101話 - 勇者の挿話
居合わせた憲兵たちは、みな一様にその光景に目を奪われていた。
「す……すげぇ……!」
セサイルとフォーセッテ。
英雄と怪物。
そこでは吟遊詩人が酒場で吟ずるような、伝説上の戦いが繰り広げられていた。
「遅え……遅え遅え遅えぞデカブツ!! オレはここだ!!」
「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
セサイルは地を這うように低く駆ける!
四足獣のごとく俊敏、そして獰猛。
煌々ときらめく真紅の双剣は、まるで血に染まる牙。
セサイルは巨鳥の周囲を、また体の下を跳び回りながら、手にした双剣をもって裂き、刺し貫いていく。
フォーセッテもただ突っ立っているわけではない。
しかしセサイルはフォーセッテに密着するほど近くで戦っている。巨鳥のクチバシは届かない。
さりとて翼で払おうにも、セサイルの動きは速すぎた。
巨鳥が固く巨大な翼で生み出す風。
それよりも速くセサイルは、自らが突風となって死の間合いの内側へと踏み込み、駆け抜ける!
たったひとりで巨大な怪物を圧倒する男。
呆然とその戦いを眺めている憲兵たちに、セサイル当人から叱咤の声が飛ぶ。
「おら、ボサッとしてんな! さっさとそいつらを連れてけ!」
「……はっ」
慌てて憲兵たちは動き出した。
彼らはヒウゥース邸に突入し、中庭で倒れている地球人を確保する。
「く、憲兵か……!」
ヤイドゥークは地球人を操って迎え撃とうとする。
「って待て待て、多くないかコレ……!?」
が、予想以上に憲兵の数が多い。
いや、なにも憲兵が増殖したわけではない。
ただ、この街の憲兵すべてが、この場に集まっているだけだ。
……当初、ティアの申告では17人の憲兵が協力を申し出たという話だった。
だが、クラマは憲兵たちに向けてこう説明した。
「この街の憲兵の皆さんは、ヒウゥース達とは戦わなくていいですよ。だって、そんなことしたら、この騒ぎが収まった後で何らかの罪に問われるかもしれない。……でも大丈夫。皆さんにして貰いたいのは、『怪物に襲われてる地球人の救出』だから。……これって、普通の憲兵のお仕事ですよね?」
あくまで住人の救出という名目。
万が一にも政府への反逆ととられないように……というクラマの配慮だった。
このことは詰め所にいる他の憲兵たちにも伝えられ、最終的にはこの街にいる全ての憲兵がこの場に集結したのだった。
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「くっそ、やられた……!」
ヒウゥース邸、地下操作室。
ヤイドゥークは地球人たちとの接続を断ち、奇妙な兜状の魔法具を頭から取り外して放り投げた。
固い床を転がる鉄の魔法具。
そこにコイニーの切迫した声が届く。
「ヤイドゥーク! 冒険者たちが攻め込んできたわ!」
「……!」
状況は一変した。
冒険者が攻め込んできても、外で待機している地球人とで挟み撃ち……というプランはもはや実現不可能。
ヤイドゥークは頭に手をあて、戦況をシミュレートする。
多重思考を駆使して、あらゆる状況を想定。
残った勝ち筋を導き出す――!
「……まだだ。まだある。この地下から出て、冒険者の背後を突く」
「それは……ここの守りは大丈夫なの?」
「最低限の人間は残す。が、向こうの戦力はほとんど出尽くしてるはずだ。ダンジョン地下1階の、この施設周辺にはいくつもの罠を張り巡らせてある。そう簡単には突破されない」
「分かったわ。みんな! 武器を持って集合!」
コイニーは地下で待機している者達に呼びかけ、強襲部隊を編成する。
そうしてコイニーが部屋から出た後……。
「ふぅぅぅーーーっ……正念場だねぇ。耐えれば勝ちだが……さて」
ヤイドゥークは深い深いため息をついて、両手で目を覆った。
「それにしても遅い……遅すぎる……一体……」
奇怪な椅子型魔法具しかない、ひどく狭くるしい小部屋の中。
ヤイドゥークは苛立たしげに、そうひとりごちた。
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動かないものが気力で動くことはない。
セサイルの体は治ったわけではない。
真実、立つのがやっとの状態である。
それでは、なぜ戦えるのか?
