64話
ワイトピートから与えられた隠密用の魔法具を使用して、トゥニスは白と緑の通路を駆ける。
その走りが道半ばで急停止した。
トゥニスが顔を上げて認めた先。
通路を塞ぐように小さな人影が待ち受けていた。
「――イクス」
「聞こえてたよ。だいぶ前からね」
イクスの魔法具。
それは身軽になる魔法の他にもうひとつ、警戒するべき音を大きく拾う魔法が入っている。
イクスはこれを、クラマ達が罠の多い区域に入った時から使用していた。
> イクス 心量:349 → 329/500(-20)
トゥニスが魔法具によって出す音を小さくしようとも、完全に消さない限りはイクスの警戒網から逃れることはできない。
「……なるほど、お前がいたな」
歩いて近付いて来ようとするトゥニスに、イクスは一定の距離を保とうとする。
「トゥニス」
イクスの呼びかけにトゥニスは止まった。
「なんだ?」
「オルティたちを人質にとられてるの?」
イクスの問いに、トゥニスの表情は一瞬だけ翳りを見せたものの、まっすぐにイクスを見つめて堂々と答えた。
「いいや、私は自分の意思であの男に従っている」
イクスはトゥニスの目を見返した。
かつてはオレンジ色だった、別れている間に変わってしまった青の瞳。
「……無理やり改宗させられたんでしょ? 先に行ってる彼らが、あの男を倒す。そうしたら一緒にオルティ達を探そう」
その言葉にトゥニスは苦笑した。
「ああ、お前は正しい。私はあの男の手管で心を縛られ、都合よく操られているに過ぎん。私がたまたま戦力になりそうだから引き入れた。あの男について行けば、いずれ必ずゴミのように捨てられて私は死ぬ」
「じゃあ……」
「だがな、イクス」
イクスの返しをトゥニスはぴしゃりと止めた。
そして臆面もなく告げる。
「私はあの男を愛している。自作自演、人身操作による作り物の感情だとしても……私は別に構わない」
騙されていてもいい。
都合のいい女でもいい。
今ここにある心に素直に生きる。
イクスには理解できなかった。
それは間違っていると思った。
しかし……自分にはトゥニスの考えを変えられないという事だけは理解できた。
納得いかず苦しげな表情を見せるイクスに、トゥニスは自嘲に満ちた笑みを浮かべて言った。
「私も意外だったよ、自分がこんな女だったなんてね。いや実際、昔の自分が今の私を見たら、男に依存する情けない女だと蔑んでいただろう。まったく人は変わるものだ。良くも悪くも」
皮肉げに語る顔、口調、雰囲気。
それらはまぎれもなく、イクスの記憶にあるトゥニスと一致している。
それでようやくイクスは納得することができた。
トゥニスの意思が本物であり……自分と彼女の進む道が別れたのだと。
「そ、っか……」
イクスはダガーを握って構えた。
「じゃあ――わたしの敵だ」
それを受けてトゥニスも大剣を構える。
「先に……これだけは教えておこう」
戦いの前にトゥニスは告げた。
「オルティ達を探すのなら、ヒウゥース邸の地下を調べろ。この街とダンジョンの秘密がそこにあると、あの男は言っていた」
「わかった、ありがとう」
く――とトゥニスは笑う。
今日一番の皮肉に満ちた笑みだった。
そして、ふたりの戦いが始まった。
「しかしなイクス、お前が私に勝てると思うのか!?」
トゥニスの大剣が豪快な風切り音を鳴らして一閃する!
だが、その剣が切り裂いたのはローブのみ。
「それはこっちのセリフ」
イクスはトゥニスの背後に回りながら反撃の刃を返す!
死角から振るわれた短剣を、トゥニスは大剣の腹で防いでみせた。
ファーストコンタクトはお互い不発。
イクスはそのまま大剣の間合いの外に逃げた。
トゥニスの追撃は――ない。
「そんな足で勝てると思ってるの?」
イクスの指摘通り、トゥニスはセサイルにやられた右足が治りきっていなかった。
「なに、丁度いいハンデだろう」
「そ。じゃあ、もう少しハンデもらうよ。オクシオ・シド!」
イクスの詠唱。
本来は相手の詠唱は止めに行くものだが、トゥニスの足では下がるイクスを追えない。
代わりにトゥニスも詠唱を後追いする。
「オクシオ・ビウヌ!」
「サウォ・ヒシハ・セエス・レエダエ・タナハ・セエスナ……フレイニュード・アートニー」
「サハ・ソーハ・ツネゥラエ・フェノニ・イナフ・ハサテ! イフノウィード・ガーブ!」
> イクス 心量:329 → 299/500(-30)
> トゥニス心量:202 → 177/500(-25)
お互い陳情句を省略。
イクスの魔法は陳情句で持続時間しか変わらないので、かけ直しが可能な状況では陳情句は省ける。
トゥニスはイクスの魔法発動に合わせた形だ。
浮力を得て、より身軽になったイクスが通路を飛ぶ!
