百合丘花梨の落書き
「うひょひょひょひょー、捗る捗るー!」
悠生と未来が石巻の住宅地を出た頃、横浜市内の駅事務室では19歳の新人駅員、百合丘花梨がデスクに設置された液晶タブレットでお絵描きをしながらゲスな笑みを浮かべていた。
「ちょっと、なに描いてるの? 勤務時間中よ」
落書きをしている花梨を注意するのは、営業主任の成城英利奈。26歳独身、彼氏なし。今日は急病を患った社員の代務で出勤。
「絵描きは気分転換に絵を描く生きものなんです! そんなの成城さんだって絵描きなんだから知ってるじゃないですか。大丈夫です、スタンプラリーのポスターは期日までにちゃんと仕上げて駅長の承認もらいます! それよりあぁ~かわゆい~! 衣笠さんちの未来ちゃん、私より4つも上なのにどうしてあんな小動物的な可愛さがあるんでょう!」
自分で描いた未来の落書きを指差す花梨は、まるで犬や猫を愛でるような恵比寿顔。実は花梨、可愛い女の子が三度のメシより大好きで、未来と初めて会ったとき「獲物を狙う雌豹のような目付きはやめなさい」と、英利奈に耳打ちされていた。
「男ってああいうのが好きなのかしら。うちの男連中、特に松田さんと本牧、我が子のように可愛がってるわよね」
「フッ……。嫉妬ですか成城さん。仕方ないんですよ、私たちみたいなカネの亡者は愛されないんです」
「そうね、あなたなんてまだオンナの悦びも知らないものね」
「ふっふっふっ、ところが私、一日で233人を相手にした過去があるんですよふふふふふ」
「それ、一日で接客した男性の数かしら」
「接客の人数はどうでしょう。233人っていうのはこの駅を通る233系電車から思いついただけです」
花梨は徐々に自社が保有する車両の形式を覚えつつあるが、大規模鉄道事業者ゆえに車種が非常に多く、すべてを把握している社員は少ない。
この駅を通過する主な車両は233系通勤電車とガソリンを積んだタンク貨物列車で、貨物列車が通過する時間が近付くとどこからともなくカメラを持った鉄道ファンが現れる。
「だと思ったわ。つまり処女なんでしょ?」
「チッ、バレましたか。でも男子って魅力感じないんですよねー。どいつもこいつも好きなものが似たり寄ったりだし、本牧さんはイケメンで優しいけど何かとんでもないことを隠してそうな感じするし」
「鋭いわね。私もそんな気がしているの。オンナの勘ってやつかしら」
「もしかしたら宝くじが当たって億万長者だったりして……!」
「それは見逃せないわね。酔わせて既成事実つくって責任取らせようかしら」
「へ~え、でもそれ、本牧さんが億万長者じゃなくてもそうしたいんです、よね?」
雌豹こと花梨は上目遣いで上唇をぺろり舐める。蛇に睨まれた蛙となった英利奈は成す術もなく、しばらくのあいだ照れ隠しすらできずに硬直していた。
この生意気な小娘が……。感情は煮えたぎるも、花梨の眼力は英利奈に一切の抵抗を許さない。
ふふ、純情乙女の英利奈ちゃん、可愛い。