その答えは――やはり、“気力”としか言いようがなかった。
立てるのならば戦える。
戦えば勝つ。相手が何であろうと。
セサイルは己を“そういうもの”と規定した。
クラマ風に言えば自己暗示である。
しかしそれにも限度がある。
今のセサイルは壊れた体に気力を注ぎ込んで無理やり動かしている状態だ。
足を一歩踏み出すたびに、剣を一振りするごとに、セサイルの体は崩壊へと突き進んでいる――
「クソッタレが! ラチがあかねえ……!」
これまで数十回は斬り込んでいるセサイルだが、フォーセッテは一向に動きを止める気配を見せない。
セサイルが持つソウェナ王国伝来の宝剣イェドワガルフとフィニルフュアーは、鋼鉄のように硬いフォーセッテの羽毛も問題なく切り裂いていた。
しかし問題はそこではない。
脂肪だ。
分厚い脂肪に阻まれ、セサイルの剣では致命傷を与えることができない。
それでも斬り続ければいつかは倒れるだろう。
セサイルの体が壊れるのが先か、それともフォーセッテが動けなくなるのが先か。
勝負はそんな消耗戦の様相を呈してきた。
……そう思われた時だった。
「ヴェオ……ヴォォォオオオオオ!!!」
フォーセッテが突如、両の翼を大きく広げた!
飛翔して逃走――というわけではなかった。
羽ばたき。
その標的は真下。
捕まらないセサイルに照準を定めることをやめ、地面に向けて強烈な風を送り込む!
「くっ……うおおおおあっ!?」
荒れ狂う暴風!
逃げ場はなく、セサイルの体は宙に浮いた。
「っ……! ヤベエ――!」
両の足を地面から離したセサイルを、凶悪に煌めくフォーセッテの眼光が見据えた。
中空で回避不能の体に、クチバシの突き!
身をひねるセサイル。
ノコギリじみたクチバシが、セサイルの胸元を大きく削り取った!
「ぐううぅっ!」
噴き出る血潮。
しかしそれで終わりではない。
フォーセッテはその巨大な翼を振り下ろし、今度は風ではなく翼を直接セサイルに叩きつけた!
「ぐ、お……っ!」
全身を打ちつけるすさまじい衝撃!
人間に殴られるのとは、わけが違う。
セサイルは何度も地面を激しくバウンドした挙句、煉瓦の塀に激突!
激突の勢いで塀は破壊され、瓦礫がセサイルの体を埋めた。
「……ウェェェェェェェェェイ!」
それは勝利の雄叫びか。
フォーセッテは頭上を見上げ、大きく翼を広げた。
だが……
「……にを……てやが……」
ガラ……ガラ……と。
瓦礫の奥から這いずるように現れる。
全身傷だらけ。胸元には赤い血を流し続ける生々しい大きな傷。
「何を止まってやがる……! オレはまだ生きてるぞ……かかって来やがれ……!」
満身創痍。
それでも男は立ち上がった。
「来ねえってんなら、こっちから行くぞコラァ!!」
駆けた。
その勢いは変わらず、最高速度の俊敏さをもって。
セサイルは走り続ける。
壊れて止まる、その瞬間が来るまで。
セサイルの戦いは、多くの住民が遠巻きに見守っていた。
その中で、ひとりの男が苦々しげに舌打ちをした。
「ちっ、あの馬鹿が……!」
男の隣にいたテフラは、怪訝な表情で男の顔を見上げた。
異様な光景であった。
全身は傷のついていない箇所が見当たらない。
流れ出る血を止めようともせず、血風を広げながらも、男は両手の剣を振るい襲いかかり続ける。
もはや勝ち目があるようには見えなかった。
死に向かう自傷。
誰の目にも、そう見えた。
果たして彼は勇者なのか、それとも狂戦士なのか――?
その常軌を逸した気迫に押されたのか。
決着を急ぐ気持ちが、巨鳥の脳裏に芽生えたのかは定かではない。
いずれにせよ、フォーセッテは再び両の翼を大きく広げた!
羽ばたき。
風圧の叩きつけを再び行おうとする。
その瞬間だった。
「待ってたぜ……この時をよォ!!」
フォーセッテが翼を広げようとし始めた瞬間。
セサイルは跳躍していた。
巨鳥の体を蹴り上がって駆け登り――翼が振り下ろされるより先に、その大きく広げた翼の下……翼の付け根に到達した。
セサイルは躊躇なく翼の根元に双剣を突き刺す!
「うおらああああああっ!!!」
そして突き刺した双剣を、左右に広げて切り開いた!
「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
巨鳥の翼が、根元から切り離される!
「へっ、どうだ! もう逃げられねえぞ……!」
この期に及んで、敵を逃がさず仕留めることを考えている。
その狂気を、フォーセッテは振り払うように暴れる!
