29話
時刻は正午過ぎ。
クラマはサクラ、一郎の3人という珍しい取り合わせで街を歩いていた。
「ホントにそんなおいしい店があるの?」
「ええ、これでも元は料理人でさぁ、アッシの舌を信じてくだせぇ」
こっちの世界の料理に不満のあるサクラを連れて、一郎が食事処へ案内しているのであった。
ティアは常に忙しくしておりメイドなのに料理をやらず、一郎は魚料理しか作れないというのに、この街では魚がなかなか手に入らない。
それ以外の面々の料理は、はっきり言って雑であった。
煮るか、焼くか、そのままか。
味付けは各人が調味料を好きに振る。
これがこの世界におけるスタンダードであった。
一郎について歩いていると、クラマはふと民家の裏にある小屋に目が留まった。
格子状の木の板で造られた虫カゴの中に、拳大ほどの昆虫がたくさん入っている。
目を引いたのは鮮やかな青色だったからだろう。体の作りは、細長くて角がない大きなカブトムシといった風体だった。
「イルラユーヒが気になりやすかい、旦那。ひとりで勝手に繁殖するんでペットには向きやせんぜ」
「へえ~、単為生殖か。面白いね」
「なにそれキモッ! 虫なんて見てないでさっさと行くわよ!」
「虫は……無視しろってことすかねぇ! アネゴ!?」
「バカ言ってないで早くしなさい!」
そんなふうに騒ぎながら到着したのは、『納骨亭』という名の酒場だった。
あまり広くないが昼時だけあって、テーブルのほとんどが埋まっている。
客層は身なりを見るに、大半が冒険者のようだった。
半分以上の客が昼間から酒を飲み、馬鹿笑いや品のない冗談が飛び交う。
3人は空いている丸テーブルのひとつを囲んで、一郎に注文を任せる。
しばらく待つと、ウェイトレスの女性が料理を運んできた。
「おまたせしました~!」
この店唯一のウェイトレスは、髪も瞳も金色で、クラマよりも若干年上と思われた。
明るい笑顔のかわいらしい女性だった。
「残りのご注文は後からお持ちしますね」
そう言ってウェイトレスは次の注文を取りに行った。
クラマ達は運ばれてきた皿に目を向ける。
緑の葉の上に、寿司くらいの大きさの青白い塊が乗せられ、ピンク色のソースがかかっていた。
「へー、ちょっとオシャレじゃない」
荒くれどもの集う酒場には似つかわしくない、綺麗な盛り付けだった。
一郎が食べ方の説明をする。
「こいつはエイサーの葉にくるんでも良し、分けても良し、好きにかぶりついてくだせぇ。えいさぁ! って具合に、えぇ」
「そういうのいいから」
「下の葉っぱがエイサーの葉なんだね。この青白いのは何なのかな?」
クラマは青白い塊をフォークで刺して持ち上げて見る。
すると片側の先に6つの出っ張りがあった。
クラマの脳裏に、地球にいた頃の記憶が甦る。
どこかで似たようなものを見た気がする。
そう、あれは確か……
「そいつはイルラユーヒの幼虫でさぁ」
口元まで運びかけたサクラの手が止まる。
「幼……虫……?」
「イルラユーヒってさっきの……」
「近くの民家で養殖してやしたね。コイツはどう食ってもウマイんですが、ここみたいに素揚げを熱いうちにかぶりつくのが最高でさぁ! しかも酒にも合うときた! ささ、おふたりとも、えいさぁっと!」
「………………………………」
> クラマ 心量:52 → 49(-3)
> サクラ 心量:112 → 95(-17)
サクラは震える手でフォークを皿の上に置いた。
「…………や……」
「や?」
「やだーーーーーーーーーーーーーー!!!」
サクラは逃げだした!
「あ、アネゴ!? アネゴーーーーーっ!」
一郎の呼びかけも虚しく、サクラは振り向くことなく店の外へと走り去っていった。
テーブルには取り残された男が2人。
「すいやせん……なんだか……悪いことしちまったみたいで……」
「そうだねー。地球……ってゆーか日本じゃ、虫って食べないからねえ」
日本でも地域によってはイナゴが食される所もあるし、海外では普通に昆虫食の文化もあるらしい……とはクラマも聞いてはいた。
しかし、いざ目の前にすると、非常に強い抵抗があった。
一郎は申し訳なさそうにクラマに頭を下げる。
「本当にすいやせんでした。アッシが代わりに食いやすんで、旦那は他のやつを……」
一郎のその言葉を、クラマは遮った。
「――いや、食べるよ」
一郎が顔を上げた。
そこではクラマが貫くような鋭い視線で、目の前に掲げた幼虫を見据えていた。
「一郎さんが頼んでくれたものだからね。食べるよ、僕は」
「だ、旦那……!」
青白い塊が、ゆっくりとクラマの口へ近付いていく。
そして広げた口の中に半分ほど入り……噛み千切られた!
