46話
暗い小屋の中でティアに向けて語るクラマ。
テフラの両親を助けたいという事。
そのために高級賭場の金庫から借用書を盗み出す計画。
クラマの計画を最後まで話を聞いたティアは、しばし目を閉じて黙考し……目蓋を開くと同時に告げた。
「クラマ様、それは我々にとってリスクしかなく、メリットが見当たりません。我々には、何をおいてもやらなければならない使命がございます。そのような危険は冒せません」
ティアはこの提案を拒否。
冷徹かつ非情な言葉。
しかしイエニアの従者という立場からすれば、至極真っ当な答えであった。
クラマはそんなティアへと静かに尋ねる。
「使命……っていうのは、イエニアのお母さんのために薬を手に入れること?」
「はい」
「そっか……」
クラマは顎に親指と人差し指をあてて、考える仕草をした。
「……聞いた話だと、イエニアのお母さんは心の病らしいね。でも《奇跡の薬》っていうのは微生物の発育を阻害する薬品……多分これは抗生物質かな。この薬じゃ治せないはずなんだけど」
その言葉にティアが息を呑む。
目を見開いてクラマを凝視するティア。
彼女は見つめるだけで言葉を返すことができない。
その無言は、クラマの言葉に対する肯定を表していた。
つまり自分達の嘘を認めたという事である。
イエニアの母親に関しては、クラマが先日ヒウゥースと会った際、イエニアが画家のアトリエに入った時にヒウゥースから聞き出していた。
奇跡の薬はニーオに尋ねたら詳しく教えてくれた。
クラマはパフィーの嘘に関しても、すでに裏を取っていた。
パフィーは師匠が殺されて《真実の石》を探していると言ったが、彼女の師匠は生きている。
パフィーの師である《イードの森の魔女グンシー》は“三大魔法使い”と呼ばれるほどの有名な人物で、つい先日グンシーに会ったという冒険者がいた。
また、《真実の石》とは魔法のアイテムを指す言葉ではなく、グンシーのさらに師である《陽だまりの賢者》が弟子たちに禁止した、地質学的調査のことを指す。
いずれもきちんと調べれば判明してしまう程度の簡単な嘘だが、この世界の歩き方も知らない地球人が、ダンジョン探索と並行してそこまで調べるとは思わなかったのだろう。そうクラマは想像した。
……おそらく短い付き合いになる、という見通しもあったのだろう。
長いダンジョン探索の中で間違いが起きずに、一度目のトライで最奥まで行ける可能性は低い。
地球人が死ねば再召喚できるのだから、地球人を犠牲にしてでも自分達はなんとか生き延び、ダンジョンの作りを覚えて何度も挑戦するのが正道のはずだ。
込み入った嘘をつく気にならないのも頷ける。
ただ、レイフの言葉からは、今のところ何も嘘が見つかっていないのだが。
「事情があるんだろうから、そこを問い詰める気はないよ。でも君たちが目的のために僕を利用するのなら、僕の目的にも付き合ってくれるのがフェアなはずだ」
黙り込んだままのティアに、畳みかけるように言う。
これは交渉だ。
クラマは己のカードを切った。
対するティアは……
「……今まで嘘をついていた事は、誠に申し訳ございません」
彼女は深く頭を下げて、謝罪した。
そして、告げる。
「しかし、彼女たちを巻き込むことは承服できかねます。ただ、彼女たちへと類が及ばない限りは、貴方が独自に動くことには目を瞑ります」
クラマはティアの目を見る。
彼女は微動だにせず、彫像のように固い眼差しで見つめ返してきた。
――ティアらしくない。
クラマはそう思った。
なぜなら、この回答は答えとして成り立っていない。
クラマがどう動こうが、そんなことは元からティアに制限される謂れなどないのだ。
クラマは裏の意味を考える。
相手にメリットを提示しない交渉。
これはすなわち、ここが妥協できないラインであり、踏み越えれば実行力を行使するという事だ。
つまり、とてもとても乱暴で端的な言い方をしてしまえば、
「お前が勝手に死ぬのは構わない。彼女たちを巻き込むなら、お前を殺す」
……という事だ。
視線が――互いの思惑を乗せて――交錯する。
その繋がりを先に外したのはクラマだった。
目蓋を閉じて頷き、ティアに向き直る。
