砂粒一つほどもない
『おかえりなさいませ、ご主人さまっ! って、うわぁ!? じいちゃん何しに来た!?』
居間の液晶テレビ。お祖父さまはレコーダーにディスクを挿入し、再生された映像の冒頭はメイド喫茶を模した教室。メイド服を纏った衣笠さんは反射的に『おかえりなさいませ、ご主人さま』を言ってから客がお祖父さまと気付き赤面している。
衣笠さんに『とりあえずそこ座ってて』と対面二人掛けの席へ通されたお祖父さまは彼女がバックヤードへ引っ込み、再び出てきて料理を運ぶ様子や、ここぞとばかりに現役女子高生の姿を舐めるように撮影している。衣笠さんはあまりカメラに収めず、教室全体をカメラで見渡し、ある一人のメイドさんにアングルを固定した。黒髪ロングの美人さんだ。なるほどお祖父さまはこういう色気ある女性がお好みなのか。
これはきっと、家族には見られてはならない映像だろう……。
『うわあああ!!』
『ちょっと未来! 急がなくていいから慎重に運んで!』
『むぉ、申し訳ありますぇええええええん!!』
一方、たまに映り込む衣笠さんは食後の食器を運ぶ際、慎重を欠いて映るたび百発百中で床に落下させているが、紙皿&紙コップのため割れはしない。
美人を撮影、いや、盗撮して満足したのか、料理が運ばれてくるのを待たずに動画は一旦途切れ、舞台を暗幕がかかる薄暗い講堂に移した。
館内中央には折り畳み椅子が数十席配置されている。席はほとんどが生徒で埋まっているが、若干の空きはある。カメラはそこからいくらか距離を取り、後方から撮影している。女子校ということで、映り込む学生のほとんどが在校または見学の女子中高生だ。
『まもなく軽音楽部による公演を開始いたします』と放送が入り、数十秒して幕が開いた。
直後、照明がまばゆい照明がステージを包み込み、演奏が始まる。楽器はギター、ベース、ドラムにキーボードで、その奏者は学生服姿だが、ボーカルだけはなぜかメイド服。
ショートヘアの彼女は凛と落ち着いたオーラを放ちつつ、クールでおぼろげな表情。前を向いているが、焦点を定めていない。
「かっこいい……」
まるでプロのボーカリストのような彼女に、思わず釘付けだ。
「だろう? まぬけな我が孫にこんな一面があったとは。これから2曲やるのだが、どちらの作詞作曲も未来がやったらしい」
「え、これ未来さんですか!?」
「わかる、その気持ち、わかるぞ」
驚きだ。さきほどの動画やこれまで僕が接してきた彼女のイメージとは程遠い。しかしよく見れば、確かに彼女は衣笠未来だ。化粧などしている感じはないのに、お祖父さまに言われるまで気付かないほど、本当に変貌している。
しかしその幻想は、直後一瞬で崩壊した。
『にゃんにゃんごろごろにゃんにゃんごろごろにゃんにゃんにゃにゃんにゃーん! 私はおばあちゃんの飼い猫にゃんにゃんにゃにゃんにゃーん! きょもぽっかぽかの陽射しを浴びるのにゃーん! ヘイッ!』
じゃんじゃんじゃらじゃらじゃんじゃんじゃらじゃらジャンジャンジャジャンジャンジャーン!
ポップな演奏に乗る衣笠さんはアイドルのように笑顔を弾かせマイクを持ってステージ上を踊り回り、アニメ声で約4分を歌いきった。
頭が痛くなるような曲だが、かなりハードなステージを見事にこなした彼女に思わず拍手。映っている観客も、戸惑いつつ次第に盛大な拍手を浴びせた。
休むまもなく2曲目に突入。1曲目のようにいきなり歌唱は入らず、10秒ほどの前奏があった。
『僕はなぜここにいる? 君はなぜ遠くにいる? こんなにも近くにいるのに。世界の果てを知りたくて旅に出てみたけれど、わかったことは砂粒一つほどもない。手を伸ばしても届かない。もどかしさは募るばかりで。ほんとうは今すぐ手を握りたいんだ。そのための旅だったのに。僕はどこまで歩き続ければいいのだろう?』
こちらはやや重厚なロックのようだ。ハイテンポだが1曲目のように早口ではなく、一字一句ちゃんと聴き取れる。
彼女はクールな表情を一切崩さず、一曲を華麗に歌い切った。尺がどれくらいなんて計る気も起きないくらい、僕は画面に見入っていた。
うおおおおおお!! と観客からの拍手喝采は、少し間を置いてからだった。
僕が彼女について知っていることも、実は砂粒一つほどもないのかもしれない。
そして彼女の深層心理を察してしまった僕は、これからどうすれば良いのだろうと、少しばかり自惚れつつ、切なさが胸に滲んできた。