ブルン! と残された幼虫の半身が震える。
クラマは固く目を閉じ、まるで苦虫を噛み潰すような……そう、苦虫を噛み潰すかのような表情で一噛み、二噛み……。
最後にゴクリと飲み下して、
「うまい!!」
> クラマ 心量:49 → 61(+12)
弾けたように叫んだ。
クラマのその反応に、一郎は満面の笑みを浮かべて喜んだ。
2人はそうしてサクラが残したぶんも平らげた。
料理の正式名称は『イルラユーヒの素揚げ・ニニオソースがけエイサー巻き』。
クラマの感想は、イルラユーヒの食感はエビを少し柔らかくした感じ。噛むと汁がたくさん出てきて口の中に広がるので、口の中が旨みでいっぱいになる。
卵に香味野菜と植物油を混ぜ合わせたという特製のニニオソースが味つけをして、味つけが強いようならエイサーの葉で巻いて食べれば、サッパリと整えてくれる。
酒に合うという一郎の話はクラマには分からなかったが、これはいくらでも食べられそうだと思った。
その後も運ばれてきた料理に、一郎の解説を受けながらクラマは舌鼓を打つ。
そうした時だった。
「きゃっ! 何するんですか、お客さん!」
クラマと一郎が悲鳴に目を向けると、ウェイトレスの女性が2人連れの冒険者に絡まれていた。
「オイオイ、尻を掴んだだけじゃねえか」
「こんくらい冒険者相手の酒場なら当たり前だろォ? もっとしっかりサービスしてくれや」
「うちはそういう店じゃありませんから……やっ、やだ、どこ触って……っ」
嫌がるウェイトレスにしつこくセクハラを続ける冒険者。
その様子を見て一郎は溜め息を吐いた。
「ああいうの、どこでもあるんすよねぇ。冒険者って奴ぁ、社会からあぶれた無法者が大半すから。旦那も絡まれないように気をつけてくだせぇ」
一郎がテーブルに向き直ると、そこにはつい先ほどまでいたクラマの姿がなかった。
「あれ、旦那? 旦那どこに……って」
クラマはいつの間にか移動し、ウェイトレスに絡む冒険者の腕を掴んでいた。
「なんだァ? てめェ」
「いやあ……彼女が嫌がってたからさ」
ジロリと睨みつけて凄んでくる冒険者に、クラマは機嫌を伺うような愛想笑いを返した。
クラマに腕を掴まれた男は、連れの冒険者に顔を向ける。
視線を交わした2人は肩をすくめて、小馬鹿にした笑みを浮かべると……前触れもなくいきなり拳を振り上げた!
男の拳が空を切る。
クラマは咄嗟に下がって回避していた。
「な……なに避けてんだコラァ!」
男は避けられたことに逆上し、さらに拳を振るってくる。
二発、三発と拳を繰り出すが、男の拳がクラマに触れることはなかった。
イエニアの突きに比べたら、男にパンチはあまりに遅く、その動作が分かりやす過ぎた。
「くっそが! 避けるんじゃねェっつってんだろ! クソガキャア!」
「いやいや避ける、避けますよそりゃ。……あ」
クラマの背中が壁に当たる。
何度も避けているうちに、壁際に来てしまっていた。
クラマが壁から離れようとしたところで、男に襟首を掴まれた。
もう逃げられない。
「旦那!」
一郎が飛び出そうとしたその時だった。
「おい」
低いが、妙によく通る声だった。
見ると奥で料理していた酒場のマスターが、カウンターに姿を表していた。
厳つい風貌の男だった。肩幅が広くがっしりした体格。薄紫色の髪を後ろになでつけ、紫色の瞳は右側が眼帯で塞がれている。
マスターはさして興味なさそうに、グラスを拭きながら告げる。
「ケンカしてえなら余所でやれ。ここはメシを食う場所だ」
「あぁ!? うるせえな奥に引っ込んで――」
ズダン! と冒険者の男の顔をかすめて、包丁が壁に突き刺さった。
男の頬を一筋の血が流れる。
「この店はな、てめえら冒険者がダンジョンに潜る前に、最期のメシを食わせてやる場所だ」
低く、しかし無視できない迫力をもって語る酒場のマスター。
そのひとつしかない目がギロリと動き、眼光が冒険者の男の身を刺し貫いた。
「だが……てめえらがここで骨を埋めたいってんなら、俺は別に構わんぞ」
気圧された男は膝を震わせながら、ぱくぱくと口を開いて何かを言い返そうとしていたが、隣で騒動を気にせず飯を食っていた男が声をかけた。
「おい、ひとつ忠告しておくけどよ。周りを見た方がいいぜ」
その言葉に釣られてクラマも周りの様子を見る。
すると、今にも襲いかからんばかりの殺気に満ちた瞳が、周囲を取り囲んでいた。
「おれらのアイドルに……何してくれとんじゃ……小僧が……」
「虫の餌にしたろうか……?」
……2人の男は、情けなく悲鳴をあげて逃げだした。
逃げ出す人の多い酒場だなあ、などと思いながらクラマは皺の寄った衣服を正す。
するとクラマは、今度は自分が周囲の冒険者たちに取り囲まれていることに気がついた。
「おう兄ちゃん! 地球人のくせによくやるのう!」
クラマはむさ苦しい男たちに肩や背中を叩かれ、口々に賞賛された。
「いやあ、それほどでもないですよ」
「ガハハ、謙遜しよる! まさかこのわしが地球人に先を越されるたぁな! 兄ちゃん、こいつはわしのオゴリだ!」
「もがもがもが、んぐ……ぷはーーーっ!」
クラマは大勢の冒険者にもみくちゃにされ、そのままテーブルをかき集めて即席の宴会が始まった。
真っ昼間からの馬鹿騒ぎは、マスターが「仕込みの時間だから出ていけバカども」といって男たちを追い出すまで続いた。




