橙の挿話 1
地球人召喚施設の執務室。
そこは華美な装飾や調度品の一切ない、極力無駄を省いた機能的なオフィスだった。
簡素な内観は、およそこの街で事実上二番手にある権力者の執務室とは思えない。
日常の多くを過ごす、個人の作業室や私室……これらは意識せずとも、使用者の心の内面が現れてくるものだ。
この虚飾を廃した部屋も、やはり例に漏れず、部屋の主が抱える性質をよく写し出していると言えよう。
すでに日は沈み、室内を照らすのは机に設置された、頼りないランタンの灯りのみ。
薄暗い執務室で部屋の主――地球人召喚施設長のディーザは、椅子に腰掛けていた。
そのディーザの腰の上に、ひとりの女がディーザと向かい合うようにして跨っている。
女はケリケイラだった。
ケリケイラは全力で走った後のように、荒い息を繰り返し吐き出している。
額にはいくつもの玉になった汗が浮き出て、頬には濡れた髪が張り付いていた。眉根は悩ましげに寄せられていて、熱に浮かされたような瞳は涙に潤んでいる。
「どうした。終わりか?」
ケリケイラの様子とは対象的に、冷えきったディーザの声。
必死に息を整えながらケリケイラは答える。
「はぁっ! はぁっ! はぁーー……っ……も、申し訳っ……ありません……」
「無能め。いいか、無能な貴様は有能な私を楽しませなければならん。これが公平という事だ。分かるな?」
「……は……ぃ………」
息も絶え絶えのケリケイラを、まるで些事と言わんばかりに一瞥もくれないディーザ。
ディーザはその体勢のままで、やおら神へと捧げる奉納の序献句を唱え始めた。
「ヴォトン・イイーユリセウェ! 見よ、公平と公正を司る博愛の神よ! 私はどのような者であっても、無能者からは平等に搾取する! そう、このようにただデカイだけで、魅力の皆無な無駄飯食らいであっても! 故に我が精神は……公平の極みである!! 博愛の女神よ、認めよ!」
ディーザの体が大量の光の粒に包まれた。
> ディーザ 心量:212 → 404/500(+192)
「ははははは!! どうだ、認められた。これでまた、私の公平さが証明された」
神が認めた以上、ディーザの言葉は真実である。
すなわち彼は、相手が無能である以上、その容姿、年齢、性別に関わらず、同じように扱うことを己に課しているという事だ。
彼は、彼自身の価値観において、まさしく嘘偽りなく公平であった。
ディーザは満足げに笑うと、ふうと静かに息をつき、
「……重い! どけ!」
自分の上に乗ったままのケリケイラを、床に突き飛ばした。
「あうっ!」
背中を強く打って悲鳴を漏らすケリケイラ。
しかしディーザはまるで気に留めずに、今度は魔法の詠唱を開始した。
「オクシオ・オノウェ! ヨハイーオハ・ユナウー・ツハー・ナ・イテナウィウェ・シーヌ・ジェヴェーシー……公正な裁きのため。この者の嘘を暴け。報せよ。一片の狂いなく……オクシオ・センプル!」
> ディーザ 心量:404 → 389/500(-15)
ディーザが唱えたのは、心音と感情の揺らぎを感知して、対象の言葉に嘘があれば気が付けるようになる魔法。
また、喋らない者に対してもこちらから言葉を投げかけることで、心に動揺がないかと調べることもできる。
魔法というのは同じ効果を得られるものでも、唱える者によって詠唱が違ったり、また、微妙に差異があったりする。
個人で使うぶんにはいいが、公的機関で使用するとなると、その時々によって差が出てしまうのはよろしくない。
そのため《魔法使い相互扶助組合》から、公に使用するための詠唱が公開されている。
多くの国の公的機関がこれを採用しており、公職につく魔法使いは必ず習得している。
今、ディーザが唱えたものがそれにあたる。
取り調べ等では必ずといっていいほど使われる、定番の魔法であった。
懐疑主義者のディーザは、私生活でもこの魔法を好んで使用する。
「よし、報告しろ」
ディーザが言うとケリケイラは起き上がって告げた。
「はい。4階まで行きましたが、逃亡した冒険者は見つけられませんでした」
「無能者め。見つからないで済むと思っているのか!」
「申し訳ありません」
「……他に報告することはあるか?」
「ありません」
そこでピクリ、とディーザの眉が動いた。
「嘘だな。僅かだが心音と感情波に乱れがある。些細な事だが本当ならば報告すべき、と貴様が感じる事があるという証左だ」
氷のように冷えきった目が、ケリケイラを射抜いた。
「………………」
ケリケイラは無言。
そんな態度にもディーザは慣れた様子で、ふん、と軽く鼻を鳴らして鍵のかかった机の引き出しを開けた。
顕になったのは、きれいに整頓され、みっちりと敷き詰められた、いかがわしい道具の数々。
口枷、目隠し、鞭、首輪、荒縄、針、張形、貞操帯、浣腸器……等々。
「覚えの悪いグズめ。躾け直してやろう」
ディーザは無造作に、その道具箱へ手を伸ばした。
執務室の窓から、微かに日の光が差し始めた頃。
