2.
*前回までのあらすじ:
「僕」は親同士の取り決めにより、夏休み初日、理想郷学園へ行くことに。そして朝、迎えがやってきたのだが――その人物とは。
エンジン音どころか、シートに座っていてもほとんど振動すらない。高い車なんだろうな、と思いながら、隣に座っている少女を見る。
従姉妹の角笛小夏は、三つ編みを、頭の上でヘアバンドのように左右から乗せて、ピンで止めていた。女の子の髪型についてはあまり知らないけれど、凝った髪型をしてる。
制服を着た彼女は、まるでコスプレしているみたいだった。
僕の視線に気づいたのか、「これね」と自分の頭を指さしながら、彼女が言う。「昨日ネットで見て、試してみたんだっ。どう? かわいいでしょ」
「うん、凝ってるね」パン屋の店頭に、なんちゃらデニッシュという名前で並んでいそうだ。
「それがねぇ、そうでもないの。結構簡単なんだよ、これ」
「ふぅん。そういや春休みぶり? アキラ叔父さんは元気してる?」
「あいかわらず」
「そっか」
アキラ叔父さんとはしばらく顔を合わせていないけれど、小夏とは春休みに会っている。彼女の姉の舞冬と三人で、ショッピングモールへ遊びに行ったっけ。
僕は視線を前へ向けた。
運転席は無人だ。自動操縦にでもなっているのだろう。目的地をセットして、ルートを選べば自動的に連れて行ってくれる。もちろん人力でも操作できるけれど、おそらく小夏は運転できないはずだ。熱くもなければ寒くもないよう、空調がコントロールされている。一年中ここで過ごせたら快適だろうな。
「どーしたの?」
「ん? いや、助手席には誰かいるのかなって」
「ついたとき、見なかった?」彼女の頬に赤みがさす。
「携帯端末いじってたからなぁ……見てない」
眉毛に前髪がかかる。桜色の唇から、吐息が漏れた。もしかしたら、そう感じただけかもしれない。車内は走る個室だった。
「あたしたちね、今、ふたりっきりなんだよ?」
ささやきかけるように、小夏が告げる。
うめき声とも喘ぎ声ともつかない音が、僕の口から飛び出た。頭の中が真っ白になってしまって、目の前にいるのが、女の子だ、ということしか脳が理解できない。
ふんわりとした香りが、空間に充満している。
いいにおいがする。
女の子だ。
いいにおいの、女の子だ。
何か、意味のある言葉を発しなければ、という義務感に似た焦りを、鼻腔から入ってきた香りが白く塗りつぶしていく。
スカートの上で組まれた小夏の小さな指が、もじもじと動いた。
「あたし、心配してたんだよ? ナオにぃのこと」
小夏が僕の顔を覗き込む。ナオにぃと呼ぶものの、年齢は一緒だし、僕の方が誕生日が少し早かっただけだ。彼女の魔術を、彼女自身がといてくれて、僕は自分を取り戻す。
「心配って、何を?」
「新しい学校はどうなのかなぁ、とか」
「どうも何も、それなりにクラスに馴染んできたところだよ」二学期からはどうなるかわからないけど、という言葉を僕は飲み込んだ。「小夏の方こそ、どうなんだよ」
「うーん、ぼちぼち? それにあたし、理想郷学園へ通ってるから」
「あー……」
そういえば、そうだった。
「あとあとっ、今日いきなり朝行って、ナオにぃ、ちゃんと起きてるかなーとか? ほら、あたし連絡しなかったし」
「まさか小夏がひとりで迎えに来るとは思わなかった」
「びっくりした? びっくりした?」
「今、してるとこ」
ふたりして、声を上げて笑う。
「舞冬ねえは? やっぱり、あいかわらず?」
「うん。しばらくは大学入って浮かれてたけど、もう落ちついたみたい」
「やっぱり入学式はスーツ着たわけ?」
「必殺仕事人みたいだった」小夏の口からくっくっ、という音がこぼれる。
「見たかったなー」
「思った通りしゃべったら、夜道歩くのを楽しみにしとけって言われた」
「お金払えば、味方になってくれるかもよ」
「わいろ的な?」
「そっちかよ! 成敗される方じゃねーか!」
「そのときはナオにぃが守ってっ」ウインクをしつつ、口の端から上に向けわずかに舌を出す小夏を見て、僕は笑いながら、器用だなと思った。
「お主も悪よのぅ」小夏が目を細める。
「うっそ、知らなかった? あとで写真見せてよ。舞冬ねえを強請るネタにするから」
「おっけー」
なんだかとても、懐かしい気持ちがした。
だからかかもしれない。こんな突っ込んだ話を聞けたのは。
「小夏ってさ、今、正式には高校生じゃないってこと?」
「ううっ」小夏は目を白黒させて、うつむく。しかしすぐに顔を上げて「でもほら、ちゃんと学校通って勉強してるよっ」と言った。
「なんだか、いよいよ心配になってきた」
「うち、大検の資格取るのは今のところ必須だし……。お父さんが、学校の認可が下りるまでは、しかたないって。それより、話は聞いてる……よね?」
「うん、まぁ……なんとなくは」
窓の外で、見慣れない景色が流線を描いている。