矢のように宙を駆けるイクス。
トゥニスの頭上を通り過ぎざま、短剣を閃かせる!
「――くっ!」
トゥニスの肩が浅く切り裂かれた。
「まるで鳥だな」
「こんなこともできるよ?」
言って、今度は壁を蹴るイクス。
壁、天井、床。
狭い通路を自由自在に、様々な角度で跳ね回る!
それはさながらピンボールであった。
イクスのスピードと独特の動きに、足に傷のあるトゥニスは対応しきれない。
目では動きを追えているため深手は避けているが、浅い傷が徐々に積み重なっていく。
形勢はイクスに大きく傾いている。
トゥニスは防戦一方で、身をひねり、大剣を使って攻撃を防いでいる。
重くて振りの遅い大剣ではイクスを捉える術がない――そう思える状況だったが……。
突如、イクスの動きが鈍る。
「うっ――!?」
戸惑い、そして急停止。
隙だらけの体を晒したイクス。
当然それをトゥニスが逃がすはずもない。
大剣が肉を抉り、鮮血が飛んだ。
「うぁっ……くっ……!」
イクスが地面を転がる。
咄嗟に回転しながら後ろに跳んだが、回避しきれなかった。
イクスの右太腿が大きく斬り裂かれていた。
「これで五分になったな」
悠然とイクスを見下ろすトゥニス。
半身を起こして見上げるイクス。
五分になったというのは皮肉。
スピードでしか勝てないイクスが機動力を奪われた以上、勝負ありだ。
「やはり実戦経験が足りないな。悪くはなかったが……私と、この“とりかごの剣”を甘く見るな」
トゥニスの大剣。
魔法具でもあるこの剣は、「振り切った剣の残像に質量を残す」という魔法が籠められていた。
これにより剣を振ってから戻すまでの隙を補うことができる。
また、残った質量は切れ味も残るため、敵を誘う罠としても機能する。
セサイルとの立ち合いではこれを仕掛けたものの、額を浅く抉る程度に留まった。
イクスもこの魔法の存在は分かっていた。
しかし、いざ相手にするとイクスの想像以上にトゥニスは巧みに剣を操り、この残る質量を使ってイクスが跳ぶ方向を制限してきた。
トゥニスの言う通り、イクスは甘く見ていた。
「まあ、短期戦を挑んだのは正しい。体を軽くしたといっても、あんな動きは長くはもつまい。それに時間をかければ私も慣れる」
イクスは膝をついたままトゥニスの言葉を聞く。
その太腿から下は流れた血に濡れている。
トゥニスはイクスに背を向けて告げる。
「魔法具を外しておけ。新しい仲間達の断末魔を聞きたくはないだろう」
そう言ってトゥニスが歩を進めようとした時だった。
ヒュ、と小さな風切り音。
「む――ッ!?」
反射的に身を翻すトゥニス。
しかし飛来してきたそれを避けきれず、トゥニスの脇腹にダガーが突き刺さった!
「ぐうっ、イクス――!」
振り向くトゥニス。
イクスは立ち上がっていた。
苦痛に顔を歪ませ、膝を震わせながら。
「行かせない……彼らのところには、絶対に……!」
そのイクスの表情、悲壮とも言える必死さ。
長くパーティーを組んできたはずだが、トゥニスの初めて見るものだった。
「イクス……なぜ、そこまで……」
「彼らは……仲間を助けてくれるって約束してくれた……何も持ってないわたしのために……」
一歩、また一歩。
イクスは足を前に進めた。
太腿の傷口から血が噴き出るのも構わずに。
「待て、イクス。それ以上は――」
「わたしは……二度と仲間を裏切ったりしない……!」
何故そこまでするのか。
浮かびかけたその疑問が腑に落ちた。
イクスを突き動かしているもの。
それは後悔だ。
パーティーが壊滅したのは自分のせいだと。
自分がしっかりしていれば、こんな事にはならなかったのに……と。
後悔を抱く者にとって、肉体の痛みは心の痛みを誤魔化す鎮痛剤である。
苦痛でイクスは止まらない。
むしろ、さらに求めて進み続ける。
だがトゥニスからすれば、それは間違いだ。
不意打ちを受けてパーティーが壊滅したのは、先導するパーティーリーダーであり、なおかつ戦闘担当であったトゥニスの責任に他ならない。
「イクス……」
しかし、今さら前言は覆せない。
自分は男のために仲間を捨てた女である。
何も言う資格はない。
だから――トゥニスは構えた。
「いいだろう……受け止めてやる。来い!」
イクスは飛んだ。
落ちるように。
奈落へと突き進むように。
その胸を焦がす熱から逃れるために。
白と緑の通路の中を、イクスは飛翔した。
これまでよりも高く、強く。
赤い翼を広げて。




