4ヶ月ぶりの実家
ふぅ、と溜め息ひとつ。仙台駅から1駅約5分、私は実家の最寄り、長町駅のホームに降り立った。その感覚は仙台駅のペデストリアンデッキに出たときの、まるで昨日も来たかのようではなく、4ヶ月という時の流れを感じる。この辺りは幼い頃から一人で出歩いていた正真正銘のふるさと、仙台市太白区。
数十人の乗客を降ろしたモダンな電車は大船駅と同じ発車メロディーを車両のスピーカーから流し、ドアを閉めると人の脚では追い付けない速度まで一気に加速し、赤いテールライトは暮れなずむ空に姿を消した。
久しぶりだなぁ。
長町駅には東北本線のほかに地下鉄も通っていて、どちらも概ね5分から10分間隔で運行されている。構内には鉄道会社傘下のカフェチェーンやコンビニ、そして交差点。交差点のすぐそばにも別の大手コンビニ、高架になっている線路を潜り抜けて東側に大手輸入家具専門店があり、百メートルほど仙台駅寄りの西側には図書館やショッピングセンターを複合した31階建てのタワーマンションがピンと一際目立っている。その他、幹線道路を私の実家がある山方面へ15分ほど歩くと、映画館などの娯楽施設も備えたショッピングモールのような大型スーパーがある。
酒酔いと気疲れでクタクタの私は視線が定まらないままホームからのエスカレーターを下り、改札口を出るとタクシーに乗り込み実家の前まで運んでもらった。泥酔のせいでドライバーのおじさんとどんな会話をしたかさえ既に忘れている。乗車20分、約3千円の出費はとても堪えたけど、国分町のカラオケ店から長町駅まで立ちっぱなしで脚が笑っていた私にとって、この上ない救いだった。
都ちゃん、大丈夫かな。うちに泊めてあげれば良かったかな。
身をよじってようやく吊り革を掴んだ電車内やエスカレーターに乗っていたとき、そして実家前に到着した現在。考えることが無くなると、その心配ばかりが過る。
長町駅前とは違って実家の周辺は田畑が広がり、それを砂利の細道が碁盤の目状に通っている。背後には鬱蒼とした森に深緑の山々が聳え、隣家までは約2百メートル。日が暮れると灯りは我が衣笠家から漏れるものくらいしかない。つまり、超ド田舎。しかし政令指定都市。高層ビルが建ち並び、街灯りが眩しい中心部との差を感じつつ、小学校低学年の頃は田んぼのガマガエルを覗き込んでいたら飛び付かれその全身で顔面を覆われて呼吸困難になったり、家の裏で木の実を採っていたらクマさんとこんにちはして、恐怖のあまり近くに置いてあったコンクリートブロックを投げて逃げたら追いかけられたりと、自然に囲まれてのびのびと育った。
コンクリートブロックは私の目の前に落下し、80メートルほど離れたクマさんにはとても届かなかったけど、背を向けて走って逃げたために捕獲本能を掻き立ててしまったのかもしれない。玄関に回り込むまでの10メートルを逃げ切った私だけど、逃げ帰る私と、それを追って扉を閉めた途端に家の前に到達し、勢い余って玄関扉に衝突したクマさんを居間の窓越しに見ていたばあちゃんは、座布団に腰を下ろしてのほほんとお茶を飲んでいるところに不意を突かれて飛び上がり、ギックリ腰になってしまった。ばあちゃんには悪いことをしたと思う。普段はのんびりしたばあちゃんがあんなに激しく動いたのを見たのは、後にも先にもあれっきり。今となってはこの界隈のクマさんたちとはすっかり仲良くなれた。どうも私は動物に好かれる性質らしい。
さて、久しぶりの我が家だ。
築25年の実家からは灯りと笑い声が漏れていた。きっとじいちゃんが5人ほどの仲間を集めて酒盛りをしているのだろう。19時半、両親はまだ仕事から帰っていない時間で、ばあちゃんは車の免許を持っていない。迎えに来て良い人がいないから、私は初めからタクシーを利用した。もし私が何も知らずに泥酔したじいちゃんに電話をかけて迎えに呼んでしまったら、過信と孫への誤った想いで車を出してしまいそうだから。
あ、鍵が開いてる。現代は物騒だから油断するなって日頃から言ってるのに。
ノブの上下にある計2つの鍵穴は全く役目を果たしておらず、私はいつも通り無言で扉を開けて家に入った。多忙な両親に、足腰の弱い祖父母。家族の誰にも負担をかけないよう、玄関への出迎えを乞わないのが衣笠家の暗黙のルール。
扉を閉めて上下ともに施錠をしたとき、一気に肩の力が抜けた。分刻みのスケジュールや秒単位の通勤。少しの遅れも許されない社会と、常に周囲を警戒しなければならない都会の生活環境は、休日でも外出という行為そのものに大きな負担をかけるようになっていた。
「ただいまー」
「おやおや、帰ったのかい。おかえりよー」
と、扉のカチャリという音に気付いたのか、おばあちゃんが玄関まで出てきてくれた。
「おう未来、よく帰ったなぁ!」
「おっきくなったなー! おっぱいも大きくなったかい!?」
そのままどんちゃん騒ぎの居間へ通された私は、お酒臭さを感じると同時におじいちゃんと小さい頃から見知った愉快な仲間たちの熱烈な歓迎を受け、変わった趣向のホストクラブ状態になった。
「愛宕のおじちゃん還暦さ過ぎたのにナニ言ってんだべ! 大事なのはおっぱいより心の大きさだっちゃ!」
愛宕のおじちゃんは、区内にある愛宕神社の近くに住んでいるから愛宕のおじちゃんと私が勝手に呼んでいて、本名は伊達信義。どこにでもいる風貌の痩せ型白髪円形脱毛のおじさん。シルバーたちのセクハラを交わしつつ、赤茶色い漆塗りの食卓に目を遣ると、おちょこやとっくり、ビール瓶、枝豆や揚げ出し豆腐、大根や人参の煮物にキュウリの糠漬けなどおつまみがどっさり。これぜんぶばぁちゃんに用意させたんだ。いつも可哀想に。
帰宅したとはいえ、心が落ち着くまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。
お読みいただき誠にありがとうございます!
次回は駅のキャラクターたちに視点を向ける予定です。




