4.
*前回までのあらすじ:
アキラ叔父さんに学園のことを聞いたあと、寮長と小夏に建物内を案内してもらい、僕は自分の部屋へと着いた。しかしそこへ、さっそく小夏がやってきたのだった
「やめんか」僕は小夏の脳天にチョップした。「したごころあれば、たなごころあり、ってね」
「たなごころ?」
「漢字の、てのひら、って字をそう読むんだよ」中空に人差し指で字を書きながら、説明する。
「ふぅん?」
「情景が浮かぶ、いいフレーズだろ? 想像してみてよ」
画数が多いから、紙に書かないと伝わらないかも、と思案していたら、彼女がころころ笑った。
「わかるー!」
「そりゃよかった」
漫画ではよく見かけるものの、現実には彩雲より貴重だろう。まじまじと女の子にぱんつを見られたら、僕が男だからって、そこはやっぱり気恥ずかしい。小夏の悪ノリが、そこまでエスカレートするかは別として。
ついでに、チョップじゃなくてビンタじゃーん、というツッコミはされなかった。
何もしないことが、ときとして優しさになる。
「荷開きは夜にでもやるよ。それで?」
「それでって?」
「何か用があるんじゃないの?」
「うーうん?」彼女は首を横に振った。「なんもないよ。一緒にいたかっただけ」
「じゃあ……せっかくだし、机の上にある端末の使い方、教えてくれよ」
ふたりで放心しながら無為な時間を満喫してもよかったけれど、できるだけ早く新しい環境に慣れておきたかった。
二つ返事で小夏は請け負って、電源を入れる。
レクチャーは絡まったコードの様相を呈し、そのたびに僕はかたまりを解きほぐしていった。彼女はなんでもないところから、知恵の輪を生み出す天賦の才能がある。しかし、いい端末は誰にでも同じように使いこなせるものだ。そしてこの学園の端末は、いい端末だった。アキラ叔父さんのすごさを、僕はこういったところで見せつけられる。
大体使い方を理解したところで、部屋にいるのに飽きたのか、僕をあやすのにうんざりしたのか、小夏が言った。
「そうそう。いい忘れてたんだけどぉ。アリスさん、ここでバイトしてるんだよ」
「アリスさんて、鎖さん? 舞冬ねえのともだちの?」
「うん。システム管理室にいるから、ナオにぃが着いたら顔出せって言われてたの。さっき思い出した。偉い、あたし偉い」
アリスさんは、フルネームを有栖院鎖という。紹介されたとき、小夏は真っ先にアリス! と叫んだけれど、その呼び方は違和感があった。彼女はどう見ても、アリスさんじゃなく、鎖さんという感じだ。不思議の国のアリスで言えば、アリスの姉がしっくりくる。
廊下に出ると、掃除スタッフが仕事をしていたので、挨拶を交わした。
一階まで降りて、先程入りそびれたシステム管理室へと向かう。隣の部屋まではかなり距離があり、プレートの文字は米粒みたいだ。小夏はさっさと中へ消えてしまったので、はぐれないよう後へと続く。
扉の中は、緩衝地帯になっていた。
何もない小部屋があり、もうひとつ扉がある。僕が入ると、次のドアノブが、閉じようと元の場所へ戻るところだった。
もう一度、奥へと進む。
すると、パソコンや机の間に収まる形で、あちこちに人の背中が見える。部屋の広さは二十五坪はあるんじゃないだろうか。結構広い。学園の規模からすると、むしろ小さいのか。ここ一箇所だけとも限らないし、どうも感覚がつかみにくい。よくわからないことだけは、なんとなく理解した。
室内は、枠のない小さなモニターを複数つなげた、大きいモニターがとにかく目を引く。そこには校庭や、どこかの建物の様子が映し出されていた。
「こっちこっち」
旗をなくして、所在なさげに風に揺れる支柱みたいに、小さな腕が天井へと伸びる。
今度の遊びはかくれんぼか、と小夏を見ながら思う。そばまで行くと隣には、見覚えのある女性が座っていた。
「どうも」
「おう、久しぶり」
鎖さんが、瞳から謎のサインを発していた。僕にはその信号を、言葉へ変換する装置が備わっている。今はちょっと、動作が不安定なだけで。
ならば、こちらから別のサインを送ろう。
「数度お会いしたとは思えないですね」
「ああ、うん……」彼女が首を傾げる。「うん? それって、わたしの顔を忘れてたって意味か?」
さすがに小夏とは違うか。
舞冬ねえの友達だけあって、余計な勘が鋭い。小夏だったら気づかずスルーしただろう。何を考えているのか、当の小夏は無言でニコニコしている。もしかしたら、何も考えていないのかもしれない。
