橙と青の挿話
ディーザは苛立っていた。
この街で最も大きな高級賭場が金庫破りを受けたと聞けば、盗み出されたのは書類の一枚だという。
しかもそれは不正の証拠。
そしてそれと同時に、不正の実行犯が忽然と姿を消した。
調べなければならない事、処理しなければならない事が山積みだ。
ディーザのストレスは朝も早くから既に頂点へと達している。
「まだ調査は終わらんのか!」
賭場『天国の扉』の金庫室前でディーザは怒声をあげた。
支配人を務める若い男が、恐縮して頭を下げる。
「も、申し訳ございません。どうやらオノウェ隠蔽の気配があるらしく……」
「無能者め。貴様、後で私の執務室に来い」
「うっ! そっ、そればかりはご容赦を……!」
その言葉に答えず、棘の刺すような視線で支配人を見るディーザ。
支配人の男は何も言えずに唇を噛んだ。
「どけ。私がやる」
そう言って、ディーザは昨夜ここで起きた出来事を魔法によって調査した。
三郎の隠蔽は暴かれ、一部始終が明らかになる。
「またあの地球人か……!」
ディーザのこめかみに青筋が浮く。
クラマは覆面をしていたが、ディーザのオノウェ調査はその奥までつまびらかにした。
それからクラマとよくつるんでいる次郎・三郎のことも、ケリケイラからの報告によりディーザは把握していた。
ところが最後に出てきた女だけは、ディーザの記憶に思い当たらない。謎の女だった。
その後、ディーザは執務室へ戻って考えをまとめていた。
「クラマ=ヒロ……何故こいつは……引っかからない……」
何度も問題を起こしつつも、するりとこちらの手をすり抜けていく男。
今回もそうだった。
賭場の金庫室に侵入したかと思えば、盗んでいったのは一枚の書類だけ。
勿論それも立派な犯罪だ。さらに言えば不法侵入、警備員への暴行、そしてオノウェ隠蔽と、引っ立てる要素は揃っている。
しかし状況が良くない。
その行動は完全に不正を暴き、地域住民を救う義賊のそれだ。
昨夜の状況を鑑みるに、地域住民の協力を得ている可能性が高い。
そこへきて不正を働いていた高利貸しの失踪、住民の集団訴訟が重なって、近隣の街から記者が取材に来るという情報もある。
「だから危険因子は早いうちに処理しろと言ったんだ……」
ディーザは汚れた玩具を拭き取りながら呟く。
考え得る最悪の展開は、ヒウゥースとの繋がりを高利貸しが暴露しており、その証拠までも掴んでいた場合。
ここで捕まえれば、当然その証言も記者たちに向けて発信される。
それはヒウゥースにとって最も避けたいところ。
評議会議長であるヒウゥースを追い落とそうと、叩ける材料を探している者はごまんといるのだ。
案の定というか、ヒウゥースは既に記者の接待へと動き出している。
事を荒立てる気はないと見ていいだろう。
「何故だ……何故こうなった……?」
こんな事態を引き起こした原因。
その鍵となったのは……今朝になって姿を消した、高利貸しのツィギト。
このタイミングで消えたことで、ディーザの動けない状況が出来上がっている。
「………………」
しばし黙考するディーザ。
彼はやおら引き出しの奥から、今までったことのない魔法具を取り出した。
それを使用して、何処かへと通信をする。
『アローアロー、こちら髭のダンディ。合言葉をどうぞ?』
「私だ。ヒウゥースの右腕と言えば分かるか?」
『きみかね、相変わらず遊びのない男だね。きちんとストレスは発散できているかね?』
ディーザは向こうの言葉を無視して己の用件を告げる。
「とあるパーティーを、ダンジョン内で始末してもらいたい」
『はて? 私はきみらの手下になった覚えはないのだがね。ヒウゥース君の頼み事ならともかく、きみの命令を聞くいわれはないはずだが』
「最近、冒険者を素通りさせているそうじゃないか。逃がした冒険者も死体の確認が出来ていない。決まり事を守らねば、協力者とは言えない。違うか?」
『ははは、これはしまったな! うん、よかろう、やろうじゃないか。哀れなターゲットの特徴を教えてくれたまえ』
そうしてディーザはクラマ達の情報を伝えて、ダンジョンに潜る日が確認できたら再び連絡すると伝えて、通信を切った。
ふう、と大きく息をついて椅子に背を預ける。
ケリケイラを使えば、クラマ達がいつダンジョンに潜るかを特定することはできる。
「表で処理できないなら地下……ふん、元からそういう話だったな」
ディーザは自嘲気味に笑った。
冷静になって考えれば、それで良かったのだ。
ここは、そういう街なのだから。
ディーザはケリケイラに指令を伝えるために、執務室を後にした。
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それから数日後。
標的がダンジョンに入ったと連絡を受けたワイトピートは、通信用の魔法具を置いて立ち上がった。
「というワケで、久々の仕事だ。準備はいいかね、諸君?」
「はっ! 完了しております!」
背筋を伸ばして返事をする3人の男たち。
いずれも青い瞳。
すなわち邪教の徒であった。
そのうち、ひとりの表情に翳りがあるのにワイトピートは気がついた。
「どうしたかね、コーベル君。何か気になる事でもあるかな?」
「いえ、そのようなことは……」
「コーベル君! 嘘はいけないな。ああ、嘘はいけない。それとも、私にも言えない事かね?」
「も、申し訳ございません! その……我々、悲劇の神の信徒が、あのような連中の指示に従う必要があるのかと……ただ悪意を広め、悲劇を振り撒くことが我々の目的であるはず……」
