27話
時刻は深夜。
クラマはひとり、貸家の屋根の上で腰を下ろしていた。
周囲の住宅街は灯りが消えて静まり返っている。
遠くを見やれば、未だ賑わう繁華街の灯りが見える。
そして上を見ると、まるで壁紙を貼り付けたかのような一面の暗黒。
この世界には、月も、星もなかった。
太陽は中天に座して動かず、その輝きの強さを変えるだけ。
今のように太陽の光が消えれば、空に映るものは何もなくなる。
点在している街灯のために視界は確保されていたが、夜空を見上げても星が見えないのは寂しい。そうクラマは感じていた。
そんなクラマのもとへ、もうひとつの太陽が現れた。
「あら、奇遇ね」
ランタンを持ってひょっこり顔を出したのはレイフ。
この家では普通に階段を登って屋根に上がれる造りになっていた。
レイフはランタンを置いて、クラマの隣に腰かける。
「なーんて。クラマが登ってるのが見えたから、ついて来たんだけど」
一瞬でネタバレをして舌を出すレイフ。
「イエニアに怒られて落ち込んでるかなと思ったんだけど、違った?」
「いやあ、あれはどう考えても僕が悪いしね」
「そうね、イエニアが怒るのも分かるわ。でもクラマにも理由があったんでしょ?」
クラマの理由。
後先を考えずに飛び出した理由は、確かにあった。
しかしそれは、人に話せるような正当な理由ではなく……
「私にはクラマの理由は想像つかないけど、人にはどうしても我慢できない事ってあるもの。私だって、やめろって言われても、気持ちいい事はやめられないわ。しょうがないわよね?」
「いや、それは、まあ……」
レイフは冗談めかして笑う。
それから少しトーンを落として言った。
「私がイエニアのフォローをクラマに焚き付けてしまったわけだけど……クラマ、あなたも無理しなくていいのよ?」
それを聞いて、クラマは自分の顔に手をあてた。
「……そう見える?」
「ううん、そう見えないから。だから私たちに心配かけないように、無理させちゃってるのかなって」
無理しているという自覚は、クラマにはなかった。
ただ、自分がやらなければならないことをしているだけ。
「こう見えて一応、私が年長者だからね。つらかったら、いつでも頼ってきていいんだから。まあ……私が頼りないから、無理させちゃってるのかもしれないけどね」
言って、レイフは照れ笑いをした。
「いや、そんなことは……」
以前から、うっすらとクラマが感じていた事だが。
なぜかレイフと2人きりになると、普段通りの受け答えができなくなる。
いつものような笑い顔、いつものような軽口が出てこない。
「……僕は……昔からこうだったんだ。自分がやるべきだと思ったことを止められない」
自然とクラマの口から、自身を語る言葉が口をついていた。
「はじめのうちは偉い、勇気がある、ってみんな褒めてくれたけど……そのうちそれが、空気が読めないとか、危ない奴だとか言われるようになって……いつの間にか、周りの人から避けられるようになってた」
クラマの独白を、レイフは口を挟まずに聞く。
「こっちに来てからは、うまくやれてた気がしたけど……やっぱり、こっちでも同じことをやってしまった」
そう言って、クラマは自嘲気味に大きく溜め息をついた。
そのまま真っ黒な空を見上げる。
「レイフ、僕はさ……元の世界に戻りたいって思えないんだ。確かに周りからは浮いてたけど、別にいじめとかはなかったし、友達だっていた。父さんも母さんも、こんな僕に良くしてくれてたし……でも、なんでかな。今ごろ心配して、探してくれてるんだろうって……分かってるのに……どうしても、それに対して申し訳ないと思えないんだ」
クラマは空を見つめ続ける。
そこには何もない。
ただひたすら、光の刺さぬ暗闇が広がっていた。
「僕は……自分のことが一番、信用できない」
夜の風が吹く。
クラマの手は小刻みに震えていた。
――あんたは人間じゃない!
