被災地を伝えたい
「うわぁ……!」
シャッターが開き、ついにお目当ての車両がお目見え。
これが、これが私の式場……!
違うか。お客さまの式場だ。
そう歓喜に浸っていられたのは、ほんの一瞬だった……。
私の隣に立つ本牧さんは唖然。高山さんはどこか開き直ったかのように涼しい顔で車両の顔を見上げている。
「あ、あの、この電車、走れるんですか?」
私たちの目の前に姿を見せたのは、昭和中期から21世紀初頭まで首都圏や仙台周辺で大活躍していた通勤車両。山手線は黄緑、私たちが横浜で利用している京浜東北線はスカイブルー、中央線や総武線はカナリヤイエローに塗られていた。そしてここ宮城では白をベースに車両上部、雨どいの下にブルーのラインが引かれていて、目の前にあるのがそれ。
かつてはしっかりと手入れされ、綺麗な状態で走っていたのを覚えているけれど、現在では大量のホコリを被って黒ずみ、塗装が剥がれて所どころ酷く錆び付いている。役目を終えても博物館へ寄贈されたり、葬られることもなくそのまま放置された廃墟だ。
「さぁな。正直、ここではない専門の工場で検査して見ぬことには何とも申し上げられぬ。本牧よ、元々工場勤務だったお主の見解はどうだ?」
「え、本牧さん、工場の方だったんですか!?」
知らなかった。彼はあまり自分のことを語ろうとしないから、きっとまだまだ私の知らない意外なことがたくさんあるんだろうなぁ。
「えぇ、以前は鎌倉の工場で、簡単に言えば電車の車検をしていました。で、この車両ですが、率直に申し上げて直すにしても相当な手間と費用がかかるかと」
「そ、それはつまり……」
「現在の新郎新婦さまのご予算では少々厳しい、ですね」
「あぁ……。うわあああ……」
うわああああああ!! せっかく、せっかくお客さまに喜んでもらえると思って意気込んで来たのに!! 一度ほかのところに断られてからの展開が道理で上手く行きすぎていると思ったんです!! どうせ私のやることなんか何もかも上手く行きませんうわああああああ!!
「まぁまぁ衣笠さんや、まだこの車両が使えないと決まったわけでもあるまいし、メンテナンス費用を抑える術だってあるやも知れぬから気を落とすにはまだ早い。なぁ本牧?」
「あぁ、まぁ、幸いファンの多い車両形式なので、やり方次第では……」
「ほ、ほんとですか!?」
はっ、いけない! 思わずせがむように本牧さんの手を両手でギュッと縛ってしまった!
「はい。せっかく見付けた車両ですし、なんとかしましょう」
「あっ、ありがとうございます!! もう何でも言うこと聞きますから煮るなり焼くなり好きにしてください!!」
その後、私たちは一応車両の内外をくまなく写真に収めてから事務所棟へ戻った。車両はかつて本牧さんがお勤めされていたという鎌倉の工場へ回送し、状態の確認をしてもらう交渉を関係各位にすると高山さんは仰った。
「なぁお二人さん、特に本牧よ、これから時間はあるか?」
午後2時の別れ際、門まで見送りに来てくれた高山さんが問い、本牧さんは「うん、大丈夫だよ」と答えた。
「そうか、ならば少し、我が故郷を見て帰ってはくれぬだろうか」
「故郷って、石巻?」
石巻市は宮城県の沿岸部に位置する人口16万人ほどの街で、東日本大震災では大津波が押し寄せ甚大な被害が出た。
「あぁ、いかにも。残念ながらワシは仕事がある故に案内できぬが、衣笠さんよ、心苦しいだろうが同じ宮城の者として、どうか被災地の現状を少しでも本牧に伝えてやってはくれぬだろうか」
「わかりました」
私は一言、きょう一番の真剣な眼差しを高山さんの目を真っ直ぐ見て承った。
内陸部出身の私がずけずけと被災地へ足を踏み入れるのは言葉では表せないつらさがある。けれどその惨状を伝え、いつか来るであろう他の土地での震災の備えとして、少しでも役に立てるものがあれば、それを知っている私はしっかり伝えなきゃと、そう思う。
「よろしくお願いいたします」
ついさっきまで費用のことで苦笑いしたり、高山さんを下ネタ攻めしていた本牧さんは、私のほうを向いて深々と頭を垂れた。
お読みいただき誠にありがとうございます!
本作は鉄道ファンの方にもお読みいただいているようで、実際の鉄道とは異なる部分もありますが、少しずつそれに関するネタも入れられたらと思います。
次回、悠生初めての被災地訪問です。今回のお話を書いているとき、被災地で見た光景を思い出し、涙ぐんでしまいました。