セサイルは剣をフォーセッテの体に突き刺して張り付こうとするが、ついに剣の片方が抜け、その体が宙に投げ出された。
すかさず残った翼を叩きつけるフォーセッテ!
「ぐぅおおおっ!」
巨大な翼ではたき落とされたセサイル。
その方向はほぼ真下に近く、セサイルの体は何度も地面をバウンドして、全身を地面に激しく打ちつけられた。
「お……ぁ……!」
セサイルは――立てない。
全身がバラバラになるような衝撃。
常人なら即死しているはずの一撃だ。
弱った体で……失血もあり、脳震盪も加わっている。
これまで幾度かの必然を無視して踏み越えてきたセサイルだったが、ついにその肉体は停止した。
「まだ……まだ……オレは……生き………」
弱々しく手足を這いずらせることしか出来ないセサイル。
まるで死にかけの虫。
その姿を巨鳥は、鋭い視線で見下ろした。
見逃してはならない。とどめを刺さなければならないと、知っているかのように。
もはや動けないセサイルを踏み潰さんと、巨鳥がその歩を進めようとした時。
「今だ! 全員、投げろォーーーーーッ!!!」
響き渡る号令。
それに続いて、何十本もの槍がフォーセッテの巨体を目がけ、弧を描いて飛んだ!
「ウェ? ウェェェ……?」
フォーセッテの歩みが止まる。
しかしそれだけだった。
投擲された数えきれないほどの槍は、フォーセッテの硬い羽毛に弾かれ、虚しく地面に落ちた。
「ゲェーッ!? 一本も刺さってねえ!」
「んなコタぁ分かってる! 奴の目を引きつけるんだ! 第二射、放て!」
槍の投擲を行っているのは、地球人たちを保護し終えた憲兵たち。
そして、その指揮を執るのは隻眼の納骨亭マスター、ヤイツノであった。
次々と投擲される槍。
槍がなくなれば今度は剣、石、矢。
とにかく手当たり次第に投げつける。
投擲で傷を受けることのないフォーセッテだったが、その目にべしゃりと生卵がぶつかった瞬間、吼えた。
「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
片翼での羽ばたき。
威力は両翼の時に及ぶべくもないが、憲兵たちにはそれで充分だった。
「うわあぁーーーーーーーっ!!」
風圧で地面に押し倒され、さらに投げつけたものが自分達へと返ってくる。
悲鳴をあげ、蜘蛛の子を散らすように逃げていく憲兵たち。
数十人もの兵士集団が、ただの翼の一振りで壊滅した。
その場に残ったのはヤイツノただひとり。
「ふん、馬鹿が……」
だが彼は怯えるでもなく、狼狽えるでもなく、薄く笑みさえ浮かべてフォーセッテの視線を受け止めていた。
「所詮は鳥の脳ミソか。絶対に目を離しちゃいけねえモノを忘れちまうとはな」
彼の言葉はフォーセッテには届かない。
届いてはいないが……しかし別の何かを感じ取ったのだろう。
フォーセッテは自分の背後を振り向いた。
「遅いな。もう終わりだよ、お前は」
ヤイツノの宣告。
直後、炎が走った。
フォーセッテが槍の投擲に気をとられている時――。
セサイルは地を這いながら詠唱した。
「オクシオ・ヴェウィデイー……ネウナヒウェ・タエソ・ニディウハ・ナエツ・ガ・ネヒド・ヤハア・セティウ……」
一本だけ手元に残った剣を握る。
セサイルはそれを地面に突き立て、小刻みに震える膝に全身全霊の力を込めて、少しずつ体を起こしていった。
もはや上下の感覚もない。
意識は朦朧としている。
それでも立てる。
立てるのは、立ち方を知っているからだ。
彼はどんな時でも立ち上がり、そして勝ってきた。
それが亡国最後の将にして、己が加わった12の戦役ことごとくに勝利した、生ける伝説。不敗の敗将。
それが、セサイルという男である。
「……我が力は我が物にあらずして、汝は史上なりし王より賜りしもの。汝が力を以て、今ここに誓いを果たさん。願わくばとこしえの地へ、彼の元へ……」
セサイルはしっかりと両の足で立ち上がった。
そして片方だけ残った剣をまっすぐ天に掲げて……その発動の句を口にする。
「届け狼火。――プライヴァーフュリオ」
セサイルの剣、その刀身から炎が走る!
