青の挿話 2
薄暗い石造りの地下室に、男の息遣いが響いていた。
「フゥーーーーッ……ハァァーーーーーァ……」
男は逆立ちした状態で、腕立て伏せをしている。
明るいオレンジ色の髪と髭の男は、初老に近い年齢とは思えぬ鍛え上げられた上半身を晒していた。
浮き出た汗が腹筋を伝い、喉元を通り過ぎて、髭の中に消える。
男は深い息遣いと共に、少しずつ腕を折り曲げ……鼻先が床に触れたら、今度は逆に伸ばしていく。
回数をこなすよりもこうしてゆっくりと行うことで、筋肉に負荷がかかり、トレーニングになるのだ。
「ッフ―――――おや?」
男の青い瞳が、自分の側に立った人物を捉える。
が、腕立てを中断したりはしなかった。
「どうしたかね、コーベル君。こんな老人の体を見ても……――ッハァーーー……面白くは……なかろうンヌッ、フゥゥーーーーーッ……」
「い、いえッ! そのような事はございません! ワイトピート様の美術彫刻のごとき雄壮なお体を拝観でき、幸甚の至りであります!」
「フーーーー……そんなに見られると……ッハァーーーー……恥ずかしいではないか」
「も、申し訳ございません!」
コーベルと呼ばれた青年は慌てて顔を伏せた。
彼の瞳の色も、初老の男――ワイトピートと同じく青色である。
「何か報告があるのだろ、うッ――フ……ゥゥゥーーー……気にせずッ……報告したまえ」
「はッ! 10日前に捕らえた女ですが、心量が20を下回りましたので、ご報告致します」
「ほう――状況は?」
「はじめは罵倒や噛みつき、隙を見て脱走を試みていましたが、徐々に反応が弱まり、2日前より全く反応を返さなくなりました。心量も回復しておりません。“祈り”をやめたものと思われます」
「ッハァーーーーーーッ……まだ服従していないのだな? フゥーーーー……」
「は、はッ……! 申し訳ございません! 近いうちに必ず……」
「いや、頃合いだ。私がやる」
そう言うとワイトピートは足を下ろし、疲れを感じさせぬ優雅さをもって頭を上げた。
汗を拭って衣服を着込むと、早足に歩き出す。
「あっ! お待ちください、まだ後始末が……!」
「フフ、それでいい。コーベル君、きみには食事の支度を命じる。とびきり美味いのを頼むよ」
ワイトピートは区画を2つほど抜けて、トゥニスを監禁している部屋を訪れた。
彼が扉に手を触れると、ひとりでに開く。
そうして部屋に足を踏み入れたワイトピートが見たのは、陵辱された跡が体中のいたるところに残された、一糸纏わぬ姿で床の上に放り出されているトゥニスの姿であった。
それを目にした瞬間、ワイトピートは大きく声をあげる。
「おお! なんということだ!」
トゥニスに駆け寄ったワイトピートは、彼女の体にこびりついた体液で汚れるのにも構わず、しっかりと抱き抱えた。
トゥニスの瞳からは光が消え失せ、何も反応を返そうとしない。
男はトゥニスの耳元で囁く。
「すまなかった……こんな事になっていようとは。もう大丈夫だからな」
それからワイトピートは彼女の体を用意した熱い濡れタオルで拭き、上等な衣服を着せると、自らの腕で抱き上げて別室へ運んだ。
運び込んだ先は、地下だというのに壁に埋め込まれた光源で明るく、絵画や観葉植物がセンスよく配置された、貴族の私室と見紛うような部屋だった。
さらにワイトピートは豪勢な食事を運んでくると、自らの手で食器を持って、トゥニスの口へと運ぶ。
甲斐甲斐しい介護を受けるトゥニスは、始めのうちは無反応だったものの、何度か口元にスープを運ばれるうちに、少しずつ自ら口を開いて介護に応えるようになった。
時間をかけて食事を終えた後。
ふかふかのベッドの上に腰かけるトゥニスの肩を、ワイトピートは優しく抱きしめた。
「もう安心していいぞ。ここには他に誰も来させないからな……私がきみを守る」
そう言って、徐々にしっかりと、互いの肌の温もりを感じ取れるほどに、熱く抱擁する。
そうしていると次第にトゥニスの瞳が揺れ……ぽろりと涙が頬を伝った。
抱きしめたトゥニスの死角で、ワイトピートはほくそ笑んでいた。
心量10~20の間。
これが、これまでワイトピートが数多くの人間に試してきた中で導き出した、“最も人の心に手を加えやすい期間”であった。
心量が低いほどに、人の思考能力は低下する。
だが10を切ってしまうと、状況の理解を放棄し、何をしても反応しなくなる者が多い。
故に10~20の間が、最も簡単に洗脳できるラインとなる。
「ゃ……めろ………」
数日ぶりに、トゥニスは声を発した。
トゥニスの手がワイトピートの胸板に触れる。
「やめ、ろ……おまえは……!」
震える手で、弱々しくワイトピートを突き放そうとしていた。
ワイトピートはそれに逆らわずに身を離す。
「すまない……また来るよ」
そう言ってワイトピートは食器を持って部屋から出ていった。
部屋に残されたトゥニス。
「く……ぅ………私は……私は……!」
トゥニスはベッドの上でひとり、自らの身体を掻き抱いて、震える声で嗚咽した。
 




