104話 - ナレエシ村のウズイの挿話
冒険者どもの侵攻は抑えられない。
首都からの援軍は来ない。
趨勢はもはや誰の目にも明らかである。
ヒウゥースは敗北した。
「ぬうぅぅぅぅ……! おのれ……何故こんなことに……!」
「ヒウゥース様、早く避難を!」
「くっ……わかった。後は任せたぞ」
「はい! どうかご無事で!」
配下を置き去りにしてヒウゥースは屋上に走る。
……こうなれば出戻りだ。
ここでの悪事が明るみに出れば、もはやこの国のどこにも居場所はない。
金、地位、人脈。
すべてを失ってしまうが、生きていれば再び挑戦できる。
また名前を変えて……いちからやり直しだ。
ヒウゥースは前向きにそう考えながらも、後ろ髪を引かれる思いだった。
ただ自分を逃がすためだけに、体を張って敵の侵攻を食い止める、忠誠の厚い部下たち。
まるで身を切られるようだ。
背後から悲鳴が聞こえるたびに、足が止まりそうになる。
失うには惜しい人材たちだが、また探せば良い。
そう自分に言い聞かせるが……なぜだか「それは違う」という思いが、心の片隅から離れなかった。
懊悩も、躊躇いも、振り切ってひた走る。
やがて背後に響く喧騒は届かなくなり……
彼はついに屋上の扉に手をかけ、開いた。
「……ん? おお! ずいぶん遅かったじゃあないか」
ヒウゥースが開いた扉の先。
そこには、ここに居るはずのないものが待ち受けていた。
死を運ぶ青い瞳の男。
「……ワイトピート……!」
ヒウゥースの視線の先でワイトピートは、屋上に設置してある気球に乗り込んでいた。
ただ乗り込んでいるだけではない。
逆さだ。
気球の籠部分のへりに背中を預けて、両足を上に伸ばして器用に動かしている。
動かしている――というか、遊んでいる。
「ほっ! ふんっ! うう~ん……そやッ!」
バキンッ!
耳障りな金属音と共に鉄の金具が壊され、バーナー部分がバラバラに分解されて地面に落ちた。
「おおっと! 壊れてしまったではないか! ちょっとぉ~……このオモチャ、強度が足りないんじゃないかね、ウズイくぅ~ん?」
「き、貴様、何をしている!? ……いや待て。いま何と言った? その名……」
ヒウゥースの右手が上がり、ワイトピートを指さす。
その指先は細かく震えていた。
「ぃよっと! ふぅ……」
ワイトピートは逆立ち状態だった体を戻して、今度は普通に気球の籠のへりに腰かけた。
驚き、慌て、血相を変えるヒウゥースとは対照的に、ワイトピートはその身に不吉の風を纏いながらも、穏やかとすら言える笑みを浮かべていた。
さながら古くから馴染みのある友人と歓談するかのように。
男は眼前のヒウゥースに告げた。
「一人乗りの気球……良くない。良くないねぇ。いくらきみの体が幅を取るとはいえ……きみはまた、自分ひとりだけ生き延びるつもりかね?」
「な……なにを言ってる。貴様……貴様、なにを……」
「私はね。ずっとずっと、聞きたくて聞きたくて仕方がなかった。今日ここにきた理由の半分はこれだ」
悲劇をもたらす青い瞳が射抜いた。
ヒウゥースの目を。
その心の奥の奥まで抉り抜き、ヒウゥースが守り続けてきた最も柔らかい部分に手を伸ばす。
「――きみは、彼女が生きていたことは知っていたかね?」
ヒウゥースの口がぱくぱくと開く。
何を言ってるのかと。
ただそれだけの言葉が、喉から先に出て来ないのだ。
……その先の答えを聞くことを、精神が、肉体が、強く拒んでいる。
「ウズイくんは誰にも負けない! 絶対に助けに来るわ! おまえたちなんて、みんなウズイくんがぶっとばしちゃうんだから!」
お世辞にも上手くない裏声を使ってそんなことを言うワイトピート。
それから彼は、満面の笑顔を見せる。
それは悪意にまみれた笑い。
嘲笑だった。
「来なかったねえ、ウズイくん。女性を待たせるとは、まったくひどい男だ。だからね、今日は遅刻癖のあるきみのために、彼女をここまで持ってきてあげたよ。フフ……展示室が無事で良かった」
そう言ってワイトピートはゴソゴソとポケットをまさぐる。
ポケットからゆっくりと引き出され――そして、それはヒウゥースの前にそっと差し出された。
「さあ、感動のご対面だ」
それはガラスの小瓶に入った明るい橙色の瞳と、同じ色をした髪の束だった。
「どうしたかね、そんなに震えて……? ははは、私の目があるからといって遠慮することはない。婚約者を抱きしめてあげたまえ! ……そうだ、ここで結婚式を挙げようか! どうかね、この私のアイディアは!? ん? 何か言いたまえよ。ねえ、ウズイくぅ~ん」
生まれ育った村が滅ぼされた時、復讐は考えなかった。
代わりに武術を捨て、財の力を求めた。
……しかし、時おりふっと頭の片隅をよぎることがある。
あの時、本当に財力という強い力を求めたのか?
