海王星
縁側に腰掛け蚊取り線香を焚く。午前3時の満天の空は、都会育ちの僕には星座を探り出せない。
外気はここを訪れたときより更に冷えて、澄みきっている。物陰から獰猛な動物が襲来してくるかもと、少々の恐怖感。
吊り橋効果のせいか、隣に掛ける衣笠さんに緊張感を覚える。
「改めて、きょうは遠いところおつかれさまでしたっ」
プシュッと缶を開け衣笠さんと乾杯を交わし、ビールを三口。
「衣笠さんも、おつかれさまでした」
酔って狂乱はしないが酒はあまり強いほうではなく、さきほどお祖父さまと相当量の日本酒を口にしたのに、今宵はなぜかまだいける。
衣笠さんはおぼろげに微笑み、僕を見遣った。
「誘ったはいいけど、なにを話せばいいかさっぱりです」
「いいじゃないですか、無言だって」
「でも、お喋りしたい気分ではあるんです」
「じゃあ、話題づくりにこれでもどうぞ」
僕はポケットからスマートフォンを取り出し、さきほど酔ってニャンニャン擦り寄って来た衣笠さんの動画を見せた。深夜で周囲は静かだから、平野に音がよく響く。
「これは~、誰、でしょうね……?」
「さすがに言い逃れできませんよ。撮れたてですし、そこに映ってるのは衣笠さんのお祖母さま、お部屋だっていますぐ照合できますよ?」
「わわわわわわ!! わたわた私、酔うとこんなになるんですか!?」
わわわわわわ!! わたわた私、なんてよく一音ずつ噛まずにハッキリ発音できたものだ。アナウンサーや声優向きかもしれない。
「まさか、いままで知りませんでした?」
「うっ、そういえば断片的な記憶があるような……。でもこんなにひどいとは……」
「お酒はほどほどに、ですね」
「はいっ、気を付けますっ」
◇◇◇
家で飲酒するとあんな風になってしまうとは。またひとつ、黒歴史が増えちゃった。
昨夜の私はひとり星空を見上げ、嫉妬に胸を焦がしていた。だから今夜、あなたが隣にいてくれている真実が、もうどうしようもないくらい、うれしくてたまらない。
けれどそんな気持ち、きっと彼には露ほども伝わっていなくて、もどかしさに締め付けられる二律背反。
彼から見た私はまだ世間知らずの少女で、実際にそうなのだけれど、最近、意識的に自分を変えるようにもしている。少しずつ、ほんの少しずつ、不安定だけど変えてゆこう、成長しよう、大人の自分に___。
例えば言葉遣いなんかも丁寧に、より洗練された言の葉を選んだりして。
あぁ、いま私、変わってきてるんだ……。
本牧さんが隣にいて緊張しているのに、ときめきながらも自分の成長を実感できる余裕があるとは、私、なかなかやるじゃん。
なんて、気を紛らわしてはみるけれど、心底不安で仕方ない。本牧さんと私は事実上どんな関係で、彼の近くにいる女性の存在が、気になって仕方ない。
そこに踏み込んだ質問や鎌掛けをしたら、いまの関係が崩れてしまいそうで怖いけれど、彼を好きであり続ける以上、いつかは確かめなきゃいけない。
「ふは~っ」
大きく溜め息をつく。
「どうしました?」
「ちょっと深呼吸をしたくて」
こんな経験、ほとんどの人は学生時代に済ませてるんだろうなぁ。
「なにか溜め込んでるんでしょ?」
「いえいえ、そういうわけでは」
「いやいや、からだが物語っています」
「うーん、バレバレですか」
「えぇ、バレバレです」
虚ろに笑む彼に、少しムッとしながらもときめいてしまう。
「んとですね、ざっと言うと、どうしても叶えたい夢を叶えるには? ってところです」
「ひた向きに、諦めずに進む。ちゃんと計算もしながら、じゃないですか? ざっと言うなら」
「でもそれが、例えば海王星に行くくらい難しいことだとしたら?」
「海王星、太陽系の最も外側を回る惑星ですね。それはとても難しいですが、本当に海王星へ行きたいのなら、まずそれについてしっかり調べて、一歩一歩確実に、ときに休んで、スピード感が必要なときは全力疾走。それと、大きな障害も待ち受けていると思いますが、それを乗り越える、もしくは取り払える力をつける。そしてなにより、衣笠さんを支えてくださる方々への感謝を忘れない。謝意の表明を怠らない。道半ばの僕が偉そうなことを言える身分ではありませんが、そんなところだと思います」
でもね、と彼は付け足す。
「海王星は、本当に衣笠さんに合った場所ですか?」
「へ……? えと、はい、そう信じています」
「海王星って、見た目はトルコ石みたいに鮮やかで、核は熱く魅力的、一見すると外見も内部も魅力的ですけど、核以外はとても冷たい星で、表面には秒速4百メートルもの風が吹き荒れ、奥まで入り込むのはとても困難な星です。それに入り込んだところで陸地はなく、地に足を着けられない。そんな冷酷かつ不安定な環境下で、あなたは幸せに生きてゆけますか?」
「そ、それは海王星の話じゃないですか! 比喩ですよ比喩!」
「承知の上です。まったく、理解力の低いひとだ」
「ななななんですと!? 否定はしませんけど!」
もうムカつくなぁ! 海王星ってあなたのことを言ってるんですよ!?
「はははっ、僕が言いたいのは、いま現在、衣笠さん自身がその夢の外面しか見えていなくて、本質を冷静に見抜けているか、困難を乗り越えてでも叶える価値が本当にあるかっていうところです」
「あ、あるんじゃないですか!? まだ片足突っ込んだ程度ですけどそんな気がしますよ!?」
「うん。でも実際のところ、夢中で追っているときは盲目になるものですから、見極め困難なんだと思います」
「なんなんですかさっきから! 信じてることを疑えと!?」
「それは新社会人とはいえ22歳の大人ですから疑って、より明確な答えを導き出してください。きっと困難な夢でしょうから一度は門前払いを食らう可能性が高いですし、敢えて自ら距離を置いて俯瞰してみるのもアリです。そういうときこそ、対象を冷静に見極めるチャンスです。その上で、やはり追い続けたいと思うなら、リトライしてみるのもオーケーでしょう」
「うーん、どうしたものか……」
きっと本牧さんは『お仕事の夢』という前提でお話をしてくれたのだと思うけれど、それを恋に当てはめて良いものか、悩ましい。
お読みいただき誠にありがとうございます!
2週間ぶりの更新となりました。先週はお休みしてしまい申し訳ございません。大変なことがあり、立て込んでおりました。
また、近頃Twitterにて仙台の方々からお声掛けいただく機会が増えました。本作が少しでも、ご当地のお役に立てれば幸いです!