正直、小夏の進学や現在について、僕が具体的に知っていることは無に等しい。あまりそういう話はしなかったし、振り返ってみれば話題にするのを避けられていた気がする。
合格祝いはした覚えがある。けれどみんな一緒にまとめてやってしまったし、アキラ叔父さんをおもんぱかったのだろうか。どんな会話が家族でなされたのか、僕は知らない。もちろん昨日、うちで交わされた会話についても彼女は知らない。小夏に会いたくなかったわけじゃないが、僕たちが捕捉できるのは、目の前にあるものだけだ。
いずれにせよ彼女は、きっとこれから僕たちが向かう目的地について言っているのだろう。
僕はもっと小夏の話を聞きたいし、小夏は僕について聞きたい雰囲気が感じられる。ただ僕も、もう少し理想郷学園について知りたいという点では同感だった。
信号で車が停車し、再び動き出す。
その間、僕たちは行儀よくシートに収まっていた。
「細かい話はお父さんが直接してくれると思う」正面を向いたまま、小夏が言った。「といってもね、うちも今は夏休みなの。だから学校に来てる子もいれば、そうじゃない子もいるんだけど」
「えっ!? マジで?」
僕は、学園に行ったら夏期講習をみっちり受けさせられると思っていた。だから、てっきり他の生徒も同じだとばかり考えていたのだ。
いや、よくよく振り返ってみれば、それが普通だ。
自分の方が変なのかもしれない。せっかく新しい学校に入ったというのに、これじゃまるで浪人生だよ。大学受験にむけて勉学に励んでいる一年生だって、全国探せばどこかには存在するだろうけど。おみくじで『平』を引くくらいの確率で。
「ナオにぃも、お父さんはあれこれ言うかもしれないけど、好きにしていいからね」
「そうか……そうだったんだ……」
わかった、ありがとうと礼を言うと、小夏が頬を赤く染めた。
「やっ、ややっ、そんな照れるよぉ~」
「勉強できる別荘だと思って、のんびり過ごすよ」
「うん、そうしてっ。あたしも今年の夏はどっか行く予定とかまだないし、自習しに学校行くと思うから、一緒に勉強しようね」
「もしかしてさ、気ぃ遣ってくれた?」
「ナオにぃのそういうとこ、可愛くないと思う」
そんなこと言われてもなぁ――。
不満げにジト目で僕の顔を見つめる彼女に、僕は愛想笑いを返す。
何にせよ、早くも肩の荷が軽くなったのは確かだった。もしかしたら、どこかで小夏も負い目を感じていたのだろうか。そんなもの、アキラ叔父さんひとりに背負わせておけばいいのに。
夏休みの思い出話に花を咲かせていると、要塞が守れるほど高く巨大な塀が続く通りに車が入った。不安よりも、圧倒される気持ちで、ポカンと口を開ける。結局、理想郷学園についてはほとんど話を聞き出せないままだったけど、まあいいか。通っているうちにわかるだろう。それにしても――。
「すごいとこだな」
「何が?」
「塀だよ、塀。どこまで続いてるの?」
「あ~……これ、飾りだよ?」
「飾り?」
「単なる映像なんだよ。ほら、もうそろそろ着くみたい」
まるで監獄じゃないか、とは言えなかった。いや、言う前に門が現れ、扉が横にスライドして開く。その光景に僕は窓の外を覗きこんだ。
「すげぇ……」
「でしょでしょ! 見た目よりずっと、中は快適なの!」
青々とした芝生が広がり、遠くに樹木が並んで伸びている。湧き出る噴水はいかにも涼しげで、ベンチには人影があった。車は速度を落とし、レンガ造りの道をのんびり進む。
すると左手にメルヘンな外観の建物が姿を現した。右手は森になっている。
道を折れ、どんどん接近していく。すると、左右にウイングのついた、これまた大きな洋館であることがわかった。築百年以上は経過しているんじゃないかというくらいレトロだ。映画で見た吸血鬼が住んでいそうな、凝った装飾がなされている。屋根の上にはガーゴイルなのか、異形の彫像がこちらを静かに見下ろしていた。
とはいえ、学園には不釣り合いなシロモノに思える。
「あれは一体何の施設なの? あっ! 小夏の家か!? なんちゃって」
「うん」あっさりと肯定して、彼女が小さく指差した。「今日からは、あたしたちの家」
「ふへぇぇぇぇ!?」
黒いドレス姿の小夏と年老いた執事、タキシードをまとった自分、歴代の家長の肖像画、といったビジョンが一瞬で浮かぶ。彼女は死んだ赤ん坊を抱いていて、その赤ちゃんは乳ではなく血を――。
「わわ、どうしたの? 奇声なんか上げて」
「あたしたちの家!?」
「そだよ。他にも何人か、夏の間、実家に帰らないで過ごしてる子がいるけど」
「あ、そう……」
「なになに~? がっかりしちゃってぇ。んもぅ、やらしいことでも考えてた? イヤァーン、お兄チャンのエチィー!!」
両腕で体を抱きながら唇を突き出し、なぜかくねくねしている。しかし、後半はものすごい棒読みだった。
「ちがっ」
「あ、お父さんだ」
ブフーーーーッ!!
