26話
ベッドの上で横になっていたクラマのもとへ、珍しい人物が顔を出した。
「あれ、ティア? 戻ってたんだ」
「ただいま診療所より戻りました。お休み中でしたら、時間を改めて参りますが」
「ああ、うん、大丈夫。眠れなかったし」
「でしたら丁度よかった。診療所の医師よりクラマ様にと、こちらを預かっております」
そう言ってティアは小袋をクラマに手渡す。
以前にも貰った睡眠薬だ。
「なんて気の利いた人なんだ……代金は?」
「無料だそうです。その代わり、近いうちに顔を出すように、あのスカした少年に伝えておいてくれる? ……とのことです」
「なんて優しい人なんだ……了解、明日になったら行くよ。ところでスカした少年って誰だろう?」
「さあ、わたくしは存じませんが」
そんなとぼけたやりとりをしてから、ティアは診療所に連れて行った男性について、女医のニーオから聞いたことをクラマに話す。
・使用された薬物は、この街で売っているものでほぼ間違いない。
・健康面では栄養を摂って休めば問題ない。
・依存症からの離脱は困難で、地獄のような禁断症状が数日間続く。
とのことだった。
それを聞いたクラマが尋ねる。
「いつから復帰できるかは、聞いてない?」
「いえ、伺っておりません」
「そっか……」
なにやら思案しているクラマのことを、ティアはしばらくじっと見つめ、おもむろに口を開いた。
「クラマ様」
「うん?」
「もしや、仲間を増やす方針で動かれていますか?」
クラマがティアの目を見る。
2人の視線が合わさったのは一瞬のことで、すぐにクラマは頬の力を抜いて笑った。
「仲間はたくさんいた方がいいよね。その方が楽しいし」
「……仲間を増やすことについては、わたくしも賛成です。しかし我々は非常に危うい立場にあります。出過ぎたことを申し上げますが、仲間にする相手は慎重にお選びくださいますよう、お願い致します」
丁寧な物腰で語っているが、これはサクラ達を信用していないとも取られかねない言葉だ。
だが実際のところ、クラマも次郎や三郎の人となりについては、しっかりと把握できてはいない。
ティアの言うことは、もっともな忠告であり、当然の懸念であった。
そこでようやく、ティアが全員の揃う場所ではなく、わざわざクラマの部屋まで話しにきた理由を理解した。
「うーん、ティアも大変なんだなあ……」
でも大変な事にしているのは自分なんだよなあ、と思いつつも、クラマはそんなふうにうそぶいた。
「イエニア様に代わって気を回すのもわたくしの務めですので、お気遣いなく」
「そう? でも今回のは大丈夫だと思うよ。あの人の治療費もたぶんいらない」
「……そうなのですか?」
ティアは珍しく驚いた様子を見せた。
「うん。治療は大変だろうけど、ニーオの立場からすると、地球人を個人で所有したような形になったからね。本来はダンジョン踏破のためにしか使えないものを、治療費の代わりにって事で色んなことに使えるんだ。彼の治療費は、彼自身の運量で払ってお釣りが来ると思うよ」
さらに続けて、クラマは手にした睡眠薬をティアに見せながら言う。
「これをタダでくれたのも、そういう事だろうし。それに……たぶん運量は、ダンジョンに潜るよりも、治療に使う方が向いてる」
クラマが今日、自分の治療に運量を使って思い至ったことだ。
たとえば仮に、何かを治そうとして運量を“使いきれなかった”のなら、その時点でその箇所には何の問題もないと保証される。
診察がより正確になり、経過観察の必要もなくなる。
ニーオの指示で運量を使えれば、クラマには思いつかない活用法がいくらでも出てくるだろう。
現在の医学では不可能な難病の治療や、新薬の開発にも可能性がある。
使い方次第。しかしその恩恵は計り知れない。
「近いうちに来いっていうのも、運量のことを聞くのが目的だろうね。患者の今後について話すなら、イエニアを呼ぶだろうから。……明日はパフィーも連れていった方がいいな……」
思索を始めたクラマを、ティアがじっと見つめる。
先ほどまでの冷たく探る視線とは異なって、その瞳には好奇の色が含まれていた。
「クラマ様がそこまでお考えの上とは、敬服いたしました。わたくしの浅慮で差し出がましいことを申してしまい、お恥ずかしい限りです」
「え? いやいやいやいや、そんな深く考えてないからさ。こっちの方が恐縮ですよそんな」
丁寧に頭を下げられて、クラマの方が慌てる。
「それに、まあ……やらかしたのは間違いないしね。イエニアには謝らないと……あ、そうだ! ティアの方からイエニアにとりなしてもらえないかな? イエニア、だいぶ怒ってるだろうからさ」
クラマは駄目で元々のつもりで言ってみたのだが、意外な答えが返ってきた。
「ええ、構いませんよ。お任せください」
そう言ってティアは笑顔を見せた。
控えめな微笑だったが、クラマが彼女の笑顔を見たのはこれが初めてだった。
これまで見せてきた雰囲気とは違った可憐で柔らかな笑顔に、クラマは一瞬ドキッとする。
「それでは失礼いたします」
ティアは一礼してクラマの私室を出た。
そして夜。
リビングルームの一角にて。
腕を組んで仁王立ちをするイエニアの前で、正座しているクラマの姿があった。
「クラマ、私はとても怒っています」
「はい」
「どうして何も言わずにひとりで突っ込んだのですか! 人としてあの場面を見過ごせないのは分かりますが、相談もなしに独断専行する理由にはなりません! 分かるでしょう!」
「返す言葉もございません……」
クラマは平身低頭して謝ったが、烈火のごときイエニアの怒りは治まる気配がなかった。
ティアがとりなしてくれたはずが、一体これはどういうことか。
クラマは横目をちらりと向けると、椅子に腰掛けたティアと目が合う。
ティアはにこっと笑顔を返した。
……どういうことなのか。
その笑顔の理由。少女の気持ちは、ついぞクラマに推し量ることは叶わなかった。
「何をよそ見しているのですか! きちんと聞いていますか!?」
「ははぁーっ、申し訳……申し訳も……!」
イエニアの説教は夜が更けるまで続いた。