は、そこに自分なりの価値を見出しているのは間違いない。
しかしそれは彼にとって、何も特別なことではないのだ。
食事をして腹を満たすのとまったく同じ次元で人を殺傷し、虐げる。
これが“悪人”でなくて何だというのか。
良心を抱かぬ完全な“悪”。
これがワイトピートという名の怪物の正体である。
「しかし、きみはどうかね?」
ワイトピートの問いかけ。
その言葉に、クラマの肩がピクリと震えた。
「……なにがだ」
「私がナイフを持って彼の背後から近付いてきているのは、きみの目からは丸見えだったろう。なぜ彼に警告しなかった? ……いや違うな、フフ……きみはなぜ、私に気付いてから、彼に意味のない話を振った?」
「……それは……」
「なぜ……私が彼を殺すサポートをしてくれたのかな?」
クラマは硬直した。
言葉を返せない。
体を動かすことができず、ワイトピートの青い目から視線を外せない。
心臓が、握られていた。
……突然、ワイトピートは肩を揺らして笑いだす。
「く……くはははは……ははッ……」
もうこらえきれない、これ以上は耐えられないと。
含み笑いは徐々に広がり……やがて臨界を超えて爆ぜた。
「あーはははははははははははははは!!! ふはッ、はは、うあっははははははははははぁあーっ!!!」
ワイトピートという男は、陽気な笑みが特徴の男だった。
だがこの時の笑いは、これまでに彼が見せてきた笑いとは違っていた。
今までの作られた笑いとは違う。
腹の底から湧き上がるに任せた、剥き出しの笑い。
その笑顔は派手な笑い声とは裏腹に――ひどく酷薄で、のっぺりとした能面のようだった。
「……なにがおかしい」
クラマは喉奥から言葉を絞り出す。
「ああ可笑しいさ! 傑作だ! では訊こうか……! きみは、どうして私が部下の首を刎ねたとき、転がった首に目を向けずに私から目を逸らさなかった!?」
「それは……そうするべき……だろう」
「そうとも! 敵の前で目を逸らしてはいけないな! 偉い! ……だが、なぜ眉ひとつ動かさずにそんなことができる!? 人の生き死にに慣れた女騎士でさえ目を細める、残酷な光景に! 平和に暮らしてきた地球人のきみが!? ははっ、まともではないな!」
ワイトピートは問い詰めながら、一歩ずつ、ゆっくりとクラマに近付いてくる。
クラマはその歩みを拒むかのように、否定の言葉を返す。
「僕は……普通の人間だ……」
「“それ”がきみの心の拠り所かね? しかし自らが普通の人間だというならば、答えてみたまえ。次の私の問いかけに」
踏み込んでくる。
クラマへと。
それは、死を告げる死神のように。
「……きみは、恐怖を感じたことがあるか?」
「―――――――――――」
これまでの話の流れと、まるで関連のない問いかけ。
しかしそれが、それこそが……クラマの心臓を貫く致命傷だった。
「………………やめろ」
ワイトピートは止まらない。
「嘘をついて心が痛んだことは? 傷つき、悲しむ者を見て胸が締め付けられたことは!? 後は、そうさな……複数の異性と関係を持つことに罪悪感や、背徳感を抱いたことはあるかね?」
すでに貫かれたクラマの心臓をワイトピートは抉り、裂き、切り刻んでいく。
これは、あの時とまったく同じ感覚だった。
――あんたは人間じゃない!
あの時も、そしてこの時も、クラマの持ち得る思いはひとつだけ。
『なぜ、それを知っている』
「……目だ。その目を見た時から私は気になっていた。きみの目は、とてもよく似ていると」
いつの間にか、ワイトピートの顔がクラマの目の前にあった。
至近距離で互いの瞳を突き合わせて、ワイトピートは言う。
「――鏡に映る私の目と」
正しくはない。
まず色が違う。
目蓋の形も違う。
しかしどういうわけか、その瞳から受ける印象……雰囲気。
そうしたものが、まったくもって瓜二つなのであった。
クラマから否定の言葉は出ない。
なぜなら、クラマが初めてワイトピートと出会った時。
イエニアの盾殴りでワイトピートのガスマスクが破損し、その瞳をクラマが目にした時。
まったく同じ感想を、クラマも抱いたからだ。
鏡の前で、何度も見た覚えのある瞳だと。
人を人と思わぬ、非人間の目だと。
「やめろ……」
「私の“展示室”を見てどう思った? かわいそう? 気持ち悪い? それとも許せない? いいや、違うな……きみはこう思ったのではないか?」
「く……あ………」
「これが作られた現場に、自分も居合わせたかった……と」
「黙れ……!!」
クラマは黒槍をワイトピートの喉に突きつけた。
しかしその切っ先は細かく震え、クラマの顔色は死人のように血の気が引いていた。
ワイトピートは槍を突きつけられても微動だにせず……天使のような穏やかな顔で、死神のような言葉を口にした。
「クラマ=ヒロ。きみは私の同類だ」
これで終わり。
最後のひとつが開かれた。