「分かった。みんなは巻き込まないよ。これでいいかな?」
そこにはいつもの通りに、優しい顔をしたクラマがいた。
ティアはもう一度、頭を下げる。
「ありがとうございます。ご希望に添えず、申し訳ございません」
「ううん、いいよ。大丈夫……気にしてないから」
そうして、クラマはティアに背を向けた。
「じゃあ――おやすみ」
「お休みなさいませ、クラマ様」
パタン、と扉が閉じる。
暗く、何もない小屋の中。
流れ込んだ静寂が隙き間なく満たしていく。
聞こえるのは自分の呼吸と、衣擦れの音だけ。
ティアはこれほどの静けさを感じたことは、今までになかった。
本来はこれから外に出て色々なことを調査する予定だったが……なぜだか、この小屋から外に出る気がしなかった。
仕方なくティアは一つだけある椅子に腰かけた。
目を閉じ、思い出す。
自分がここにいる理由。
自分の信じる正しさを。
――使命がある。
王命ではない。
王の反対を振り切って、2人はこの地にやってきた。
道中で樹海に立ち寄り魔女の愛弟子を借り受けた。
それは、およそ不可能と思える困難な目的のために。
突破口を探して様々な場所に忍び込み、情報を集めてきた。
しかし乗り越えるべき障害は高く、手がかかる気配もない。
そこへ楔が打ち込まれた。
使い捨てにと考えていた地球人の手で。
クラマという予定外の要素によって、遥か遠くにあった目的地への道が開けつつある。
しかしクラマという存在は劇薬であった。
閉塞した状況を一気に進めると同時に、全て御破算にする危険性を孕んだ男。
……ここで切るべきだ。
今の自分が執るべき行動。
目的を果たすための最善。
手が汚れる覚悟は、とうの昔にしている。
……しかし。
ぎゅっと目を閉じ、思い出す。
自分が抱く使命は何だった?
自分はかつてどう思い、どう生きようと決めたのか。
「正しきを成せ」
それは、幼い頃に読んだ建国王の英雄譚。
ラーウェイブの建国王は、どんな時でも盾を手放さず、全ての力なき人々の盾となり、草木のような優しさと危険を恐れぬ勇気をもって人々から慕われた、理想の英雄だった。
しかしただひとり、建国王のすることに、いつも異を唱える者がいる。
王の幼馴染である女騎士、ヴィルスーロだった。
彼女はほとんどの逸話で王に難癖をつけては失敗を繰り返す、懲りないトラブルメーカーとして描かれている。
だが、ヴィルスーロのする事には信念がある。彼女には己の信じる正しさがあると、いくつもの英雄譚を紐解き、気付いたのだ。
ヴィルスーロは潔癖だった。虐げられる者がいるなら、今すぐにでも動くべき。誰も行かないのなら自分ひとりでも。
その時も同じ。建国王の反対を振り切って、隣国との国境線へと単身飛び込んだ。
だがそこは微妙な中立地帯であり、貴重な鉱物の産出地であり、繊細な外交によって統治権の交渉を進めている最中であった。
隣国は強国。王は、民を巻き込む争いを起こしたくなかった。
王は葛藤した。
そのとき、王の師である養父が告げた。
「お前が盾を取ったのは、誰を守るためだった」
……と。
そう、幼少の頃に王が初めて盾を持ち、敵に立ち向かったのは、幼馴染のヴィルスーロを大熊から守るためだった。
王は決断し、騎士団を率いて国境線へと向かった。
虐げられていた民は救い出された。
……ヴィルスーロの高潔な魂と引き換えに。
幼馴染の亡骸を抱えて王都へ帰還した王は、自らの手で手厚く葬り、その上にヴィルスーロの像を建てることを命じた。
王はその材質に、切っても叩いても決して壊れず、火に熔けず、水にも錆びない、永遠にその姿を保ち続ける金属を指定した。
その難題に陽だまりの賢者ヨールンが応えて、現代でも最高の硬度を誇る金属、ユユウワシホが開発された。
ヴィルスーロの像は今でも王城の正門にある。
その台座には、こう刻まれている。
「正しきを成せ」
ティアは考える。
自分はヴィルスーロになっても構わないという思いで、この街へとやって来た。
今も己の信じる正しさのために、全力を尽くしている。
……しかし。
今の自分はヴィルスーロなのか。
それとも、ヴィルスーロに反対した建国王なのだろうか……?




