60話
クラマから2日遅れてイエニアが退院。
久方ぶりにクラマ、イエニア、パフィー、レイフのパーティーメンバーが一堂に会する。
それにティアとイクスが加わり、その日はクラマが腕によりをかけて豪勢な晩餐を振る舞うことになった。
「ふっふふふ、快気祝いだからね。少し奮発してしまったよ」
今日の目玉はチェーニャ鳥のロースト。
思い切って一羽を買って丸焼きに挑戦した。
こんがりと焼き色のついた香ばしい鳥の丸焼きを中心に、色とりどりの料理が並ぶ。
全員が食卓に着いたところでイエニアが音頭をとる。
「えー、皆さん。入院中は大変ご心配をおかけしました。おかげさまで、このたび無事に退院することができまして、特に治療にあたってくれたパフィーには……」
「イエニア、長いわ! ごはんが冷めちゃう!」
「うっ! そうですね……」
イエニアはコホンと咳払いをして、手にしたグラスを掲げた。
「それでは細かいことは抜きにして、乾杯!」
「かんぱーい!」
「いえーい!」
全員が盃に口をつけ、料理に手をかける。
といっても、お酒を飲むのはレイフとティアのふたりだけ。
レイフはドゥエと呼ばれる麦から造られた蒸留酒を好む。アルコール度数は50%程度と高い。あまり癖がなく、多くは果汁などと混ぜてカクテルの材料とされるが、レイフは平気でそのまま口にする。
ティアはウィーバーという果実酒から造られる蒸留酒を必ず食事の伴にしている。上品な香りが特徴で、度数は40%程度とドゥエよりは若干低い。
しかし飲むとすぐに顔が赤くなるレイフに対して、ティアは一切酔いが回った様子を見せない。しかも水のようにグイグイ飲み干していく。恐るべきザルである。
クラマはしっかりこの2種類のアルコールを用意していた。
さらに酒のつまみとして、この世界では比較的珍しいチーズも少量だが食卓に並べていた。
ティアはチーズへと手を伸ばし……
「最後の一個、も~らいっ♪」
その寸前でレイフの手がかっ攫っていった。
「――!?」
「むぐむぐ……意外とおいしい! さて、みなさんにご報告がありまーす!」
手を挙げて注目を集めるレイフ。
彼女は普段の軽い調子で皆に告げた。
「パーティー抜けるって言ったけど、やっぱり抜けません! お騒がせしましたー♪」
イエニアとパフィーは一瞬だけ手を止め、すぐに食事を再開して言う。
「そうですか、それは良かったです。子守りの仕事がなくなってしまうとパフィーが嘆いていましたから」
「そうよ。レイフが書いた地図の修正作業がないと、わたしがダンジョンでやる事なくなっちゃうわ!」
「あらら? これは私が子守りされてる感じ?」
まるで大した事はなかったとでも言うかのように。
3人は冗談を交えて笑い合った。
そしてイクスは絶え間なく料理を口に運び続け、ティアはチーズの消えた皿を見つめ続けた。
食事の後片付けを終えて。
ティアに呼び出されたクラマは、近くの空き地にいた。
昼間によくイエニアと訓練する場所である。
「お待たせ致しました」
夜の闇からティアが姿を現す。
その手には訓練用の棒が2本と、黒槍が1本。
ティアは棒の1本をクラマに渡し、槍を地面に突き立てた。
「不躾かと存じますが、よろしければ稽古にお付き合いください」
「いいけど……暗くない?」
街灯があるとはいえ時刻は夜。
視界はかなり悪い。
「ダンジョンの中では視界が良い場所の方が稀ですから、暗所での戦闘に慣れておく必要があります」
「確かに」
納得してクラマは構えた。
どういった風の吹き回しか分からないが、クラマにとってみれば新しい事を覚えるチャンスである。
ティアも構えをとって相対した。
「イエニア様との稽古で基本は出来ているかと思いますが、まずは確認から。こちらが隙を作りますので、攻めてきてください」
そうしてティアによる指導が開始された。
わざと隙を見せてクラマの打ち込みを見る事から始まり、次に隙をなくして打たせ、最後にお互い好きなように打ち合う。
ティアによる指導のさなか、クラマはある種の感動を覚えていた。
ティアの動きはあまりに合理的、そして体系的だった。
クラマがそれまで考えていたのは「攻撃のチャンスを見つける、または作る」事だった。
しかしティアの棒術――おそらく本当は槍術――は常に次の展開を見据えて、有利を取り続ける動き。
相手の動きを予想するのではなく、この状況でこうすれば必然的に相手はこうする……といった詰将棋に似た戦闘理論。
しかもそれが非常に分かりやすく、スポンジが染み込むようにクラマはその理論を吸収していった。
訓練用の棒を何度も打ち合わせながら、クラマは思った。
これはイエニアよりも強いのではないか? いや、あるいはセサイルよりも――?