眠るたび、繰り返し見る悪夢。
まるで呪いのようだ。
違う世界に来ても、逃れることができない。
――人間なら、人間らしく、人のことを――
不意に、手の震えが止まる。
上から温かな手が重なっていた。
「……レイフ」
空から視線を戻したクラマに、レイフは優しく微笑んだ。
「クラマ。別にね、人と違ってたっていいのよ」
「え……」
「人間っていうのね、どうやったって、完全に分かり合うことなんて出来ないのよ。信頼していた無二の親友に裏切られた。そんな話はごまんとあるわ」
それは寂しい話だと、クラマは思った。
「でもね、クラマ」
そう言ってレイフは腰を上げて膝立ちになると、クラマの頭の後ろに手を回して、抱きしめた。
「ちょ、れ、レイフ――」
「どう、落ち着かない?」
頭の上から聞こえてくる声に、クラマは抵抗をやめた。
優しい抱擁だった。
不思議といやらしい感じもしない。
温かくて、気持ちが安らいでいくのを、クラマは感じていた。
「たとえ相手のことがよくわからなくても、人は肌で、言葉で、行動で、いろんなものを相手から受け取ることができるわ」
“他人のことが分からなくてもいい”
その言葉がクラマの心に、溶け込むように沈み込んでいった。
「私もあなたから、いろんなものを受け取っているわ。あなたがいつも頑張ってるのを見て、感謝してるし、自分もみんなのために何かをしようっていう気持ちになる。私だけじゃなく、きっとみんなもそうだと思う」
そう言うとレイフはクラマから手を離して、元のように座った。
「どうかしら? あまり答えになってないかもしれないけど……」
「いや……そんなことないよ」
「そう、少しでも気分が楽になったなら良かったわ。……あ!」
> クラマ 心量:73 → 78(+5)
「心量上がってるじゃない! あぁ~良かった。私、クラマには嫌われてるかと思ってたんだから!」
からからと笑うレイフ。
何度も蒸し返すあたり、だいぶ根に持っているのが窺える。
「あ、あれはレイフがあんなこと言うから……」
「あんなことって?」
> クラマ 心量:78 → 75(-3)
「あっ、下がった! どういうこと!?」
釈然としない様子のレイフを、夜中に騒ぐと近所迷惑だからと言ってクラマは誤魔化した。
「いや、でも話を聞いてくれてありがとう。こんなこと話せる相手いなかったから」
「どういたしまして。告解を聞くのは久々だったから、シスターだった頃をちょっと思い出したわ」
「えっ!?」
「あら、驚くこと? 修道女が体を売るなんて、どこの国でもよくあることよ。まあ、私はその頃はまだそういう事してなかったけど……」
クラマはなんとも言えない顔をする。
今までとは別の意味で、また反応しづらい雰囲気になってきたのを感じていた。
そしてそれは案の定。
ニマーっとした横目でレイフが見つめてくる。
「あらぁ? ひょっとしてそういうコト、興味ある……?」
「いや、今日はありがとう! もう遅いから寝るね! おやすみ!」
「はい、おやすみなさい」
クラマはいそいそと階段を降りていった。
ひとり屋上に残されたレイフは、遠くに見える繁華街を眺める。
昔の話に触れたことで、レイフは思い出していた。
クラマには言わなかったが、かつて婚約者を殺された復讐のため……という彼女の目的は、とうの昔に風化してしまっている事を。
――自分のことが一番、信用できない。
その言葉に悩まされた時期もあった。
自分はこんなに薄情な人間だったのか。
彼を想う自分の気持ちが偽りだったのか。
日ごと薄れていく復讐心と、その不安から逃れるために肉欲に溺れた日々。
自分は所詮、そんな人間なのだと見切りをつけて、それなら適当に終わればいいと思って、この街にやって来た。
だが、イエニア、パフィー、そしてクラマと出会い、彼らと共に過ごすうちに、レイフの心にも変化が生じていた。
「はぁ……せめて足手まといにならないようにしないとね……」
誰もいない屋根の上。
そんなことをひとりごちて、レイフはランタンを拾い上げると家の中へと戻っていった。




