第三話 魔法発動、抱薪救火!
太陽が顔を出し、私の心とは正反対に空が明るくなったころ、ようやく勇者アルバートは走るのを止めて私を地面に降ろした。
地に足が着くのがこんなにも心地良いだなんて、生まれてこのかた知らなかった。
あまりに心地よすぎたため、両足どころか両膝に両手まで地面に突いて固形物なんてもう何も入っていない空っぽの胃から酸っぱい液体を地面にプレゼントしてしまったほどだ。
「大丈夫? 揺れないように気をつけたつもりだったんだけどね」
恋しい地面に別れを告げ、よろよろと立ち上がる。
「だいじょうぶだ……」
「辛いならやっぱり僕が背負って――」
「――大丈夫だ!」
一瞬にして背後に回るのをやめろ!
不吉な事を言いながら背後に回った勇者アルバートを手で制しながら、元気さをアピールするため歩きだす。
どうやら道なき深い森は抜け、人の通るような道はかろうじてある森の浅い所まで来たようだ。
適当に道沿いに歩き出してみたが、勇者の目指す方向と合っていたようで、小走りで私の隣に並ぶとそのまま歩くペースを合わせた。
「言ったかも知れないけど、僕はアルバート。勇者アルバートだ」
「……」
「君の名前は何ていうんだい?」
「……」
気まずい。
勇者は話しかけてくるが、こいつは魔族の最大最強の敵である。多数の同胞を殺し、私のお家も攻略された。多数いた配下も、恐らく生きているものは居ないだろう。
こいつは仇だ。
だが、ここでそういった態度を見せてしまうと私が魔族であることがばれてしまい、仇を討つ機会が失われてしまう。殺されてしまうだろう。
だったら人族のふりをして仲良くしたほうが良いのではないだろうか。
そうして油断したところを……。
だが、魔族としてのプライドが……! 尊厳を奪われたこいつへの怒りがそれを許さない……!
「……ソフィだ」
「そうか。よろしくね、ソフィちゃん」
「……」
悩んだ結果、とりあえずは最低限の受け答えはすることにした。
機会を待って勇者を倒すか、せめてどうにか逃げ出したい。このまま人族の領域に行くのはまずい。
なにせ奴らは魔族を目の敵にしている。単独での戦闘なら勇者以外に負けるとは思わないが、奴らは群れて行動する。人族が多くいる場所で魔族である事がばれたら、どうなるかわかったもんじゃない。
人族の領域であるヘリオス大陸にも魔族や魔獣は居るが、その殆どは人族から隠れ住んでいると聞くしな。
「この道を進めば海にでる。そこに僕の乗ってきた船があるからそれで海を渡ろう」
「……え?!」
な……!? もう海に着くのか……?! 魔大陸の端っこじゃないか!
私のお家から海へは少なくとも七日は掛かる距離があったはずなのにもう踏破したというのか……!
物凄い速度で移動していたが、それでも三日は掛かると踏んでいたのに!
思ったより時間が無い! 急いで逃げる算段をつけなければ……! 何か、何か無いか?!
勇者の魔の手から逃げる光明が無いかと辺りを見渡すと、執念が届いたのかどうなのか、茂みががさがさと揺れ動いた。これだ!
「む、魔獣か……」
「まて!」
足を止めて腰に下げた剣を抜こうとする勇者を制し、一歩前に出る。
勇者は「危ないから下がって!」と止めようとするが、そうは行かない。ここは堂々と……!
「私は冒険者だ! ここは私に任せてもらおう!」
魔獣を撃退し力のある冒険者だと信じさせる。その上でここに残ると言えば、目的があって魔大陸に居ると思わせられるはずだ。
ダンジョンコアから離れて弱体化しているが、それでもその辺に生息している様なザコ魔獣にやられる私ではない!
果たして茂みから飛び出して来たのは、予想通り魔獣であった。
しかもそこそこの大きさでそこそこの強さの、今の私にはちょうど良い相手だ!
私の目の前に止まりよだれを垂らしながら低く響く唸り声を上げたのはフォレストウルフ。
狼型魔獣で、私が召喚した魔狼の三倍はありそうな程の大きさだった。
ダークグリーンの体毛は森のなかでは迷彩の役目を果たし、その体格に似合わない速度と狡猾さを持って獲物を追い詰めるが、油断しているのか遮蔽物のない場所へ姿を表した。
普段なら私の威圧感の前にひれ伏すかそもそも近づきはしないだろうが、弱体化した私が脅威には見えていないようだ。
「来たれ火の精霊! ひれ伏せ風の精霊! 我に力を示せ!」
「おぉ、精霊魔法」
フォレストウルフの弱点は火だ! 私の火力の前に燃えつきろ!
「敵を焼き尽くせ! フレイム・ブラスト!」
体内の魔力を糧に詠唱によって四大精霊を使役し発動する、私の得意技である精霊魔法。
その中でも高火力である、火と風の複合魔法だ!
この程度の魔法では勇者には効かないだろうが、それでも敵を数十人単位で殲滅する火力を持っている。
私を舐めた報いだ。一瞬にして消し炭と成り果てるがいい! 決して勇者から受けたストレスを発散するためではないぞ!
「ふはははは! どうだ見たか!」
フォレストウルフが跡形もなくなったのを確認すると、私は腕を組んで高笑いを上げながら燃え盛る炎を背負い勇者に振り返る。上手な高笑いは魔王の必須スキルだ。いつか魔王になるであろう私も練習して習得済みである。
「いやあ、確かに凄いけど、これはまずいね」
凄いと言いながらも微塵も驚愕を感じさせない声音で言った勇者は、ぽりぽりと頭を掻きながら回りを見渡した。
「辺り一面火の海だ。さっさと逃げよう」
「え?」
勇者の言葉の意味を理解したときにはもう遅い。
例によって一瞬にして背後に回った勇者は私を抱え上げ、海のある方向へ向かって走り出した。
ああ、しまった! 火力が高すぎて森を一面火の海にしてしまったのか!
いつもは頑丈なお家の中でしか魔法を使っていなかったから加減を忘れていた!
走り出した勇者は瞬く間に炎の海から脱出し、浜辺のギリギリまで続いている森を数秒で駆け抜けた。
いつの間にか船に乗せられ波に揺れる私は、目についたものを手当たり次第燃やし尽くすように延焼していく炎の森が遠ざかるのを見ながら「次からは時と場所を考えて魔法を使おうね」という勇者の声を呆然と聞き流していたのだった。