駅員たちの世間話
日曜日の20時半。日勤シフトの悠生と花梨は指令室からの声や改札口の向こうから聞こえる雑踏の音が響く駅事務室のデスクに向かい、顔面いっぱいにブルーライトを浴びながら企画関係の資料やイラストの制作をしていた。
夏休みは旅行業の繁忙期。きっぷや定期券等の発売窓口には長蛇の列が発生し乗車券類等の販売に追われるほか、各地方への旅行を促すポスター制作、自社のメディア事業部門が企画している可愛いモンスターが活躍するアニメと、小中学生向け少女漫画が原作の恋愛アニメのスタンプラリーも予定していて、その準備もあり多忙な日々。アニメ関連の企画は鉄道各社で好評を博しており、駅としては営業成績を上げる絶好の機会。また、スタンプ台紙を持った子どもたちがウキウキしながら歩き回る微笑ましい姿を見るのが、普段疲れ切った大人たちを見送っている社員の楽しみだったりもする。
「私も、私も恋がしたいですぅぅぅ!」
液晶タブレットに少女漫画の主人公のイラストを制作途中の花梨が伸びをしながら脚をジタバタ。それが落ち着くと、隣でPCディスプレイをぼんやり眺めながら文書を作成している悠生を見遣った。
「恋って、なんなんだろう……」
おぼろ気な表情で頬杖をつき、直近の疑問をボソリ漏らした悠生に、ビビッと電波を受信した花梨の思考回路は恋愛相談の準備を始める。
「どっ、どうしたんですか急にっ! まさか、もうすぐ26歳になるのに初恋まだとか!?」
「ははは、そうかもしれないね」
こめかみに人差し指と中指を当てて苦笑する悠生に、コイバナ大好きなイマドキ女子は目を輝かせグイグイ迫る。
「キャー本牧さん可愛いですぅ! でも残念! 私も少女漫画以外での恋は知らないから、具体的なことは教えられないんですぅ。でもでもきっと、胸がキューンとして、毎日がベリベリハッピーになっちゃうのはマストビーです!」
グッと親指を突き立て、舌を出して口の端に寄せる花梨の無邪気さに、僕もこのくらい物事を明るく捉えられたらと、悠生は心底感心した。
しかし花梨は大きな勘違いをしている。彼女は悠生を恋に憧れ、異性に興味を抱き始めた思春期の少年のようだと捉えたが、彼は公にすべきでない年齢で初交を経験、高校時代は悪友と共に由比ヶ浜海水浴場でナンパもしていた。そんな彼も第二反抗期独特の妙に気取り浮ついた時期を過ぎ、18歳の誕生日を迎えた頃から徐々に落ち着き始めた。それでも女遊びはやめられなかったが、いつしかカラダだけを求める関係に虚しさを覚え、心を通わせ合える相手を求めるようになった。余命を予知したのは、ちょうどその頃だ。
あれから約8年。悠生はようやく、カラダ依存ではない恋を知る機会を得た。
彼女は今ごろ、何をしているだろうか。
プライベートや休憩時間、仕事をしていない間は四六時中、意識の何処かに彼女の姿が浮かぶ。
「二人とも、そろそろ切り上げたら? 本牧は明日、仙台に出張でしょ?」
悠生と花梨の背後から気配なく現れた英利奈。部下に気付かれぬよう勤しむ様子をさりげなく見守るのも監督の技能の一つだ。英利奈は徹夜勤務で、この時間はシフト表通り夕飯の支度をしている。
「そうですね。お腹空いたし、夕飯いただいて帰ります」
「えぇ、もう用意できてるわ。花梨、きょうの絵はいつにも増して上手じゃない。どうしたの?」
「えへへー、この絵はきっと、子どもたちが喜んで見てくれるんじゃないかなって思いながら描いてたら、なんだかいつもより出来栄え良くなりました!」
「あら、仕事なんてお金が稼げればいいんですなんて言っていたついこの前が嘘みたいね」
「お金は欲しい! 欲しいです! 諭吉の海で溺れてみたいです!」
「そうね、私も宝石のお風呂に入りたいわ。けれど低賃金労働やサービス残業が当たり前の世の中だから消費は冷え込んでいるし、うちの会社も商品の値上げに踏み切れないの。他にも安全対策費用が嵩んだりとか、収益は上がってもお給料に反映しにくい理由は多々あるけれど」
「そういえばついこの前、思い切って値上げしたら売り上げが落ちて業績予想を下方修正せざるを得なくなった企業が報道されてましたね」
「わお、20代になるとこんな難しい会話をするようになるんですね。なんだか大人の階段上ってる気がします! それで、本牧さんはお金持ちになりたくないんですか?」
「そりゃ僕だってお金は欲しいよ。とりあえず今にも崩れそうな築半世紀の木造アパートを出て、コンクリートのマンションに住みたいかな。けれどお金持ちになるより、心から愛せる人と出会い寝食を共にして、来る時を迎えられたなら、僕にとってこれに勝る贅沢はないよ」
「本牧さん仙人ですか!? でも言われてみれば、死ぬまで愛せる人に出会って結ばれるって、実はかなり難しいのかもしれないですね」
カネ、愛情、幸福……。3人は暫し己が人生に想いを巡らせた。悠生と花梨はキリ良いところで作業を切り上げ、助役との退社点呼を済ませると、私服に着替えて休憩室のソファーに並んで尻を陥没させ、ふぅと溜め息をついた。
お読みいただき誠にありがとうございます。
昨晩の熊本県における地震にて被災された皆さまの一日でも早いご快癒をお祈りいたしますとともに、何か自分でもできることがないかと模索しております。
小説家になろうの作品は無料公開ですので、電力に余裕のある場合は気分転換にでもご閲覧して戴ければと存じます。