ディーザは汚れた道具を布で丁寧に拭っていた。
「助けてもらった礼に魔法具を譲ったなど……つまらん事を隠しよって」
ディーザは手を止めずに、ちらりと横に目を向ける。
固い床の上でうつ伏せに臥したケリケイラは、ぴくりとも動かなかった。
「しかしあの地球人……クラマ=ヒロといったか……」
以前にも問題を起こした地球人。
ダンジョンの出入口を封鎖した事件はダンジョン関係者には周知されており、ディーザも記憶している。
おおかた、名前を出すことで事件を蒸し返され、再び目をつけられるのを避けたかったのだろう……と、ディーザはケリケイラの考えを推測した。
「浅はかな……やはり無能。いや、待て。魔法具……?」
ディーザは机の上の書類に手を伸ばした。
彼の記憶によれば、今日のダンジョン換金報告書には魔法具の記載はなかったはずだった。
冒険者がダンジョン内で手に入れたものは、その全てを冒険者ギルドが換金する。つまり冒険者が何を手に入れたかは、全てこの報告書に記されているのだ。
ディーザは改めて確認したが、やはり魔法具はない。
そして地上に帰還したパーティー代表者としてイエニアの名前もある。
という事は、まだダンジョンに潜ったままという事もない。
だが、手に入れたはずの魔法具が書類に記載されていない。
「不正の疑いがあるな」
ならば、調べねば。
そう呟いたディーザは、綺麗に磨いた不揃いの玉の繋がりを、引き出しに仕舞い込んで鍵をかけた。
――公平、公正であれ。
代々、名誉ある元老陪審官を務めるジェブド家に生を受けた彼は、一日に一度は必ず、そう言われて育った。
私を滅して公に捧げられる存在となれ――
その言葉に、若き彼は反発した。
「なぜ優秀な自分が、そんな誰でも出来る事をしなくてはならないのか」
「なぜ誉れ高き役職をこなして、こんな質素な暮らしをしなくてはならないのか」
「なぜ――」
疑問の答えはなかった。
――ただ、そうあるべし。
古いものほど尊ばれる公国においては、定められた慣習を破ることはすなわち悪だった。
周囲の愚鈍な者達よりも明らかに優れた自分が、使い捨ての歯車のように社会のシステムに組み込まれ、朽ち果てる時を待たねばならぬという事実に絶望した。
当然の帰結として、彼は家を出た。
世界で最も勢いがあり、実力主義とされる魔導帝国イウシ・テノーネへと。
頑迷固陋、旧態依然とした祖国とは違う。そこは刺激に満ちた世界だった。
そこで彼は存分に秀才ぶりを発揮した。
魔法詠唱学を学び、様々な詠唱を開発し、若くして帝国魔法研究所の副所長にまで上り詰めた。
己の優秀さは自明であったが、いかんせん実績を積むには時間が足りない。
まだまだ受け取った報酬は己の能力に見合うものではない。
そこで彼は、自主的に不足分を補填することにした。
“自分よりも無能な者から回収すればいい。”
なかなかの妙案であった。
やはり自分の発想力は並ではない、と彼は自画自賛した。
こうして彼は、自身の目に映った「無能者」から、物質的・精神的な形を問わずに、手当たり次第に回収していった。
「まだ足りない。ここまでいけば、私の優秀さと釣り合いが取れるか……? 駄目だ。もっと、もっと――」
――公平、公正であれ。
いつしか己の言動が、かつて死ぬほど毛嫌いしていた父親と一致していることに、彼は気が付いていなかった。
そして当然の帰結として、その生活は崩壊した。
彼は、上手くやっていたはずだった。
崩壊のきっかけは、自分よりも若く、才能も、実績も、人望もある新所長の一言だった。
「あなた、自分で思うほど大した人間じゃありませんよ」
頭が真っ白になった。
気付けば彼は、若い女所長に馬乗りになって拳を打ち付けていた。
鼻が潰れた半裸の女は、自分の腕の下で、心の底からつまらなそうな視線で見上げていた。
彼はその目に耐えられずに、逃亡した。
そしてすぐに警察当局に追われる身となった。
余罪など腐るほどあった。
そうした経緯で国外へ高飛びしようとした彼に、同じく国外への亡命を予定していたヒウゥースが声をかけた。
奴隷商のヒウゥースとは、何度か取引をして、それなりに親しい仲であった。
それから彼は、ヒウゥースの右腕として、表と裏の業務を補佐するようになった。
金儲けのことしか頭になく、実務は杜撰なヒウゥースには頭を悩まされた。
しかしそこは、己の優秀さを存分に示せる場でもあった。
こうしてディーザが二度の出奔を経て、新しく降り立った新天地。
それがこのサーダ自由共和国、アギーバの街だ。
ここでは今までと違って、自分を阻む目の上の瘤が存在しない。
ヒウゥースが少し苛立たしいが、いざとなればいつでも排除することは可能。その準備をディーザは進めていた。
ついにこの手に掴んだ理想の箱庭。
ならず者の冒険者、生贄の地球人などに壊されてはならない。
その決意を確固として塗り固めるため、彼は必ず一日に一度、自分に言い聞かせる。
「私の公平、公正のために」
彼はひとり、砂上の楼閣を進み続ける。