「いやあ、どうでしょう」
僕は適当に笑って誤魔化した。
しかし、そうは問屋が卸さない。
「このアイウェアを忘れたとは言わせぬぞ」
いやに時代がかった口調で、ゴーグルのような形状をしたメガネを外し、鎖さんが掲げる。ドライアイに効果がある、との触れ込みで、売られている製品だ。
「ははぁ~」
二人しておじぎをした。どうやら小夏も似たようなことを考えていたらしい。視線を感じて、うつむいたまま目だけを動かす。同じ姿勢で、彼女が僕を見たまま口角を上げていた。ニヤリ、と効果音が聞こえた気がする。
頭をあげると、
「どうせなら、桜吹雪が見たかったよー」
と小夏が唇を尖らせた。
「刺青は性に合わない」鎖さんがメガネをかけ直しながら、突っぱねる。「だいたい、和服でも男でもないし」
「一肌脱いでほしかったですー」
「もう脱いでるんだけどな……」
「え~っ、どこがぁ?」
「わたしの裸は、バカには見えないんだぞ」
「えぇ~っ!?」小夏がうんうん唸りながら、彼女を凝視する。「見えた!」
「見えたのかよ!」
反射的に、僕はつっこんでしまった。
「スケスケの、丸見えだよぉ。デュホハフ」
「おまえ、どっから声出してんだよ……」
「見せてるのは、肩だけだからな」自分の腕を抱きながら、鎖さんが身を引く。「全身は見せてないぞ」
彼女の耳が、心なしか桜色に染まっているのを、僕は発見した。でも、小夏にはもったいない。そっと瓶詰めにして、胸のうちにとどめておく。
そうやって、どこへ漂流したのか自分でもわからなくなってしまった思い出が、僕にはたくさんある。
「砺波さーん、ちょっとこのコに、モニターに映ってるもん説明したげて!」椅子を立って、鎖さんが三つほど離れた席の女性に声をかけた。「ほら小夏、行っといでよ」
「ナオにぃ、行こ」
彼女が僕の袖を引っ張る。
「わたしこいつに用があるから、三分だけ貸してくれる?」
「う~。アリスさんがそう言うなら……」
不満そうな顔をしたものの、素直に言うことに従う。小夏の長所だと、僕は思う。
彼女が離れたのを確かめると、鎖さんが声のトーンを落とし、耳打ちをしてきた。
「今のところ、症状は出てないから安心しろ。わたしの仕事は、ここの運営だけじゃない。わかるな?」
「はい。ずいぶんテンション高いんで、平気だろうとは思ってましたけど。でも、どうなんですか? ここへ入学してから、まったく?」
「いや……それが、そうでもない。騒ぎになったのは、なんとか収めた。角笛先生も承知だ」
「アキラ叔父さんも?」
「報告したから当然だ」鎖さんのカーブした眉が、反射的に動く。「お前だって、それで呼ばれたんじゃないのか?」
「いえ、その辺りの事情は知りません」
答えながら、僕はアキラ叔父さんの言葉を思い出していた。毎日書くレポート。ロイヤル・フレンド。生の声が聞きたい――。
「そうか。小夏もお前には知ってほしくないだろうな」
「入学してから、ずっとチェックしてるんですか」
「わたしが来てから、って意味ならそうだ。つまり、五月くらいからなら」
「それ以前は?」
「知らん。お前こそどうなんだ? 何か聞いてないのか?」
「悲しいくらい何も」
「そうか」
短い沈黙。僕は、小夏の姿を視界に捉える。彼女は砺波さんの話に頷いていた。
「わたしの連絡先はわかるか? ――いや、ここへ知らせてくれればいい」
鎖さんから、四つ折りにしたメモを渡される。頷きながら、ポケットへ紙切れを仕舞った。
「こっちも起きてる間は追ってるから、変わったことでもない限りは、用もないだろうけど」
「さみしがらないように、きちんと連絡入れま」語尾を言い終わらないうちに、ジャブがお腹へヒットする。「――すよ。ってか痛っ」
「お前、殴るぞ」
「もう殴ってるじゃないスか」
ひどいぞ、乱暴者め。
「うるさい。お前も気を遣ってやれよ。わたしじゃなく、小夏にだ。いいな?」
「まず鎖さんが、僕に気を遣ってください」
「いつだってそうしてるさ。お前が気づいてないだけだ」
冗談で言ったつもりが、真面目な顔をされたのでびっくりした。気を遣ってもらったと感じた覚えは、ほとんどないはずだけれど。どうだったろう。彼女なりのやり方がある、ということなのだろうか。
「僕もそうです」
「ならいい。そんだけだ」