紅蓮の炎が向かう先はフォーセッテ。
……それは正確ではない。
正しくは、フォーセッテの背中に突き刺さった、もう一本のセサイルの剣である。
刀身から一直線に伸びた炎は、片割れの刀身と繋がり一本の線を作る。
炎の線。それは消えることなく燃え続けた。
「ヴェオッ!? ヴルオオオオオッ!!」
激しい炎に焼かれて緑の巨鳥は身悶えた。
しかしどれだけ暴れようとも、背中に生えた剣を抜くことはできない。
業を煮やしたフォーセッテはセサイルに向けて突撃した!
セサイルは動けない。
……セサイルが動けない?
それは有り得ない。
彼はどんな時でも立ち上がり、そして勝ってきた。
立てるのならば戦える。
戦えば勝つ。相手が何であろうと。
セサイルは己を“そういうもの”と規定した。
それが、かつて仕えた王に奉げた、唯一の誓いだから。
……たとえ、信じた主に裏切られ、その結果として尽くした国が滅びようとも。
誓いは彼と共に有り続ける。
「――いくぜ?」
セサイルは巨鳥を迎え撃った。
その踏み込む速度はこれまでのどれより速く――剣筋は鋭く、フォーセッテの体を深く切り裂いた。
セサイルが駆けるたびに炎が走る。
刀身に追従する炎。
それは線というより鎖だった。
セサイルがフォーセッテの翼、クチバシ、鉤爪の攻撃をかいくぐり、その体の下に潜り、背を取り、周囲を旋回するごとに、炎の鎖はフォーセッテの体に何重にも巻き付いていく。
セサイルは炎を従えながら、目にも留まらぬ速度で斬撃を放ち続けていく。
「おらおらおらおらおらあああああっ!!!」
「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
縦横無尽に巻き上がる炎の乱舞。
いつしか巻き付いた炎の鎖は、巨鳥の体を捕らえる炎の檻へと変貌していた。
「ヴェオッ、ヴォ……ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
全身を炎で焼かれ尽くしたフォーセッテ。
神の眷属たる緑の巨鳥はついに立ち止まり、天を仰ぐと、断末魔の雄叫びをあげた。
セサイルも立ち止まり、フォーセッテに背を向ける。
そして剣を一振りすると、刀身から伸びていた炎が消えた。
後に残されたのは黒焦げの巨鳥。
セサイルはそれを振り返ることなく告げた。
「オレの勝ちだ」
それに応えるように、セサイルの背後で巨鳥が倒れる。
地響きと共に吹き抜けた熱風が、激しい死闘の終わりを告げた。
セサイルはしばらく歩いてから、力を抜いてその場に座り込んだ。
「ハァ~~~~~……割に合わねえぞ実際コレ。やっぱり何でもするなんて条件で依頼を受けるもんじゃねえな……」
彼は大きく息を吐いて呼吸を整えて……それから空を仰ぐ。
すると、見慣れた隻眼と目が合った。
「ったく、相変わらずだなお前は」
「……アンタか」
納骨亭マスターのヤイツノ。
彼は元冒険者であり、そして……セサイルが幼い頃に戦いのいろはを教えた、武芸の師である。
「お前は強いが欠点がある。それは強すぎる事だ。何でも一人で出来るから、何でも一人でやろうとする……お前の悪い癖だ」
「チッ、こんな時に説教かよ。カンベンしてくれよ……」
「おめえが鳥並みの記憶しかねえから、何度も言ってやってんだ。感謝して咽び泣け」
「うーるせっ。言われなくたって覚えてるよ」
セサイルは悪態をつきながらも、バツが悪そうに顔を背けた。
実際それは、セサイル自身も己の欠点として自覚している。
彼は、他人に期待するのが苦手なのだ。
自分自身が何でも出来てしまう。
だから、つい無意識のうちに周りの人間にも同じ水準を求めてしまう。
人にものを教えるのには失望がつきまとう。
それなら自分でやってしまった方が早いし、気が楽だ……と、考えてしまうのだ。
この街でパーティーを組んでも、一人でダンジョンに潜るのはそういう事だ。
祖国が滅んだことにも、己の悪癖が遠因として絡んでいる――と、彼は思っている。
こうした考えのため、セサイルは人にものを教えることを嫌う。
ただ……例外があった。
「……いつまでもガキ扱いしてんじゃねえよ。オレだって昔のままじゃねえ。剣を預けられそうな奴も見つけたしな」
セサイルが教えた事に対して、想像以上の反応を返してくる男。
群衆を従え、戦局を意のままに作り出す才覚。
そして何よりも――戦士に対して死んでこいと命令できる胆力。
セサイルはそこに王の器を見ていた。
クラマという、地球人の少年に。