もしかしたら違うのではないか?
己の復讐心から目を逸らし、違う道に逃げ込んだ……ただの逃避だったのではないか……と。
当時どう思ったか。
もはや記憶は薄れ、思い出すことはできない。
しかし……
――ウズイくん、おじいさまから聞いた? キミが首都の武術大会に勝ったら、私を嫁にやるって。
――うん、ありがと。でも別にいいんだ。
――私、そんな気が長い方じゃないの。だから……一回で優勝、決めてよね?
「ワイトピート!!! 貴様ァァァアアアアアアアアッ!!!!」
絶叫にも等しい怒号。
天を衝く怒りに大気が震える。
ビシィッ、と屋上の床に皴が走った!
ヒウゥースが地面に踏み下ろした震脚。
その衝撃に耐えられず、屋上が崩壊する!
「!?」
足場を失ったヒウゥース・ワイトピート両名は瓦礫とともに落下!
ふたりが落ちた先は、ヒウゥースの寝室。
砕けた瓦礫の破片が宙を舞う。
立ちこめる粉塵。
白く煙った視界の中、ワイトピートは急激に広がる黒い影を見た。
「む――」
「ぬぅおああああああああああ!!!」
突き出された拳がワイトピートの胴部、その中心にめり込む!
「ぐ、ぉ……!」
影に見えたのは目前に迫ったヒウゥース。
ヒウゥースは数秒間ほど舞い上がった粉塵を目くらまし代わりに、全身全霊の一撃を眼前の男に叩き込んだ。
憤怒の鉄槌を穿たれた敵はゴム鞠のように吹き飛び、壁を破壊して隣の部屋まで突き破る……はずの一撃だった。
「ぬ……はは……。いや、なんともこれは、すさまじい。……あのまま武術を続けた方が良かったのではないかね?」
突き出されたヒウゥースの拳。
その手首をワイトピートの手が掴んでいた。
そして次の瞬間、ヒウゥースが第二撃を放つより早くワイトピートは動いた。
密着して背後をとり、首を締め上げる!
「ぐ……きさま、この程度でっ……!」
「ふふ……このまま格闘に興じたいところだが……残念ながら、今日は予定が詰まっている」
ず……と、ワイトピートは短剣をヒウゥースの首に突き入れた。
まるでケーキに刃を入れるような気軽さで。
とてもとても無造作に、銀の刃はずぶりとヒウゥースの首筋に沈み込んだ。
「あ――く――」
「さよならだ、ヒウゥース。きみは最期まで素晴らしいビジネスパートナーだった」
ワイトピートは短剣を回して、ヒウゥースの首をねじ切った。
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屋上破壊による振動は地下にまで届いていた。
「なんだ……!?」
地下にいるヤイドゥークには、上階で何が起きているのか分からない。
首都からの援軍は一向に来る気配がない。
冒険者の侵攻は抑えられない。
待てば待つほど状況は加速度的に悪くなっていく。
もう待てない。
ヤイドゥークは決断した。
「……おまえら、ここはもういい。全員で上がって冒険者を止めるぞ」
部下の男が答える。
「し、しかしここの守りがなくなると、今度はこちらが挟み撃ちにされる可能性が……!」
「わ~かってる。だが動かなきゃ終わりなんでな。時間を稼いでくれれば俺がなんとかする……なんとか……まあ、たぶん……」
そうやって部下に指示を与えたその時。
地下全体に響く振動、そして爆発音!
「うおおっ!? ……来たか! おい今のなし! 全員対処に行くぞ!」
ヤイドゥークは部下を連れて、揺れと音の発生源へと向かう!
地下施設を駆け抜けながら、ヤイドゥークは大丈夫だと自分に言い聞かせていた。
ダンジョンのどこから壁を抜けて来ようと、すぐさま包囲できるよう人員を配置している。
また、壁を抜けてこの地下施設に入った敵には、いくつもの罠が襲うようになっている。
迎撃の準備は万全だ。
この地下への侵入者を殲滅した後、全員で地上へ増援に向かえばまだ……逆転の目はある。
やがてヤイドゥークは辿り着いた。
ここが音の発生源。
侵入者がこの地下施設に入ってきた場所。
そこには予想通り、大きな穴があった。
……ただし、壁ではなく、床に。
「し、下から……だと……!?」
穴の周囲には打ち倒された部下たちの姿。
「マジか……これ、は……」
激しい虚脱感に襲われて、ヤイドゥークはがっくりと膝をついた。
「駄目だ……もう勝ち筋が……」
あらゆる状況を想定できるヤイドゥークの多重思考。
その能力によって無慈悲にも分かってしまう。
自分達の敗北が決定したことを。




