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未来がずっと、ありますように  作者: おじぃ
成城英利奈のプライベート

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砂上の姫君 

「じゃあね、お先」


「おつかれさまでしたー!」


 花梨に見送られ改札口横の事務室を出た私は、私服姿でお客さまに混じり、階段を上がって乗車口に並んで列車を待つ。月曜日の20時前、ぼんやりした蛍光灯が照らす生温かい駅のホーム。虚ろな目の人々はスマートフォンやタブレットで自らの顔を照らし、まるでお化けのよう。


 駅社員の監視がないこの時間帯は自動放送のみが列車の接近を告げ、まもなく10両編成の大船おおふな行きが秒速約20メートルで滑り込んできた。


 最後部車両に乗車して乗務員室との仕切りの前に立ち、車内を見渡す。座席はすべて埋まっていて、立っている人は20名ほど。白い壁に黒い吊り革というシンプルな内装は、2千年代後半に流行したモノクロームインテリア。


 3駅進むと乗客はまばらになり半分以上が空席となったが、駅社員という立場上、お客さまに顔を覚えられている可能性があるため職場周辺の路線では自他社無関係に疲れていてもなるべく着席しない。


 大船駅から吊り革さえほぼ空きのない東海道とうかいどう線に乗り換えて12分後、茅ケ崎(ちがさき)駅で下車。茅ヶ崎駅では乗客の約半分が下車。15両編成の列車からは一気に数百人が流れ出る。


 地元発祥のバンド、サザンの発車メロディーが鳴り終わると、沼津ぬまづ行きの列車はドアを閉めてゆるやかに加速し、遥か前橋まえばしから始まった長旅の続きを始めた。     


 がんばって、ここは4分の3地点、残り1時間10分よ。と心の中でエールを送る。車両は商品であり、仕事のパートナー。その質や運用、定時性次第で会社の明暗を分ける。つまり、私のお財布事情にも影響する。


 暖色照明がまるい雰囲気を演出する駅のコンコースには、広く取られた通路を隔てて中央に駅ビルのエントランス、右になかなか値の張るデリカテッセン、左に南国スタイルの服屋のショーウィンドウとコンビニエンスストアがある。もしハワイに鉄道が通っていたら、きっとこんな間取りの駅になるだろう。


 駅舎の階段を下り、南口の全長百メートルほどのアルコナード商店街を西へ進む。


 駅舎を出ると同時に私はようやく会社の敷地を出た。


 一方通行道路とベージュの歩道が貫くこの商店街は飲み屋を中心に形成されており、中でも週刊少年漫画誌のロゴを模した琉球酒場は曜日など無関係にどんちゃん騒ぎ。海の家のように開放的な店舗からは人々の笑い声と肉の焼ける匂いが今宵も変わらずに漂っている。


 東北地方、福島県郡山(こおりやま)市出身の私は、大学入学を機に上京、都内のワンルームマンションから路面電車で大学に通っていた。それから4年、就職を機にこの茅ヶ崎市へ引っ越し、現在に至る。


 なぜこの街に住むと決めたかというと、東海道線が貫く神奈川県内すべての市には駅ビルがあるのでその存在は当然として、駅北口周辺には大型スーパーや家電量販店、銀行などが密集し、生活が便利であるというのが一つ。


 南口はヨーロピアンなパン屋や酒場、レストランなどのお洒落なお店が軒を連ねている。このほか、先ほどのように沖縄やアジア諸国の文化を取り入れた飲食店もいくつかあり、気軽に異文化を満喫できる。この非日常感が茅ヶ崎に住む決め手となった。


 アルコナード商店街と接続しているサザン通り沿いに建つ高層マンションの7階。2LDKで家賃は10万円。


 誰もいない部屋の灯りを点けてラックにバッグを掛け手洗いうがいを済ませると、細いステンレスの取っ手が装着されたイタリア製のグラスにいくつかの氷を入れ、パックのミルクココアを注ぐと、カランコロンメキメキッと涼しげな音を発する。仕上げにブランデーを一滴。


 ベランダに出ると、決して涼しいとはいえない夜の海風が全身を包む。星もよく見えない霞んだ街にぽつぽつと光る百万ドルとはほど遠い夜景を眺めつつ、ココアを一口含んでほっと息を漏らす。西側なので、夕方には富士山とセットで臨むサンセットが見られる。


 こんなにも贅沢な生活をしておきながらまだ所得を上げたいと願望を抱くのはきっと、それ以外に求めるものがなく、上限がない故に永続的に求め続けられるものであるから。ピラミッドの下層にある他の欲を満たせていない、いわば砂上さじょう楼閣ろうかくで自己超越の欲求を満たすための物差しともいえるそれに依存することで、日々モチベーションと自尊心を保っている。前向きに生きていられる。


 このままずっと、仕事とお金だけがトモダチなのかしら……。


 憂いている最中に浮かんだのは、幼少期から慣れ親しみ、誰が点けているのか、現在でも職場の休憩室でたまに見るパンとバイ菌のキャラクターが活躍する長寿アニメの主題歌。


 いったい私は、この無駄なき世にどんな意味を持って生まれたのか。


 ブランデー入りココアとはミスマッチなアニメ主題歌を口ずさんでいると、自ずと問いかけられた存在意義。


 働いて収入を得て、納税や買い物をして社会に貢献する。しかも、なるべく多く。それが社会人である私の現在の至上命題であり、国民の基本。けれどそれだけではどこか満たされない。25歳の彼はおろか、ブライダル企業で働く22歳の彼女も心得ているであろうそれを、26歳の私はいま一歩掴めていない。


燕雀えんじゃくいずくんぞ鴻鵠こうこくの志を知らんや』ということわざの正に燕雀たる私はそれがとても悔しいけれど、燕雀なりにもプライドがあるから感情は露わにしない。


 欲しい。自分を変えるための何かが。


 変えたい。数字や実績という獲物ばかりを求める野生動物じみた日常を。


 主観的に、私は冷めた人間だ。それでもあの子たちみたいに、こころあたたかい人間になりたい。


 そしていつの日か、幸せになりたい。


 さて、明日こそ休みになると信じて、お絵描きでもしようかしら。リビングのテーブルにスケッチブックと色鉛筆を用意して少しのあいだ目を閉じれば、その先には、仕事にも何にも縛られない自由な世界が待っている。

 お読みいただき誠にありがとうございます!


 今回は駅の営業主任、英利奈のお話をお送りさせていただきました。初登場ではないので敢えて作中に名前は書きませんでしたが、彼女視点でのお話は今回が初なので、誰視点かわかってくれるかな~と不安も抱きつつの執筆となり、何度も書き直しました。


 私は本作のほか、日常、ファンタジー、コメディーなどいくつかの小説(ほぼ下ネタ混じり)を書いていますが、それぞれのキャラクターが自己の存在意義と向き合うという共通点を持たせ、ジャンルが異なっても創作するうえでの軸がブレないようにしています。自分語りで恐縮ですが、SNSなどをチェックしていて気になったので、何か皆さまの参考になればとここに記させていただきました。

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