コーベルの言葉に、ワイトピートは大仰に両手を広げて応える。
「コーベル君、きみは正しい! しかしだ……フフ、これも若さかな。この歳になると、ひと工夫を加えたくなるのさ」
「それは、どういった……?」
ワイトピートはニヤリと笑みを浮かべる。
まるで、悪だくみをする子供のように。
「彼らの“頼みを聞く”という体が必要なのだよ。恩を売るという形だ。そうすることで、こちらの頼み事も通りやすくなる。ビジネスライクな関係から一歩進んでね。……そうすると、どうなると思う?」
いきなり問われて答えに窮するコーベル。
「も……申し訳ありません……自分には……」
縮こまって恥じ入るコーベルの背中を、ワイトピートはバンバンと叩いた。
「はははは! すまなかったね、意地の悪い言い方をして! つまりだね、私の目的はたいして未来などない冒険者連中ではない。この国のトップへ登りつめ、さらなる野望を抱いて邁進する男……そう、ヒウゥースだよ」
3人の男たちの目が、驚愕に見開かれた。
「彼がその野望の頂点に達しようという時……そこへ考え得る限り、最大の悲劇を叩き込む! 今はその布石を撒いている途中なのさ。……どうだい、面白そうじゃないかな?」
「お……おおお! 素晴らしい! なんという遠大な計画……そうとは気付かず、自分はなんと浅はかな……!」
「ははは、今まで言っていなかったからね。驚くのも無理はない」
口々に自分達のリーダーを美辞麗句で褒め称える3人の男たち。
ワイトピートは笑顔でそれに応え、そして思った。
――こんな簡単な嘘に騙されるとは、なんて扱いやすい連中なのだろう。
しかし、そうなるようにこれまで動いてきたのはワイトピート当人であった。
彼らの心を掴むために、彼らの人間性を分析して、彼らの望む言葉、望むものを与え続けてきたのだから。
悲劇の神の信徒、ワイトピート。
彼はその髪の色が示す通り、生来からの信徒ではなかった。
彼の人生は、常に違和感がつきまとっていた。
――何かがおかしい。
違和感に気付いたのは、物心ついてからしばらく経った後のことだった。
その違和感を具体的に表現することは難しかった。
強いて言うなら、そう。
この世に生きているのが自分だけであるかのような。
精巧な人形の群れに放り込まれてしまったような。
周囲の人間と自分が同じ人間であると、どうしても彼には思えなかったのだ。
もちろん、生物として何も変わらぬことは理解している。
ただ、どうやら周りの者は、誰かが痛がっていたら自分の痛みのように顔をしかめて、誰かが嬉しい時は自分の心も温かくなるらしい。
そのように感じたことは一切なかった。
なんとも言い得ぬ孤独感を抱いた若い頃の彼は、神父の勧めによって改宗を試みた。
博愛の神から祭の神へ。
しかし違和感は拭えず、次に芸術の神へ。
さらには美と官能の神まで。
それでも違和感は払拭されなかった。
孤独感から周囲との摩擦を感じていた彼は、環境を変えるために高等教育へ進まず、軍に志願した。
彼は優秀だった。
飛ぶ鳥も落とす勢いで昇進し、しかしその道行きは、捕虜に対する非人道的な扱いが明るみになったことで閉ざされた。
軍法会議にかけられた彼は、兵士14人を殺害して脱走した。
逃亡を続ける彼のもとへ、青い瞳の女が現れた。
彼は女の誘いを受けて邪神の信徒となった。
この世に悪意と悲劇をもたらす悲劇の神。
ああ、これこそ自分が探し求めていたものだった!
そのように考えた彼は、邪神の徒を率いて、あらゆる非道な行為に手を染めた。
充実していた。それまでの人生で満たされなかった歓喜、充足感に打ち震えた。
天職だ。そう思った。
……しかし。
違和感はそのままだった。
周りの信徒たちは、いずれもそれまでの報われない人生から来るストレス、鬱憤、コンプレックスで歪んだ者達だった。
他人の幸せが壊れるさまを見て、自分のそれまでの人生を慰める。
怯える無様な姿を眺めて、普段は怯える立場の自分を忘れ去る。逆転のカタルシス。
そういったものを求めていた。
……そうではないのだ。
そうではない。ワイトピートはそうではなかった。
悲劇はただ単に楽しいものだった。
そこに自分の人生を重ねる必要はない。
仲間内で固まり、しきりに背徳感を共有しようとする信徒たちからは、やはり疎外感しか得られるものはなかった。
――私に同類などいない。
奴隷の卸先として縁のあったヒウゥースに誘われて来てみたが、こんな地の底に潜る奇特な冒険者連中の中にも、自分と同じような者はいなかった。
「……頃合いか」
ワイトピートの呟きに、3人の部下が居住まいを正して向き直る。
ワイトピートは彼らに向けて言った。
「それでは気を取り直して行こうじゃないか! 今回から加わった、新しい仲間と共に!」
ワイトピートの視線の先。
3人の男から少し離れるようにして、ひとりの女が壁に寄りかかっていた。
「……仲間扱いをするな。私は別に……お前の頼みだから、聞いてやってるだけだ」
トゥニスだった。
その青い瞳がワイトピートを睨む。
「はっはっは、こんな所でのろけられても困ってしまうな!」
「っ……!」
トゥニスは何か言い返そうとしたが途中でやめて、ふいっとそっぽを向いた。
そうしてワイトピートは全員に背中を向けると、バッと右手を挙げてみせた。
「では、いざ行かん。彼らの冒険を終わらせに」




