10話
クラマたち4人が梯子を登って地上に上がると、洞窟の入口が木材の山で塞がれていた。
そして内側にいる2人の男と1人の少女が、外に向かって声を張り上げていた。
「不当な搾取はやめなさーい!!」
「やめろー!」
「冒険者の権利を守れー!!」
「おー!」
「基本的人権を尊重しろー!!」
「そうだー! ……ところで基本的人権って何ですかい、アネゴ?」
「うっ! それは……人として……人としての権利よ!」
「なるほど!」
こんな調子で中学生くらいの少女が音頭を取って、中年の男2人が掛け声を合わせていた。
「えーっと……これは何なのかな?」
また違う世界に入り込んでしまったような気がして、困惑を隠せないクラマ。
そんなクラマの声で、叫んでいた3人の男女が振り向いた。
互いに何を言おうかと思考を巡らせる一瞬、その空隙の間に――
「クラマっ!!」
イエニアが叫ぶと同時に、クラマは背後から何者かに抑え込まれていた。
「へっへっへ……こいつの命が惜しければ、俺っち達に従ってもらおうかい?」
「く……」
イエニアは剣の柄に触れていた手をゆっくりと外した。
「でかしたわ、次郎!」
少女が喝采をあげる。
「うっす。ちぃっとばかし小便に行ってたのが、いいタイミングでしたわ。ナイス小便! って感じっスね」
「そういうこと言わない! 次郎はもっとデリカシーを持って!」
「サーッセン」
拘束されたクラマはイエニア達から引き離されて、バリケード側の3人の所へ連れて行かれた。
「えーっと……次郎サン?」
クラマはどこから尋ねたものかと思ったが、まずはそこから聞いてみた。
「この名前っスか? これはアネゴがつけてくれたんスよ。俺っち達の名前が分かりづらいっつって」
他の男2人も頷いて言う。
「アッシはソードマン一郎でさぁ」
「拙者はマジカル三郎でござる」
「……そう。うん、ありがとう」
クラマは目眩がしそうな状況ながらに、事態を把握しようと努める。
一郎、次郎、三郎は見るからにこの世界の冒険者。となると目の前の少女が――
「ちょっと! こいつ地球人なんだから、運量使わないように口を押さえておかなきゃダメじゃない!」
「でもアネゴ、こいつ運量ないっスよ」
> クラマ 運量:73/10000
「あ、そう? ならいいわ」
あっさりと前言を覆す少女。
クラマはそんな少女を観察した。
体つきも顔つきも幼く、やはり中学生くらいだろうとクラマは思った。
快活そうで、もっと言えば気が強そう。
かなりの癖っ毛で、髪は肩にかかるのを拒絶するかのように、くるりと跳ねている。
髪の先だけ黄土色になっているのが特徴だった。
まずはクラマが先に口を開く。
「僕の名前はクラマ=ヒロ。君は?」
「サクラよ。タイシャク=サクラ」
「よろしく、サクラ。……でだ。ちょーっと僕には状況が分からないんだけど、説明プリーズ」
「見て分からない? ストライキよ!」
ストライキとは、労働者が業務を休止・阻害することで、労働条件の改善を訴える行為である。
「こんなスマホもカラオケもギターもない世界に連れてこられて! 土下座されたから仕方なくダンジョンに潜ってみたら何? 税金5割!? おかしいでしょ絶対!? やってられないわよ! そうよね、みんな!?」
「アッシはアネゴについて行くだけでさぁ」
「こんなんじゃ街で適当にギった方が……いや、なんでもねっス」
「拙者、サクラちゃんがいれば何でもいいでござる」
「……まぁそうだよね。5割は多いよね。うん」
「でしょ? せめて2割、いや1割に変えるように、こうやって薄汚い政府に要求してるの!」
そう言って、サクラはあまり大きくない胸を張る。
クラマの見たところ、男たちはサクラの主張する内容はどうでも良くて、ただサクラを盲信しているだけのようだった。
つまり会話するのはサクラだけで良いので、その点は楽であった。
そこで口を挟んでくるのは、イエニアだ。
