仙台、衣笠家の朝
深夜の飲酒と明朝のクマ出現のため、明らかな睡眠不足で迎えた朝。眠気と闘いながら衣笠さんとともに居間へ出ると、お祖父さまが座布団に腰を下ろし、NHKのニュース番組を見ていた。
お祖母さまは開けっぱなしの扉を隔て隣の調理場でいそいそと味噌汁をよそい、プラスチック製のお盆に載せてこちらへ運んで来た。具は豆腐、なめこ、ネギ、ワカメ。僕好みの具材だ。食卓には既に五穀米、納豆、鮭の塩焼き、根菜類の煮物が並べられていた。
「おはようございます」
寝不足なのにからだが思いのほか軽いのは、鎌倉や横浜とは違って適度に涼しいからだろうか。エアコンは稼働していない。
「おう、おはようさん」
「あらあらおはようございます。朝から草刈りしてうるさかったでしょう?」
「いえ、それよりクマには驚きました」
「あれは未来に懐いてな、ワシらは未来の家族だからなんとか喰われずに生きてるんだな」
「そうねぇ、初めて見たときは未来を喰おうと追っ掛けてて腰抜かしたっけ、いまとなってはイヌネコと変わらないねぇ」
「そうですよ! わんちゃんにゃんちゃんと変わりません! 本牧さんもお友だちになっちゃいましょう!」
エサになりかけた女は執拗に僕を生け贄への道へ誘う。
「か、考えさせていただきます……」
会話をしつつ、僕、衣笠さん、お祖母さまの3人はおもむろに座布団へ腰を下ろす。
朝の家族団らん。僕には無縁のひとときを過ごし育った衣笠さんに羨望したが___。
「ところで、ご両親は?」
そう、昨夜ほんの一瞬ご挨拶させていただいた未来パパ&ママの姿が見当たらない。二人の疲れきった表情は、夜遅くの駅でよく見かけるお客さまそのものだった。
「あぁ、お父さんお母さんはもう仕事ば行きましたよっ」
「息子夫婦は毎朝7時に出て帰宅は深夜1時。からだを壊しそうで心配だっちゃ」
そうか。仕事ば行ったっちゃか。丸一日を宮城で過ごし、東北訛りにも少し慣れてきた。
田舎暮らしはのんびりしている印象があるけれど、都会と同じく過酷な労働環境もあるのかと、少し現実が見えてしまった。
「んだ。ワシみたいにテキトーに働いて酒呑んで悠々自適に暮らしたほうが多少貧乏でも幸せだ」
お祖父さまの言うことは一理あると、僕は思う。僕や衣笠さんのように自らのやりたいことに向かっているときは、傍からはブラックと思われる過酷な状況に立ち向かわなければならない場合もあるだろう。
けれど仮に衣笠さんのご両親が僕らのように自発的な取り組みをしているわけではなく、上司の命により渋々業務に従事しているとしたら、ただ生きるために働いているとすれば___。
詳しい事情は訊けないが、年齢の関係で転職は難しく、家のローンもあるかもしれない。故に、いわゆるブラックな職場でも抜け出せない、という事情も大いに考えられる。
「んでだな未来、後でレンタカーば返してきてくれんか? まだ酒が抜けん」
「僕が返してきましょうか?」
「あぁあのっ、バス借りてるので私が返しに行きますっ」
「バス!? もしかしてお家の前に停めてあるあれですか!?」
「そうです! あれです! あれはマイクロバスですけど、私、大型二種免許持ってるので大型バスも運転できますよ!」
なんということだ。マイクロバスの運転には中型以上の免許が必要。よって僕の第一種普通自動車運転免許では運転が許されない。
クマのことも含め、彼女、なかなか侮れない。衣笠未来という女、実はある意味すごいキャリアウーマンのようだ。




