レモン輪切りの少女
寒さに勘弁してくれって言いながら、雪のなか大学から帰ってきて、ストーブつけるけど、全然、部屋なんて暖まる気配すらなく、面倒くさい課題を作るために残り一つのレモンを描くことにした。
レモンを初めてかじったときの衝撃ったら、とんでもなかった。どういうことか、舌がしびれ、唾液がどばどばでるけど、どういうことか、おいしかった。
それから私はレモン狂になった。
レモンを模写する。
私は真剣だ。レモンをキャンバスに埋め込みたくなった。だって、あの小説を真似したくなったんだもん。20歳過ぎても、いまだに筆を持ち飽きずに油絵をやっているけど、レモンを描くのは今日が初めてだった。今だったらかけるような気がした。ノートの下書きが決まらず、ぐしゃり紙が床をどんどん埋め尽くしていってる。
私が「白」に執着するようになったのは5歳の時である。それはふとしたきっかけであった。たまたまその時着ていた白いTシャツに飲んでいたオレンジジュースをこぼした時である。一気に薄いオレンジ色のシミが白いTシャツにできた。私はジュースをこぼしたショックな気持ちより、オレンジ色のシミが白いTシャツにできたことに衝撃を覚えた。白かったものが一瞬で変色するのだ。その変色するさまがとても新鮮に思えたのである。その新鮮さを求め、白いTシャツを着ているときはコップに入っているものをわざとこぼすようになった。おかげで白のTシャツシミだらけになったけど、それを繰り返すうちに私にとって「白」はあらゆるものへの創造の源であると持論。
レモンを模写する。
私は真剣だ。真剣すぎて、描きあぐねている。どうやって描こうか構図が思いつかない。何回も消しゴムで消して、えんぴつで描き、消して。ぐしゃりと紙を無駄にする。もやもや。
白に関して、私は言葉との違和感や白への妄想がこの20年生きてきた中でたくさん生まれては消滅し、それを油絵で表現してきたつもりだ。白のキャンバスにあらゆる色の油を重ねて白を塗り潰してきた。白を「無地」と表現するが、白は決して無ではないとずっと思い続けている。小学生のとき、工作の時間のときに先生が白い画用紙を「無地」と表現していた。「無地」が白いことなのか、「白い」ことが無地なのだろうか。白が無であると意味付けされているのかそれとも無が白で表現されるのかぐるぐる考えて、結局、白は無ではないと何も根拠もなく刃向うことにした。
また、「頭が真っ白」という状態をどうして「真っ白」と「白」で表現するのか。それは中学で国語のテスト勉強をしているときにふと思った。でもこれまた、空っぽということは無であり、「無=白」と直結され「頭が無」だとまるで頭が体を置いてどこかに行ってしまったように思えるか、もしくは頭なんて元々存在なんてしてなかったんだという意味になってしまうからそれなら色で比喩表現したらわかりやすいのではないかということで「頭が真っ白」となったと勝手に辞書も引かずに自己完結してしまった。その結論に至るまでに一年もかかった。
レモンを模写する。
私は真剣すぎて、レモンをレモンと見ることができないから、思い切って、台所で輪切りにしてやった。輪切りの厚さだって適当で、一切れ食べたら、余計、イラついた。
私は白いダッフルコートを着て、新しいレモンを調達しに行くことにした。国道沿いのスーパーがアパートから一番近い場所にある。タイミングよく、雪はやんでいた。12月頭だっていうのに、もう銀世界が定着した。今年は初雪から根雪まで早かった。夕方にしては冷えていた。雪が積もったばかりで、雪の上を歩くとふわふわしていた。
雪は白いのになぜ、雪は無と表現しないのだろう。雪原であったり、白銀であったり。光に当たると確かに少しだけきらりとするが、それは物質が元々水分であって、その水分が光っているのが銀色に見えるから白銀ということでしょ。
スーパーに着き、新しいレモンを2つ買うことにした。さっきのようにレモンが傷ついてしまったら元も子もない。平台いっぱいにレモンはきれいにディスプレイされており、なるべく形の良いものを選びたくて一つ一つ検品していった。悩んだ末に2つの美形なレモンをレジまで持っていく。小さなスーパーで4台しかないレジにたくさんの女性と子供が並んでいた。きっと夕食の食材をたくさん買い込んでいるのだろう。ようやっと私の番までレジが回ってきた。不愛想なレジのおばちゃんは一番忙しい夕方の時間にたったレモン2つを打つのがよっぽど嫌だったのか、不愛想な対応をされた。
レモン2つが入った白いレジ袋をぶらぶらと手提げながら出口へ向かった。窓越しに外を見たら真っ白であった。
外はさっきまで晴れていたのに、もう大雪であった。おまけに日も暮れてしまって、もうあたりは暗くなっていた。レモン色の街灯が雪の粗さを映し出している。吹雪の谷間にあたってしまったか。と今度は私のついてなさを呪った。
ドアを開ける前にダッフルコートのフードをかぶった。意を決しドアを開けた。綿雪がもこもことたくさん空から降ってきている。そして、来たときよりも心なしか冷え込んだような気がした。自然と顔も前のめりになる。
一歩歩くたびに雪はきゅっと鳴っていた。相当冷え込んでいるんだなと足でもわかった。国道には融雪剤がまかれたのか茶色くべちゃべちゃした雪が堆積していた。国道からアパートの方へ繋がっている小道に入ると急になにもかもが凍てついたかのようにとても静かで、自分の呼吸する音しか聞こえない。
雪はあたかも自分と同体しているような親密さを感じる。きっと、そう思っているのは私だけだろう。私も雪と似たもの同士だから雪の気持ちがわかるんだ。上空の気温がとても寒く、元は水分が凍結して白くなった一つの粒で、それらが一つ一つ、勝手に空から降ってきているだけで、その膨大な数の白い粒が地上に降り積もって、一つの白い大地を形成するわけだ。その塗り方もなんと強引で身勝手なことか。無条件に色を白くする。無論、外を歩いている私もその強引に白く塗られている大地の一部だ。
一方、私は白いキャンパスに油で世界を形成したいのに一向に下書き、構想が固まらない。神のように白いキャンパスを塗りつぶしたいのに。
アパートの自分の部屋のドアの前に着いた。コートについている雪を払った。ダッフルコートのポケットから鍵を取り出した。とても鍵が冷たい。鍵を開け部屋に入った。部屋はとても暖かく、ほっとした。油の匂いと自分の家の匂いが混じっている。靴を脱ぎ、コートを着たままつけっぱなしのストーブの吹き出し口の前に立った。足元から体が温まる。コートの袖をみた。雪が融けて、細かな水の粒になっていた。
しばらくストーブの前で暖まったあと私は作業を再開することにした。レモンを片手にとり、じっと色を見つめる。一瞬窓を見るとまだ雪が降っていた。
レモンを模写する。私は真剣になるのをやめた。お湯を沸かし、マグカップにハチミツを入れ、お湯を入れ、さっきの輪切りにしたレモンを乗せて、ホットレモネードを飲んだ。
ふうと大きく一息ついた。窓のそばに体育座りをし、白い雪をぼおっと眺めた。
「雪も無なんだね」
雪が融ければ白から無色の水になる。冬が終わり暖かくなるとそれがまとまって融け、山の土の中に馴染み、植物や動物の身体となり北国に春を作る。雪は無色になることであらゆるものを作ってしまうんだね。
結局、私は寝ることにした。