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未来がずっと、ありますように  作者: おじぃ
駅の休憩時間
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◇その思いにだけは、素直でありたい

 家族とは、なんだろう?


 この休憩室の黒い革張りソファーに腰を下ろして肩の力が抜けるとよくそんなことを考える。特に松田助役、成城さん、百合丘さんで駅を回しているとき、強く意識する。きっと気張らずに同じ空間、同じ時間を共に過ごせる面子めんつだからだ。


 両親がいて、きょうだいがいて、ペットなんかもいたりして……。しかし現代において、両親が揃っていて尚且つ円満な家庭なんてあまりないか。少なくとも僕の周囲に円満な家庭で育った同年代など心当たりない。どこも両親の不仲で離婚や別居に至ったり、きょうだいの誰かが少年院に入った過去があったり、まぁそんなところ。僕の育った家庭にも少々事情があり、現在に至るまで家族との時間をあまり過ごさなかった。


 夫婦なのに、家族なのに、心が通い合っていない。心が育たない。育ったとしても、理不尽の風に打ちひしがれたり、目まぐるしい日々の中で、何を目的に生きているのか知る機会も得られずに枯れ果ててゆく。数字を叩き出すためにこき使われ、不要になれば捨てられる。そんな社会の仕組みのなかで、僕らは生きている。心の首を絞められながら。


 僕がどうにか前向きに生きていられるのは、日頃から生きる目的を意識して、それと向き合っていられる環境に身を置けているからだ。しかしそれもいつまでかはわからない。僕が目指しているのは、この息苦しい世の中で、心穏やかになれる空間を創ること。それは駅という小さな一コマから会社や国を巻き込む大型プロジェクトとしても取り組めるが、一方で機能性や合理性を突き詰め、そういったものを敢えて徹底的に排除している鉄道会社もある。その会社は当社より小規模ではあるものの純利益率が高く、経営者がそれに倣おうとすれば、僕の目標は会社にとって邪魔でしかない。


 会社の方針はさておき、多くの人が利用する当社には、それだけ人の心を取り戻すポテンシャルを秘めている。ついでに言えば、お客さまとの心の距離を縮めて、ご期待を実現できれば収益性だって上がる。更にはお客さまご本人すら想像していない潜在的なニーズを具現化できるよう常に心を研ぎ澄ませておく。利益を追求する獰猛どうもうけものになるより、心に寄り添える存在であったほうが持続可能な社会の実現と、個人や会社がイキイキと存続できると僕は考えている。


 僕にとって最も心の距離が近い存在は指導担当の成城さんだったりする。


 成城さんはいかにもクールなビジネスウーマンの風貌で、口調も淡々としているが、基本的に人に対して否定的な接し方はしない。むしろ部下が新たに仕事を会得したり、上達が見られた場合は積極的に誉めてくれる。先ほど百合丘さんが描いたポスターのイラストもそうだ。逆に失敗したときは特に口出しせず、まずは当事者の良識を信じ自ら考えさせ様子を見守りつつ、必要に応じてアドバイスをくれる。


 成城さんの人柄は自身が手掛けたやわらかいタッチのイラストにも滲み出ているが、何よりわかりやすいのが今この時。なんと彼女、制服の上に落書きのような猫の顔が描かれた黄色いエプロンを掛けているのだ。しかも百合丘さん曰く、元々無地だったものにミシンを掛けて描いたそうだ。なんと器用なのだろう。


 見た目や日頃の態度とのギャップに少々からかいたくなってしまうが、下手すると靴で局部をグリグリされかねないので黙っておく。だが大きなテディーベアを抱き抱えながらもきゅもきゅ癒されている姿を妄想すると……。実際にやっているかはわからないが。だがきっと単独行動中に猫が擦り寄ってきたら周囲を見渡して無人を確認すると、よしよし可愛いニャーずりずりずりずりー! とかやるタイプだろう。


 僕も僕らしく、強くやさしい心の持ち主になりたい。


「本牧さん、さっきから何か言いたくてウズウズしてるみたいですけど、どうしました?」


「いや、なんでもないよ」


 誤魔化しつつ、僕はわざとらしく通勤鞄から取り出したペットボトル入りのナチュラルミネラルウォーターを流し込む。仕事上がりの水はうまい。渇いたカラダとココロに染み渡る。