――コツン。
と、クラマの額にティアの持つ棒が当たる。
「このくらいにしておきましょう。お疲れ様でした、クラマ様」
「ふーーーーっ……お疲れ様。ありがとう、ティア」
小一時間ほど打ち合って稽古は終了した。
久々に体を動かした事と、視界の悪い中で普段より集中力を使った事で、クラマの全身を強い疲労感が襲う。
「体が治りきっていないのに無理をさせてしまい申し訳ございません。戻る前にしばらくお休みになってください」
「うん、そうする。手加減してくれたから、リハビリには丁度良かったけどね」
と言ってクラマは草の上に足を伸ばして座り込む。
ティアはハンカチを敷いて、その上に行儀よく腰を下ろした。
クラマが息を整えながらティアに向かって話しかける。
「いやーーー……強いね。どうしたらそんな強くなるの」
「わたくしは……少し特殊ですから。クラマ様の参考にはならないかと」
「そうなの?」
「ええ。……幼い頃のわたくしは、周りの子が出来ることが出来ませんでした。周りの会話についていけず、不注意で物を壊してしまうことが多々ありました」
クラマの疑問に応える形で、ティアは自らのことを語り出す。
「お前は欠陥品だと母にはよく怒鳴られ、自身もそう思っていました。……そんな時に出会った“魔女”から、自身に適した学習法を教えて貰ったのです」
「うん? その魔女って……ひょっとしてパフィーのお師匠様の?」
この世界で“魔女”と言えば“イードの森の魔女”グンシーを指す……という話をクラマは聞いていた。
ついでに言えばグンシーの人格のコピーは、まだクラマの頭の中にあった。
ティアはそれに頷く。
「はい、そうです。その後はわたくしも人並みの生活ができるようになりました。……今でもたまに、会話の中で何を指しているか分からなかったり、足元に落ちているものに気付かなかったりしますけども」
クラマはティアの行動を思い返す。
言われてみれば、そんなような場面を見かけたこともあった気がした。
「わたくしの学習法は、ひとつのことを突き詰めるのに向いていました。ですので剣、あるいは槍を用いての1対1の戦闘では誰にも負けない自信があります」
「ほうほう……なるほど」
「しかしその代わりに……“自分の中で理論が固まっていない事に対応できない”という致命的な欠点がありました。“なんとなく”で動けないのです。戦場でのわたくしは、まったくの役立たずでした」
なるほど、それは特殊だとクラマは納得した。
「わたくしがパーティーに参加していない理由……以前、外から助けに入るためのリスク回避だと申し上げましたが……それだけではないのです。わたくしはダンジョンの中では、まともに戦えません」
クラマは前にセサイルが言っていたことを思い出した。
――1対1で勝てる方が強いなんて事はねえよ。戦場じゃあ、自分と相手だけじゃなく、もっと広い目を持つ必要がある。ダンジョンでも同じ事だ。
ティアはそれがものすごく極端に出てしまった例なのだろう。
「彼女――イエニア様には戦場でだいぶ迷惑をかけました。話が噛み合わずに何度も喧嘩しましたし」
「えぇ~? ほーんとにぃ?」
なかなか想像しにくい絵面だった。
ティアは苦笑して答える。
「ええ。でも彼女もひどいんですよ。こちらが理由を説明しても、反論もなしにあれは駄目、これは駄目って。強引な人なんですから」
珍しくティアの口から愚痴らしきものが飛び出してきた。
……ティアは自分と似ている、とクラマは思う。
目的は教えてくれないが、おそらくティアは自分が正しいと信じる事のために動いている。
クラマも正しい事を止められない。
しかしその根本にあるのは、まったく違うものだともクラマは感じていた。
ティアは信念に基づいて長期的・客観的に正しいことを成そうとしているが……クラマの行動は非常に短期的。発作のように目の前の正しさへ飛びつくものだ。
クラマがそのようなことを考えていると、ティアは草の上から立ち上がった。
ティアの話を聞く間に、クラマの息は整った。
そろそろ貸家に戻る頃合いだ。
ティアは尻の下に敷いたハンカチを折り畳んで言った。
「勝手なことを申し上げますが……わたくしどもの目的は、クラマ様にはお話しすることはできません。その代わりといっては何ですが……」
ティアは地面に突き立てた黒槍を引き抜く。
そしてそれを、クラマに向かって差し出した。
「この槍をクラマ様にお預けします」
「え? いいの?」
「はい。今のクラマ様なら、刃のついた武器も扱えるはずです」
クラマは黒槍を受け取った。
……ずしりと重い。
しかしこの重さは、武器の威力を支える根幹でもある。
「ありがとう。大切に……いや、謹んで賜るよ」
半端に畏まるクラマ。
ティアは本日二度目の苦笑を見せた。
それでは帰ろう、と歩き出そうとしたところで、ティアが口を開いてクラマを呼び止めた。
「クラマ様」
「うん?」
「レイフ様へとパーティーを抜けるように勧めたのは、わたくしです」
「……………」
唐突な告白。
しかし、それほど衝撃的ではなかった。
むしろティアならそうするだろうな、とクラマはすんなりと納得していた。
目的のためには自分が嫌われ者になろうと、誰かに憎まれようと最善を尽くす。
それがティアのやり方であり、生き方だ。
クラマは振り返って答えた。
「ありがとう。僕はただ……何も考えずにカッコつけてるだけだからね。ティアがそうしてくれてるおかげで、なんとか破綻しないで済んでる」
「いえ、そのようなことは……」
「でも、僕は僕のやり方でやってみせるよ」
クラマの言葉に少し目を見開いたティア。
彼女は軽いため息をついて、微笑んだ。
「まさか、わたくしよりも我が侭な人がいるとは思いませんでした」
呆れたような台詞に、クラマは肩をすくめておどけてみせた。