「僕にはモニターに映ってるもの、教えてくれないんですか?」
「必要があれば教えるさ」
少し迷って、それ以上尋ねなかった。小夏が話さないのに、進んで平らな地面を掘り返し、凸凹に作り変えなくたっていいだろう。
砺波さんのところへ言って、簡単にここの話を聞かせてもらった。多少、技術的な話もあったけれど、知っている情報ばかりだった。
小夏も飽きてきたらしく、そわそわしている。
あんまり仕事の邪魔をしちゃ悪いし、そろそろ戻ろうと思ったとき、ふと壁際の扉へ目がいった。
「そういえば、ここのみなさんって、裏口かどっかから入ってきてるんですか?」
「裏口っていうか、地下だね。通路があるのよ。荷物の搬入口があって、スタッフもそこから」
「じゃあ、同じ建物内にいても、顔を合わせる機会は少ないんですね」
「いやいや」顔の前で両手を振りながら、砺波さんが答える。「わたしたちは、システム管理室の外へは出ないよ」
「そういえば、寮内でアリスさんを見たことないかも」
小夏が首を傾げる。
住人ですら知らないのだから、普段から本当に姿を見せないのだろう。
「じゃあ、ご飯やトイレってどうしてるんですか?」
「給湯室や休憩室、レストルームも別にあるから、心配しないで」
説明しながら、砺波さんが笑った。
「地下、か……」
「学生さんは、基本的に立入禁止の区域だからね。入っちゃダメだよ。だいいち、ここに入れるのも特例措置なんだし。その辺りのこと、ちゃんと解っておいてね」
「はーい。ありがとうございまーす」
ふたりして、社交辞令を言う。
舞浜にある遊園地を、僕は思い浮かべた。
舞台袖は任せて、観客は促されるまま、園内を遊んでいなさい。そういうことだ。
呼ばれたから来たことは伏せておく。もちろん、鎖さんのために。
昼食をすませて、今度は外を回ることにした。
ランチは豪華と慎ましやかを足して二で割った内容だった。他の寮生にも挨拶をしたが、全員が同学年というわけでなし、リアクションは薄い。
ただ、小夏の同級生の女の子とは少しだけ雑談ができた。江原里江さんといって、小柄でメガネをかけた、大人しそうな子だ。学園を案内してほしいと頼んだら、困りますと言いつつも、なんだかんだでオーケーしてくれたのだ。ありがたい。
校舎は夜をのぞけば開いているそうで、正面から堂々と入れるのだという。
職員室や各種教室、保健室など、設備の新しさは異なるものの、自分の学校と似たようなものだ。もしかすると、あえてそうしているのかな、と勘ぐってしまうほどだ。理想郷学園も、いつか自分の学校と呼ぶ日が訪れるだろうか。通っているうちに慣れてくるから、と暗示をかけ続けているが、まだ効果は弱い。数尚少年は、どうやら学校を女の子か何かと勘違いしているらしい。自ら少年を自称するのもどうなんだ、とは思うけれど。
女の子といえば、江原さんは質問すれば答えてくれる。しかし、あまり進んで話をしてくれない。僕が彼女と何を話せばいいのか迷っていると、知ってか知らずか、小夏が助け舟を出してくれた。もしかして、と思ったので、本人に尋ねてみる。
「江原さん、僕はなんだか君が、君こそが学校のような気さえしてきたよ」
「ナオにぃは気が狂ってるの。気にしちゃダメだよ、さとちん」
「は、はい」
小夏の発言もひどいが、さらっと江原さんもひどい。
「そこは認めるんだ」
「えっ? あっ? え! ごご、ごめんなさい」慌てて江原さんが頭を下げる。
「いいんだ、いいんだよ。僕たちのレッスンは始まったばかりだ」
小夏が感心した声で「ナオにぃ、気持ち悪いね」と言った。地味にショックだったので、素直にすいませんと謝ってしまった。不覚だ。不覚である。僕がひとつ上の学年にあたるから、何を話していいかわからないんじゃないか、とようやく思い至る。
校舎を出て、校庭と体育館を横目に、部室棟をざっと流す。
購買部でお菓子を買って、食堂で休憩した。途中、何のためにあるのかわからない建物があったけれど、小夏によれば生徒は立入禁止の場所だそうで、おそらくスタッフルームなんじゃないかと思う。
寮へ戻ってくる道で、いよいよ僕は話すことがなくなり、苦し紛れにふたりに訊いた。
「あの森の中は、どうなってるの? 寮の正面にある――」
もし楽しんでいただけたら、お気に入り登録や、評価・感想などいただけると、励みになります。お手数ですが、よろしくお願いします