 どうやら僕は百合丘さんに心を読まれたようで、彼女は成城さんを盗み見てゲスな笑みを浮かべている。別に成城さんの趣味をバカにしているつもりはない。言い出しにくいが、僕だってゆるキャラとか、素朴で可愛いキャラクターは好きだ。特に熊本県のあのクマさんはどストライク。思いっきりキューティーな感じではなく、ちょっと間の抜けた感じがたまらない。


「お待たせ。いただきましょうか」


 テーブルには既に白米が盛られたご飯茶碗が3人それぞれの席の前に、とろろの入ったすり鉢が中央部に用意されている。成城さんは僕と百合丘さんの斜め前に座るので三角形状に置かれている。たったいま成城さんがゴーヤーチャンプルーを持った大皿を運んできたので、僕は腰を浮かせて「ありがとうございます」と言いながら受け取り、とろろの横にそっと置いた。


「わぁ、成城さんのゴハンはきょうも美味しそうですぅ!」


 チャンプルーからはほくほくと湯気が立ち上り、角切りベーコンから放たれる燻製くんせい独特の薫りが食欲をそそる。


「ありがとう。疲れと夏バテに効くメニューにしてみたの」


 百合丘さんは嬉しそうに親指を除く両手四本の指を反り合わせながら、目をキラキラ輝かせている。恋愛話をするときとは違う、純朴な表情だ。成城さんが料理上手というのもあるが、そもそもこの駅には手料理を振る舞う人が成城さんを含め二人だけ。他の社員は近所の弁当屋やハンバーガーショップに買い出しに行く。


挿絵(By みてみん)


 手料理を振る舞うもう一人は松田助役。なんと彼の得意料理は中華そば。ニンジン、タマネギなどを鍋で煮込んだ鶏ガラスープは店で食べるものと遜色ない。なぜ鉄道員などやっているのか。せめて弊社の傘下にある立ち食い蕎麦屋のメニュー開発部門に出向したほうが人生楽しいのではなかろうか。


 当駅のスープは継ぎ足しながら使っているため今いただいても問題ないが、下手に手をつけると温厚な松田助役の逆鱗げきりんに触れかねないため、彼が調理当番でないときは誰もそのスープを使わない。そもそも麺を好みの硬さに茹でられないし、誰も上手に調理しようと努力すらしない。


「本牧、また何か考え込んでいるの? 気を閉ざした目をしているわよ」


「はははっ、他愛ないことです」


「あ~あ、本牧さんわかりやす過ぎです」


「なに、二人してものすごく失礼な話でもしていたの?」


「いえ、本牧さんが表情かおで語っていただけです」


「ふぅ、バレてしまっては仕方ないですね。そうです、仰るとおり、エプロンの猫ちゃんがかわいいなって思いながら成城さんを見ていました」


「そうでしょう。可愛いでしょう」


 恥ずかしがると思いきや、成城さんは斜め45度のドヤ顔で僕を見下ろした。屈んだ彼女のエプロンが垂れて落書き猫の大きな顔が僕の目の前に。


「え、えぇ、とても……」


 至近距離に迫られて影に侵食された猫の顔はシュールとしか言いようがないが、可愛いということにしておこう……。


 それから僕らは、和気あいあいと美味しく食事をして、冷房の効いた室内で食後の温かい緑茶を呑み、横浜出身の中年男性タレントが海外旅行をし、現地の人に片言の英語で道を訊ねるバラエティー番組を見ながら笑いあった。


 本来の家族のかたちなんてものは僕にはわからないが、姉や妹がいて、各々が時間に余裕を持って暮らしていたら、こんな感じになるのかな。なんて、もうやり直せない子ども時代を思い描く。だがこの先もし家庭を持って数十年間生きられるのならば、そんな光景が見られるのだろうか。


 世間を幸せにしたい。自分も幸せになりたい。人生の旅はもうじき終わるかもしれないが、その思いにだけは、素直でありたい。

 お読みいただき誠にありがとうございます!


 本作のイラストを描いてくださっている源まめちちさんのイラストが掲載されたイラスト誌『E☆2 Vol.50』が発売されました!

 意味深な寝起きのイラストでとても可愛く、ちょっと小悪魔的な仕上がりになっておりますので是非ご覧ください!

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