今度こそ、僕は盛大に吹き出した。
このままでは、学校に通う前に小夏に体力を根こそぎ奪われてしまう。てか、見られてなかっただろうな……?
警戒しつつ前方を窺うと、にこやかにアキラ叔父さんが手を振っていた。
車が停止し、自動で後部座席のドアが開く。
僕たちはそれぞれ荷物を抱えて、座席を降りる。
角笛明――苗字でわかる通り、彼女の父親だ。叔母さん、つまり彼の奥さんは現在別居中だとかなんとか。デリケートな話題だから、僕も自分の親を通じて、噂で聞いたくらいしか知らない。昔は良くしてもらっていただけに、複雑な気持ちだ。
「よう! 元気してたか!」
「ご無沙汰してます」
差し伸べられた手をにぎる。力強い手のひらだった。アキラ叔父さんは「会えて何よりだ」と言いながら、僕の肩を叩く。
「小夏もご苦労。もう行っていいぞ」
「いいよ、あたしもナオにぃと一緒にいる。お父さんが説明忘れちゃうことだって、あるかもしれないでしょ」
「そりゃ構わんが……」アキラ叔父さんが僕に目配せをする。
「いいですよ」
「そうか、なら中で話そうか。暑くはないと思うが、立ち話もなんだ」
そういえば、とても爽やかな陽気だった。
はい、と返事をして、洋館のポーチを上がる。玄関扉は、きしむことなくスムーズに僕たちを迎え入れた。内部も予想通り、クラシックなものだ。フロアにはじゅうたんが敷かれ、二階へ上がる階段が左右にひとつずつ、壁にそって曲線を描く。右手には観音開きの扉があり、金色のプレートに『応接室』と書かれていた。アキラ叔父さんがノックをしてから中をのぞき、「いいかね?」と声をかける。
頷くと叔父さんがこちらを振り返り、「入ってくれ」と言った。
「お邪魔します」
僕の後について、小夏が扉を閉める。しかしそこには叔父さん以外、誰もいなかった。室内自体に、音声認識を活用した管理がなされているのだろうか。対になったソファーにテーブルが中心を陣取り、壁際にはガラス戸のついた棚や書架が備えつけられている。隙間には、絵画と写真も飾られていた。
「あー、楽にしてくれ。それから、数尚くんは――とりあえず腕輪でいいか。ナノマシンはディナーにでも。小夏」
「わかってるよ、もう」
彼女は持っていたバッグをあさると、正方形の平たい箱を取り出した。ケースは透明で、中にマット加工のされた、彫りも装飾もないのっぺらぼうの腕輪がひとつ入っている。
「とりあえず、それつけて」
小夏に促されるまま、箱を開けてビニールを外す。まるであつらえたように、輪っかは僕の手首に馴染んだ。
「あの……ぅ、えっ! ぇえぇぇぇえ!?」
部屋へ入ってから、一度も扉は開かなかったはずだ。なのに、どうやって入ったのか。
僕と小夏、そしてアキラ叔父さんとも距離を開けたところに、髪の長い女の人が立っていた。どう若く見積もっても、同級生には見えない。
「びっくりするよねぇ」腕組みをし、うんうん、と鹿爪らしい表情で小夏が頷く。
「おはようございます。海鴫数尚さま」
女の人が丁寧にお辞儀をし、微笑みを浮かべた。
つられて僕も頭を下げる。もごもごと口の中で、挨拶めいた言葉を二、三、こねた。
「結構」アキラ叔父さんがソファーに座る。「私はこの後、予定があってね。学園にはしばらく顔を見せられない。本来なら数尚くんと、ゆっくりおしゃべりしたいのだが……本題に入るとしよう」
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