34話
「……………………」
3人が逃げだした後、寝室で這いずる男はスッと立ち上がると、外へ向かって歩きだした。
「お、っと」
足を滑らせて転びそうになった。
見ると廊下が濡れている。
3人のうちの誰かが失禁したのであろう。
男が玄関から出ると、黒い服の女が出迎え、頭を下げた。
「お疲れ様でした、クラマ様」
黒い服の女はティアだった。
クラマはボサボサの頭を整えながら、ティアと、その後ろにいる一郎、次郎、三郎に向けて言う。
「うん。まだしばらく監視する必要はあるけど、ひとまず今日は終わりだね。みんなお疲れ様、手伝ってくれてありがとう」
今回の顛末は、すべて彼らが仕組んだものだった。
診療所から服を借りたクラマがダイモンジの役を演じて、男たちを脅かす。
両手から出た火は、油を染み込ませた手袋を着火した。
三郎の魔法で熱の伝達速度を遅くして手を守り、男たちが逃げた後はすぐに消火したが、完全には守れずクラマの腕はひりひりと傷んでいる。
クラマは本当なら「ナフサ」というマジックにも使われる事もある低温で燃えるオイルのように、油の性質を魔法で変えたかったが、それは三郎の技量では不可能だった。
男たちを脅かした後は、あらかじめ女の部屋の中に隠れていた一郎と次郎が、男たちが来ると同時に部屋へ虫を放つ。
虫は納骨亭のテフラに頼み、彼女の実家で養殖しているイルラユーヒを借りた。
女の部屋から3人が逃げた後、一郎と次郎が急いで虫を回収したが、何匹かは回収しきれず部屋の奥に残されたままだ。
最後にヌヴィの部屋に先回りしたクラマが寝室で待ち構える。
次郎と三郎の事前調査によって、3人が宿泊している部屋の位置関係や間取りが分かっていたので、彼らの行動を予測して待ち受けることができた。
「上手くいきやしたね、旦那」
「次郎さんと三郎さんの調査のおかげだけど……まあ脅かすには最初のインパクトだよね。腕が燃えてるやつが迫ってきたら、そりゃびびるよね」
最初に騙せれば後はいくらでも。
これがクラマの経験則であった。
「よーし、それじゃあ報酬として、三郎さんにはオノウェ調査でサクラの私生活を探る権利を。ただし第三者に広めないこと」
「やったでござる」
「次郎さんには、彼らの部屋を漁る権利を」
「イヤッホォォゥ! 話が分かるっスよ旦那ァ!」
次郎は意気揚々とヌヴィの部屋に駆け込んでいった。
「あいてぇ!? 廊下が濡れてやがる!」
ドタッと転んだ音と、そんな声が中から聞こえてきた。
クラマは時間を見つけては次郎・三郎の2人と対話し、観察して、その人間性を把握していた。
次郎はこの街に来れば儲かると聞いて、その辺の居酒屋で出会った一郎と三郎を誘ってこの街に来た。
彼は職業シーフであった。
スリ、鍵開けが得意な窃盗犯で、前科もある。
しかしそのわりに小心者で、人の影に隠れたがる。いわゆる子分気質であった。
サクラの下についているのも、サクラの無駄なリーダーシップと行動力ゆえの事だろう。
つまり次郎には、堂々とした態度と、金銭的なメリットを与えてやればいい。
三郎はもっと単純だった。
彼は女性の私生活を探るためだけにオノウェ調査の魔法を覚え、それで何か悪さをするわけでもなく、ただその情報をもとに自慰にふけるという高尚な趣味を持っていた。
そうして引きこもっていたが、両親にばれて勘当されるという悲劇に見舞われて今に至る。
目下、その嗜好はサクラに向いている。彼はその特徴的な趣味さえ認めてやれば、無害で、協力的で、正直者で純粋な男だった。
「次郎さん、そろそろ。次郎さんが戻ったら三郎さん、オノウェ隠蔽をお願いします」
「了解でござる」
そして三郎はクラマの勧めでオノウェ隠蔽をパフィーから教わり、使用できるようになっていた。
指揮を執り、周囲の者を従えるクラマ。
その様子を眺めていたティアが、口を開いた。
「お見事でした、クラマ様。しかしひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」
「なにかな?」
「脅かすことに失敗した場合は、どうのようにされるおつもりでしたか?」
「うーん、それね。実を言うと、あんまり自信なかったんだよね」
「そうなのですか?」
「うん。この世界は幽霊とかお化けっていなさそうだから、いけるかもとは思ったけど……」
それどころかクラマが見てきた感じでは、モンスターとか魔物とかいった概念もなさそうだった。
ティアがそれに少し補足を加える。
「魔法使いの犯罪者によって死者が自我を持ったりする事はありますが……一般の冒険者が目にする機会は少ないでしょうね」
「そうは言っても、追い詰められるとキレて殴りかかってくる可能性とかあるしね。できれば穏便に出ていってもらいたかったから、色々と仕掛けを打ったけど……だめなら普通にやればいいだけだしね」
「普通にやる、とは?」
ティアが首をかしげてクラマの顔を見る。
クラマは曖昧な笑みを浮かべて、言った。
「ティアが考えてるのと、たぶん一緒じゃないかな。あんまり選択肢は多くないし」
「……なるほど、分かりました」
ティアはクラマから視線を外して、一歩離れた。
「ご回答頂きありがとうございました。隠蔽も終わったようですし、戻りましょう」
ティアが歩きだして、クラマ達は後を追って歩く。
そうしてティアは先を歩きながら、背後にいるクラマに告げた。
「今後、こうした事があれば、あらかじめ相談しましょう。わたくしが見当たらない時でも、イエニア様に仰って頂ければ都合をつけますので」
「わかった、そうする」
なんとなくぼかしているが、要するに悪巧みをする時は声をかけろということだった。
ティアにはまだ不明な点が多いが、こうして秘密を共有できる関係になったのは、2人の仲が前進したと考えていいのかもしれない。
そんなふうに好意的に考えながら、クラマは帰途についた。
翌朝、ひとつの冒険者パーティーがアギーバの街を去った。
隣町へ繋ぐ駅馬車を管理している厩の厩務員は、やけに怯えた男女の3人組が馬車へと乗り込むのを目撃したという。
リビングでティアからその報告を受けたクラマは、にっこりと微笑んで、火傷の跡が残る手でティーカップを傾けた。