「確かに上納金に不満を持つ冒険者は多いでしょう。しかし、要求するにしてもこの方法は危険に過ぎます。この国の法律では、意図してダンジョンの運営を妨げる行為は理由の如何を問わず重罪。期間の定めのない禁固刑です」
「えっ? ちょっ……みんな知ってた?」
サクラが後ろの3人に聞くと、次郎だけが知っていたようだった。
「いや、まっ、そのための地球人。運量じゃないっスか、アネゴ!」
「そ、そう。そうよ! 外の兵士達だって、私の運量を恐れて近寄れない。それに、あなた達だっているじゃない!」
と、サクラはイエニア達を指さした。
苦々しい顔をするイエニア、パフィー、レイフの3人。
クラマが人質に取られている以上、彼らに逆らうことはできない。
クラマはここにきて理解した。
自分達が今、これ以上ないほど壊滅的に悪い状況にあると。
――意図してダンジョンの運営を妨げる行為は“理由の如何を問わず”重罪――
やむを得ない理由などは考慮されないという事だ。
つまり、サクラの命令に応じて彼らを手伝ってしまえば、有無を言わさず共犯として処罰される。
もちろん、このストライキは成功しない。
サクラは運量を過信しているが、そこまで便利なものではない事を、クラマは知っている。
クラマはイエニア達を見た。
皆、状況が分かっているようで、苦しげな顔をしている。
今、イエニア達の目の前には選択肢が3つある。
1.『サクラの言う通りにして、犯罪者になる』
2.『クラマを見捨てて逃げる』
そして3つめは――
「……………………」
額に脂汗を滲ませたイエニアが、いつでも抜剣できるように、手の位置をわずかに上げた。
3.『危険を覚悟でクラマを取り戻す』
クラマにとって、その3つの答えはどれも最悪だった。
そして切羽詰まったイエニアの様子を見て、クラマは悟った。
この状況を動かせるのは、自分しかいないのだと。
「サクラ。運量があれば大丈夫だと、本当に思ってるのか?」
サクラは驚いて、まじまじとクラマを見た。
言われた内容に驚いたのではない。
それまで肩の力の抜けた気安い感じで喋っていたクラマが、自分をまっすぐに見据えて低いトーンで語りかけてきたからだ。
「だ、大丈夫でしょ。さっきから外の連中、近づいてこないし」
運量が相手でも、人数がいれば押し切れる。
しかしその言い方では、サクラを納得させるのには弱いだろうとクラマは考えた。
「いや、制圧するのは簡単だ。向こうは冒険者のパーティーを2つ雇うだけでいい」
「あ。……で、でも、こっちにはあんたもいるじゃない!」
「僕は運量ないよ」
> クラマ 運量:74/10000
「こ、この役立たず!」
「そうだね、ごめんね。……で、多分もう向こうはその準備をしてる。外の警備員は、それを待ってるだけだ」
サクラ達は不安げに顔を見合わせた。
「あ、アネゴォ、まずいっスよ!」
「どうしやすかい、アネゴ」
「ブタ箱は嫌でござる」
「お、落ち着きなさい! 大丈夫よ! 今ならまだ来てないし、運量があれば逃げるくらい……」
「逃げるのは無理だよ」
クラマはサクラの甘い目論見をぴしゃりと否定した。
「なんでよ。そんなのやってみなきゃ」
「地球人の体には、発信器が埋め込まれてる」
「――はぁ!?」
サクラが素っ頓狂な声をあげる。
それと同時にイエニア達3人も、クラマの発言に目を見開いて驚愕していた。
「嘘でしょ!? ねえ、どうなのあんた達!?」
「あ、アッシはそんな話は知らねぇ。聞いたこともねぇ」
残る2人も首を横に振る。
「ほら、誰も知らないって! だいたい、なんであんたがそんなこと知ってるのよ。そこがおかしいでしょ」
サクラは言いながら動揺した気持ちを落ち着かせる。
そうなのだ。万が一、クラマの言うことが本当だとしても、そんなことを知るはずがない。誰も教えるはずがないのだから。
「気付かなかったのか? 地球人の胸には、召喚される前にはなかった手術の痕がある」
「え……うそ?」
サクラはこの世界に来てから、姿見で自分の体を見ていないことを思い出した。
クラマの言葉を確かめるために、サクラはシャツを引っ張って、自分の胸元を覗き込んだ。
周りの3人もサクラの胸元を覗き込んだ。
「なに覗いてんの! バカ!」
サクラは3人にビンタを張った。
「たぶん女の人の場合は、乳房の下にあるんじゃないかな」
クラマの言葉を受けて、サクラはシャツをまくり上げて、自分の胸の下を覗き込んだ。
周りの3人も下からサクラの胸を覗き込んだ。
「覗くな!」
3人はサクラに蹴られた。
紆余曲折ありつつも、サクラは自分の体に手術痕らしき傷跡があるのを確認した。
「ほんとにあった……いや、でも発信器があるって決まったわけじゃ」
間髪入れずにクラマは告げる。
「オノウェ探知をすればいい。それで確認できる。魔法使いがいるなら、できるだろう?」
離れて見守るパフィーが、目をぱちくりさせる。
イエニアは思い詰めたような顔をしていた。
「どうしやすかい、アネゴ?」
「拙者、オノウェ探知は得意でござる。人の私生活を調べるのに便利であるゆえ」
「……いいわ、やって」
サクラに言われてマジカル三郎が詠唱を行う。
「オクシオ・オノウェ! チセウィハ・アヴィウハ・アセフ・イッツースディ・イウェハシ……サクラちゃんのおっぱいの奥に発信器があるのかーーーっ! 我に教えたまえぇぇーーっ! オクシオセンプル!」
「なにその詠唱!? ほんとに必要!?」
しかし胸の奥から広がる波動は、魔法が成功したことを示していた。
三郎はうつむき、しばらく沈黙した後……静かに口を開いた。
「……真実にござる」
「う、うそ……」
「間違いないでござる。サクラちゃんのおっぱいの奥に発信器が」
「わかった。黙って」
「パイ……」
サクラは必死に考えていた。
発信器があるなら逃げ切るのは絶望的だ。土地勘もないし、仲間の3人は頼りにできない。
運量で発信器を壊すことも考えた。だが、壊せる保証はないし、ここで運量を使って逃げるのに使う量が足りるのか? どれだけ運量を残せばいいのだろうか? いや、逃げるのは諦めて別の方法があるのではないか?
……等々、サクラがぐるぐると頭の中を回転させているところへ、クラマはすぐ側まで近づいて囁くように言う。
「僕が召喚施設にいる間に調べた中に、対地球人の始末屋という記述があった。ひょっとしたら、もう動いているのかもしれない……」
「う……嘘でしょ……あの中で……運量の使い方知ってるわけ……」
「太ってた眼鏡のスタッフ、クリプトは口が軽くてね。仲良くしたら色々教えてくれたよ。施設責任者のディーザが、冒険者ギルド経理のコイニーと不倫してることも……。後はディーザと少し取引してね、彼にとっては大した事ではなかったらしい」
「じゃ、じゃあ本当に……?」
ほとんどが嘘である。
しかし今のサクラには、どれが本当でどれが嘘なのか、ひとつひとつ精査していられるほど、思考領域に余裕がなかった。
一番大きかったのは、「知っているはずがない」とサクラが信じていた事を、味方である三郎の調査によって覆されてしまった事だ。
嘘だと思っていたことが本当だった。
これによって、その後に続くクラマの言葉に対して、「嘘だ」と決めつけることのできない心理状態が作られてしまった。
その上で虚実織り交ぜた情報が大量に投下されて、拠り所を失ったサクラの思考は疑心暗鬼の海を漂う。
「ど、どうしたら……あたし……」
「どうするんスかアネゴォ!」
「あ、アネゴ、どうしやす。指示をくだせぇ」
「イーーーーーッ! 捕まる前にサクラちゃんのおっぱい揉みたいィィーーーッ!!」
一部口調が保てなくなるほど絶望していた。
「お、落ち着きなさい! だっ、大丈夫よ、大丈夫! あたしが……あたしがなんとかするから! なんとか………」
そうは言いつつも、サクラは頭を抱えた。
なんとかなるわけがない。
そんな都合の良いアイデアが、そう簡単に浮かぶはずがないことは、サクラにも分かっていた。
「じゃあ、僕がなんとかしよう」
「え……?」
サクラが頭を上げると、目の前で人差し指を立てて、片目を閉じて微笑むクラマの顔があった。